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  • ヨーロッパにおける魔女狩り
  • 目ざめよ! 2014
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目ざめよ! 2014
目 14/5 12–13ページ
魔女と疑われた人が体重を測定されている

ヨーロッパにおける魔女狩り

数百年前にヨーロッパで,魔術を恐れる風潮が生じ,魔女を探し出して処刑することが行なわれました。そうしたことが,主にフランス,ドイツ,イタリア北部,スイス,および北海沿岸低地帯,すなわちベルギー,ルクセンブルク,オランダで起きました。「西洋における魔女狩り」(英語)という本には,「ヨーロッパとヨーロッパ人の植民地で何十万という数の人々が死に,……そのほかに,拷問にかけられ,逮捕され,尋問され,憎まれ,罪科を負わされ,あるいは恐怖心を抱かされた人の数は,幾百万にも上った」とあります。a 妄想によるそうした魔女狩りは,なぜ,どんな経緯で始まったのでしょうか。

異端審問と「魔女への鉄槌」

その背景にあるのが異端審問です。それは,「魔女狂騒」(ドイツ語)という本の説明によれば,13世紀のローマ・カトリック教会が「背教者たちを転向させ,他の信徒たちが離れ落ちるのを防ぐ」ために設けた制度で,教会のための警察のような働きをしました。

1484年12月5日,教皇インノケンティウス8世は,魔術を断罪する勅書つまり文書を出し,また異端審問官のヤーコプ・シュプレンガーとハインリヒ・クレーマー(ラテン語での別名,ヘンリクス・インスティトリス)に,魔術を一掃するために闘う権限を与えました。その二人は,「魔女への鉄槌」(ドイツ語)と題する本を著わし,カトリックもプロテスタントもそれを魔術に関する権威として受け入れました。その本には,民間伝承に基づく魔術についての空想的な物語が幾つも含まれていました。それによって,魔術に反対する神学上また法律上の論議が提出され,どのように魔女を見分けて排除するかに関する指針が示されました。その「魔女への鉄槌」は,「世界文学すべての中で最も悪質で……最も有害な本」と評されてきました。

「魔女への鉄槌」は,「世界文学すべての中で最も悪質で……最も有害な本」と評されてきた

魔術を行なったと訴える際,証拠を提出することは求められませんでした。「魔女と魔女裁判」(ドイツ語)という本によれば,裁判は「専ら自白させるため,被告に言って聞かせ,圧力をかけ,あるいは強要するだけのもの」であり,大抵,拷問を伴いました。

「魔女への鉄槌」と教皇インノケンティウス8世の勅書にこたえて,ヨーロッパで魔女狩りが大々的に始まりました。さらに,印刷機という新たな技術が開発された結果,魔女狩りは助長され,大西洋を渡ってアメリカにまで広まりました。

嫌疑をかけられたのはどんな人たちか

嫌疑をかけられた人たちの優に70%は女性であり,大抵はやもめでした。やもめには自分を弁護してくれる人がいなかったからです。犠牲者の中には,貧しい人や,年配者,薬草による治療を施した,とりわけそれによって治せなかった女性が含まれました。しかし,富んでいても,男性であっても,高い地位にあっても,嫌疑をかけられる恐れはだれにでもありました。

人々は,悪いことはみな魔女のせいだ,と考えました。「霜を降りさせたり,カタツムリや毛虫の災厄をもたらしたりして,地の種や果実を台なしにした」とされることもありました。ドイツの雑誌「ダマルス」はそう述べています。穀物が雹に打たれても,雌牛の乳が出なくなっても,男性が不能,女性が不妊になっても,それは魔女のせいにされたのです。

魔女と疑われた人が体重を測定されている

魔女には重さが全く,あるいはほとんどない,と考えられていたため,嫌疑をかけられた人たちは体重を測定された

だれが魔女なのかを,どのようにして見分けたのでしょうか。魔女ではないかと疑われた場合,縛られて“祝福された”大量の冷水の中に入れられる人もいました。その人は,もし沈むなら,無実とみなされて,引き上げられました。しかし,浮かぶなら,魔女とみなされ,その場で処刑されるか,さらに試されました。中には,体重を測定される人もいました。魔女には重さが全く,あるいはほとんどない,と考えられていたからです。

さらには,「悪魔の印」を探すことも行なわれました。その印は「悪魔が付けた,魔女との契約の,目に見えるしるし」であった,と「西洋における魔女狩り」という本は述べています。役人たちはその印を探すために,「嫌疑をかけられた人の全身の毛をすべてそり,体じゅうをくまなく検査し」ました。それもなんと,公衆の面前でそうしたのです。そして,生まれつきのあざやほくろ,いぼ,傷あとなど,見つけたどの箇所にも針を突き刺しました。刺しても痛みがないか血が出ないなら,それは悪魔の印とみなされました。

カトリックの政府もプロテスタントの政府も,魔女狩りを奨励しました。プロテスタントの支配する地域では,所によってはカトリックの支配する地域よりも厳しく推し進められました。しかし,時たつうちに道理が受け入れられるようになりました。例えば1631年,イエズス会の司祭フリードリヒ・シュペーは,それまで魔女とされた多くの人が杭に付けられて生きたまま火あぶりにされる際に付き添いましたが,自分の見たところではそれらの人のだれも有罪ではなかった,と書きました。そして,もし魔女狩りがいつまでも続くならドイツには人がだれもいなくなってしまう,と警告しました。その頃,医師たちも,発作などの症状は悪霊に取りつかれたのではなく健康上の問題と関係があるかもしれない,ということを認めるようになりました。それで,17世紀の期間中に魔女裁判の件数は激減し,その世紀の終わり頃にはほとんどなくなりました。

そうした暗黒時代を振り返ってどんなことが分かりますか。それは,自らをクリスチャンと唱えていた人たちがイエス・キリストの純粋な教えを宗教上のうそや迷信で置き換え始めた時に,ひどく悪らつなことを行なうようになった,ということです。聖書は,そのような不忠実な人たちによって真のキリスト教が汚されることを予告し,「真理の道があしざまに言われるでしょう」と警告していたのです。―ペテロ第二 2:1,2。

a ヨーロッパ人の植民地には,南北アメリカも含まれていました。

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