あなたはどちらを信じますか ― 進化それとも創造?
進化を信じているなら,あなたはそれを立証できますか。
創造を信じているなら,あなたの信仰は事実に立脚していますか。
進化と創造 ― あなたはどちらを信じますか
あなたは何百万年も昔にいたサルに似た獣の子孫ですか。それとも,人間の最初の先祖は神によって創造されましたか。
今日の学校の教科書はたいてい,人間は獣から変わってきたと述べています。そして今日の科学,歴史,哲学,そして宗教においてさえ,わたしたちは進化が確証された事実のごとく扱われているのを見ています。
しかし,現代進化論の父とされるチャールズ・ダーウインが「種の起源」の中で認めたことに注意してください。「ここまで来る以前に読者の心には幾多の難問がわいているだろう。そのあるものはきわめて重大であり,それを考えるとき,わたしはいまだに多少の動揺を禁じ得ない」。ダーウインがその理論上の難問のために「動揺」していたなら,当時の進化論はどこまで事実に立脚していましたか。
以来一世紀余にわたる調査と研究は何を示しましたか。「サイエンス・イヤー」1966年版はこう伝えました。「数々の功績をあげたとはいえ,考古学は人類史の復元というぼう大な仕事の手始めの域をまだ出ていない」。また「大英百科事典」1946年版は,進化論について,「このような変化をもたらしたしくみについて我々はまだ無知である」と述べています。そして進化論者W・ル・グロウ・クラークは,「人間の根本的な起源は何か。……遺憾なことに,こうした疑問に対する現段階での答えはすべて……推測の域を出ない」と語りました。さらに,「科学アメリカ」1966年11月号は,「現代人に至る進化の系統は……まだ純然たる仮説である」と述べました。そしてアメリカ,ノースウエスタン大学の科学者M・マリニは,1967年に,「ある哺乳動物が別の哺乳動物に進化しつつあるということを,生物学上の現実の証拠をもって示した者はいない」と語りました。
進化論上の諸説
証拠の不足を補って進化論を説明するためにさまざまな説が提出されてきました。しかしそれらは科学上の事実によって次から次に否定されてきました。
下等生物は無生の物質から自然に発生すると考えられた時代がありました。しかし顕微鏡の発明とパスツールの研究とによって,この自然発生説は否定され,退けられました。「あなたの生物学」という本はこう述べています。「我々がこれまで生物学的に研究した動植物のすべては,その子孫を自分のからだからのみ生み出し,それ以外の方法で生み出すことはない」。
ついで獲得形質遺伝の説が提唱されました。これは,環境の影響で生物のからだに小さな変化が生じ,その特質がのちの世代に伝えられてさらに発展し,やがて何百万年もするうちに新しい種族が出現するという説です。しかし現代の遺伝学はこの説の誤りを証明しています。獲得した形質は遺伝しません。
後にダーウインは,生存競争を通じて有益な変異が自然選択され,強い者が生き残ってより高等な生物に進化すると唱えました。しかし単なる生存によって一つの生物が別の種類の生物に変わるわけではありません。また目,耳,心臓などの器官をこの説によってどのように説明できますか。こうした器官は十分に発達しなければ役だたないのです。また完全に整うまでは役だたない母親の乳房は幾千年にもわたってどのように発達を続けたのですか。こうして自然選択説は不十分なものであることが示されました。
では今日,進化論は一般にどのように説明されていますか。小さな突然変異が重なり,そうして起きる変化が進化となったと説明されています。しかし事実はどうですか。この分野の研究でノーベル賞を受けたH・J・ミューラーは,「突然変異のほとんどは不良な変異であり,優良な変異はきわめてまれであるから,突然変異はすべて不良であると見てさしつかえない」と語りました。それで,今日の進化論の中心である突然変異は進化を少しも支持していません。むしろ突然変異は生物の退化傾向を示しています。突然変異が大きければ大きいほど,その生物は奇形的になります。
事実と一致するのはどちらですか
進化論と聖書の創造の記述とを比べる場合,事実と適合しているのはどちらですか。
進化論は,単一の細胞が幾百万年ものあいだに複雑な形態の生物に徐々に発達したと論じています。しかし地質学上の事実は,複雑な形態の生物が突如として出現したことを示しています。それで進化論者はこうした証拠の不足について,「我らの住む世界」という本のごとく,「地殻に刻まれた年代記の少なくとも四分の三は白紙である」と結論しています。さらに,最古の化石を見ても,動物は非常に多くの科や類に分かれており,主要な種類の間をつなぐ鎖の環は発見できません。ハーバード大学の動物学教授A・S・ローマーは,「『鎖環』は我々が最も求める所にかぎって見あたらない」と語りました。別の学者D・トムスン教授は,「科から科,類から類へ移るごとに……一つの境界を越えねばならない」ことを認めました。
聖書の次の記述はこうした科学上の事実と一致しています。「神いひ給ひけるは 水には生物さはに生じ 鳥は天のおほぞらのおもてに地の上にとぶべしと……神いひたまひけるは 地は生物をその類に従ひていだし 家畜とはふものと地の獣をその類に従ひていだすべしと すなはちかくなりぬ」― 創世記 1:20,24。
進化論は人間がサルに似た獣から徐々に進化したものとしています。しかし考古学上の発見は文明がそのはじまりにおいてすでに高度のものであったことを示しています。聖書はこの事実と合致しています。聖書は人間が当初完全であり,以後堕落の課程にあることを述べているのです。進化論が正しいとするなら,人間の寿命はいま最も長くなっているはずです。しかし考古学者は古代人の寿命が今よりずっと長かったことを確証しています。聖書は古代の人間が今よりずっと長く生きたことを述べており,この点でも事実と一致しています。―創世記 11:10-32。
進化論者は人間の言語が動物のほえ声やうなり声から発達したと教えています。しかし事実から言えば,最古の言語は最も複雑であり,現代の言語はそれを簡略化したものです。聖書はこうした事実と合っており,最初の人間が言語の使用において完全であり,新しいことばを作って鳥や獣のすべてに名をつけたことを示しています。あなたはその十分の一にさえ名前をつけることができますか。―創世記 2:19,20。
最もりこうな獣と人間とのあいだにも大きな隔たりがあります。人間は獣をはるかに上まわる知的また精神的能力を備えています。人間は前代の知識を集積し,その上に新たな知識を積み重ねてゆくことができます。人間以外の動物でこれを行なえるものは一つもありません。動物は知的な面ではいつまでも先祖と同じ段階にとどまっています。動物がかなりの知恵を示すこともありますが,それはその動物自身が働かす知恵ではなく,創造者によって植え込まれた遺伝的な本能です。
進化論は知的な面で人間と獣を分けるこの非常に大きな隔たりの理由を説明できません。しかし聖書は説明できます。神はこう言われました。「我らにかたどりて我らのかたちのごとくに我ら人を造り これに海の魚と天空の鳥と家畜と全地と地にはふ所のすべてのはふものを治めしめん」。(創世記 1:26,27)人間は動物にではなく,神にかたどり神のかたちにならって造られたのです!人間が豊かな知覚力を持ち,物事を推論し,論議を比較し,論理を考え,善悪を判断できるのはこのためです。
紙面の都合でここではこの問題について簡単に説明したにすぎません。しかし,248の科学的な参考資料に基づいて,詳細な証拠を説明した本を以下に紹介します。
ここに引用したのは日本聖書協会発行の「旧新約聖書」(文語)です。
進化と創造 ― 人間はどちらの結果ですか
進化論は世界中のたいていの国で教えられています。生命や人間の起源が論じられるときには,必ずといってよいほど進化論の用語を用いて論じられます。しかし進化論は科学上の事実と一致しません。進化論について著名な進化論者自身が述べたことばを読んでください。この問題を注意ぶかく調べてください。それはあなたの命と将来とに直接結びついているからです。堅い表紙を付した192ページの本「進化と創造 ― 人間はどちらの結果ですか」をお求めください。1部100円のご寄付でおてもとにお送りします。
[3,4ページの図版]
人間と他の動物には大きな隔たりがあります。類が違うからです。