怒 りについて聖 書 はどんなことを教 えていますか
聖 書 の答 え
絶 対 に怒 ってはいけませんか
いいえ。もっともな
怒 るのが正 しくないとき
カインは,ささげた
犠 牲 が神 様 に喜 ばれなかった時 ,「非 常 な怒 りに燃 え」ました。怒 りをどんどん募 らせ,弟 を殺 してしまいました。(創 世 記 4:3-8)預 言 者 ヨナは,神 様 がニネベの人 たちに憐 れみを示 した時 ,「怒 りに燃 え[まし]た」。エホバは「怒 りに燃 えたのは正 しいことか」と述 べ,ヨナに助 言 を与 えました。そして,悔 い改 めた人 たちに同 情 を示 すべきだと教 えました。(ヨナ 3:10–4:1,4,11)a
これらの
怒 りたくなったとき,どうしますか
感 情 をコントロールできないことが弱 さの表 われであることを思 い出 す。怒 りを爆 発 させることが強 さの表 われだと考 える人 もいます。しかし実 際 には,怒 りの感 情 をコントロールできない人 は深 刻 な弱 さを抱 えています。「自 分 の霊 を抑 制 しえない[または,怒 りを抑 えられない]者 は,破 られた,城 壁 のない都 市 のよう[です]」。(箴 言 25:28; 29:11)一 方 ,怒 りの感 情 をコントロールできる人 は本 当 の意 味 で強 く,識 別 力 があります。(箴 言 14:29)聖 書 には「怒 ることに遅 い人 は力 ある者 に勝 [る]」と書 かれています。(箴 言 16:32)後 悔 するようなことをしてしまう前 に怒 りの感 情 をコントロールする。「怒 りをやめ,激 怒 を捨 てよ」と詩 編 37編 8節 にはあります。なぜなら,「激 こうし,そのためにただ悪 を行 なうことにな[る]」からです。怒 りを感 じたとしても,その感 情 をどうするかは自 分 で選 べます。「悪 を行 なう」前 にその感 情 を捨 てることもできます。エフェソス 4章 26節 に「憤 っても,罪 を犯 してはなりません」とあるとおりです。怒 ってしまいそうなときには,できるならその場 を離 れる。「口 論 の始 まりは人 が水 を噴 き出 させるようなものである。……言 い争 いが突 然 始 まってしまう前 にそこを去 れ」と聖 書 にはあります。(箴 言 17:14)他 の人 との間 に問 題 が生 じたとしても,すぐに仲 直 りすることは大 切 です。それでも,落 ち着 いて話 し合 えるようになるために,時 間 を置 くことが必 要 な場 合 もあります。事 実 を確 認 する。箴 言 19章 11節 には「人 の洞 察 力 は確 かにその怒 りを遅 くする」とあります。結 論 を出 す前 に事 実 を確 認 しておくことは賢 明 です。問 題 に関 係 するすべての事 情 を考 慮 するなら,すぐに腹 を立 てることは減 るでしょう。(ヤコブ 1:19)心 の穏 やかさを祈 り求 める。祈 るなら「一 切 の考 えに勝 る神 の平 和 」を味 わえます。(フィリピ 4:7)祈 りは神 様 の聖 なる力 を得 るために欠 かせません。この聖 なる力 によって平 和 ,辛 抱 強 さ,自 制 などを表 わせるようになります。(ルカ 11:13。ガラテア 5:22,23)友 人 を慎 重 に選 ぶ。わたしたちは一 緒 に時 間 を過 ごす人 の影 響 を受 けます。(箴 言 13:20。コリント第 一 15:33)そのため聖 書 は次 のように警 告 しています。「怒 りやすい者 の友 となるな。激 怒 する者 と共 に入 って行 ってはならない」。なぜでしょうか。「その道 筋 を親 しく知 る[または,その人 の行 ないをまねる]ようになって,自 分 の魂 をわなに掛 けてしまうことのないためである」。(箴 言 22:24,25)
a ヨナは