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  • どうしてこんなに寂しい気持ちになるのだろう
  • 目ざめよ! 1987
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目ざめよ! 1987
目87 6/22 18–20ページ

若い人は尋ねる…

どうしてこんなに寂しい気持ちになるのだろう

土曜日の夜です。その少年は自分の部屋に座って,モール街にボウリングをしに出かけた生徒たちのことを考えていました。僕も一緒に行っていいかい,と勇気をふるって頼んでみたのですが,彼らは,あざけるような笑いを残して行ってしまいました。その声がいまでも聞こえるようです。

「週末なんか大嫌いだ!」と,少年は叫びます。でも部屋には返事をしてくれる者もいません。一冊の雑誌を取り上げると,浜辺で遊ぶ一群の若者の写真が載っています。少年はその雑誌を壁に投げつけます。涙が込み上げてきます。下くちびるをかみしめても,涙は止まりません。こらえきれなくなった少年はベッドの上に身を投げ出し,「なぜ僕はいつも,のけ者にされるんだろう」と,すすり泣きます。

あなたも時々そのような ― 世の中から締め出されたような,自分が能のない,だめな人間でもあるかのような気持ちになることがありますか。『どうしてこんなに寂しいのだろう。なぜこんなに心が痛むのだろう』と思ったことがありますか。

もしあるとしても,失望することはありません。多くの若者にとって,十代はつらいことや,いやなことのある時期なのです。絶望的になったり,自信を失ったりすることもあるでしょう。ですから,十代の時期に孤独を一番耐えがたく感じることが多いとしても不思議ではありません。

孤独な状態はもちろん面白いことではないにしても,致命的な病気ではないのです。ある専門家は孤独感を風邪に例え,「かかりやすいが……命取りになることはめったにない。しかしいつも不快なものだ」と述べています。でも,孤独感を克服する方法はあります。

孤独感の実体

簡単に言えば,孤独感は一種の警報です。空腹は食物の必要なことを知らせます。孤独感は,交わり,親しさ,親密さがあなたに必要なことを告げます。人が正常に活動するには食物が必要ですが,それと同じく,人がさわやかな気分になるには交わりが必要です。

積み重ねられた石炭が赤々と燃えているのを見たことがありますか。その石炭の山の中から1個だけ取り出すとどうなりますか。その1個の石炭の火は次第に消えてしまいます。でも,元の山に戻すとまた燃え出します。同様にわたしたち人間も長時間孤立すると,いわば“燃える”こと,つまり活動能力をうまく発揮することができません。友達がほしいと思うのは自然の情です。

最初の人間アダムの場合もそうでした。聖書の創世記によると,アダムは基本的な必要が満たされる環境の中に置かれました。十分の食物,新鮮な空気,水浴のできる輝く川,興味深い仕事などがあり,何よりも創造者との密接な関係を楽しめました。それでもエホバ神は,「人が独りのままでいるのは良くない」と言われました。話が通じ,気持ちを理解し合える,自分と同じような人がアダムには必要だったのです。神はアダムにエバを与えてその必要を満たされました。(創世記 2:18-23)人間はもともと交わりを必要とする者として造られています。ということは,一人でいれば必ず寂しい気持ちになるという意味でしょうか。

一人でも寂しくない

随筆家のヘンリー・デービッド・ソローは,「孤独ほど良い友になる友をわたしはまだ知らない」と書いています。あなたも同感ですか。二十歳のビルは「同感」と言います。「僕は自然が好きだから,時々自分の小さなボートに乗って湖にこぎ出し,その中に何時間も一人でいます。それは,自分が人生をどう歩んでいるか,じっくり考える時間になります」。16歳のラファエルも,「家には僕のほかに3人子供がいるから,とてもうるさいんです。4歳の弟がひどいやんちゃなので,とにかく一人になりたい,と思う時があります」と言いました。

英国のある詩人は,「孤独は神の接見室である」と言いました。21歳のスティーブンも同じ意見です。「僕は大きなアパートに住んでいるので,一人になりたくなると屋上に上がって,考え事をしたり,祈ったりするんです。気分がさわやかになります」と言います。確かに,一人でいる時間をうまく使えば,深い満足感を味わえます。イエスもそのような時を持たれました。「朝早くまだ暗いうちに,イエスは起きて外に出,寂しい場所へ行って,そこで祈りを始められた」とあります。(マルコ 1:35)ソローやイエスのような人たちは,なぜ一人でいても寂しくなかったのでしょうか。

第1の理由は,なりたくて一人になったからです。第2は,短時間一人でいただけだったからです。エホバは,『人がしばらくの間一人でいるのは良くない』とは言われませんでした。むしろ人が「独りのままでいる」のは良くないと言われたのです。一人でいる期間が長くなると,寂しくなるかもしれません。それで聖書は,「自分を孤立させる者は利己的な願望を追い求める。その者はあらゆる実際的な知恵に逆らって突き進む」と警告しています。―箴言 18:1。

一過性の孤独感

しかし,望まないのに一人になることもあります。その場合には心が痛むかもしれません。その種の孤独は,親しい友人たちを離れて新しい場所へ転居するといった,どうにもならない状況によって押し付けられることが少なくありません。

スティーブンは過去を振り返って語ります。「家にいた時,ジェームズと僕はお互いに実の兄弟よりも親密な友達でした。よその土地へ行けば,ジェームズがいないので寂しくなることは分かっていました」。出発した時のことを追想するかのように,スティーブンはしばらく口をつぐみます。「飛行機に乗る時になると胸がいっぱいになり,僕たちは抱き合いました。そして僕は出発しましたが,何か大切なものを失ってしまったような気持ちでした」。

スティーブンは新しい環境の中でうまくやっていけたでしょうか。「とてもつらかった」と,彼は言います。「新しい仕事を覚えるのにも苦労をしました。家にいた時には友達に好かれていたけど,ここでは,仕事仲間から,何の取り柄もない人間のように感じさせられることもありました。時計を見ては,4時間(時差)差し引いて,ジェームズと一緒にいたらいま何をしているだろう,と考えたりもしました。寂しかったですね」。

物事がうまくいかない時には,もっと良かった時を考えるものです。聖書は,「『先の日々のほうが今よりも良かったのはどうしてなのか』と言ってはならない」と述べています。(伝道の書 7:10)なぜこのような助言を与えるのでしょうか。

一つには,状況は良いほうへ変化する可能性があるからです。ですから研究者たちは「一過性の孤独感」ということをよく言います。スティーブンも孤独を克服できました。どのようにしてでしょうか。「関心を向けてくれる人に自分の気持ちを話したのがよかったと思います。いつまでも過去の中に生きているわけにはいきません。自分を強いて他の人たちと知り合いになり,彼らに関心を持つようにしました。そのかいがあって,新しい友達ができました」。しかし,ジェームズのことはどうなったでしょうか。「僕の考え違いでした。転居しても友情は終わりませんでした。このあいだ彼に電話をかけ,延々1時間15分も積もる話をしました。それも長距離電話で!」

13歳のピーターは母子家庭というまた別の,孤独になりそうな境遇にあります。『学校から帰ると独りぼっちで,話し相手はいません。母が仕事から戻っても,やっぱり同じ。母は疲れているので寝てしまうんです』と,ピーターは言います。

18歳のナンシーのところも片親の家庭です。新しい学校にも慣れなければなりません。でも寂しいとは思っていません。新しい友達と近づきになるようにしているからです。「そうすると気持ちが落ち着く」とナンシーは言います。孤独感はなくなりました。それは一時的なものでした。

しかし,悲しい出来事が起きたために孤独になることもあります。「フロリダに住んでいた時,同い年のデリクは11歳のときからの親友でした」と,ビルは語ります。「いつも一緒にモール街に行ったり,ピッツァを食べたり,フットボールをしたりしていました」。一体何が起きたのでしょうか。「ある日曜日の夜,電話がかかってきました」と,ビルは続けます。「デリクができ死したというのです。とても信じられませんでした。そのことがあってからも,すごく寂しくなってデリクの電話番号を回したことが何度かありました。電話が鳴り続けるので,『そうか,デリクはもういなかったんだ』と思ったりしました。その気になるのは難しいことでした。17歳という年は,死ぬにはあまりにも若すぎます」。

聖書に出てくるナオミという女性も悲劇を経験しました。ナオミの夫と二人の息子は相次いで死にました。やもめになって故郷に戻った時にナオミは,「出て行った時,わたしは満ちていました。ですが今,エホバは,むなし手でわたしを帰らせました」と言いました。―ルツ 1:21。

愛する者を失った悲しみは完全には消えないにしても,寂しさは,時が流れ新しい関係が生まれるにつれて薄れてゆきます。ナオミの場合は,境遇が変化し,新しい関係ができたことが,「魂を回復させる」のに役立ちました。(ルツ 4:13-15)人のために何かを行なうことに没頭することもできます。イエスは,「受けるより与えるほうが幸福である」と言われました。―使徒 20:35。

しかし,寂しさが持続するとしたら慢性的な孤独感に悩まされるかもしれません。それはどのようなものでしょうか。どうすれば克服できますか。この質問に対する答えは,「目ざめよ!」誌のあとの号に掲載されます。

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