真実の幸福を得る道
すべての人は,真実の幸福を願います。すべての人は幸福を得ようと努めます。しかし真実の幸福を見出す人は,極く僅かです。いつたい,真実の幸福の源は,何でしょうか。
真実の幸福を見出すために,あなたはどれ程の努力をいたしましたか? しかし,いつたい,どの程度までその幸福が得られましたか? 幸福を探すためには,時間がかかり,お金を費し,そして働かねばなりません。私たちは,毎日の行いを通して,真実の幸福を探します。人は,いろいろな方法で幸福を得ようとします。たとえば,富や地位,家族の愛,趣味,音楽,芸術,あるいは特別に興味を感じさせる他の活動というような方法にたよります。人によつては,他の人を踏みつけてまでも自分の幸福を得ようとする人がいます。しかし,かえつて気持の安心を失い,自分の心をかたくなにしています。人はどれ程熱心に幸福を求めようと,自分は真実に幸福であると言える人は,今日殆どいません。
ここに1冊の本があります。その本によると,なぜ人々が幸福でないかが示され,そして,真実の幸福に導く道は,今日何であるかを示しています。聖書というその本には,程度の差こそあるものの幸福な人々や不幸な人々についての良い例が,はつきり示されています。聖書は,また真の幸福の正しい源を説明しています。聖書の例から,何が学べますか?
聖書によると,最初の人間は真実の幸福を持つていましたが,その幸福を自分から棄ててしまいました。最初の人間には,すばらしい家族生活をする機会が与えられており,『生よ,繁殖よ,地に充てよ。これを従わせよ。』と命ぜられていました。ヱホバ神の設けられた園の中の彼の住居は,美しいものでした。彼には何一つとして不足するものはありませんでした。神はこのように述べているからです。『わたくしは,全地のおもてにある種をもつすべての草と,種のある実を結ぶすべての木とをあなた方に与える。これはあなた方の食物となるであろう。』退屈を感ずるということは,決してないでしよう。自分の住居である美しい園を耕したり,管理したりするために,心身を使わねばならなかつたからです。人間でそれ以上のものを求める人がいるでしようか? そうです,ただ一つのものが残つていました。しかし,その人は,そのもの,すなわち自分の創造者の祝福を持つていました。創造者は,人間と,人間のまわりにある創造物を,『はなはだ良かつた』と言われました。―創世 1:28,29,31; 2:15,新世。
最初の人間は,神からの祝福,安全,満足そして,これ以上にない程の大きな幸福を持つていました。しかし,人類最初の両親は,創造者から与えられた簡単ないましめに背き,そのため自分たちの持つていた幸福を失いました。彼らは楽園から追放され,そして地は呪いをうけました。すばらしい将来が約束されていたこの家族の長男は,弟殺しという恐ろしい罪をさえ犯しました。神に背いたために,なんと悲しい結果になつてしまつたのでしよう! その時以来不完全な人間は,その程度に差こそあれ,幸福を味つてきました。しかし,最初の人間夫婦が持つていたような幸福を持つことは,とうてい不可能なことでした。とは言うものの,人間の今までの体験から分るとおり,真実の幸福を願う人は,みな神に従わねばなりません ― 創世 3:17-19。
他の人々の生涯も,同じことを明らかに示しています。アダムの殺された子アベルは,神に忠実な奉仕をなしたため,殺人者である兄のカインよりも幸福でした。カインは『わたくしの罰は重くて負いきれません。』と言いました。放縦な生活をしていたため,神より亡ぼされた人々よりも,正義のノアはずつと幸福でした。また,アブラハムの例を考えてごらんなさい。彼は神に信仰を持つていたので,メシヤの地的な祖先になるという特権が与えられました。忠実な人アブラハムは祝福された長寿を全うしましたが,聖書には『アブラハムは長生きをし,そして年を取つて満足の状態の中に息絶えた。』と書かれています。これらの人々は,なぜそのような幸福を持つたのでしようか? 彼らがヱホバの教えに従つたからこそ,そのような幸福を持ち得たのです。―創世 4:13; 6:9; 25:8,新世。
詩篇とシンゲンは,真実の幸福の源について多く述べています。『ヱホバをおのが神とする民は幸いなり。』『ヤコブの神をおのが助けとし,その望みをおのが神ヱホバにおくものは幸いなり。』『慎みて御言葉をおこなう者は益をうべし。ヱホバに依り頼むものは幸いなり。』しかし,苦難のみちる今日の世界に,そのような聖句は,果して役立ち得るものでしようか? 本当に役立ち得るものです。実際のところ,これらの聖句が書かれた昔よりも,現在の方がずつと大きな幸福を持ち得るのです。―詩 144:15; 146:5。シンゲン 16:20。
より大きな今日の幸福
真のクリスチャンたちは,キリスト教以前の忠実な人々の持つた幸福よりも,大きな幸福を持つことができます。それには,幾つかの理由があげられます。まず第一の理由はイエスが霊的に力ずける多くの知識をつけ加えられたということです。昔の信仰を持つていた人々に,そのような知識は与えられませんでした。さらに,イエスは贖を備えられました。その贖により,アダムが人類に対して失つたものを買い戻し,そして人類のために,神の祝福と永遠の生命をうけるための真実の道を開きました。さらに又イエスと使徒たちの残した手本があります。彼らは真実の幸福に達する道を歩みました ― すなわち,その道とは,神のいましめに従い,そして他の人にもそのいましめを知らせるということを人生最大の目標にする道です。イエスは『もしこれらのことが分つていて,それを行うなら,あなた方はさいわいである』と言いました。また『受けるよりは与える方が,さいわいである』とも言われました。―ヨハネ 13:17。使行 20:35。
それで,神の命ずる建設的な収獲の多い仕事をするとき,真実の幸福を得ることができます。アダムは神の命じた仕事を行つて幸福でした。イエスも神の仕事を行つて,同じく幸福でした。この世の人々には驚きの種になつていますが,イエスの今日の弟子たちも同じく幸福です。今日,神の命じている仕事とは,こうです。すなわち,神の仕事を行う者が神の御言葉の正しい知識を持ち,それからその知識を,得ようと求めている他の人々に与えるということです。そのとき,その仕事は真実の幸福という報いを与えます。イエスは,現在についての次の言葉を言われたとき,その仕事のことを指し示されました『そしてこの御国の福音は,すべての民に対してあかしをするために,全世界に宣べ伝えられるであろう。そして,それから最後が来るのである。』― マタイ 24:14。
神の言葉の健全な知識を持つている人々,そしてなぜ今日の地上には苦難が充ちているかという理由,およびその苦難はどのように終るかを神の言葉から知つている人々,またこの事態に対して何を為すべきかを知つている人々は,世界の恐怖に直面しても気落ちしません。それらの人々は,聖書の言うごとく,現在がサタンに残されている『短い時』であると知つて,真実の幸福を感じています。これらの人々は地上の不安や苦難にも心を悩ましません。むしろ,神の言葉の真の知識を持つこれらの人々は,このような状態こそ,サタンの悪しき支配の終りが近ずいており,かつ正義の状態が全世界に亘つて,間もなく設立されるしるしであると,悟つています。―黙示 12:12。マタイ 24章。
そのような良いたよりが真実のものであると知つて,あなたは幸福に感じますか? そのような良いたよりを他の人々に語るときに,あなたのよろこびは増しますか? ヱホバの証者は,そのたよりの真実さを知つています。ヱホバの証者は,この幸福を持つています。そして,この良いたよりを他の人々に語ることを無上のよろこびと考えています。ヱホバの証者がそのような幸福を持つているため,外部の人々はしばしば論評を述べています。ニューヨーク「世界電報と太陽」(英文)は,ヱホバの証者について『彼らは信仰の大家族内にいる兄弟,姉妹たちである』という記事をかかげていました。ヱホバの証者は,真実に幸福ですが,それは彼らが神の言葉を知つていて,神の言葉の教えに従い,そしてその学んだ良い事柄を他の人々に語つているからです。