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目ざめよ! 1972
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砂浜はどのようにしてできるか

グアテマラの「目ざめよ!」通信員

大多数の人にとって,海辺で楽しいリクリエーションの一日を過ごすという考えはたいへん魅惑的である。それは水泳,日光浴,ゲーム,また気持ちのやすまる寄せ波の音を聞きながら広々としたところで新鮮な空気に包まれ,友だちや愛する者たちと交わるなど,非常に楽しい時が過ごせることを意味する。とくに夏の浜辺の魅力は強いものがある。

世界中で,砂浜は,海や湖に接する何千キロもの海岸をふちどっている。砂浜は自然の遊び場で変わることがなく,ほとんど永久的に存在するものと考えられている。しかし,毎年同じ浜を訪れる観察力の鈍い人には,変化のおきていることがはっきりわかる。砂の量が変動するかもしれない。時にはよいほうに,または悪いほうに大きく変化しているのが見られることもある。

浜辺の魅力を楽しみ,その緩慢な変化に気づくとき,いくつかの疑問がうかぶかもしれない。この大量の砂はどこから来たのだろう。なぜある砂浜は侵食され,他の砂浜は事実上消滅してしまうのだろう。遠くまでつづく気持ちのよい浜に,夏の間にせっかく砂が補給されても,冬になると砂がほとんどみなはぎ取られてしまうのはどうしてだろう。もしわたしたちが大多数の人と同じように,砂浜をあたりまえのものと考えているなら,これらの質問の答えにおどろかされるだろう。

砂浜はみな同じではない

広い地域を旅行して,世界の他の場所を尋ねたことのない人は,砂浜はみな同じようなものだと考えやすい。しかし砂浜は,色,砂質,傾斜その他の点で実に変化に富んでいる。たとえば火山地帯の砂浜は,溶岩からできた目のあらい黒砂であることが多い。他の地方では,砂が沖合にあるさんごの砕片でできているので,色彩に富んでいるかもしれない。また,白く輝く砂浜もあるだろう。そのような砂浜は,粉々に砕けた貝殻でできているのである。

しかし大多数の浜辺の砂は,丸くなった石英の結晶やさまざまの種類の岩石の砂レキでできている。この砂レキはおもに内陸地域から,大小の河川によって海に押し流される。目の非常に荒いものからごく小さなものまで,種々様々である。

ところで,砂浜の特徴を決定するのは,おもに,砂のこの目の荒さ,またはこまかさである。浜辺の砂が荒目な場合は,浜の傾斜は比較的に急である。そういう目の荒い砂粒は,その性質からして固くしまることがない。

一方,目のこまかい砂は,まったくちがった種類の砂浜をつくる。そういう砂の浜は傾斜がもっとゆるやかで海は遠浅である。そのために波も遠くで砕ける。またこまかい砂はかなり固くしまるので,自動車でもその上を安全に走ることができる。アメリカ,フロリダ州のディトナ・ビーチは,その顕著な例である。

法則に支配されている

それにしても,あれだけの砂がどこからくるのだろう。寄せ波が絶えず海岸の岩を砕く結果かもしれない,とあなたは考えたことはないだろうか。それも関係があるかもしれない。しかしそれは,砂浜の砂の総量のほんの一部にすぎない。世界の砂浜の大多数にとって,答えはそれとはかなり異なっている。人間は過去20年ばかりのあいだに,砂浜に働きかける力と,その結果生ずる影響とについて,より明快な理解を得はじめた。

ふつうの風化作用により,多くの場合遠い内陸で岩層が砕かれ,大小の河川により,さまざまな量の土砂となって運ばれて,河口に堆積する。こまかい沈泥や粘土はすぐに海に洗い流されて,そのあとに大量の砂レキが河口三角州に残る。しかし,その砂はどのようにして,砂浜のできる場所に達するのだろう。この移動を理解するには,砂浜に働きかけるいくつかの力を調べてみなければならない。

はるか遠くの海上で風が引き起こした波は,最後にそのエネルギーを海岸線上で消費する。しかし波は,いつも真正面から浜を打つとはかぎらない。つまり,いつも海岸線に平行しているわけではない。そのために,打ち寄せる波のエネルギーは二分される。そのおもな部分は浜に対して垂直に向かい,砕け波の中に消える。全体としてはエネルギーのずっと弱い第二の部分は,砂浜に沿った海水の流れの中に導かれ,かわいた陸地と砕け波の線の間に閉じ込められる。この海流は,実際の川にたとえることができ,かわいた砂浜のふちをひとつの「岸」に,そして寄せ波が最初に砕けはじめる沖の線をもうひとつの「岸」にしている。

この川は,打ち寄せる波の方向によって,いわば上流にでも下流にでも流れる。この海岸の「川」は,大量の沈澱物を運ぶ能力をもつ点で,陸地を流れるいとこたちとよく似ている。海岸の「川」に運ばれる沈澱物とは,もちろん砂浜をつくる,そしてその川に洗われる砂のことである。

これらの海岸の「川」によって運ばれる砂は膨大な量にのぼることがあって,場所によっては一年に何百万トンもの砂が運ばれてくる。これは,一年中毎日,砂を積んだ貨車がいく両も海岸を走っているのと同じことになる。しかし量は場所によってちがっても,わたしたちは,大小の河川によって海に運ばれた砂がどのように海岸線に分布されるかを,はっきり見ることができる。

砂を輸送するこの作用が絶えまなくつづけられる一方では,さらに別の作用が行なわれている。それは季節ごとに砂浜そのものの様子を変える作用である。世界のほとんどの場所では,夏のあいだは寄せ波が小さくおだやかで,冬のあいだは大きく強力である。おだやかな波は砂を浜に押し上げる傾向があり,冬の荒波は砂を浜から運び去って,海岸に平行した細長いつかにそれを堆積する。わたしたちはこれらのつかを砂州とよぶ。夏になっておだやかな波がもどってくると,砂がまた浜に打ち上げられるので,砂州は姿を消す場合が多い。

もし川によって海に運ばれる砂がみな浜辺に残るならば,ついには各大陸の周囲全体に大きな砂浜ができるだろう。しかし大量の砂は,現在見られるように,波の影響力のおよばない沖合で失われる。

人間が均衡をくずす

人間の手は,とくにこの20世紀のあいだに,多くの場所で自然の均衡に影響をおよぼした。港や防波堤の建設はしばしば,近くの海岸線に大きな変化をもたらした。中でも目につくのは,港の片側の砂の堆積,港内での費用のかかる浚渫作業,そして反対側の砂浜の侵食である。なるほどこれは人間が見ているとおり,進歩に伴う犠牲のひとつにすぎない。しかしいまひとつ,はるかに複雑な問題が生まれようとしている。

洪水の制御,貯水,水力発電所の建設などのため,世界各地にたくさんのダムがつくられた。これらのダムは,大小河川の沈澱物運搬能力をいちじるしく弱めて,砂浜をつくる砂の供給を大幅に減少させた。河口三角州が十分の量の砂を供給しなくなると,三角州のすぐしもの海岸の砂浜は侵食されはじめる。砂の供給と消失の微妙なバランスがそこなわれてきているのである。

他の地域から砂を運んできて,裸になった浜に移すことは,まったく一時的な策にすぎない。侵食作用はいつもつづいていて,砂を海に洗い流してしまうからである。砂を人為的に補給する対策も費用が高くついて,ついには手が出せなくなるおそれがある。

砂浜を維持するもうひとつの方法は,海岸線構築物の建設で,いちばんふつうなのは,海岸に直角に,そして波間に突き出るように作られる細長い型のものである。これは「防砂堤」とよばれ,大きな岩,または木材で作られている。浜から運び去られる砂を捕えて,侵食を阻止しようというのがねらいである。

海岸の侵食は,とくに世界の人口稠密な地域では大きな問題である。何百万ドルにも評価される砂浜という資産は重大な危険にさらされつつある。短命の人間は,将来に対するごく限られた展望に基づいて経済その他の面ですぐに利益のあがる計画をどんどん立ててきたが,それは逆に予期しない悲惨な結果をもたらしている。したがって,大ぜいの人間がついにリクリエーションを楽しむ余暇を獲得している一方,地球の海岸線にある自然のリクリエーション地域はしだいに姿を消しつつある。

真に美しい自然の砂浜をつくることは,人間の創意のおよばない事柄である。それとは対照的に,神の創造力と維持力は,いく世紀にもわたり,世界の砂浜を,憩いとくつろぎの場所として保ってきたのである。

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