イエスの考 かんが え方 かた に倣 なら うなら,イエスのような人 ひと になることができる。(5,8,10,12,14節 せつ を参 さん 照 しょう 。)
5. 「キリストの考 かんが えを知 し 」るとはどういうことですか。イエスの生 い き方 かた について学 まな ぶとよいのはなぜですか。(コリント第 だい 一 いち 2:16 )
5 コリント 第 だい 一 いち 2:16 を 読 よ む。 新 あたら しい人 じん 格 かく を身 み に着 つ けるためには,「キリストの考 かんが えを知 し 」る必 ひつ 要 よう があります。つまり,イエスの考 かんが え方 かた について学 まな び,それに倣 なら う必 ひつ 要 よう があるということです。イエスは,聖 せい なる力 ちから が生 う み出 だ すものを完 かん 璧 ぺき に表 あらわ しています。傷 きず のない鏡 かがみ のように,エホバの性 せい 質 しつ を完 かん 璧 ぺき に反 はん 映 えい しているのです。(ヘブ 1:3 )私 わたし たちは,イエスのような考 かんが え方 かた ができるようになるにつれて,イエスのように行 こう 動 どう し,イエスのような人 じん 格 かく を身 み に着 つ ける点 てん で,いっそう進 しん 歩 ぽ していけるでしょう。(フィリ 2:5 )
6. 新 あたら しい人 じん 格 かく を身 み に着 つ けようと努 ど 力 りょく する時 とき ,どんな点 てん を考 かんが えるのはよいことですか。
6 それでも,「イエスの手 て 本 ほん に倣 なら うことなんてできるんだろうか」と思 おも うかもしれません。「完 かん 全 ぜん なイエスのようになることなんてできない」と感 かん じるのです。もしそうであれば,次 つぎ の3つの点 てん を考 かんが えてみましょう。1番 ばん 目 め に,私 わたし たちはエホバとイエスに似 に た者 もの として造 つく られています。ですから,私 わたし たちはある程 てい 度 ど ,エホバとイエスに倣 なら うことができます。 (創 そう 1:26 )2番 ばん 目 め に,神 かみ の聖 せい なる力 ちから は宇 う 宙 ちゅう で最 もっと も強 つよ い力 ちから です。それで,聖 せい なる力 ちから の助 たす けがあれば,自 じ 分 ぶん の力 ちから ではできないことも行 おこな うことができます。3番 ばん 目 め に,エホバは今 いま ,聖 せい なる力 ちから が生 う み出 だ すものを完 かん 璧 ぺき に示 しめ すよう,私 わたし たちに求 もと めてはいません。愛 あい 情 じょう 深 ぶか いお父 とう さんであるエホバは,地 ち 上 じょう で永 えい 遠 えん に生 い きる希 き 望 ぼう を持 も つ人 ひと たちが,1000年 ねん 間 かん をかけて完 かん 全 ぜん な人 ひと になれるようにしてくださいます。(啓 けい 20:1-3 )エホバが今 いま 求 もと めているのは,私 わたし たちができる限 かぎ りのことを行 おこな い,助 たす けを求 もと めてエホバに頼 たよ ることです。
7. これからどんな点 てん を考 かんが えますか。
7 では,どうすればイエスの手 て 本 ほん に倣 なら うことができるのでしょうか。これから,聖 せい なる力 ちから が生 う み出 だ すものの4つの面 めん を取 と り上 あ げます。イエスがそれぞれの性 せい 質 しつ をどのように示 しめ したか,考 かんが えてみましょう。そして,新 あたら しい人 じん 格 かく を身 み に着 つ けるために,幾 いく つかの質 しつ 問 もん を使 つか って自 じ 分 ぶん を分 ぶん 析 せき してみましょう。
8. イエスはどのように愛 あい を示 しめ しましたか。
8 イエスは,お父 とう さんエホバを心 こころ から愛 あい していました。それで,エホバと私 わたし たち人 にん 間 げん のために進 すす んで犠 ぎ 牲 せい を払 はら いました。(ヨハ 14:31; 15:13 )イエスの生 い き方 かた を見 み れば,イエスが人 ひと 々 びと を深 ふか く愛 あい していたことが分 わ かります。例 たと えば,イエスは反 はん 対 たい されても愛 あい や思 おも いやりを毎 まい 日 にち 示 しめ しました。王 おう 国 こく について教 おし えました。(ルカ 4:43,44 )神 かみ と人 ひと 々 びと を愛 あい していたので,罪 つみ 人 びと の手 て に掛 か かって苦 くる しみながら死 し ぬことを受 う け入 い れました。そのおかげで,私 わたし たち全 すべ てはいつまでも生 い きる希 き 望 ぼう を持 も つことができるようになりました。
9. 愛 あい を示 しめ す面 めん で,どのようにイエスに倣 なら えますか。
9 私 わたし たちは天 てん のお父 とう さんエホバを愛 あい しているので,エホバに献 けん 身 しん し,バプテスマを受 う けました。ですから,私 わたし たちもイエスと同 おな じように,人 ひと 々 びと を愛 あい することによってエホバへの愛 あい を示 しめ す必 ひつ 要 よう があります。ヨハネも,「自 じ 分 ぶん が見 み ている兄 きょう 弟 だい を愛 あい さない人 ひと は,見 み たことがない神 かみ を愛 あい することはできない」と書 か きました。(ヨハ一 いち 4:20 )次 つぎ のように考 かんが えてみましょう。「自 じ 分 ぶん は人 ひと 々 びと を深 ふか く愛 あい するよう努 ど 力 りょく しているだろうか。失 しつ 礼 れい な態 たい 度 ど を取 と る人 ひと に対 たい しても,思 おも いやりを持 も って接 せっ しているだろうか。愛 あい の気 き 持 も ちから,自 じ 分 ぶん の力 ちから やエネルギーなどを用 もち いて,エホバについて知 し るよう人 ひと 々 びと を助 たす けているだろうか。ほとんどの人 ひと に喜 よろこ ばれないとしても,あるいは反 はん 対 たい されるとしても,伝 でん 道 どう を続 つづ けるだろうか。人 ひと 々 びと を弟 で 子 し とする活 かつ 動 どう にもっと多 おお くの時 じ 間 かん を用 もち いることができないだろうか」。(エフェ 5:15,16 )
10. イエスは平 へい 和 わ をつくるためにどんなことをしましたか。
10 イエスは平 へい 和 わ をつくる人 ひと でした。誰 だれ かから悪 わる いことをされても,決 けっ して仕 し 返 かえ しをしたりはしませんでした。それどころか,平 へい 和 わ をつくるために自 じ 分 ぶん から行 こう 動 どう し,言 い い争 あらそ うのをやめるよう人 ひと 々 びと を教 おし えました。例 たと えば,エホバに崇 すう 拝 はい を受 う け入 い れてもらうためには,まず仲 なか 間 ま と仲 なか 直 なお りする必 ひつ 要 よう があると言 い いました。(マタ 5:9, 23,24 )また,誰 だれ が一 いち 番 ばん 偉 えら いかについて言 い い争 あらそ うのをやめるよう,使 し 徒 と たちを何 なん 度 ど も助 たす けました。(ルカ 9:46-48; 22:24-27 )
11. 平 へい 和 わ をつくるために,どんなことができますか。
11 平 へい 和 わ をつくる人 ひと になるためには,言 い い争 あらそ いを避 さ けるだけでは十 じゅう 分 ぶん ではありません。自 じ 分 ぶん の方 ほう から仲 なか 直 なお りすることや,仲 なか たがいをしている人 ひと に仲 なか 直 なお りするよう励 はげ ますことが必 ひつ 要 よう です。(フィリ 4:2,3。 ヤコ 3:17,18 )次 つぎ のように考 かんが えてみましょう。「自 じ 分 ぶん は,何 なに かの犠 ぎ 牲 せい を払 はら ってでも仲 なか 直 なお りしようとするだろうか。兄 きょう 弟 だい 姉 し 妹 まい から傷 きず つけられた時 とき ,恨 うら みの気 き 持 も ちを持 も ち続 つづ けるだろうか。相 あい 手 て が謝 あやま ってくるまで何 なに もしないだろうか。それとも,相 あい 手 て が悪 わる いと思 おも える時 とき にも,自 じ 分 ぶん の方 ほう から仲 なか 直 なお りしようとする だろうか。ふさわしい時 とき には,仲 なか たがいをしている人 ひと たちに,仲 なか 直 なお りするよう励 はげ ますだろうか」。
12. イエスはどのように親 しん 切 せつ を示 しめ しましたか。
12 イエスは親 しん 切 せつ な人 ひと でした。(マタ 11:28-30 )それで,難 むずか しい状 じょう 況 きょう でも,人 ひと に優 やさ しく接 せっ し,柔 じゅう 軟 なん さを示 しめ しました。例 たと えば,フェニキア人 じん の女 じょ 性 せい から,娘 むすめ を癒 い やしてほしいと言 い われた時 とき ,イエスはどうしたでしょうか。初 はじ めは,女 じょ 性 せい の言 こと 葉 ば に応 おう じませんでしたが,女 じょ 性 せい の大 おお きな信 しん 仰 こう を見 み て,親 しん 切 せつ に娘 むすめ を癒 い やしました。(マタ 15:22-28 )イエスは親 しん 切 せつ な人 ひと でしたが,感 かん 情 じょう に流 なが されることはありませんでした。自 じ 分 ぶん が愛 あい する人 ひと に毅 き 然 ぜん とした態 たい 度 ど で助 じょ 言 げん を与 あた えることによって,親 しん 切 せつ を示 しめ したこともあります。例 たと えば,イエスがエホバのご意 い 志 し を行 おこな うのをペテロがやめさせようとした時 とき ,イエスはほかの使 し 徒 と たちがいる所 ところ でペテロを叱 しか りました。(マル 8:32,33 )イエスがそうしたのは,ペテロに恥 はじ をかかせるためではなく,ペテロを教 おし え,出 で 過 す ぎたことをしないよう弟 で 子 し たちに警 けい 告 こく するためでした。ペテロは多 た 少 しょう 恥 は ずかしい思 おも いをしたかもしれませんが,大 たい 切 せつ なことを学 まな ぶことができました。
13. 本 ほん 物 もの の親 しん 切 せつ を示 しめ すために,どんなことができますか。
13 家 か 族 ぞく や友 ゆう 人 じん に本 ほん 物 もの の親 しん 切 せつ を示 しめ すためには,助 じょ 言 げん を与 あた えなければならないこともあります。そういう場 ば 合 あい には,イエスに倣 なら って,聖 せい 書 しょ に基 もと づいて語 かた る必 ひつ 要 よう があります。優 やさ しく接 せっ しましょう。「あの人 ひと は正 ただ しいことを行 おこな いたいと願 ねが っているに違 ちが いない。エホバや私 わたし を愛 あい しているので,親 しん 切 せつ に助 じょ 言 げん するなら,きっと快 こころよ く受 う け入 い れてくれる」と信 しん じましょう。次 つぎ のように考 かんが えることができます。「家 か 族 ぞく や友 ゆう 人 じん が間 ま 違 ちが ったことをしていることに気 き 付 づ いたなら,勇 ゆう 気 き を持 も って注 ちゅう 意 い するだろうか。助 じょ 言 げん が必 ひつ 要 よう な場 ば 合 あい ,親 しん 切 せつ な話 はな し方 かた をするだろうか。それとも,厳 きび しい話 はな し方 かた をしてしまうだろうか。動 どう 機 き はどうだろうか。腹 はら 立 だ ち紛 まぎ れに助 じょ 言 げん しているだろうか。それとも,その人 ひと を本 ほん 当 とう に助 たす けたいという気 き 持 も ちで助 じょ 言 げん しているだろうか」。
14. イエスはどのように善 ぜん 良 りょう さを示 しめ しましたか。
14 イエスは何 なに が善 よ いことかを知 し っていただけでなく,それを実 じっ 行 こう しました。イエスはエホバを愛 あい しているので,正 ただ しい動 どう 機 き で善 よ いことを行 おこな いました。善 ぜん 良 りょう な人 ひと は,どうすれば人 ひと の助 たす けになれるかということをいつも考 かんが え,それを実 じっ 行 こう します。何 なに が善 よ いことかを知 し っているだけでは,十 じゅう 分 ぶん ではありません。正 ただ しい動 どう 機 き で善 よ いことを行 おこな う必 ひつ 要 よう があります。とはいえ,間 ま 違 ちが った動 どう 機 き で善 よ いことを行 おこな うことなどあるのでしょうか。あります。例 たと えばイエスによると,当 とう 時 じ の人 ひと の中 なか には,貧 まず しい人 ひと に施 ほどこ しをした上 うえ で,そのことが人 ひと 々 びと に知 し られるようにする人 ひと がいました。こうした行 おこな いは,善 よ いものに見 み えたかもしれませんが,エホバの目 め には全 まった く価 か 値 ち のないものでした。(マタ 6:1-4 )
15. どうすれば,本 ほん 当 とう の意 い 味 み で善 ぜん 良 りょう さを示 しめ せますか。
15 本 ほん 当 とう の意 い 味 み で善 ぜん 良 りょう さを示 しめ すためには,自 じ 分 ぶん ではなく人 ひと のことを考 かんが えて善 よ いことを行 おこな う必 ひつ 要 よう があります。次 つぎ のように考 かんが えてみましょう。「自 じ 分 ぶん は,何 なに が善 よ いことかを知 し っているだけでなく,それを実 じっ 行 こう しているだろうか。自 じ 分 ぶん が善 よ いことを行 おこな うのは,どんな動 どう 機 き でだろうか」。