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塔研23 06月号 26–30ページ
レイノ・ケスク

ライフ・ストーリー

たくさんのサプライズと,エホバが教おしえてくれたこと

レイノ・ケスク

子こどもの頃ころ,私わたしは空そらを飛とぶ飛ひ行こう機きを見みては,いつか外がい国こくに行いきたいなと思おもっていました。でも,この夢ゆめはかないそうにないと思おもっていました。

私わたしの両りょう親しんは,第だい2次じ世せ界かい大たい戦せん中ちゅうにエストニアからドイツに移い住じゅうしました。私わたしはそこで生うまれました。その後ご,カナダに引ひっ越こすことになり,オタワの近ちかくに住すみました。私わたしたちはとても貧まずしかったので,鶏にわとり小ご屋やの一いっ角かくで暮くらしていました。でも,そのおかげで,朝あさご飯はんの卵たまごには困こまりませんでした。

ある日ひ,エホバの証しょう人にんがやって来きて,母ははに啓けい示じ 21章しょう3,4節せつを読よんでくれました。母はははその内ない容ように心こころを動うごかされ,感かん動どうのあまり泣なき出だしてしまいました。母ははだけでなく父ちちも聖せい書しょを学まなぶようになり,2人ふたりともすぐに進しん歩ぽしてバプテスマを受うけました。

両りょう親しんは英えい語ごがあまり得とく意いではありませんでしたが,エホバに熱ねっ心しんに仕つかえました。父ちちはオンタリオ州しゅうサドベリーにあるニッケル工こう場じょうで働はたらいていました。一ひと晩ばん中じゅう働はたらいた後あとでも,土ど曜よう日びには私わたしと妹いもうとのシルビアを連つれて伝でん道どうに行いきました。そして毎まい週しゅう,家か族ぞくみんなで「ものみの塔とう」を学まなびました。このようにして,両りょう親しんはエホバを愛あいするよう一いっ生しょう懸けん命めい教おしえてくれました。私わたしは1956年ねんに10歳さいでエホバに献けん身しんしました。両りょう親しんのエホバへの強つよい愛あいについて考かんがえると,どんなことがあってもエホバに仕つかえていこうという気き持もちになります。

高こう校こうを卒そつ業ぎょうした後あと,やる気きを失うしなってしまった時じ期きもありました。開かい拓たく者しゃになったらあまりお金かねを稼かせげないので,世せ界かい中じゅうを旅たびするという夢ゆめもかなえられないだろう,と思おもいました。それで,地じ元もとのラジオ局きょくでDJとして働はたらき始はじめました。この仕し事ごとを気きに入いっていましたが,夜よるに働はたらかなければいけませんでした。集しゅう会かいをよく休やすむようになり,エホバを愛あいしていない人ひとと付つき合あうようになりました。でもやがて,良りょう心しんが痛いたみ,このままではいけないと思おもうようになりました。

その後ご,私わたしはオンタリオ州しゅうのオシャワに引ひっ越こしました。そこで,レイ・ノーマンや妹いもうとのレスリなどの開かい拓たく者しゃたちと出で会あいました。すごく歓かん迎げいしてくれました。みんなが幸しあわせそうな様よう子すを見みて,自じ分ぶんの目もく標ひょうを見み直なおそうと思おもいました。兄きょう弟だい姉し妹まいが励はげましてくれたので,1966年ねんの9月がつに開かい拓たく奉ほう仕しを始はじめることができました。私わたしは幸しあわせでしたし,奉ほう仕しを楽たのしんでいました。この後あと人じん生せいを大おおきく変かえるような出で来き事ごとを幾いくつも経けい験けんすることになるとは思おもってもいませんでした。

エホバが招しょう待たいしてくださったのであれば

私わたしは高こう校こう生せいの時ときに,カナダのトロントにあるベテルでの奉ほう仕しに申もうし込こんでいました。その後ご,開かい拓たく奉ほう仕しをしていた時ときに,4年ねん間かんのベテル奉ほう仕しに招しょう待たいされました。でも正しょう直じき迷まよいました。レスリのことが好すきだったので,二に度どと会あえなくなってしまうんじゃないか,と思おもったんです。真しん剣けんに何なん度ども祈いのり,ベテルへの招しょう待たいを受うけ入いれることにしましたが,レスリと離はなれるのはとてもつらかったです。

ベテルでは洗せん濯たく室しつで働はたらき,後のちに秘ひ書しょとしても奉ほう仕ししました。当とう時じレスリは,ケベック州しゅうのガティノーで特とく別べつ開かい拓たく奉ほう仕しをしていました。私わたしは,レスリは今いまごろどうしているんだろうとか,自じ分ぶんの決けっ定ていは正ただしかったんだろうか,とよく考かんがえていました。その後あと,最さい高こうにうれしいサプライズがありました。レスリのお兄にいさんのレイがベテルに招しょう待たいされたんです。しかも,私わたしのルームメートになりました。おかげで,レスリとまた連れん絡らくを取とれるようになりました。4年ねん間かんのベテル奉ほう仕しの最さい後ごの日ひ,1971年ねん2月がつ27日にちに私わたしたちは結けっ婚こんしました。

レイノとレスリ,1975年

巡じゅん回かい奉ほう仕しを始はじめた頃ころ(1975年ねん)

レスリと私わたしは,ケベック州しゅうのフランス語ご会かい衆しゅうに割わり当あてられました。そこで数すう年ねん奉ほう仕しした後あと,巡じゅん回かい監かん督とくとして奉ほう仕しするよう招しょう待たいされました。とてもびっくりしました。私わたしはまだ28歳さいでしたし,自じ分ぶんには無む理りだと思おもったんです。でも,エレミヤ 1章しょう7,8節せつの言こと葉ばに力ちからをもらいました。ただ,レスリは何なん度どか交こう通つう事じ故こを経けい験けんしていましたし,睡すい眠みん障しょう害がいも抱かかえていました。こんな状じょう況きょうで巡じゅん回かい奉ほう仕しができるんだろうか,と思おもいました。でも,レスリはこう言いいました。「エホバが招しょう待たいしてくださったんだから,やってみるべきじゃない?」 それで私わたしたちは招しょう待たいを受うけ入いれることにし,17年ねん間かん旅りょ行こうする奉ほう仕しを楽たのしみました。

巡じゅん回かい監かん督とくとしての生せい活かつは忙いそがしかったので,妻つまのためになかなか時じ間かんを取とることができませんでした。でもある時とき,大たい切せつなことを学まなびました。月げつ曜よう日びの早そう朝ちょうにチャイムが鳴なりました。玄げん関かんに出でてみると,誰だれもいませんでしたが,かごが置おいてありました。中なかには,テーブルクロス,果物くだもの,チーズ,バゲット,それにワインとワイングラスが入はいっていました。そして,「奥おくさんをピクニックに連つれていってあげてください」というメモが付ついていました。その日ひはとても天てん気きがいい日ひでした。でも私わたしは,話はなしを幾いくつか準じゅん備びしなければいけないので,今日きょうは無む理りだ,と言いいました。レスリは分わかってくれましたが,少すこし寂さびしそうでした。私わたしは机つくえに向むかったものの,心こころが痛いたみました。エフェソス 5章しょう25,28節せつを思おもい出だしました。エホバが妻つまの気き持もちを大たい切せつにするようにと気き付づかせてくれたように感かんじました。それで,祈いのった後あと,レスリに「出で掛かけようか」と言いうと,レスリは笑え顔がおになりました。車くるまで川かわ沿ぞいのきれいな場ば所しょまで行いき,テーブルクロスを広ひろげました。とてもいい時じ間かんでした。もちろん,話はなしもきちんと準じゅん備びすることができました。

巡じゅん回かい奉ほう仕しはとても楽たのしかったです。ブリティッシュ・コロンビアからニューファンドランドまで,さまざまな区く域いきを奉ほう仕ししました。おかげで,いろんな場ば所しょを旅りょ行こうしたいという子こ供どもの頃ころの夢ゆめがかないました。ギレアデ学がっ校こうに申もうし込こむことを考かんがえたこともありましたが,宣せん教きょう者しゃとして海かい外がいで奉ほう仕ししたいとは思おもいませんでした。宣せん教きょう者しゃは特とく別べつな人ひとがなるものだと思おもっていたからです。それに,病びょう気きや戦せん争そうの危き険けんがあるアフリカに割わり当あてられたらどうしよう,という気き持もちもありました。カナダでの奉ほう仕しを十じゅう分ぶん楽たのしんでいたんです。

バルト諸しょ国こくへ

車に乗っているレスリ。道には雪が降り積もっている。

バルト諸しょ国こくでの奉ほう仕し

1992年ねんに,旧きゅうソ連れんの国くに々ぐにでエホバの証しょう人にんの活かつ動どうが再ふたたび自じ由ゆうに行おこなえるようになりました。私わたしたちはエストニアで宣せん教きょう者しゃとして奉ほう仕しするのはどうか,と言いわれました。とても驚おどろきましたが,2人ふたりでこのことについてよく祈いのりました。この時ときも,「エホバが招しょう待たいしてくださったんだから,やってみるのはどうだろうか」と考かんがえ,招しょう待たいを受うけ入いれることにしました。私わたしは,「アフリカに行いくわけじゃないしな」と思おもっていました。

私わたしたちはすぐにエストニア語ごを勉べん強きょうし始はじめました。数すうカ月げつエストニアで奉ほう仕しした後あと,巡じゅん回かい奉ほう仕しを割わり当あてられました。46の会かい衆しゅうと幾いくつかのグループを回まわりました。バルト3国ごくとロシアのカリーニングラードが区く域いきでした。それで,ラトビア語ご,リトアニア語ご,ロシア語ごも学まなばなければなりませんでした。本ほん当とうに大たい変へんでした。でも兄きょう弟だいたちは,私わたしたちが頑がん張ばっている姿すがたを見みて喜よろこんでくれましたし,助たすけてくれました。1999年ねんには,エストニアに支し部ぶ事じ務む所しょが開かい設せつされました。私わたしは支し部ぶ委い員いん会かいで奉ほう仕しするよう任にん命めいされ,トーマス・エデュール,レンピット・レイレ,トンミ・カウコと一いっ緒しょに奉ほう仕ししました。

左ひだり: リトアニアでの大たい会かいで話はなしをしている。

右みぎ: 1999年ねんにエストニアの支し部ぶ委い員いん会かいが発ほっ足そくした。

私わたしたちは,シベリアへの強きょう制せい移い住じゅうを経けい験けんしたたくさんの兄きょう弟だい姉し妹まいと知しり合あいました。家か族ぞくから引ひき離はなされ,刑けい務む所しょでひどい扱あつかいを受うけましたが,そのことを恨うらむのではなく,喜よろこんで熱ねっ心しんにエホバに仕つかえていました。こうした手て本ほんから,大たい変へんな状じょう況きょうの中なかでも喜よろこんで忍にん耐たいすることができる,ということを学まなびました。

休きゅう暇かもなかなか取とれずに忙いそがしく奉ほう仕しする日ひ々びが何なん年ねんか続つづき,レスリは極きょく度どの疲ひ労ろう感かんを感かんじるようになりました。この疲つかれの原げん因いんが線せん維い筋きん痛つう症しょうだとはすぐには分わかりませんでした。カナダに戻もどることを真しん剣けんに考かんがえました。そんな時ときに,アメリカのニューヨーク州しゅうパタソンで開ひらかれる支し部ぶ委い員いんの学がっ校こうに招しょう待たいされました。出しゅっ席せきするのは難むずかしいだろうと思おもいましたが,真しん剣けんに祈いのり,2人ふたりで行いくことにしました。エホバはこの決けっ定ていを祝しゅく福ふくしてくださいました。学がっ校こう期き間かん中ちゅうに,レスリが必ひつ要ような治ち療りょうを受うけることができたのです。おかげで,私わたしたちはまた普ふ段だん通どおり活かつ動どうできるようになりました。

さらに別べつの大たい陸りくへ

2008年ねんのある日ひのことです。私わたしたちはエストニアに戻もどっていました。夕ゆう方がたに,世せ界かい本ほん部ぶから電でん話わがかかってきて,コンゴに移い動どうすることを打だ診しんされました。とてもびっくりしました。しかも,次つぎの日ひまでに返へん事じをしなければいけませんでした。私わたしは初はじめ,このことについてレスリに伝つたえませんでした。その晩ばん眠ねむれなくなってしまう,と思おもったからです。結けっ局きょく,眠ねむれなかったのは私わたしの方ほうで,アフリカに行いくことについて心しん配ぱいなことを一ひと晩ばん中じゅう祈いのり続つづけました。

次つぎの日ひ,レスリと相そう談だんしました。私わたしたちはこう考かんがえました。「エホバがアフリカに行いくようにと招しょう待たいしてくださっているんだから,初はじめから無む理りだと考かんがえないで,やってみよう」。こうして,エストニアで16年ねん奉ほう仕しした後あと,私わたしたちはコンゴのキンシャサに移い動どうしました。支し部ぶ事じ務む所しょは,緑みどり豊ゆたかで穏おだやかな所ところでした。レスリが部へ屋やに最さい初しょに飾かざったのは,カナダを離はなれた時ときからずっと大たい切せつにしていたカードです。そこには,「植うえられた場ば所しょで花はなを咲さかせなさい」と書かかれていました。兄きょう弟だい姉し妹まいと出で会あい,聖せい書しょレッスンを行おこない,宣せん教きょう者しゃとしてたくさんの喜よろこびを味あじわいました。エホバに仕つかえるのは本ほん当とうに幸しあわせなことだ,と改あらためて感かんじました。やがて私わたしたちは,支し部ぶ訪ほう問もんでアフリカの13もの国くにに行いくことができました。その機き会かいに,背はい景けいや文ぶん化かが違ちがうすてきな人ひとたちとたくさん出で会あいました。最さい初しょに感かんじていた不ふ安あんはなくなり,アフリカに遣つかわしてくださったことをエホバに感かん謝しゃしました。

コンゴではいろんな食たべ物ものが出だされました。昆こん虫ちゅうなど,とても食たべられないと思おもうようなものもありました。でも,兄きょう弟だいたちがおいしそうに食たべているのを見みて,思おもい切きって挑ちょう戦せんしてみました。意い外がいとおいしかったです。

国くにの東とう部ぶでは,ゲリラが村むらを襲おそい,女じょ性せいや子こ供どもたちをひどい目めに遭あわせていました。私わたしたちは,そうした地ち域いきの兄きょう弟だい姉し妹まいを励はげまし,必ひつ要ような物ものを届とどけるために訪ほう問もんすることもありました。兄きょう弟だいたちの多おおくはとても貧まずしい生せい活かつをしていました。でも,復ふっ活かつを心こころから信しんじ,エホバを愛あいし,組そ織しきに忠ちゅう実じつに従したがっていました。そんな様よう子すを見みて心こころを打うたれ,自じ分ぶんたちも信しん仰こうをもっと強つよめなければ,と考かんがえさせられました。兄きょう弟だいたちの中なかには,家いえや作さく物もつを失うしなった人ひとたちもいます。それで,目めに見みえるものは簡かん単たんになくなってしまうことや,エホバとの友ゆう情じょうが一いち番ばん大だい事じだということを実じっ感かんしました。兄きょう弟だいたちはこうした厳きびしい状じょう況きょうの中なかでも,文もん句くを言いうことはほとんどありませんでした。その前まえ向むきな態たい度どを見みて,健けん康こう上じょうの問もん題だいや大たい変へんなことがあっても,勇ゆう気きを持もって頑がん張ばろうという気き持もちになりました。

1. レイノが難民となった人たちのために,一時的な集会場所で話をしている。2. 兄弟たちが小さな飛行機に物資を積んでいる。

左ひだり: 難なん民みんとなった人ひとたちのために話はなしをしている。

右みぎ: コンゴのドゥングに救きゅう援えん物ぶっ資しや医い薬やく品ひんを届とどけている。

今こん度どはアジアへ

数すう年ねん後ご,新あらたな割わり当あてにまた驚おどろかされました。今こん度どは香港ホンコン支し部ぶです。アジアに住すむことになるとは思おもってもいませんでした。でも,これまでどの割わり当あてを果はたす時ときにもエホバが優やさしく支ささえてくれたことを実じっ感かんしていたので,今こん回かいも招しょう待たいを受うけ入いれることにしました。先さきのことは分わかりませんでしたが,2013年ねんに,美うつくしいアフリカの地ちと愛あいする兄きょう弟だい姉し妹まいに涙なみだの別わかれを告つげました。

香港ホンコンは世せ界かい中じゅうからたくさんの人ひとが集あつまる大だい都と市しです。それで,私わたしたちにとって本ほん当とうに大おおきな変へん化かでしたし,広東カントン語ごも大たい変へんでした。でも,兄きょう弟だいたちは私わたしたちを温あたたかく迎むかえてくれました。地じ元もとの料りょう理りも気きに入いりました。行おこなうべきことはどんどん増ふえていき,支し部ぶは手て狭ぜまになっていましたが,土と地ちの値ね段だんは急きゅう激げきに高こう騰とうしていました。それで統とう治ち体たいは,一いち部ぶの仕し事ごとをほかの支し部ぶで行おこない,香港ホンコン支し部ぶの土と地ちをほとんど売ばい却きゃくすることにしました。その後あとすぐ,2015年ねんに私わたしたちは韓かん国こくに移い動どうし,今いまもそこで奉ほう仕ししています。韓かん国こく語ごも難むずかしいです。まだ上じょう手ずに話はなすことはできませんが,兄きょう弟だい姉し妹まいは私わたしたちが少すこしずつ上じょう達たつしていることをよく褒ほめてくれます。

1. レイノとレスリ。後ろには香港の街が見える。2. 韓国支部。

左ひだり: 香港ホンコンに移い動どうした時とき

右みぎ: 韓かん国こく支し部ぶ

エホバから教おそわったこと

新あたらしい友とも達だちをつくるのは大たい変へんなこともあります。でも,家いえに招まねいたりして自じ分ぶんの方ほうから親しん切せつにするなら仲なか良よくなれる,ということを学まなびました。仲なか間まとの共きょう通つう点てんの方ほうが違ちがいよりも多おおい,ということにも気き付づきました。エホバは,私わたしたちが心こころを開ひらいていろんな人ひとたちとの友ゆう情じょうを深ふかめられるように造つくってくださっているんです。(コリ二に 6:11)

人ひと々びとに対たいしてエホバと同おなじ見み方かたをし,エホバの愛あいや導みちびきに気き付づけるようにすることも大たい切せつだ,と思おもいました。がっかりする時ときや,兄きょう弟だい姉し妹まいからどう思おもわれているんだろうと不ふ安あんになる時ときには,友とも達だちからのカードや手て紙がみを読よみ返かえして力ちからをもらってきました。エホバはこれまでずっと祈いのりに答こたえ,私わたしたちがエホバの愛あいを感かんじられるようにし,奉ほう仕しを続つづけるための力ちからを与あたえてくださいました。

私わたしたち夫ふう婦ふは,これまでの経けい験けんを通とおして,どんなに忙いそがしくてもお互たがいのために時じ間かんをつくることの大たい切せつさを学まなんできました。自じ分ぶんの失しっ敗ぱいを笑わらうことも大だい事じだと気き付づきました。新あたらしい言げん語ごを学まなぶ時ときには特とくにそうです。そして,一いち日にちの終おわりには,エホバが自じ分ぶんたちのためにどんなことをしてくれただろうかと考かんがえて,感かん謝しゃするようにしています。

正しょう直じき,自じ分ぶんが宣せん教きょう者しゃになったり外がい国こくで暮くらしたりするとは考かんがえてもいませんでした。でも,エホバの助たすけがあればどんなことでもできる,ということを教おしえてもらいました。エレミヤが,「エホバ,あなたは私わたしをだまし……ました」と言いった気き持もちがよく分わかります。(エレ 20:7)エホバには何なん度ども驚おどろかされ,想そう像ぞうを超こえた素す晴ばらしい経けい験けんをさせてもらいました。飛ひ行こう機きで旅りょ行こうするという夢ゆめもかない,子こ供どもの頃ころに思おもっていたよりもはるかに多おおくの場ば所しょを旅たびすることができました。支し部ぶ訪ほう問もんで世せ界かい中じゅうの5つの大たい陸りくに行いくこともできました。そして,どの割わり当あてを果はたすときにも,レスリの素す晴ばらしいサポートと前まえ向むきな姿し勢せいに助たすけられてきました。本ほん当とうに感かん謝しゃしています。

私わたしたちはどんなことをする時ときにも,自じ分ぶんたちの動どう機きをよく考かんがえるようにし,エホバへの愛あいの気き持もちから行おこないたいと思おもっています。今いまでも私わたしたちは喜よろこびを味あじわっていますが,新あたらしい世せ界かいでははるかに素す晴ばらしい経けい験けんをすることができます。その時とき,エホバは「手てを開ひらいて,生いきている全すべてのものの願ねがいをかなえ」てくださるのです。(詩し 145:16)

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