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目ざめよ! 1990
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聖書の見方

ユダヤ人は神の選民ですか

西暦1948年にユダヤ人の国家が樹立されたとき,キリスト教世界の神学者たちは大きな衝撃を受けました。何世紀もの間,多くの神学者たちは,ユダヤ人はキリストに対して罪を犯したので地をさまよう運命にあると教えていたからです。ところが,その“さまよえるユダヤ人”がもうさまよわなくなったのです。

このところ中東で起きている出来事はそのユダヤ民族に衆目を集めるものとなっているため,とっくに決着がついたはずの論争に関して再び次のような疑問が生じています。ユダヤ人は今でも神の選民なのですか。神は今ユダヤ人に特別の好意を示しておられるのでしょうか。

何世紀も昔,神はイスラエル人にこうお告げになりました。「もしわたしの声に固く従い,わたしとの契約をほんとうに守るなら,あなた方はあらゆる民の中にあって必ずわたしの特別な所有物となる。全地はわたしのものだからである。そしてあなた方は,わたしに対して祭司の王国,聖なる国民となる」。(出エジプト記 19:5,6)どの国民も神のものでしたが,イスラエル人には神の特別な所有物になれる見込みがあり,ゆくゆくは全人類のために祭司として仕える可能性がありました。

しかし,神とのこの特別な関係は無条件のものでしたか。いいえ,そうではありません。神は,『もしわたしの声に固く従うなら,あなた方はあらゆる民の中にあって必ずわたしの特別な所有物となる』と言っておられたのです。ですから,選民として彼らが享受する神との関係は条件付きのものであり,その関係が保たれるかどうかは,彼らが神に忠実であり続けるかどうかにかかっていたのです。

強力な例証

西暦前8世紀の預言者ホセアの時代に起きた出来事は,そのことを裏書きするものとなっています。神の選ばれた民として特別の恵みを受けていながら,大半のイスラエル人はエホバの真の崇拝を捨てました。エホバはどのように反応されたでしょうか。『わたしはイスラエルの家にもはや二度と憐れみを示さない。彼らを必ず取り去るのである。あなた方はわたしの民ではなく,わたしもあなた方のものとはならない』と言われました。(ホセア 1:6,9)そのようなわけで,それら背教したイスラエル人は神の恵みのうちにはとどまれなくなりました。それでも,いつの日か忠実な残りの者たちが復帰させられて再び神の祝福を経験する特権を与えられることになっていました。―ホセア 1:10。

神はこの預言通り,イスラエル人が敵の捕虜にされ,神殿も破壊されるままにして,彼らが神に是認された者として享受していた神との関係を失ったということを強い力で示されました。ただし,イスラエル人の忠実な残りの者たち(そのころにはユダヤ人と呼ばれるようになっていた)は,西暦前537年に捕囚から帰還してエホバの神殿を再建し,神の選ばれた民としてエホバの恵みを再び享受するようになりました。

「残りの者」だけが忠実を保つ

ところが,それから何世紀もたたないうちに,ユダヤ人はプラトンが教えた不滅の魂の教義など,ギリシャ哲学の影響力に屈し,ユダヤ人の崇拝は破滅的な影響を被りました。またもやその崇拝は,純粋にモーセやヘブライ人の預言者たちの教えに基づいたものとは言えなくなったのです。

エホバは引き続きユダヤ人をご自分の選民とみなされたでしょうか。イエスは,多くのユダヤ人がまたしてもエホバの清い崇拝から逸脱してしまった事実を認めて,「神の王国はあなた方から取られ,その実を生み出す国民に与えられるのです」と言われました。(マタイ 21:43)大半のユダヤ人はその警告に留意せず,背教の歩みを続け,神の油そそがれた者であるイエスを退けました。そのため神は,その後まもなく西暦70年に,再建された神殿が破壊されるのをお許しになりました。(マタイ 23:37,38)これは,神がこれを限りにすべてのユダヤ人を退けられたということでしょうか。

ユダヤ人でありキリストの使徒であったパウロは次のように説明しています。「神はご自分が最初に認めた民を退けたりはされませんでした。……今の時期にも,残りの者が過分のご親切による選びによって出て来たのです」。(ローマ 11:2,5)結婚式には多くの人が招待されるとしても,実際に出席するのはわずかな人かもしれません。それと同様に,神もユダヤ国民全体をご自分との特別な関係に招いておられましたが,忠実さを示してその特別の親しい関係を維持したのは,ユダヤ国民の残りの者たちだけだったのです。確かに神の辛抱は過分のご親切の表われであると言えます。

「わたしの民ではなかった者」が「わたしの民」となる

その忠実なユダヤ人の残りの者たちに,同じく神に仕えたいと願う非ユダヤ人たちがすぐに加わるようになりました。非ユダヤ人の先祖は神との特別な関係にはありませんでしたが,そのころからエホバは,それら忠実な非ユダヤ人をご自分の民として喜んで受け入れてゆかれました。パウロはその点に注目してこう書きました。『そこで,もし神がユダヤ人だけでなく,[非ユダヤ人である]諸国民の中からも[わたしたちを]召してくださったのであればどうなのでしょうか。ホセアの書の中でも言っておられるとおりです。「わたしの民ではなかった者を『わたしの民』と呼ぶであろう」』― ローマ 9:22-25。

こうして,ユダヤ人も非ユダヤ人も神の選民になることができ,残りの人類のために祭司として仕える見込みを持てるようになったのです。生来のユダヤ人であったクリスチャンの使徒ペテロは,様々な国家的背景を持つ忠実な崇拝者たちに,『あなた方は,「選ばれた種族,王なる祭司,聖なる国民,特別な所有物となる民」です。というのは,あなた方はかつては民ではありませんでしたが,今は神の民であるからです』と書きました。(ペテロ第一 2:9,10)これこそ,敬虔な特質を備えた民,すなわち,『神の王国の実』を生み出すであろうとイエスが言われた「国民」,その実を生み出すゆえにエホバとの特別な関係を享受する「国民」なのです。―マタイ 21:43。

神は,それら祭司となる見込みのある人を選ぶに当たって,何らかの特別な血筋ではなく,信仰や義にかなった行ないを期待されました。ペテロも述べたとおり,『神は不公平な方ではなく,どの国民でも,神を恐れ,義を行なう人は神に受け入れられる』のです。―使徒 10:34,35。

ですから神は,もはや血筋に基づいてだれかに特別な好意を示すことはされません。どんな国家的背景を持つ人にも,ご自分との関係を築く機会を与えておられるのです。わたしたちは,自分の信仰と行ないにより,神の民の一人でありたいと願っていることを示してゆけますように。

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