ものみの塔 オンライン・ライブラリー
ものみの塔
オンライン・ライブラリー
日本語
  • 聖書
  • 出版物
  • 集会
  • 目95 11/8 19–25ページ
  • モルモン教会 ― すべての事柄の回復を意味していますか

視聴できるビデオはありません。

申し訳ありません,ビデオをロード中にエラーが発生しました。

  • モルモン教会 ― すべての事柄の回復を意味していますか
  • 目ざめよ! 1995
  • 副見出し
  • 関連する記事
  • 今日のジョセフ・スミスの教会
  • モルモン教徒と聖書
  • 「神の現在の様は人間がこれからなろうとしている様である」
  • 「モルモン経」― 信仰の根本原理
  • 歴史上の謎
  • 回復に関する根拠
  • 今日の世界における末日聖徒
    目ざめよ! 1983
  • 聖書は人の生き方を変える
    エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 2013
  • 答えを探し求めた青年
    目ざめよ! 1995
  • モルモン教をしらべる
    エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1962
もっと見る
目ざめよ! 1995
目95 11/8 19–25ページ

モルモン教会 ― すべての事柄の回復を意味していますか

米国ユタ州ソルトレークシティーにあるモルモン教の神殿は,末日聖徒にとって自分たちの信仰の誇らしい象徴です。モルモン教会では,勤勉,家族の価値観,経済的自給自足などが標語とされています。名前を記したバッジを背広の折り返しに付けたモルモン教会の宣教師の姿は,世界中の人々にとってなじみ深いものがあります。しかし,モルモン教徒にとって内部の神聖な物事の中には,外部の人々に隠されている事柄もあります。そのために,この教会は相変わらず世間を騒がせるうわさの種になっています。しかし物事の評価は,口汚い風説ではなく,事実に基づいて公正に行なわなければなりません。大変中傷されてきたこの宗派に関して何を学べるでしょうか。

今日のジョセフ・スミスの教会

モルモン教徒は,自分たちの宗教こそ,司祭職と聖礼典を持つ真の教会を回復した宗教であると考えています。ですから,この教会の正式の名称は末日聖徒イエス・キリスト教会です。モルモン教会には僧職者と平信徒の区別がありません。それどころか,ふさわしい男子の教会員はだれでも,12歳になると教会の様々な務めに携わり,16歳で司祭職に就くことができます。

この教会の様々な地位は大抵無給で,末日聖徒の家族は地元の会衆やワード部の主催する多くの行事計画に参加します。長老,監督,およびステーキ部(地区)の部長たちは,よく準備された教会の催しを会衆のレベルで監督します。ソルトレークシティーにある12使徒評議員会は全世界に及ぶ管轄権を持っています。最後に,予言者,先見者,および啓示者として敬われているこの教会の大管長と二人の副管長は,大管長の定員会もしくは大管長会と呼ばれる教会の最高管理委員会を構成しています。

信心深いモルモン教徒の生活は幾つかの聖礼典の影響を受けています。8歳になると,悔い改めと従順のしるしとしてのバプテスマを受けられます。信者は洗いと油注ぎにより,清められ,聖別されます。神殿でのエンダウメントの儀式には一連の誓約もしくは約束,およびその儀式以後ずっと着用しなければならない特別な神殿用下着が関係しています。その下着は悪から身を守るため,また行なった秘密の誓いを思い起こさせるものとして着用することになっています。また,モルモン教徒の夫婦は自分たちの結婚のきずなを神殿で「永遠にわたって」結び固める場合もあります。そうすれば,自分たちの結婚生活をそのまま天で営むことができ,二人は多分,引き続き天で子供たちをもうけることになるでしょう。

モルモン教会は,「怠惰という呪いを除去するために」確立された福祉計画のゆえに称賛を受けてきました。地元の教会員は1か月に二度食事を断ち,その分のお金を教会に寄付して,その福祉計画のための資金を供給しています。その上,信者は厳密な意味で自分の収入の十分の一を税として支払うよう要求されています。モルモン教会の宣教師たちを支える資金は家族や友人から供給されています。それらの宣教師は大抵,若い男女で,宣教師としての奉仕に2年ほど費やします。

自己犠牲,親密な家族,市民としての責任感などがモルモン教徒の生活の特色となっています。しかし,モルモン教の信条についてはどうでしょうか。

モルモン教徒と聖書

モルモン教の「信仰箇条」第8条は,「我々は聖書が正しく翻訳されたる限り,聖書は神の御言葉なりと信ず」と述べています。ただし,「我々はまた,モルモン経も神の御言葉なりと信ず」と付け加えています。しかし,なぜそのようなほかの聖典が必要なのだろうかと不思議に思う人は少なくありません。

長老のブルース・R・マッコンキーはこう断言しました。「[モルモン教徒]のように聖書を高く評価している人は地上には一人もいない。……しかし我々は……救いに必要な事柄がすべて聖書に収められているとは……信じていない」。大管長であるゴードン・B・ヒンクリーは,「モルモン教徒についてはどうなのか」という題のパンフレットの中で,多数の異なった分派や教会が「聖書の不備な点について証言している」と書きました。

末日聖徒の著述家たちは,削除されたとされる箇所や翻訳の間違いのために聖書は信頼できないとして聖書の信頼性に対する根強い疑惑を表明しています。モルモン教会の使徒であるジェームズ・E・タルマッジは自著「信仰箇条の研究」の中で,こう勧めています。「したがって,いつも霊の光を求めながら,恭しい態度で,また祈りのこもった注意深い態度で聖書を読みたいものである。そうすれば,読者は真実と人間の間違いを見分けられるようになるであろう」。モルモン教会の初期の使徒であったオールソン・プラットは,「聖書全体のうち1節でも汚されずに済んだ箇所があることなどだれも知らない」とまで述べました。

しかし,この問題に関して,モルモン教徒はすべての事実を知ってはいないようです。聖書の本文が長年にわたって繰り返し写本され,翻訳されてきたことは事実です。しかし,聖書が本質的に純粋さを保っていることを示す証拠は歴然としています。初期のヘブライ語やギリシャ語の幾千点もの写本が,もっと最近の聖書の写しと突き合わせて綿密に検討されてきました。例えば,西暦前2世紀のイザヤ書死海写本がそれより1,000年以上も後の年代の写本と比較されました。重大な改悪箇所が知らぬ間に入り込んでいましたか。それどころか,ある学者の分析結果によれば,見つかったわずかな食い違いは「主として明らかな書き間違い,および綴りの変形である」とのことです。a

大英博物館の元館長フレデリック・ケニヨン卿は,生涯を通じて熱心な研究を行なった後,こう証言しました。「クリスチャンは聖書全体を手に取って,幾世紀にもわたり本質的には何一つ失うことなく代々伝えられてきた紛れもない神の言葉を手にしている,と恐れずに,またためらわずに言えるであろう」。したがって,「主のみ言葉は浄き言葉なり。地の炉にて錬られ,七度浄められし銀のごとし」という詩編作者の言葉は,今日でも依然として真実です。(詩編 12:6,ジェームズ王欽定訳)本当にこれ以上必要なのでしょうか。

「モルモン経」はニーファイ第二 29章6節で,「『聖書か,聖書か,われらすでに聖書を持てり。故にこの他に聖書を要せず』と言う者よ汝は愚なり」ととがめています。しかし,聖書のガラテア 1章8節(欽定)にある,「されど,我らにもせよ,天よりのみ使いにもせよ,我らの宣べ伝えし所と異なる何らかの福音を宣べ伝うる者あらば呪わるべし」という使徒パウロの厳しい言葉を熟考してきたモルモン教徒は少なくありません。

末日聖徒の学者たちの説明によれば,この新しい聖典は聖書の中で明らかに述べられている事柄以上のものではなく,それを解き明かし,補足したものにすぎないとされています。ブリガム・ヤング大学の総長であるレックス・E・リーは,「両者の間に緊張した関係はない。聖書もモルモン経も救いに関する同一の計画を説いている」と書いています。これらの本の内容は一致していますか。モルモン教の説く救いの計画を考慮してみましょう。

「神の現在の様は人間がこれからなろうとしている様である」

リーは,「我々は自分では覚えていないが,この世に生まれる以前は霊として存在していた」と説明しています。永遠の進歩に関する末日聖徒の信条によれば,人間は従順に徹することにより,神,つまり神のような創造者になることができます。ジョセフ・スミスはこう述べました。「神,御自身,かつては今の我々のようであり,今は昇栄した人となり,かなたの天の王座にすわっておられる。あなた方は自分も神になる仕方を学ばねばならない。……神々が皆,あなた方より前に行なったのと同様である」。モルモン教会の予言者であるロレンゾー・スノーはこう言いました。「人間の現在の様は神のかつての様であり,神の現在の様は人間がこれからなろうとしている様である」。

聖書にはそのような将来が示されていますか。神になる見込みを示すものとして聖書に記録されているのは,エデンの園で悪魔サタンが述べたむなしい約束の言葉だけです。(創世記 3:5)聖書の示すところによれば,神はアダムとエバが地上で生活できるように創造し,地上で永遠に幸福に生活する一つの完全な人間家族を生み出すよう二人にお命じになりました。(創世記 1:28; 3:22。詩編 37:29。イザヤ 65:21-25)しかしアダムが故意に不従順になったため,罪と死が世にもたらされました。―ローマ 5:12。

「モルモン経」によれば,かつて霊であったアダムとエバがもし罪を犯さなかったなら,子供をもうけることもなく,楽園で二人だけで喜びのない生活をしたと考えられています。それで,最初の夫婦の罪に関する「モルモン経」の説明によれば,その罪には性交や出産が関係しており,「アダムが堕落したのは人類を生ずるためであり,人類が現世に在るのは幸福を得んためである」と記されています。(ニーファイ第二 2:22,23,25)ですから,天の霊たちは罪に汚れた地上で生活する機会を待ち望んでいると言われており,地上で生活することは,彼らが完全な者となり,神になるために必要な段階なのです。末日聖徒の雑誌であるエンサイン誌は,「我々はアダムとエバがしたことを侮べつの念ではなく,深い感謝の念を抱いて見る」と述べました。

ジョセフ・スミスのおいの息子であるジョセフ・フィールディング・スミスはこう述べました。「聖書のこの教理[人間は霊の創造物として存在していたという考え方]は,かすみか霧を通して識別されているにすぎない。……それは,多くの明白で貴重な事柄が聖書から取り除かれたためである」。さらに,「この信条は,1833年5月6日,教会に与えられた啓示に基づくものである」と述べました。ですから,聖書の権威が認められているとはいえ,意見の相違がある場合,末日聖徒の教理に関しては,当然同教会の予言者たちの言葉のほうが重視されます。

「モルモン経」― 信仰の根本原理

ジョセフ・スミスは「モルモン経」を『地上で最も正しい本,我々の宗教の根本原理』として称賛しました。彼の著作の情報源は一組の金版であったと言われています。11人のモルモン教徒はその金版を見たと証言しました。ところが,スミスは,その文書が完成するや,金版は天に持ち去られたと語りました。ですから,その金版を用いて原文を調べるわけにはゆきません。

「高価なる真珠」(20ページの囲み記事を参照)という本はチャールズ・アンソン教授について述べており,同教授は幾つかの碑文の写しを見せてもらい,その碑文は本物であり,その翻訳は正確であったと言明しました。しかし同書の記述によれば,その金版の由来について告げられるや,同教授は自分の意見を撤回しました。しかしこの話は,金版の言語を翻訳する賜を自分だけが持っており,「その知識はこの世から消滅した」とするスミスの主張と矛盾しているように思えます。アンソン教授は,自分では読むことも,したがって翻訳することもできない原文をどうして正確であると断言できたのでしょうか。

「モルモン経」には,ジョセフ・スミスの時代にすでに古語とみなされていたシェークスピア風の英文で訳されたジェームズ王欽定訳聖書の言葉がたくさん引用されています。種々の本の中で「最も正しい」本とされるこの「モルモン経」には少なくとも2万7,000語の言葉が欽定訳聖書から直接取られていることを知って当惑させられた読者もいます。欽定訳聖書には誤りがいっぱいあると言われており,後日,スミスはその改訂に取り組みました。―20ページの囲み記事をご覧ください。

「モルモン経」の初版と現在使われている版とを比較すると,多くのモルモン教徒にとって驚くべき事実,つまり「神の賜と能力によって……翻訳された」と言われる本に文法や綴りや内容の点で様々な変更が加えられたということが分かります。例えば,「永遠の父」の実体に関する考え方は明らかに混乱しています。初版のニーファイ第一 13章40節によれば,「神の子羊は永遠の父」です。しかし後の版は,『神の子羊は永遠の父なる神の御子である』と述べています。(下線は本誌。)「モルモン経」の1830年の元の原稿は今でも2点あります。その2点の原文のうち,改革末日聖徒イエス・キリスト教会が保持している原文には,「御子」という言葉が行間に付け加えられています。

モルモン教の聖典である「教義と聖約」について,末日聖徒の学者であるリンドン・W・クックは自著「予言者ジョセフ・スミスの啓示」の序文の中でこう説明しています。「幾つかの啓示は,それを整えて出版するよう任命された委員たちにより校訂されたため,原文は相当付け加えられたり,削除されたりしたことが知られている」。そのような変更の一例は,スミスについて,「彼はその書を翻訳する賜を持てり。……われ彼に何ら他の賜を与えざればなり」と述べた,「戒めの書」の4章2節です。しかし,その啓示が1835年に「教義と聖約」の中に復刻された時,その箇所は,「その成就するまで,われ汝に何ら他の賜を与えざればなり」となっています。―5章4節。

歴史上の謎

西暦前600年に20人ほどのユダヤ人がエルサレムを去ってアメリカに渡ったとされていますが,彼らは30年もたたないうちに増えて二つの民族に分かれていたということはどうしてもつじつまが合わないと思う人もいます。(ニーファイ第二 5:28)この少数の一団は到着してから19年以内に,「ソロモンの神殿にならって」一つの神殿を建造しており,「その製作の技倆は非常に見事」なものでした。実際,大変な仕事だったでしょう。エルサレムにソロモンの神殿を7年がかりで建立するには,労働者,職人,監督など,20万人近くの人々が必要だったのです。―ニーファイ第二 5:16。列王第一 5,6章と比較してください。

「モルモン経」を注意深く読んだ人は,正しく年代順に扱われていないように思える特定の出来事のために当惑させられてきました。例えば,使徒 11章26節はこう述べています。「弟子たちはアンテオケにて初めてクリスチャンと称えられり」。(欽定)しかし,西暦前73年の出来事とされる事柄について述べるアルマ 46章15節によれば,そもそもキリストが地に来られる以前にクリスチャンがアメリカにいたのです。

「モルモン経」は教理に関する論文というよりは歴史上の物語として書かれています。「それから……した」,あるいは,「すると……した」という言い回しが現在の版には1,200回ほど出て来ます。1830年版には約2,000回出て来ます。聖書の中で言及されている多くの場所は今でも存在していますが,ギムギムノやゼーズロムと呼ばれる場所など,「モルモン経」に出て来る場所の位置は事実上,すべてが不明です。

モルモンの物語は北米大陸の各地の広大な居留地について述べています。ヒラマン 3章8節には,「ニーファイ人はその人口がますますふえひろがって……全地の面を占めるようになった」とあります。モルモン 1章7節によれば,地には「建物が一ぱい建って」いました。それら無秩序に広がる文明世界の遺跡はどこにあるのだろうかと不思議に思う人は少なくありません。ニーファイ人の金貨,剣,盾,あるいは胸当などの人工遺物はどこにあるのでしょうか。―アルマ 11:4; 43:18-20。

モルモン教の教会員がこうした疑問を考慮して,モルモン教会のレックス・E・リーの述べた,「モルモン教の信ぴょう性を証明できるかどうかは,教会の異名の由来となっている書にかかっている」という言葉を真剣に熟考するのは良いことです。単なる感情的な祈りによる経験ではなく,堅実な聖書的知識に基づく信仰を持つことは,誠実なモルモン教徒にとって,さらにはクリスチャンと称する人すべてにとっても一つの課題です。

回復に関する根拠

ジョセフ・スミスが当時の闘い合う分派をはねつける原因となったのは,彼の周囲の混とんとした霊的な状態でした。スミスの時代以前も,その時代中も,またそれ以後も,他の敬虔な人たちは真の信仰に戻るよう努力してきました。

真のキリスト教のための模範とは何でしょうか。それは,「汝らをその足跡に従わしめんとて模範を残したまえる」キリストではありませんか。(ペテロ第一 2:21,欽定)イエス・キリストの生活は末日聖徒の神学とは著しい対照をなしています。イエスは決して禁欲主義者ではありませんでしたが,その簡素な生活は,富を蓄積したり,栄光や政治権力を得ようとしたりする野望とは無縁なものでした。イエスは「世のもの」ではなかったゆえに迫害されました。(ヨハネ 17:16,欽定)キリストの宣教の主要な目標は,み父エホバの栄光を表わし,そのみ名を神聖なものにすることでした。イエスの真の弟子たちも同様でした。彼らは自分の救いの重要性を二次的な事柄とみなしたのです。

イエスは神のみ言葉を教え,それを意のままに引用し,それに従って生活されました。ブリガム・ヤングは聖書についてこう述べました。「我々はこの本を我らの指針,つまり我らの行動の規則とみなす。我らはこの本を我らの信仰の基盤として受け入れる。この本は救いの道を指し示している」。(「説教ジャーナル」,第13巻,236ページ)それでヤングは,「聖書を取り出して末日聖徒の宗教を聖書と比較し,この宗教がその試験に耐えられるかどうか確かめるように」と勧めました。(「ブリガム・ヤングの説教」)モルモン教だけでなく,キリスト教と称する宗教はすべて,この試験を受けなければなりません。イエスは,「真の崇拝者の,霊と真理をもて父を拝する」と言われたからです。―ヨハネ 4:23,欽定。

[脚注]

a さらに詳しい情報については,ものみの塔聖書冊子協会発行の「聖書 ― 神の言葉,それとも人間の言葉?」という本をご覧ください。

[20ページの囲み記事]

モルモン教会の聖典

  末日聖徒は聖書と「モルモン経」と共に,他の幾つかの文書を聖典として認めています。

  「教義と聖約」: これはおもに,ジョセフ・スミスが神からの啓示と呼んだものを収集した本です。その啓示は教義上,および歴史上の事態の進展に応じて時々改訂されてきました。

  「高価なる真珠」: これは聖書の創世記やマタイ 24章,およびスミス自身の経歴をジョセフ・スミスが改訂したものを収集した本です。また,スミスが1835年に購入したパピルス紙の古文書を翻訳したものも含まれています。スミスはその古文書がアブラハムの自筆の書であると断言し,ある祭司がアブラハムを祭壇の上で犠牲としてささげようとした際,み使いがアブラハムを救ったいきさつを述べています。そのパピルス紙は1967年に新しい場所に移され,何人かのエジプト学者により調査されました。ある報告によれば,学者たちは,「ジョセフ・スミスが翻訳したとされるものの中には,この文書の内容と多少でも似た言葉さえ一つもないことに気づいた」と言われています。その文書は死者と共に埋められたエジプトの弔文である「休息の書」でした。スミスの元の原稿は,彼が「湖」という意味のエジプトの象形文字を翻訳するのに英語の136の単語を使ったことを示しています。

  聖書のジョセフ・スミス訳: 1830年にスミスはジェームズ王欽定訳聖書の改訂に取りかかりましたが,結局完成しませんでした。彼は3,400節ほど改訂しましたが,自分自身が「優れた予見者」として到来することに関する予言を創世記の終わりに書き加えたのを初め,多くの資料を追加しました。その原稿は,ブリガム・ヤングに従わなかった,スミスの未亡人のもとに置かれていたため,それは正確なものとされてはいるものの,ソルトレーク教会はこの書の言葉をめったに引用しません。

  その後の“霊感を受けた”教義: それらの教義は,どの時期にせよ,教会の存命中の予言者によって公表される場合があり,それらの教義には聖書と同等の権威があります。1844年に発表されたキング・ファラットのための説教はその一例です。スミスは長老のキング・ファラットのためにこの弔いの説教を行ない,その中で神になった人間と人間になった神に関する教義を説明しました。その教義は,スミスやヤングその他の19世紀のモルモン教会の権威者の講話を収集した「説教ジャーナル」に出ています。

[21ページの囲み記事]

モルモン教の神々の一族

  神: すべての神々の御父は,骨肉の体を有したもう。―「教義と聖約」130:22。

  エロヒム: 個々の神を指して用いられることがある。また,地球を整えた神々の会議を表わす。―「教義と聖約」121:32。「高価なる真珠」,アブラハム 4:1。「説教ジャーナル」,第1巻,51ページ。

  イエス: 全地の神ならびに創造者,救い主。―ニーファイ第三 9:15; 11:14。

  エホバ: イエスを表わす旧約聖書中の名称。―モルモン 3:22; モロナイ 10:34,および「モルモン経」の索引と比較。

  三位一体: 骨肉を有する御父と御子,および聖霊という別個の異なった三柱の霊者から成る神。―アルマ 11:44; ニーファイ第三 11:27。

  アダム: 創造の際のイエスの助け手。ブリガム・ヤングはこう述べた。「我々の父アダムはエデンの園にやって来た。……そして,その妻たちの一人であるエバを連れて来た。……彼は我々の父であり,我々の神である」。(「説教ジャーナル」,第1巻,50ページ,1854年版)アダムは罪をおかした後,地上で最初のクリスチャンになった。(「高価なる真珠」,モーセ 6:64-66。エンサイン誌,1994年1月号,11ページ)彼は「日の老いたる者」であり(「教義と聖約」116章),イエスの文字通りの肉的な父。―「説教ジャーナル」,第1巻,51ページ。

  ミカエル: アダムを表わす別の名称で,大天使。―「教義と聖約」107:54。

[23ページの囲み記事]

モルモン教,国家主義,および政治

  ジョセフ・スミスは,モルモン教によれば予言者,予見者,啓示者でしたが,同時に市長,収入役,中将であり,米国の大統領候補者にもなりました。その指導に従う多くのモルモン教徒は,精力的な政治活動家です。モルモン教会は教会が受け継いできたアメリカの遺産に誇りを抱いており,神が合衆国憲法の起草を導かれたと主張しています。ブリガム・ヤングはこう述べました。「神の王国が……統治を行なう時,汚れなき合衆国国旗は,自由と平等の権利という旗ざおに,汚点一つなく堂々と翻るであろう」。

  「信仰箇条」第12条はこう述べています。「我々は法律に従い,法律を尊び,法律を維持することにより,王,大統領,支配者,行政官などに服従すべきである」。彼らはどの程度まで服従するのでしょうか。米国が第一次世界大戦に突入した時,長老のスティーブン・L・リチャーズは,「末日聖徒イエス・キリスト教会の信者以上に米国政府に対して忠節な人民はいない」と断言しました。別の長老は,「我々が戦う時には神の力によって征服する」と述べました。

  「信仰箇条」第12条は戦場にいた他方の側にも当てはまりました。スタッフォードシャー大学のクリスティーン・E・キング教授は,「ドイツのモルモン教徒は自国のために武器を取って戦い,自国の勝利を祈り求めることを勧められた」と書いています。彼らは英国や米国のモルモン教会の信者仲間と戦っているのではなく,政府の代表者たちと戦っているのだと教会側は言いました。そして,「こうした違いは見え透いた言い訳だが,ドイツのモルモン教徒の倫理的ならびに宗教的疑念を静めるのに役立った」と述べました。

  ヒトラーが権力を掌握した時,モルモン教会はヒトラーを心から支持する方針を変えませんでした。「ナチスはモルモン教会から抵抗も明らかな批判の言葉も受けなかった」と,キング博士は書いています。人種的純粋さや愛国心を強調するモルモン教の考え方は,教会にとって都合のよいものでしたし,多くのモルモン教徒にとって自分たちの信仰と第三帝国の政策との関係は明らかでした。数人のモルモン教徒はヒトラーに公然と反抗しましたが,モルモン教会の当局者からは何の支持も受けませんでした。「教会は愛国心を抱いており,ナチ政府に対して忠節であったため,同政府に対する攻撃を非難した」のです。ナチスが反体制派のある人を処刑した後,教会はその人を死後にもかかわらず破門することさえしました。b

  「モルモン経」のアルマ 26章32節で次のようにほめたたえられている人々とは何と異なっていたのでしょう。「かれらは,その敵さえも殺すよりはむしろ自分の命を捨てる方がよいと思い,同胞に対する愛情が深いから,かれらの武器を深く地の中に埋めてしまった」。

  イエスはピラトと論じてこう言われました。「もし我が王国この世のものならば,我が僕ら我をユダヤ人に渡さじと戦わん」。(ヨハネ 18:36,ジェームズ王欽定訳)イエスの弟子たちは,政府間の戦争どころか,神のみ子を守るためであれ武器を取るべきではありませんでした。自分たちの敵をさえ愛すべきだったのです。―マタイ 5:44。コリント第二 10:3,4。

  今日でも,個人としてであれ,集団としてであれ,厳正中立を守ってきた真のクリスチャンがいます。「父の国の母たち」という本は,「エホバの証人は設立以来,いかなる国家からも断固として離れていた」と述べています。ですから,ヒトラーが恐怖政治を行なっていた間もエホバの証人は,「事実上,各々,ナチ国家に対し,いかなる従順を示すこともきっぱりと拒んだ」のです。

  それらエホバの証人は何千人も殉教の死を遂げましたが,彼らはイエスの次のような言葉を心に留めていました。「汝ら互いに相愛せば,これによりて人みな汝らの我が弟子たるを知らん」― ヨハネ 13:35,欽定。

[脚注]

b ヘルムート・ヒューベナーは1948年に復帰させられました。

[24ページの囲み記事]

聖書とモルモン教の文書 ― 対比による検討

  聖書: エデンの園の正確な場所は分かりませんが,ユーフラテス川のそばのメソポタミア地方にあったと考えられています。―創世記 2:11-14。

  「教義と聖約」: エデンの園は米国ミズーリ州ジャクソン郡にありました。―「教義と聖約」57章。大管長J・F・スミスによる説明。

  聖書: 魂は死にます。―エゼキエル 18:4。使徒 3:23。

  「モルモン経」: 「霊(つまり魂)はいつまでも決して消え失せることのできないものであ(る)」― アルマ 42:9。

  聖書: イエスはベツレヘムで生まれました。―マタイ 2:1-6。

  「モルモン経」: イエスはエルサレムで生まれることになっていました。―アルマ 7:10。

  聖書: イエスは聖霊によって生み出されました。―マタイ 1:20。

  「説教ジャーナル」: イエスは聖霊によって生み出されたわけではありません。イエスはアダムがマリアと性交をすることによって肉の体で生み出されました。―「説教ジャーナル」,第1巻,50,51ページ。

  聖書: 新しいエルサレムは天に存在することになっています。―啓示 21:2。

  「モルモン経」: 新しいエルサレムは地的なもので,米国のミズーリ州に人間によって建設されることになっています。―ニーファイ第三 21:23,24。「教義と聖約」84:3,4。

  聖書: 聖書の筆者たちは神の考えを書き記すよう霊感を受けました。―ペテロ第二 1:20,21。

  「モルモン経」: その予言者たちは自分の知っていることに従って書いたと言われています。―ニーファイ第一 1:2,3。ヤコブ 7:26。

  聖書: 十分の一税を含め,モーセの律法はイエスの死によって廃止されました。寄付は強制されてではなく,自発的に行なうべきものです。―コリント第二 9:7。ガラテア 3:10-13,24,25。エフェソス 2:15。

  「教義と聖約」: 「誠にこれは……わたしの民の十分の一税のための日なり。十分の一税を支払う者は,(彼[主]が到来される時)焼かれざればなり」―「教義と聖約」64:23。

[25ページの図版]

ソルトレークシティーにあるモルモン教の神殿のてっぺんのモロナイの像

    日本語出版物(1955-2025)
    ログアウト
    ログイン
    • 日本語
    • シェアする
    • 設定
    • Copyright © 2025 Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania
    • 利用規約
    • プライバシーに関する方針
    • プライバシー設定
    • JW.ORG
    • ログイン
    シェアする