宗教上の法は服従心を育てることができるか
多数の教会員は教会の権威に逆らう
宗教上の法についてはどうですか。教会や宗派は,教会は神の代理であるとの主張の下に,その教えに対する忠節を求めることができますか。教会は,その信奉者に無条件の服従を教え込むような法を作ることができますか。
問題を抱える諸教会
ひとつの例をローマ・カトリック教会にみることができます。同教会が幾世紀も昔から行使してきた権威は,もはや暗黙のうちに受け入れられるようなことはありません。従来はほとんど絶対的とみなされていたこの権威に対して,カトリック平信徒の大半,また相当数の司祭たちが異議を申し立てています。大多数が教会から身を引いてしまったというわけではありませんが,特に産児調節,離婚,再婚,同性愛,司祭職への女性の叙任,司祭の結婚などの問題に関しては意見に大きな相違が見られます。しかし,教会の規則に批判的であっても,それに応じて教会そのものを否定するまでには至っていないようです。
1978年に発表されたギャラップ調査の結果は次の点に注目しています。「[米国における]大学出の教会員は,堕胎などの問題に関する教会の教えをますます受け付けなくなっているようだが,その結果としてカトリック主義を捨てようという傾向は,以前よりも弱い」。a それほど教育を受けていない人々の間でも似たような傾向があると思われますが,教会にとどまる理由は様々です。
教会の教理が疑問視されているはっきりした結果が,カトリックの優勢な,カナダのケベック州で表面化しました。同州では,1960年には9%だった離婚率が1970年代の初頭には23%を超えました。1977年11月のAP通信の報道は,「マーガレット・トルドーがフランス系ケベック人の夫,ピエール・エリオット・トルドー首相と別居したことは大いに騒がれたが,それさえも,ひところは北米でのカトリック生活の強力な擁護者だった同州の住民の道徳面の憤りを大規模に呼びさますことはなかった」と伝えています。
同教会の伝統的な教理に言及して,この報道はさらにこう述べています。「教会当局によると,カトリック系のケベック州住民の家庭における子供の数は,平均五ないし六人から三人以下に減少した。これは,いよいよ盛んになっている様々な形の産児調節,およびカトリックの教理や伝統に対する関心の全般的な低下によるものである」。
他の諸教会も,自分たちの教会の法が多かれ少なかれ,本気で問題にされたり,無視されたり,場合によっては軽べつされたりしていることに気付いています。オンタリオ控訴裁判所のチャールズ・L・ダビン氏はこう評しています。「我々の制度すべて,つまり教会,法律,そして裁判所が挑戦を受けている。変化を求める声が上がっている」。法に対する態度に影響を及ぼした急速な社会変化について,同氏はこう語っています。「私は,法律を,裁判官と弁護士のためのなぐさみものとみなしたことは一度もない。法律の唯一の目的は人々に奉仕することであり,法律はすべての人と関係がある。しかし,法律というものは,それが守ることになっている人々の精神を反映しているという点を忘れてはならない」。さらに同氏は,「カナダにおける司法の実情を憂慮する人々は,目的の点では一致を見ているが,犯罪を除去するという究極的な目的達成の方法の点では意見の一致を見ていない」と述べています。
キリスト教以外の諸宗教も影響を受ける
キリスト教以外の諸宗教の場合はどうでしょうか。そのような宗教が伝統的に勢力を有し,道徳生活の基本的要素となっている土地では,うまくいっているでしょうか。ヒンズー教の法の下にあるインドでは,バラモン階級の人々を例外として,ある程度前まで刑罰はかなり厳しいものでした。バラモン階級は,それよりも低い階級<カースト>の人々よりはるかに軽い刑を受けるだけで済んでいました。しかし,英国の影響の下でそれは変化しました。もっとも,一般大衆の感覚は,依然として,宗教,階級<カースト>,性別,富,便宜主義などの問題でくらまされています。国民全般を促して,法執行機構と協力させるのは困難です。
では,犯罪を予防する手段としての法律についてどんなことが言えますか。また,犯罪を完全に除き去る何らかの方法があるでしょうか。
[脚注]
a 1979年1月29日付,ニューヨーク・タイムズ紙,D8ページ。