ヱホバの声を聞くこと
1 エホバに何を献げねばなりませんか? そして何故ですか?
詩篇 29:3-9でエホバは天から雷や雷光が来り,レバノンの大きな香柏さえもマッチの棒のように折りくだかれると示している。荒野の山々は震動するであろう。エホバ神を崇拝せぬ故に,地上の国々は宇宙の至上支配者によつて同じように震い動されるであろう。この世界の偽りの神々は皆滅ぼされねばならぬ。偽りの神々への場所は無いのである。詩篇 29:1に『エホバに献げまつれ』とある。それは正しき物をエホバ神に与え帰属せねばならぬという意味である。私達に生命を与えたのはエホバではなかつたか? エホバは人間そして地のすべてのものの創造者ではなかつたか! 讃美を除いて一体何を私達はエホバに与えることが出来るのか! 私達は感謝の気持を持たねばならぬ。私達は感謝の気持を示さねばならぬ。それで偽りの神々ではなく,エホバを崇拝せよ。
2 歌でモーゼはエホバに何を帰しましたか? そして何時ですか?
2 行いや話すことによつて私達はエホバ神の大いなる能力・至上さ・力・そしてエホバ神の栄光を認めるということをエホバ神に示すことが出来る。エホバ神が紅海を横切つた時モーゼに勝利を与え,パロとパロの軍勢の破滅をモーゼに見せられた時,モーゼはエホバに歌を歌つた。40年の後モーゼは別の歌を歌つた。その歌はこのように始まる『天よ耳を傾けよ。我語らん,地よ吾口の言を聴け。わが教えは雨の降るがごとし,我言は露のおくがごとく,小雨の若草の上に降るごとく,霧雨の青草の上にくだるが如し。我はエホバの御名を頌揚げん,我らの神に汝ら栄光を帰せよ。』(申命 32:1-3)
3 今日誰がこの歌についてのモーゼの行為に従つていますか? そして誰が従つていませんか?
3 今日エホバの証者はエホバの御名を頌揚げ,彼等の神に至大さを帰している。エホバの証者は神の玉座より降る恵みと天から来る祝福を感謝している。新しい世の社会内で今日私達はどのように生活すべきかについてのエホバの教えと指図が理解出来るのでエホバの証者は感謝している。確かに神の祝福を受けながらも,その受けた祝福に対して神に栄光を与えないものは多数いる。真にそのことはイスラエル人についても言えるのである。イスラエル人は紅海を通り,荒野を旅した後に神から離反した。彼等は不平な気持を抱いた。最高者への崇拝を続けなかつたのでモーゼがイスラエル人に教えた歌は彼等の気持から消え亡せた。イスラエル人はきよき美しきものをもてエホバを崇拝していた者から遠ざかつた。そして彼等は孤立し異教の神々に向つた。
4 これに関連してイエスのどんな奇蹟的な治癒を私達は覚えていますか?
4 読者は10人の潔められた癩病人のことを御存知であろう。その時イエスは北部パレスチナを歩かれていた。10人の癩病人がおり,イエスは10人すべてを潔められた。それを為した後イエスは『行つて祭司に自分を見せなさい。』と言つた。イエスがこれを言われた理由は潔められた癩病人が崇拝の場所でエホバ神に讃美を捧げる為であつた。祭司を通じて神えの讃美の犠牲を捧げるべきであつた。このことはエホバの取り極めに従うことであつた。だが次のことは不思議ではなかつたか! すなわち10人のうちたつた一人だけが自分の潔められたのを見,そしてこのことを喜んだ時に,大声で神を讃えんとイエスキリストのところに戻つたのである。その人はイエスの足を求め探した。かく与えられた祝福に感謝を捧げたのはサマリヤ人であつた。イエスはこの人に言つた『潔められたのは十人ではなかつたか! あとの九人は何処にいるか。この他国生まれの人のほかには帰つて来て神を讃めたたえる者はないのか。』ルカ 17:17,18(口語訳)
5 今日多くの人は,自分の事だけ考えた9人の潔められた者達とどのように似ていますか? いくらかの者はどのようにサマリヤ人と似ていますか?
5 今日エホバの音信<メッセージ>を聞く者は多い。又神に自分を献身した者は多い。だがほんの少しの期間だけである。確かにそれらの者は癒された,しかし何処でそれらの者は『神えの栄光』を捧げているのか! それらの者は数週間,数ヶ月,もしくは数年間エホバの証者達と交際る。だが彼等は癒されたことに対してエホバ神に感謝を永続に示さない。彼等はエホバを崇拝していない。讃美の歌を歌わない。又外に出掛けて別に人々の家を訪問せず,学んだところの良き音信を人々に伝道しない。彼等は聖書研究を行はない。聞かんと欲する者の処に再訪門をしない。神の言を深く学ぼうともしない。きよき美わしきものをもてエホバを崇拝しようとは欲つしない。彼等は少しの間交際るが離れ去るのである。イエスの側に来てすこしの間イエスの祝福に分け与かつた9人の潔められた癩病人と同じようにそれらの者はエホバの祝福に対してエホバに栄光を与えない。今日エホバの証者はすべて伝道しているが,この古き世から完全に出で離れ,エホバの組織と共にエホバに崇拝し始める者はそう多くない。そうする責任はそれらの者にある,というのは彼等は知識を持ち,理解もあるからである。感謝ということは素晴らしいことである。神の言を学び,エホバの全組織と共にきよきうるわしき物をもてエホバを崇拝する者は次の事柄への感謝をよろこんで天に在す神に示すのである。すなわち真理を知り得たこと,そして神の御国が今や出来たことを認め得ること,御国は設立されて今在ること,程なくして御国の力を持たれるキリストイエスは地の国々にイエスの力を示し,そしてイエスは悪魔なるサタンとサタンの悪魔組織諸共に国々を打ち砕くこと等である。
6 この世から引離れるためには何が必要ですか? 円熟するにはこの性質はどのように定期的に行使されますか?
6 このけばけばしく派出な世界から離れ去るためには各人は信仰を持たねばならぬ。だがこの信仰は神の言を注意深く学ぶことに依つてのみ来るのである。このことは地上の神の僕たちすなわち神の奴隷たちが絶えず聖書研究に行き,兄弟達と会うのは何故そう必要であるかの理由である。神の僕たちはアブラハムが信仰を持つたと同じく信仰を持たねばならぬ。神の力は聖なる言を通じて我々に作用し,我等を良き僕にせしむることを感謝せねばならぬ。人が真理に接する時その人は只の新参者であることを認識すべきである。人は生長する。一生の間幼児でいるべきではない。人はエホバの言の知識と理解をもつと多く得ることが出来る。聖書研究をするのにエホバ神に信仰があるならば人は聖書研究を指導することが出来る。神の言について何か知つているということをエホバ神に信仰があれば人はワッチタワー研究の時に註解を述べることが出来る。人は神の民の集会に来ることが出来,絶えず知識を得ることが出来る。人はエホバの証者の神権宣教学校に参加出来,講話のプログラムに加わることが出来る。かくして信仰と研究そして熱心に努力をすることによつて人はエホバの組織の公開講演者になれる。しかしそれには信仰が必要である,そして読者も御存知の通り,なんらの努力又は行為の無い信仰は死にたるものである。あなたの信仰を生きたものとしなさい。9人の忘恩者のようでなく,あの感謝の心を持つた一人の如く栄光を神に帰しなさい。
7 誰の信仰が例として出されていますか? 信仰を行はないと,どういう結果ですか? 又信仰を行うとする努力はどういう結果ですか?
7 あまりに多くの人が『私にはそれは出来ない。その仕事は私の仕事ではなかつた。』と考える。しかし神の組織の下に来る者は誰でもが良き奉仕者・良き伝道者にならねばならぬ。それはきよき美わしきもので真の崇拝を行うことについての訓育の一部である。さてアブラハムの信仰を見よう。神がアブラハムにサラは約束の苗裔,すなわち自由の婦の息子を生むと言つた時アブラハムは老人であつた。パウロはアブラハムの妻サラは石女であつたと言つている。『神の約束に疑いをさしはさむような不信仰なことをせず,かえつて信仰により体力を与えられ,神に栄光を帰し,約束されたことが可能であり実現すると確信するに至つた。だから彼の信仰は彼に対して義と認められたのである。』(ロマ 4:20-22口語訳)不可能と見えることもエホバの助けを得るならば出来るというような信仰をあなたは持つていますか! その助けはあります。エホバの助けを用いなさい。あなたの出席するすべての会合にその助けを働かせなさい。あなたは奉仕者になり得ないと信じますか! エホバの神の良き音信を宣明出来ませんか! 若しそうならあなたは信仰が足りず奉仕者にならないであろう。あなたは努力もしないであろう。しかし若しあなたが信仰を持ち,エホバの力を信じ,研究に努力するならば,そして研究の会合に出席し,知識を得,神の言から真理を学び,神の民すべてと共に神を崇拝すれば,あなたはエホバの大いなる組織の中できよき美しきものをもてエホバを崇拝するであろう。あなたは神に栄光を帰せることが出来る。
聴くべき時
8 詩篇 29:3によるとエホバの声は誰に向つて言い表わされますか? それに対して人々はどういう態度を示しますか?
8 今日エホバの僕達だけでなく地上のすべての国民にも,エホバの証者の御名宣明の伝道によつてエホバの御名は知らしめられるであろう。しかしもつと大きな証言は為されるであろう。何故ならエホバは不思議な所為を行つて自分自身を現すであろう。詩篇 29篇の記者はおそろしい,そして強烈な嵐を描写している。嵐は怒りにたけ狂う自然の力である,しかしその力の後ろにはエホバ神が立たれており,神に名誉をもたらすハルマゲドンでエホバは嵐を支配するのである。3節はかく言う『エホバの御声は水の上にあり,栄光の神は,雷をとどろかせたもう,エホバは大水の上に在せり。』エホバの声は,雷の中に聞かれる。丁度エホバがエジプトでパロを打つたのと同じく人々はハルマゲドンの戦いで誰が地の国々を打つかを知るであろう。シュツエジプト記 9章23節は次のように言つている『モーセ天にむかいて杖を伸べたればエホバ雷と雹を遣りたもう。又火いでて地に馳せエホバ雹をエジプトの地に降らせたもう』人々はエホバの声を人間,獣畜そして地に示された憤怒の中に聞き又感じた。しかしエホバの選民のいたゴセンの土地では雹も降らなければ嵐も無かつた。この災いも又パロに為された他の災も只パロの心を固くしただけであつた。パロはエホバの御名も,エホバの栄光も,エホバの力も認めようとはしなかつた。パロはエホバの声を聞こうとはしなかつた。ハルマゲドンの戦いが起る時地の人々も又エホバの声を聞こうとしないであろう。人々は今こそエホバの忠実な証者達を通じてエホバの声を聞くことが出来る。ハルマゲドンの時聞くのでは遅過ぎる。最後の時になつても人々が自分は悪かつたと告白しエホバの側に走るということはないだろう。そのような事は全く無いであろう。人々はいつもエホバの声を聞く時心を固くした,それと同様に人々は将来とも心を固くするであらう。
9 何故今がエホバの考を聴く時ですか? どうして人々はエホバの声が聴けますか?
9 今こそ人々はエホバの声を聴くべき時である。今こそ人々はエホバの言と,エホバの僕達すなわち御国の音信<メッセージ>を宣明している地上のエホバの証者達に聴くべきである。今こそ学びそして見出すべき時である。ハルマゲドンの時では遅過ぎるであろう。今何故あなたの心を固くしつづけるのか! 何故エホバをあなたから遠去けるのか! 何故エホバの声を聴き,エホバの言われることを知ろうとしないのか! エホバの声を真に聴く者はきよき美わしきものをもてエホバを崇拝するであろう。詩篇記者は霊感を受けて『エホバの声は大水の上に在り』と書いた。詩篇記者はエホバが御自身を示される嵐に就いて書いていたのである。エホバは間違いなくエホバの大いなる日の戦いの時に天より力を示されるであろう。エホバの声を聴くのに何故その時まで待つのか! ―エレミヤ 10:12。詩 24:7。
10 今日人々が神の声を聴かないのはどのような具合ですか? そういう人々にはどんな結果が来ますか?
10 詩篇 29:4でダビデはこのように言う『エホバの御声はちからあり,エホバのみこえは稜威あり。』今日世界の人々でエホバの声を信ずる者は少いということは本当である。人々はエホバの言を聞かない。しかしエホバは自分で行つた事により自分の言を証明した。世の人々は神の言を軽蔑する,だがその人達はそのことの結果を甘受しなくてはならぬ。それは民数紀略 15:31に記されてある『斯る人はエホバの言を軽んじその誡命を破るなるが故に必ず絶たれその罪を身に受けん』
11 私達は神の言の中で私達の信じたいところだけ選ぶことが出来ますか! そして今日神の子達に神は何を要求していますか?
11 神の言を知る者はすべて神の言に従うべきである。というのは神の言は聴く者に生命を意味するからである。従うと欲する聖書のある部分だけちよつと抜萃して聖書の他の部分を忘れよ,などと神は言つていない。全く現在の多くの宗教指導者達は自分達の信じたいと思うところだけを選んでいる。だからエホバの証者が僧侶やその宗派の人達と話し聖書を引用すると,人達はいつも『私達はそのところを信じない』と言うのである。エホバは聖書のどの部分を私達が信じたく思つており又聖書のどの部分を信じたくないのかなど尋ねていない。エホバは私達に命令を与えている。エホバはその命令を御自分の言の中に明白に述べている。『我が今日なんじに命ずるところの諸々の誡命を汝ら謹んで行うべし。然せば汝ら生ることを得かつ殖増しエホバの汝の先祖等に誓い給いし地に入りてこれを産業となすことを得ん』(申命 8:1)神の子イエスは神の言を全部よろこんで受け容れた。その神の言は律法と予言者と詩篇として与えられたものであつた。イエスは神の言葉に従つて生活し,そしてイエスは不朽の生命を受けた。実際にイエスが苦しみの杭で殺されてから僅か3日の後に天に在すイエスの父はイエスを死から甦らせたのである。そして天の父はイエスが以前持つていたよりも更に大いなる栄光をイエスに与えた,というのはエホバは敵を足台にする時までイエスを右手の座に坐らせたからである。エホバがイエスキリストに誠実を要求したのと同じように今日でもエホバの子達に誠実を要求している。次の事を言つた時モーセはこのことをはつきり心に留めていた『汝の神エホバは神の神主の主大いにしてかつ権能ある畏るべき神にましまし人を偏り視ず。また賄賂を受けず。孤子と寡婦のために審判を行いまた旅人を愛してこれに食物と衣服を与えたもう。』(申命 10:17,18)
12 どれ程の期間私達は神を崇拝しなくてはなりませんか? 神の声を無視することは災をもたらすという点について不忠実なイスラエル人の例はどう教えていますか?
12 私達は至上の神の僕となつてほんの少しの間だけ崇拝を捧げ,それから後自分勝手なことをし,しかも猶永遠の生命を得ようと期待することは出来ないであるから『然ば汝の神エホバを愛し常にその職守と法度と律法と誡命とを守るべし』(申命 11:1)は必要なことである。神が言つている御言は重要なものである。私達が注意を払わねばならぬのはエホバの声である。私達がエホバの前に先んじて物事を自分自身で決定しそして『私達はこの方法か又はあの方法でする積りである。神は間違いであるとは言えないのである。神の忠告を受け容れ,神の声を聴く方が遙に良いことなのである。(申命 1:41-46)或る時エホバは不忠実なイスラエル人に出て行つてはならぬ,そして敵と戦つてはならぬと命じた,しかしイスラエル人はもつと良いことを考えたと思い込んでいた。イスラエル人は山にのぼり反対した敵と戦うとした。その結果はどうであつたか! イスラエル人は敗れ,鞭打たれ,そして散らされた。エホバは山に登つて敵と戦つてはならぬと命じたのである。エホバはモーセに『汝かれらに言え,汝ら上りゆくなかれ又戦うなかれ。我なんじらの中間におらざればなり。汝ら恐らくはその敵に打敗られん』と言われたのである。(申命 1:42)イスラエル人は非常に僭越な事をして神の命令にそむいて山に上つた。エホバの声に反対したが故に打ち敗られたのである。
13 神の言にたいして何故一人は人として不遜な態度を採り,高ぶつてはなりませんか?
13 私達はエホバの言は権威を持たれているということを記憶せねばならぬ。エホバのは正しく,力あるものである。エホバの言を信じなさい。人は一人として神が言の中で述べていることに不敬の念を示してはならぬ。神の言は神の声である。神は全宇宙の中で最も威厳ある方である。神はもつとも権威ある方である。他の者で神よりも大いなる知識と智を持つている者はいない。神は全能者であり,至上者である。私達は神に尊敬を捧ぐべきである。自らを誇り高く思つている者はハルマゲドンの戦いで必ずや低くせられるであろう。ハルマゲドンの戦いの時エホバの声は天の嵐の中に聞えるであろう。人の傲慢さが卑くせられることに就いて予言者イザヤは次のように言つている。『そは万軍のエホバの一の日あり。すべて高ぶる者おごる者みずからを崇むる者の上にのぞみて之を卑くし,又レバノンの高く聳えたるすべての香柏バシャンのすべての橿樹・・に臨むべし』イザヤ 2:12,13。
14 詩篇 29:5,6によると象徴的なレバノンの香柏と山自身に何が起ると示していますか?
14 ハルマゲドンの戦いが起る時,たとえレバノンの大きな香柏になぞらえられる程の者がいようとも,人はたしかに小さくそして弱い者に見えるであろう。これらの大きな木はイスラエルの北にある高い山々の上にあつた。たとえ大きく又幾世紀を経たようなものであつてもエホバは低くせられるであろう。詩篇 29:5は『エホバのみこえは香柏を折りくだく,エホバレバノンのこうはくを折りくだき給う』と記している。エホバはこれらの木々を折りくだき,根を引き抜く時,丁度壮い犢が跳び廻るように木々はレバノン山の雪に覆れた山腹を跳ぶであろう。6節は『これを犢のごとくおどらせ,レバノンとシリオンとを壮き野牛のごとくおどらせ給う。』と言つている。小さな戯れている犢は跳び廻り,遊び廻る。犢は自由奔放に駈けずり廻る。読者は巨大な香柏が山腹を躍り跳び廻るのを想像出来ますか! 何人も出来ない,しかしレバノンのすべての香柏はエホバ神の力ある行いによつて卑くせられるであろう。木が動かされるだけでなく,地が文字通りに震動するであろう。エホバの声はこれらのことが起ると言つている。『山は牧羊のごとくおどり,小山は小羊のごとく跳れり。』(詩 114:4)『このときエホバ怒りまたいたれば地はふるい動き山の基はゆるぎ動きたり。』(詩 18:4)エホバが地の人々に怒りを示される時人々はたしかにエホバの怒りを知るであろう。このことは小さな事柄ではないのである。
15 詩篇 29:7,8はどの程度にまでエホバは破滅を行うかをどう示していますか? それで今は何をする時ですか?
15 『エホバのみこえは火焰をわかつ。エホバの御声は野をふるわせ,エホバはカデシの野をふるわせたもう。』(詩 29:7,8)これは詩的な表現で雲から突き出る雷光を描写している。又確かにハルマゲドンの戦いの間には大きな地震があろう。現在も地震があるが,その時にはもつとひどいものである。今こそこれらのことを告げ知らせる時である。人類の世に降りかかる差し迫つた破滅の警告を与えるのは今である。人々に来るべき嵐を告げるのは今である。嵐が来る時又は嵐が過ぎ去つた後ではない。詩篇 29篇の嵐は只パレスチナの北部の山々の附近だけを吹くのではなく,荒野の最南端カデシにいたるまで,地の端から端まで全ての土地を吹き荒ぶと言つている。このことはエホバ神が全地上を吹き去り一国として安全なことはないと示している。
嵐の間中に於ける保護
16 嵐の間中,保護は何処にありますか? 保護の下にある人々は何と言いますか?
16 エホバの保護の下に来る者とはただエホバの声を聞いた者だけであろう。エホバは9節でかく言つている『エホバのみこえは鹿に子をうませ,また林木をはだかにす,その宮にあるすべてのもの呼わりて栄光なるかなと言う』その時はそれ程までに恐ろしい時であるから子を孕んでいる野の動物さえも時期より早く子を産むであろう。この嵐は恐ろしく烈しいものであるから木でさえも枝や葉さらには樹皮も裸にむしりとられるであろう。だがこの嵐,この人々に対するエホバの怒りのあらわれ,このエホバの力のあらわれ,ハルマゲドンの戦いで人々に話すエホバの声が行われている間エホバはかく言う『その宮にあるすべてのもの呼わりて栄光なるかなという』確かに神を理解し,神の子を通じて神を知る者は『栄え』と言うであろう。エホバこそ栄光を持たれる方である。その人達は清き美わしきものをもてエホバを崇拝するであろう。天と地でエホバを崇拝するあらゆる被造物はこの日非常に喜び合うであろう,というのはこのことはエホバの御名と言が宣明されたことを意味するのである。このことはすべての悪と悪魔の組織が完全に滅亡されたことを意味するのである。
17 どのようにエホバは洪水の時王としていましたか?
17 天と地に行使される素晴らしい力についてのこの美しい描写は詩篇 29の10と11節で次の如く結論づけられている。『エホバは洪水の上に坐したまえり,エホバは宝座にざして永遠に王なり。エホバはその民にちからをあたえたもう。平安をもてその民を祝福たまわん。』エホバが洪水の時に王であつたということについてエホバの証者達は一点の疑いも持つていない。ノア・ノアの妻・ノアの3人の息子及び妻達はエホバの声を聞いた。そしてこの8人の指導の下,素晴らしい排列の中に動物達は方舟の内に入つた。方舟の戸は閉り,それから洪水が来た。エホバは洪水の時王として坐されていた。あらゆるものはエホバの完全な支配の下にあつた。エホバが天を開き,大水が地上に降り注いだ時,そして洪水がいたるところから来た時,エホバは絶対の支配を持たれていた。そしてエホバは敵を滅ぼし,偽りの神々と息子達,及び神々の崇拝者を無にしたのである。大水の上に浮かんだ者はノアとノアの家族及び神が洪水の間生存させようと望まれたものであつた。エホバは絶対の支配者であつた。エホバは王であつた。
18 又ハルマゲドンの時エホバはどのようにして王として坐されますか? 避難所はどこでしようか?
18 ハルマゲドンの戦いの時もそのようであろう。エホバは絶対の支配を持ち,そして神の子に悪魔と悪魔の組織を滅ぼし,エホバ自身の民を保護するに当つて何をすべきかを教え命じる。エホバの証者はたしかに至上支配者エホバに全幅の信頼を置いている。たとえ地上にこの恐ろしい状態があろうとも又たとえ敵の心は恐怖に満ちようとも,エホバの僕たちには避難所がある。詩篇記者の書いた言葉を想起せずにはいられない。それはかく記されている。『神はわれらの避所また力なり。なやめる時の最ちかき助なり。さればたとえ地はかわり山はうみの中央にうつるとも我等はおそれじ。よしその水はなりとどろきてさわぐとも,それ溢れきたるによりて山はゆるぐとも何かあらん』(詩 46:1-3)
19 この位の期間に亙つてエホバは王ですか? 何故私達は来たらんとする患難を恐れませんか?
19 エホバが王であつたのは洪水の時だけではなかつた。エホバは永遠に王として又支配者として坐されていた。アダムがヱデンの園で神に逆つた時からもエホバは王であつた。洪水の後にサタンが組織を再建しても,エホバはただサタンとサタンの組織が存続するのを許しているにすぎない。というのはかくすることによつてエホバは御自身の力を示すことが出来るからである。エホバは洪水の時に力をはつきり示された。エホバはハルマゲドンの戦いの時に御自身の力を再び示されるのである。そしてエホバは永遠に,未来永久に亙つて王として坐されるであろう。エホバの証者は起ろうとすることに恐れを持たない。又多くの土地でエホバの証者は迫害を受けているが,その迫害に附随して起ることについてエホバの証者は恐れていない。何故ならエホバの証者は『万軍のエホバはわれらと偕なり,ヤコブの神はわれらのたかきやぐらなり』を知つているからである(詩 46:11)。エホバの証者はこのすべての患難の終りは新しい世界での平和・繁栄・祝福をもたらすことを固く信じているのである。
20 この大いなる戦いを何故私達は待ち望みますか? その戦いが起るまで待つのに何故私達は下平を言いませんか?
20 現在世界に住んでいる神の民達は多くの反対と会う。エホバの民達は苦しめられ迫害される。しかしその間にあつて御国の福音を伝道するため,又エホバの御名を知らしめるため,エホバの証者は精一杯働かねばならぬ。そしてエホバの証者はそれをみな喜びと見做し信じているのである。人々が憎しみを持とうと,そんなことにエホバの証者は落胆しない。エホバの証者は大きな戦い,患難の時を待ち望んでいる,というのはその後には平和が与えられるからである。彼等は待ち切れない程わくわくした気持でその時を望んでいない。エホバの証者は忍耐強い。エホバの証者は嵐が起るまで待つことに不平をこぼさない。というのは彼等は今から最後の戦いの時までの間大いなる仕事が遂行されねばならぬことを知つているからである。その大いなる仕事とは証言のため神の御国の福音を全世界に伝道するという仕事である。その仕事をしている間エホバの証者はきよき美しきものをもてエホバを崇拝しているのである。
21 どんなことにもかかわらず私達は伝道し続けますか? ヨシヤパテの時代のような状況の下にあつてもどのように伝道し続けますか?
21 今エホバの証者は手に大きな仕事を持つている。又あらゆる国の宗教家達はエホバの証者の仕事に反対していることをも知つている。又すべての国の支配者達は福音<メッセージ>に反対していることをも知つている。共産主義者はエホバの証者がエホバ神の御国について伝道するのを拒絶する。そのわけは共産主義者達はただ一つの政府形態が地上に在るべきで,その政府は共産主義的なものであると信じているからである。その時どうして人に神の御国と御国の平和な支配について話させるだろうか? 共産主義的な反対又は他の者の反対があろうともエホバの証者は失意落胆しない。あらゆる迫害にもかかわらずエホバの証者は伝道する。エホバの証者は丁度ヨシャパテとその臣下のようである。『かくて皆朝はやく起きてテコアの野に出ゆけり。其いずるに当りてヨシャパテ立て言いけるはユダの人衆およびエルサレムの民よ我に聴け,汝らの神エホバを信ぜよ然ば汝ら堅くあらん。その予言者を信ぜよ然ば汝ら利あらん。彼また民と議りて人々を選び之をして聖き飾を着けて軍勢の前に進ましめエホバに向いて歌をうたい且つこれを讃美せしめエホバに感謝せよ其恩恵は世々かぎりなしと言わしむ』(レキダイ下 20:20,21)最高者に讃美の歌をうたうことをエホバの民はその時等閑にしなかつた。今日のエホバの民もそうではないであろう。エホバの民は貧しい者に良き音信<ニュース>を伝道し,此の世の神の囚人達を解放するという素晴らしい特権を有している。サタンとは此の世の神の名前である。
22 どのように私達は己をエホバの奉仕にささげますか? なんという年度の聖句に私達は従いますか?
22 ここに於いて時は伝道すべき時である。世界の人々を慰め,人々に新しき世の神について語るべき時である。エホバは新しき世の神の御名である。神の僕達は献身し,よろこんで神に奉仕している。エホバの僕達はよろこび勇んで前進する。エホバの僕達は詩篇 110:3(ア訳)をいつも念頭に置いている『汝の力の日に,なんじの民はきよきうるわしきものをもて,心よりよろこびて己をささげる。』ことによろこび勇んでエホバの証者達は前進し,現在仕事をしている。至上者に讃美の歌をうたうために,恰も一人の人の如く互いに協力一致してエホバの証者は今働いている。エホバの声を聴いている故になんというよろこびをエホバの証者は持つているのだろう! それでエホバの証者が1953年の暦<カレンダー>に選んだ聖句の言葉の中にエホバの証者は『清き美わしき物をもてエホバを拝め』に従うであろう。(詩 29:2ア標)