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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1953
塔53 8/15 293–295ページ

ニサランド及び南部ロデシヤに於ける真実の崇拝

ワツチタワー協会々長エヌ・エイチ・ノア氏のアフリカ旅行報告の続き

ヨハネバーグを去ると,我々の次の寄留地は,ニサランドの商業中心都市,ブランティアでありました。多くの新しく舗装された道路や新しい建物のためにブランティアの一般的な外観は我々が5年前当地を訪問した時より非常に改良しているようでした。然しながら,御国の福音を押し進める問題は以前と変らないで進歩していません。欧洲人の兄弟達は聖書と組織的活動についてもつと理解を明瞭にさせる為にアフリカの人々に援助をせねばなりません。そして此の故に協会では数年間も多くの欧洲人の兄弟達を派遣しようと試みてきました。併し,現在に到るまでこの事が許可されなかつたにも拘らず伝道の業は好調に進歩して来ました。そして証者の数は4918名から1万1244名に増加しています。

12月の18日にニサランドに於ける大会が開始されました,ヘンシェル兄弟がブランティアのすぐ郊外にあるリムに集つた兄弟達に奉仕している中に,私は支部の僕であるマックルーキー兄弟を同伴して,もう一つの大会が開催されつつあるリイロングゥに飛びました。

リイロングゥの大会のために兄弟達は長さ100ヤード幅30ヤードもある大きな日覆を作りました。これは日光と雨を防ぐことが出来ました。というのはこの日覆にはひさしのついた屋根がついていたからです。そして2500の人々が出席して大変楽しい時間を過したのです。或る人々は大変遠いところから来ましたし,或る一部の人は北部ロデシアの国境からでさえやつて来ました。此等の人々は非常に秩序正しくそして大変注意深いようでした。ニサランドのヱホバの証者達は平和的で,どのような紛争も起すことはありません。彼等は如何なる点に於ても政治には全然無関係で只その希望の中心は神の御国にあるのみです。

私がリイロングゥで兄弟達に二つの講演をしている時,ヘンシェル兄弟は素晴しいマンゴ樹に囲まれたリムの町に於て約4000の聴衆に話していました。リムでは竹の竿で地上8尺ほどの高さで作られた演壇のみ,日覆が造られていて,証者達は楕円形に集つて地上に座していたのです。此の二つの大会ともにその讃美の歌が例外と言つてよいほど素晴しかつたことを申し述べなければなりません。

リイロングゥの大会で挨拶を終るや,リムに於て5時から開始されることになつている公開講演に間に合うよう急いで帰路につきました。私の帰りは嵐のため少々遅れましたが,リムの天候は終日上々で5000の人々が公開講演を聞くために屋外の会場に集りました。その後夜に入つてから,私は35人の欧洲人の為に市の公会堂で同じ講演をしました。両方の集会とも,人々は現在神の道を考慮することが如何に人々にとつて重要であるかということに関し,どのような講演がなされるかと極めて鋭い関心を示していました。

次の日今度は私がリムの兄弟達に奉仕し,ヘンシェル兄弟はリイロングゥに飛んでそこで3000人の人達に講演をしました。かくして合計8000人以上の人達がニサランドに於て公開講演を聞いたのです。大会を通じて兄弟達は伝道の業を推進するように激励され,読み書きの出来ない人々は読み書きを習うように励されました。兄弟達の中にも文盲の人はいましたが,その数は全国的にしては,一般の人達よりはずつと少いです。

ニサランドにいる間に,私はゾンバの政府当局者達に,欧洲人の管理や宣教者達の入国を許可することについて話す機会を得ました。その結果については今言うことは困難ですが,然し政府が如何なる手段を取るとしても,苦し彼等の目的が真理の伝道を妨げたり,或はヱホバの証者の熱意を緩させようとするものであれば,彼等の試みは失敗するでしよう。5ヶ年間に証者の数は倍以上になり,そして我々は次の5ヶ年間に於ても同様の増加を期待することが出来ます。

最初の目的地ブランティアに到着するために私達は小型飛行機を借入れねばなりませんでした。そこで私達は我々の次の寄留地である南部ロデシアのサリスバリーに帰るのにこの同じ飛行機を使用しました。この飛行機は双発の複葉機で布張りでした。操縦士はニサランドには一度も来たことのない人でしたので,山の位置にもよく馴れていませんでした,それに雲が低く見通しがきかなかつたので曲りくねつた道路に辿つて飛ぶことにしました。それは,丁度自動車を100哩の時速で曲り道を運転するようなものでした。

土地は次第に高くなつてきましたが,雲は少しも変化はなく,数哩先は雲と土地が密着して見えました。暫くの間雲に機の尖をなでられながら木の梢を擦めるようにして飛行しましたが,結局飛行場に帰るより他に方法はなくなりました。それは30分間もの烈しい難飛行でした。1時間程過ぎて9時半になると,風と太陽が出て,雲が上昇を始めましたので私達は再び出発しました。今度は異る順路をとり2層に重つた雲の間を飛んでやつと南部ロデシアに行くことが出来ました。

南部ロデシアの大会

我々がサリスバリーに到着した時には大会は既に進行中でした。我々は163人の欧洲人達が出席しているのを見た時には特に嬉しく思いました。何故なら我々が5年以前サリスバリーで集会を開いたときには,只の8名の欧洲人が出席したに過ぎませんでした。最近に到るまではヱホバの証者の業を欧洲人に,興味を持たせることは極めて困難な事でした。然し,南部ロデシアの恵まれた土地に於てさえ,善意の人々を悩ます事が絶えないので彼等は信頼し得るものを求め始めています。当地の人口は約12万の欧洲人と200万のアフリカ人から構成されています。

此の大会に到着すると間もなく私はアフリカ人の集会に出席するため出発せねばなりませんでした。このためにはハラリの原住民の町まで5哩ほど自動車で行くのでした。そこでは兄弟達が野外の広い空地に坐つて3人の兄弟の話に聞き入つているのを見ました。一人はシンヤンジャ語,一人はシショナ語,そして他の一人はズズ語で次々と同じ内容について話していました。彼等が何を話しているかは私には分りませんでしたが,ヱホバの御霊が明らかにこれらの人々の中にあることを感じ取ることが出来ました。

私が大会で講演を始めますと,今までの古い習慣 ― すなわち姉妹達は講演者の左側,兄弟達は中央と右側に坐る ― が次第にヱホバの証者達の中では無くなつて,多くの婦人が主人と共に一緒に坐つているのを見ました。南部ロデシアの各地から集つたこれら7300人ものアフリカ人の兄弟達が,大会を最大限に楽しんでいるのを見るのは全く美しい光景でした。そして凡ての大会中空はきれいに晴れていました。

日曜日には280人のアフリカ人の兄弟達が河中で,そして17人の欧洲人の兄弟達はサリスバリーのプールで洗礼を受けました。その日の午前,ヘンシェル兄弟が欧洲人の兄弟に講演している間,私は1万1000人のアフリカ人達に公開講演をしました。その日の午後,ヘンシェル兄弟と私が再びアフリカ人達に講演をした時には,少くとも1万5000人の人々が集りました。

日曜日の午後,欧洲人達の為の公開講演が開催され,250人が出席しましたが,これは大変よい成績でした,講演の徹底的な宣伝によつて,アフリカ人聴衆の約半数と100人ほどの欧洲人が公開講演に出席しましたので,誰もがこの成果に喜びを感じました。

ヱホバの証者のアフリカ大会を観察した欧洲人や,警官や,アフリカ人が感銘を受けた一つのことは,各地からの異る種族のアフリカ人達が大会場に一緒に集つているにも拘わらず,喧嘩も闘争も流血の惨事もなかつたことでした。ヱホバの証者でない多くの人々にとつては,此のようなことはほとんど信じられないもののようでした。

南部ロデシアでは,多くの欧洲人達はアフリカ人のヱホバの証者を善い雇人と認めて居ります。例えば鉄道の技師をしている一人のアフリカ人兄弟の監督は,この兄弟を罷免させようとしていました。そして此の事は駅長の注意を引くに到つたのです,この兄弟を解職にしたい理由は,只この兄弟がヱホバの証者の一人であると言うだけのことでした。そこで駅長はこのことを鉄道監督者のもとに提出して如何にすべきかを尋ねました,監督者の返答は「ブラワヨーでは幾百人ものヱホバの証者が働いているがこの人達はとてもよい働人だ,その男をくびにしてはいけない」と言うので,駅長はこの兄弟をくびにしないことにして,他の監督の下に転勤させたのです。

シャバニの兄弟達は真理に就いて素晴らしい証言を行つています。或る工場の支配人は次のように言いました「1年以前には私はワッチタワーの代表者達を工場の中に入れませんでした。然し現在ではヱホバの証者が工場で最もよい人達であることを認めています。そして次第々々に彼等を最も責任ある地位につかせています。」また,或る鉱山の支配人は最近欧洲人の全従業員に告示を出して,彼等の下で働いているアフリカ人で,ヱホバの証者である者は,集会に行く時間を与えられることを許可さるべきであること,またそれがたとえ勤務時間中でも差支えないことを示しました。誰でも南部ロデシアの証者の数1万325人を,1947年当時の3044人と比較すれば当地に於て如何に多くの増加がなされつつあるかに対して感謝するでしよう。

証言の業があまり急速に発展しているので,中央アフリカの女王の町とでも呼ばれるサリスバリーの景色のよい場所に家屋を買い入れることを考慮することが必要なほどです,そうすればその家は多分宣教者と支部の建物に当てられるでしよう。欧洲人の兄弟達がアフリカ人の会衆に一層の個人的監督をなし,また巡回の僕として知られている協会のアフリカ人の旅の代表者にもより注意深い訓練を与えるよう計画がなされました。ヱホバの証者達の間にはたぐいなき平和と統一があるのですが,アフリカ人の兄弟達は進歩を続けることに対して非常に熱意があります。南部ロデシアに於ける神権拡張の見込は非常に約束されて居ります。

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