ローマ法王の日本訪問
ローマ・カトリックの教えが日本に伝来したのは西暦1549年のことです。それから約432年たった今,ヨハネ・パウロ2世が法王としては初めて日本を訪れました。
カトリックの過去の歴史を簡単に振り返ってみると,それが伝来した時から89年後には禁令下に置かれたことが分かります。それから235年間は,主に九州の長崎に近い幾つかの小さな離れ島にいる“隠れキリシタン”の中で命脈を保ってきました。禁令が解かれた後もこれらのキリシタンの多くは教会の一員になろうとはしませんでした。教会というものはいつでも隠れていなければいけないと考えていたのです。そうした人々の子孫が今でも存在していますが,その数はごくわずかです。
日本のカトリック教会は,国内に40万人の信者がいると唱えています。1億1,700万人の日本人のうちキリスト教徒を自任する人は1%足らずであることを考えると,カトリック教会の唱える信者数はその3分の1ほどであることが分かります。したがって最近の法王の訪問は,信心深いカトリック信者にとっては胸の躍るような訪問だったかもしれませんが,全体的に見ると,大きな池の鏡のような水面に小石を投げてできるさざ波程度のものにすぎませんでした。注意深く見守っていなければ,恐らく見過ごしてしまったことでしょう。
英文読売は,法王の訪問を第1面に掲げ,次のように述べました。「幾百万ものフィリピンのカトリック教徒からのへつらいに満ちた1週間が済み,カトリック教徒が大半を占める,米国領のグアム島で一晩を過ごした後,法王ヨハネ・パウロ2世は月曜日に初めて日本を訪れた。日本ではカトリック教徒はごくわずかな少数派にすぎず,ほとんどの人はこの法王のアジア旅行にあまり関心を示していない」。
79時間というわずかな滞在期間中,法王は多忙を極めました。後楽園球場での3万5,000人を前にしたミサ,武道館での約5,000人の若者との集い,さらに天皇陛下への表敬訪問,総理大臣との会談などが予定されていました。カトリックの地元の指導者のほか,キリスト教世界,仏教,神道の宗教指導者をも集めた集いが東京で二度開かれました。それから法王は広島へ赴き,そこで“平和アピール”を発表し,そのあと長崎に向かいました。長崎は多年にわたり日本におけるカトリック教会の中心地となってきた所です。ここではミサに参加するため,寒さと雪をものともせず,4万8,000人の人が集まりました。カトリック教会の約7万人の信者が日本のこの地域に住んでいます。
法王の声明
興味深いことに,法王は非常に慎重で,カトリックが非常に根強い所あるいは過半数を占めている他の国で歯にきぬ着せず語ったような問題については触れませんでした。例えば,堕胎に関する公のアピールはありませんでした。日本では堕胎反対の大きな運動はなく,至る所で堕胎を容易に行なうことができます。離婚や政治問題に関するカトリックの立場についても触れませんでした。むしろ,カトリック教会がこれからも確実に信教の自由を享受することを願う法王の気持ちが容易に読み取れました。そのことは,法王が仏教と神道の指導者29人に述べたと言われている言葉の中にはっきりうかがえます。法王は彼らが持っている“伝統的な知恵”に触れ,それが日本の高い道徳規準にどのように反映しているかについて述べました。そしてこう付け加えています。「私はカトリック教会の霊的な指導者として,またキリストの弟子,キリストの代理者として,神がこのような賜物を皆さんにさずけられたことに対し,そして皆さんがその賜物を十分な市民的自由と共に表現しておられることに対し大きな喜びを覚えます」。(下線は本誌)法王は,自分が日本のカトリック教会にもこの同じ市民的自由が引き続き与えられるよう願っていることを,その場に集まった宗教関係者にはっきり理解させようとしていたのです。
法王は空港に到着した時の最初の話の中で,自分は平和の巡礼者として来たと述べました。日本に来て三日目に,法王は準備された“平和アピール”を発表するために広島へ向かいました。広島は今から35年ほど前の戦時中に,世界で初めて原子爆弾が投下された所です。法王のアピールは,核兵器の破棄と,すべての国々が戦争回避に力を尽くすことを訴えるものでした。確かにそれは価値あるアピールでした。
法王の言動に関する新聞記事の中で用いられている聖書の言葉はただ一つしかありません。それはニューヨークの国連ビル前の広場にある壁に刻まれているものと同じです。その聖句はイザヤ書 2章4節の一部で,次のように述べています。「彼等はその剣を鋤にうちかえ,そのやりを鎌にうちかえる。国は国にむかいて剣をあげず,戦闘のことを再びまなばない」。(読売新聞の引用による。)
国連ビルの正面の壁に刻まれた碑文と同じように,この場合もだれによって,またどんな力によってこれが実現されるのかは知らされていません。もしその1節から3節(新)までを読めば,特にそれが何のことを言っているかすぐに分かるでしょう。『末の日にエホバの家の山は山々の頂の上に必ず堅く立てられる。……[エホバ]はわたしたちにその道を教え諭してくださり,わたしたちはその進路を歩む』。そうです,人々を教え諭しかつ導くのは,これらの諸国家や諸国家の国民ではなく,エホバ神ご自身なのです。
法王はキリストの代理と主張してはいるものの,どの話の中でもキリストによる神の王国のことには触れず,イエスの名前によって祈ることさえしませんでした。しかし聖書はこの点,非常にはっきりしています。有名なイエスの次の祈りを考えるとよいでしょう。「天にまします私たちの父よ,み名が聖とせられますように。み国が来ますように。み旨が天に行なわれると同じく地にも行なわれますように」。(マタイ 6:9,10,バルバロ訳)そうです,神の王国はこの地上に平和を保証するものです。それは神のご意志だからです。イエスは,祈りに答えていただくためには別のことも忘れてはならないとわたしたちに告げておられます。それは何でしょうか。「あなたたちが,私の名によってなにかを願い求めるなら,私がはからおう」。(ヨハネ 14:14,バルバロ訳)このことからすると前述の祈りは,たとえそれが法王の祈りであっても,聞き届けられないと言えないでしょうか。
“平和アピール”の最後の部分で法王は祈りを行ない,それをこう結んでいます。「神よ,私の祈りを聞き,世界にあなたの永遠の平和を与えて下さい」。前述の聖句に照らしてみると,この祈りは神に聞き届けられると考えてよいものでしょうか。
一致と真理は促進されたか
日本のキリスト教徒を指導するプロテスタントの指導者22人とカトリックの指導者11人のために取り決められた集まりにそのうちの10人が欠席した事実について,多くの新聞が論評を加えていました。その10人が姿を見せなかったのは,法王と天皇陛下との会見に抗議するためでした。それは政治的に利用される恐れがあると彼らは考えています。
事実からすると,キリスト教(プロテスタントおよびカトリック),仏教徒,神道の指導者たちとの集まりは,多くの日本人が抱いている考え,つまり「すべての宗教は同じで,目的地も同じであるから,何を信じようと構わない」という考えをあおる結果になったにすぎません。それは明らかにイエスの教えとは異なっています。イエスはこう述べられました。「滅びに至る道は広くて大きく,それを通ってはいって行く者は多い(の)です。一方,命に至る門は狭く,その道はせばめられており,それを見いだす者は少ないのです」― マタイ 7:13,14。
エホバの証人は,命に通ずる狭い道を探している人々,あるいはその道を歩みたいと思っている人々を援助する特権に喜びを感じています。日本では6万人近いエホバの証人が約8万3,000人の人と聖書を用いて家庭で研究を行なっています。それは家の人の都合に合わせて毎週無料で行なわれる聖書研究です。この同じ目的のために,あなたもエホバの証人に訪問してもらってはいかがでしょうか。