イエスは何 のために死 にましたか
聖 書 の答 え
イエスの
どうして
イエスは「
罪 の許 し」のために死 んだ(コロサイ 1:14)最 初 の人 間 アダムは,罪 のない完 全 な者 として創 造 されました。しかし,アダムは神 に背 くことを選 びました。アダムの不 従 順 ,つまり罪 は,子 孫 すべてに大 きな影 響 を及 ぼしました。聖 書 は,「一人 の人 の不 従 順 を通 して多 くの者 が罪 人 とされた」と説 明 しています。(ローマ 5:19)イエスも
完 全 でした。しかし,罪 を犯 すことはありませんでした。それで,イエスは「わたしたちの罪 のためのなだめの犠 牲 」となることができました。(ヨハネ第 一 2:2)アダムの不 従 順 によって,人 類 は罪 で汚 染 されましたが,イエスの死 によって,イエスに信 仰 を働 かせる人 は皆 ,罪 という汚 点 を取 り除 かれたのです。アダムはある
意 味 で,人 類 を罪 に売 り渡 しました。イエスはわたしたちのために進 んで死 ぬことにより,人 類 をご自 分 のものとして買 い戻 してくださいました。ですから,「もしだれかが罪 を犯 すことがあっても,わたしたちには父 のもとに助 け手 ,すなわち義 なる方 イエス・キリストがおられ」るのです。(ヨハネ第 一 2:1)イエスは,
死 ぬことにより「だれでも彼 に信 仰 を働 かせるものが滅 ぼされないで,永 遠 の命 を持 てるようにされた」(ヨハネ 3:16)アダムは
永 遠 に生 きるように創 造 されましたが,罪 を犯 したため,死 という罰 を受 けました。アダムを通 して「罪 が世 に入 り,罪 を通 して死 が入 り,こうして死 が,すべての人 が罪 をおかしたがゆえにすべての人 に広 が」りました。(ローマ 5:12)対 照 的 にイエスの死 は,イエスに信 仰 を働 かせるすべての人 の罪 の汚 点 を取 り除 いただけでなく,死 刑 宣 告 も取 り消 しました。聖 書 は次 のようにまとめています。「罪 が死 を伴 って王 として支 配 したのと同 じように,過 分 のご親 切 もまた,わたしたちの主 イエス・キリストを通 して来 る永 遠 の命 の見 込 みを伴 いつつ,義 によって王 として支 配 [しました]」。(ローマ 5:21)もちろん,
人 間 の寿 命 は今 のところ限 られていますが,神 は心 の正 しい人 に永 遠 の命 を与 えると約 束 しておられます。イエスの犠 牲 の死 から恩 恵 を受 けられるよう,神 は亡 くなった人 も復 活 させます。(詩 編 37:29。コリント第 一 15:22)イエスは「
死 に至 るまで従 順 にな[った]」ので,どんな試 みや試 練 のもとでも人 間 は神 への忠 実 を保 てることを証 明 した(フィリピ 2:8)アダムは,
完 全 な心 と体 を持 っていたにもかかわらず,利 己 的 にも自 分 のものではないものを欲 したため,神 に背 きました。(創 世 記 2:16,17; 3:6)後 に,神 の主 要 な敵 であるサタンは,無 私 の態 度 で神 に従 っている人 間 など1人 もおらず,自 分 の命 がかかっていればなおさら従 わないだろうとほのめかしました。(ヨブ 2:4)しかし,完 全 な人 であったイエスは,不 名 誉 で苦 痛 を伴 う死 を遂 げることになっても,神 に従 い,忠 節 を保 ちました。(ヘブライ 7:26)どんな試 練 や試 みが降 りかかったとしても,人 間 が神 への忠 実 を保 つことは可 能 である,ということがはっきり証 明 されたのです。
イエスの死 に関 する疑 問
人 類 を買 い戻 すためにイエスが苦 しんで死 ぬ必 要 があったのはなぜか神 が死 の宣 告 を取 り消 すだけでよかったのではないか「
罪 の報 いは死 」である,と神 の律 法 は述 べています。(ローマ 6:23)神 は,この律 法 をアダムに隠 すことなく,不 従 順 の罰 は死 であると告 げておられました。(創 世 記 3:3)神 は「偽 ることのできない」方 なので,アダムが罪 を犯 した時 ,ご自 分 の言 葉 を曲 げることはされませんでした。(テトス 1:2)アダムは子 孫 に罪 だけでなく,罪 の報 い,つまり死 も伝 えることになりました。罪 を受 け継 いだ人 間 は,死 という罰 を受 けて当 然 ですが,神 は「過 分 のご親 切 の富 」を差 し伸 べてくださいました。(エフェソス 1:7)人 類 を買 い戻 すための神 の備 え,つまりイエスを完 全 な犠 牲 として地 に遣 わすことは,全 く公 正 で,極 めて憐 れみ深 いことでした。イエスはいつ
亡 くなったかイエスは,ユダヤ
人 の過 ぎ越 しの日 に亡 くなりました。時 刻 は日 の出 から数 えて「第 九 時 」,つまり午 後 3時 ごろでした。(マルコ 15:33-37,脚 注 )現 代 の暦 によれば,その日 は西 暦 33年 4月 1日 の金 曜 日 に当 たります。イエスはどこで
亡 くなったかイエスは,「いわゆる“どくろの
場 所 ”……ヘブライ語 でゴルゴタと呼 ばれる所 」で処 刑 されました。(ヨハネ 19:17,18)イエスの時 代 ,この場 所 はエルサレムの「門 の外 」にありました。(ヘブライ 13:12)イエスの処 刑 を「やや離 れたところ」から見 ていた人 たちもいた,と聖 書 は述 べていることから,丘 の上 に位 置 していたのかもしれません。(マルコ 15:40)しかし現 在 では,ゴルゴタの場 所 について確 かなことは分 かりません。イエスはどのように
亡 くなったかイエスは
十 字 架 に磔 にされて処 刑 された,と多 くの人 は信 じていますが,聖 書 には「あなたがたが木 につけて殺 したイエス」と書 かれています。(使 徒 5:30,「新 共 同 訳 」,日 本 聖 書 協 会 )聖 書 筆 者 はイエスの処 刑 に使 われた道 具 を示 すのに,スタウロスとクシュロンというギリシャ語 の2つの言 葉 を使 いました。これらは1本 の梁 材 ,またはまっすぐな杭 を指 していると多 くの学 者 は結 論 しています。イエスの
死 をどのように記 念 すべきかユダヤ
人 の年 ごとの過 ぎ越 しの日 の夜 ,イエスは追 随 者 たちのためにシンプルな手 順 を制 定 し,「わたしの記 念 としてこれを行 なってゆきなさい」と命 じました。(コリント第 一 11:24)その後 ,イエスは処 刑 されました。聖 書 筆 者 たちは,イエスを過 ぎ越 しでささげられた子 羊 に例 えています。(コリント第 一 5:7)過 ぎ越 しの祝 いが,イスラエル人 たちに奴 隷 状 態 からの解 放 を思 い起 こさせたのと同 じように,イエス・キリストの死 の記 念 式 も,クリスチャンに罪 と死 からの解 放 を思 い起 こさせます。過 ぎ越 しは,太 陰 暦 のニサン14日 に毎 年 祝 われました。同 様 に,初 期 クリスチャンたちも年 ごとに記 念 式 を守 り行 ないました。毎 年 ,ニサン14日 に当 たる日 に,世 界 中 で何 百 万 もの人 々 がイエスの死 を記 念 します。