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  • バプテスマに関して語られた経験
目ざめよ! 1974
目74 11/22 24–25ページ

「神の目的」地域大会

バプテスマに関して語られた経験

新潟県加茂市の金田カヲルは,1973年6月に特別開拓奉仕者と研究を始めました。彼女の家族はひどく反対し,特に夫は妻を殴ったりしましたが,研究は続けられました。夫の父親は神道の神主で,一家は神社の境内に住んでいました。夫は神道にうんざりしており,神などはいないと考えるようになっていました。そのため,エホバの証人の間にも同様の偽善が見られるに違いないと考えていました。ある晩,この人は,特別開拓者のアパートへ,それら若い婦人たちをも殴りつけようとしてやって来ました。しかし,特別開拓者たちは彼を暖かく迎え入れ,夜が明けるまで話し合いました。開拓者たちは,愛のある幸福な家庭生活を築くように,そして聖書を読むようにと励ましました。その人は家に帰り,三日間断食してから聖書を読み始めました。読み始めて三日目に神の存在を認識するようになり,たばこをやめ,ものみの塔協会の他の出版物も読み始めました。23日目に聖書を全部読み終え,新年の祝いに巻き込まれないようにするため,12月28日には神社の境内から引越しました。1月になると,彼は特別開拓者の一人と研究を始め,すべての集会に出席し始めました。3月には妻と共に宣べ伝える業を始めました。そして1974年7月26日,「神の目的」地域大会でバプテスマを受けました。

宇都宮市の田中恵三は音楽に熱中していました。1972年の9月に,ある開拓奉仕者が彼に宣べ伝えて研究が始まりました。1月には彼自身も宣べ伝える業に携わり,1973年3月にバプテスマを受けました。そして資格にかなうとすぐに正規開拓奉仕に入りました。その間,彼は二人の兄の関心を起こして研究が始まり,二人の兄はともに1973年7月の大阪国際大会でバプテスマを受けました。そして1974年2月には,その二人も正規開拓奉仕に加わりました。現在,彼らの母親は仏教を離れ,父親はたばこをやめて,共に1973年12月にバプテスマを受けました。ですから,15か月の間にこの五人家族の全員がバプテスマを受け,そのうち三人は開拓奉仕者になりました。「神の目的」地域大会でバプテスマを受けた1,090人のうちの3人を含め,合計23人の人々を,彼らはこの大会に連れて来ました。

カトリック教徒であった鈴木陽子は,東京の奥沢で家事手伝いをしていました。雇い主は「ものみの塔」誌を予約していましたが,それを全部捨てていました。ゴミを燃やすのは彼女の仕事でした。そしてそれらの雑誌(包装したままでした)が聖書に関するものであることに気付くと,それを読み始めました。三,四回読むと,その雑誌が真理を含んでおり,カトリックが間違っていることがわかりました。1973年8月に一人の証人が訪問すると,彼女は自分で雑誌を予約し,聖書研究が始まりました。彼女はこの地域大会でバプテスマを受けました。

この大会でバプテスマを受けた老齢の人の中には,市川会衆の87歳になる斉藤ジュンがいます。仏教徒であったこの人は,1968年に聖書を研究し始めました。

バプテスマを受けた若い人々の中には,東京・駒込会衆の11歳になる笠井正がいます。彼は5歳の時に雑誌活動をして宣べ伝える業を始めました。そのように幼い時からでさえ,小学校4年の少女との家庭聖書研究を司会していました。その研究に「失楽園から復楽園まで」の本を使い,絵を説明していきました。その少女は今では献身した姉妹となっています。現在,彼は同じ年の少年との研究を司会しています。この研究は,駅のプラットホームで,正がその少年に,エホバの証人を知っているかと聞いたことから始まりました。その少年は,「知っているとも,僕のお姉さんはエホバの証人と勉強しているよ」と答えました。その少年が関心を示したので,科学や進化論についての疑問を克服しながら,相手を聖書の真理のほうへ導き,その場で研究を取り決めました。その少年も「神の目的」大会に出席しました。正は六歳の時すでに3件の研究を司会していましたが,エホバからの力をかりれば出来る,と言っています。

バプテスマを受けた人々の中には,松本会衆の三浦姉妹がいます。姉妹は夫と共にアメリカで何年にもわたって仏教を広めていました。バイオリニストであった姉妹は,オベリン大学で教えたこともあります。クリーブランド・オーケストラやアムステルダム・コンチェルトからバイオリンを弾くよう招かれたこともあります。しかし,「神の目的」地域大会において,その大会のオーケストラでバイオリンを弾いていました。いったいどのようにしてそうなったのでしょうか。彼女は,初めての子供を産むために外国から故郷に帰って来ました。彼女の父親は20年間御獄教を行なってきましたが,ものみの塔協会の出版物を通してバビロン的な宗教の偽りについて知り,真の神エホバの活発な証人となっていました。家に帰った時,自分の家族を通してこの娘も聖書の真理を受け入れ,現在,夫からかなりの反対を受けていますが,この大会でバプテスマを受けることを決意するほど強い信仰を持つようになりました。

東京・多摩の田口興司が家を留守にしていた時,だれかが「王国ニュース第16号」をドアの下に差し込んでゆきました。数日してから一人の人がやって来て,お読みになりましたか,と聞きました。もちろん読みました。自分の新約聖書を持って来た彼と,訪問してきた奉仕者とは,テサロニケ第一 5章3節に基づく優れた話し合いをしました。再度の訪問がなされ,研究が始まり,間もなく集会に出席するようになりました。そして,大阪の大会で「王国ニュース」に関する業が発表されてからちょうど一年後の,1974年7月26日に,この地域大会でバプテスマを受けました。

25年前,メーブル・ハズレットと英語で研究をした女学生のグループの中に,東京・三田の浅野比佐江がいました。大人になって結婚してからエホバの証人との連絡は途絶えていました。しかし,最近になって,ものみの塔協会東京支部の近くで家から家の訪問を受け,長い年月の後再びメーブルと研究を始めました。二人は共に最初の出会いを示す,メーブルと女学生たちが一緒に撮った学校での写真を持っていました。そのいちばん最初の研究は忘れられないものだったそうです。そして,ついにこの地域大会でバプテスマを受けました。

浜松・北の,37歳になる近藤久子は,浦和市で始まった誠成公倫会の会員でした。その教派の会員は,死者と交信し,信仰によるいやしをし,将来を予言できる,と唱えていました。近藤久子は,一年と三か月の間このグループのために熱心に働き,結果として,浜松市にその教派の支部を作りました。その時までに,彼女は20人ぐらいの人を信者にしていました。しかし,いやしや予言がうまくいっても,人々はその組織にとどまらないのを見ました。その上,質問は歓迎されず,集会に定期的に出席することだけが強調されました。ある集まりの時,この活動にはどこか間違った点がある,という結論に達しました。家に帰ってみると,驚いたことに,エホバの証人である義理の妹から電話がかかってきました。それは,彼女の祈りに対する答えのようでした。彼女は以前その妹から聖書について聞いたことがありましたが,そのころはむしろ妹を誠成公倫会に入れてそのぜんそくを治すことに関心が向いていました。しかし,今度,つまり1973年11月には,聖書を研究する備えが出来ていました。すぐに真理の交わりの価値を認識し,悪霊の働きを知った彼女は,自分がバビロン的宗教のとりことして導き入れた人びとのことが気になり始めました。そこで,それらの人すべてを集めて特別開拓者(この開拓者の母親も5年前実際に誠成公倫会を離れた)に話してもらいました。それらの人は皆,誠成公倫会をやめて今ではエホバの証人と勉強しています。そのほとんどは,「神の目的」地域大会に出席しました。その中の一人,19歳になる沢木茂子は,近藤久子と共にこの大会でバプテスマを受けました。

50歳になる小林雅子は,20歳の時から天理教のほんみち派の会員でした。彼女は,同じ宗派の会員と結婚し,5人の子供の母となりました。どのようにして聖書に関心を持つようになったのでしょうか。それは,他の人の病気をいやせても自分の病気はいやせなかったからです。その宗派では,もっと多くの人をいやさなければならないと言ったので,その通りにし続けました。最後には,彼女と彼女の家族が持っているお金を全部寄付すれば病気が治る,と言われました。彼女は,神はそのように金を愛するはずはないと考え,他の宗教が教えている事柄を調べることにしました。まずキリスト教から始めるために,教会へ行きました。しかし何か月かして,聖書については何も教えられていないことに気がつきました。その時,エホバの証人が訪問し,彼女はそこに真理があることを認めました。このことは,夫との間にもんちゃくを起こしました。しかし,子供たちはすべて母親の側に付いて,真理に入りました。すると夫は,家を出てほんみちの全時間奉仕者になってしまいました。夫は家族を養うために何もせず,その宗教も,妻が宗派に対する裏切り者である,という理由でそのことを承認しています。「神の目的」地域大会で,母親と25歳になる息子,そして23歳から16歳までの4人の娘たちは,そろってバプテスマを受けました。

静岡・北の堀井せつは,20年の間寝たきりでした。歩くことはできませんでしたし,ほとんど目も見えませんでした。王国宣明者が贖いと楽園の復興について話すと,すぐに,それが真理であると感動し,1973年7月から研究を始めました。最初の何回かの研究の時,彼女は壁によりかかって歩こうとし,夫はばかなことをするものだと不快に思いました。彼は,そのように余分の力を使うなら命を縮めることになる,と警告しましたが,彼女はそれでも構わない,と言いました。ところが,目を使うにつれて,視力は徐々に回復しました。そして,集会や王国宣教に出かけるにつれて,足もしだいによくなってきました。彼女が,よくなった足で地域大会のバプテスマのプールへ歩いて行くのを見て,その人が20年間,目が見えず,全く動けない,寝たきりの主婦であったことを想像できる人は一人もいませんでした。

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