忍耐と辛抱
1 新しい世の社会内にいる者たちは,どんな祝福を楽しむことができますか。
忍耐と辛抱の力の真実の源は永遠の神,エホバです。エホバのクリスチャン制度の一部になる者たちはその中での立場を保つために努力を払わねばなりません。それは名誉の地位ではありません。正義の新しい世に実際に入れられるまで忍耐は要求されています。真理の光はますます明るくなっています。そして新しい世を期待するとき,彼はエホバが御自分の民に豊かに注がれる霊的な富を楽しむことができます。それに加えて,彼はイエスがこの時代になすべく指定した大きな収穫のわざに参加することができます。彼がこのわざをするとき,エホバの御霊は彼を支持するでしょう。(ゼカリヤ 4:6)かくも大ぜいの男,女,子供たちが,この大きぼな国際的な伝道のわざによろこび進んで参加している事実は,キリストが再臨していることを示す強い証拠であり,宣教に耐え忍ばねばならぬ理由を示します。
2 イエスと彼の弟子たちは,どのように辛抱づよいことを示しましたか。
2 イエスは最初この大きな伝道活動を率先指導しました。群衆が彼を嘲笑して,「あなたには悪霊がいる」と言っても,またいっしょうけんめいに教えた後に多くの弟子たちが以前の道に戻って,彼とともに歩かなくなったときでも,彼は落胆しませんでした。彼の弟子たちも正しい心を持っていて,失意落胆するということはありませんでした。彼が「あなたがたも去ろうとするのか」とたずねたとき,ペテロは次のように答えました,「主よ,わたしたちは,だれのところに行きましょう。永遠の命の言をもっているのはあなたです」と答えました。(ヨハネ 7:20; 6:66-68,新口)同じく,興味を示してしばらくのあいだいっしょに歩く人々がわきにそれるときでも,イエスの始めた宣教のわざに参加し始めた人々が失意落胆する理由はすこしもありません。(エゼキエル 33:32)完全な人間イエスは,大群衆に向かって効果的に語ることができ,また大きな説得力をもって教えることができました。イエスは,彼らの知っていた事柄を譬話の中に織りこみました。たとえば,羊と山羊,農業に関するもの,漁業に関するたとえ話です。同様に,私たちもそれと似たことをすることができます。たいてい聴衆の数は少なくても,私たちは時代の出来事について語ることができます。私たちは人々の家庭を訪問して,忍耐づよく再訪問し,家族の群れの聖書研究を司会し,すべての者に対して愛のある思いやりを示します。あなたは,野外奉仕のためにイエスの残されたこの手本にしたがいますか。そして,名前だけのクリスチャンではなく,行いでもクリスチャンですか。
3 どんな招待がさしのべられていますか。それに対する応答はどうですか。
3 イエスは 収穫のときが間近い大きなぶどう畑を持つひとりの人について語りました。彼はふたりの息子にこのわざに参加するようたのんだのです。長男は行くことに同意しましたが,行きませんでした。次男は,最初は父親の願いを拒絶しましたが,後になって後悔し,出かけました。いまはイエスがあらかじめに告げられた収穫の時です。そして,エホバは収穫のわざが終了するまで忍耐を示しています。天の御父の子であると称する多くの人々は,エホバから割り当てられるわざをよろこんでしようとのぞみません。まったくのところ,次のように語ったイエスは祭司長や大きな影響力を持った古い人々について述べました,「取税人や遊女は,あなたがたより先に神の国にはいる」。(マタイ 21:28-31,新口)ちょうどイエスの時代にあらゆる社会層の誠実な人々や謙遜な人々が音信をうけいれて宣教に参加しはじめたのと今日は同じようです。そのような人々は悔い改めの態度を示します。そして神のわざをすると称する人々の級より先に神によろこんでつかえるという態度を示します。―マタイ 23:23。
忍耐して辛抱することは実を結ぶ
4 イエスは音信に対する人々の反応をどのように示しましたか。
4 家から家の奉仕に活発に参加するとき,ルカ伝 8章9-15節に述べられているイエスのたとえ話が真実であることが分かります。たくさんの種類の地がある,たとえばある地は岩地で,ある地にはいばらが生いしげり,ある地は正しい種類のもので耕作に適したものであるように,いろいろの種類の人がいます。イエスは次のように説明しました,「種は神の言である。……良い地に落ちたのは,御言を聞いたのち,これを正しい良い心でしっかりと守り,耐え忍んで実を結ぶに至る人たちのことである」。たいていの人の場合,忍耐づよい個人的な援助は必要です。彼らは音信の重要性を理解しないかも知れません。あるいは彼らの心は偏見や誤解でいっぱいかも知れません。または,彼らの両親の持っていた信仰は正しいものであると誠実な気持で確信しているかも知れません。証者が戻って聖書的な真理についてさらに語ろうとすると,家の人は証者を避けようとつとめるかも知れません。しかし,それでも羊は主の声を聞くであろうとイエスは保証しました。私たちは宣教に忍耐して,「耐え忍んで善を行う」ことにより,そのことを可能にすることができるでしょう。―ロマ 2:7,新口。
5 御国の実を産出することに,忍耐はどのように示されますか。
5 昨年,64万6000の家庭聖書研究が毎週司会されました。そして,この中から全世界にわたり6万9027名は洗礼をうけました。実を結ぶためには多くの努力を払わねばなりません。イエスが指摘したように,まかれた真理の種子のいくらかは,道のかたわらに落ちます。すると,悪魔が来て,彼らの心から御言葉を取りさります。それは彼らが信じて救われることのないようにするためです。他の種子は,岩地に落ちます。神の言葉はよろこんで聞かれます。しかし,地は岩地であるので音信は深く根づきません。彼らは一時だけ信じますが,はげしい反対にぶつかると,そのような者はしぼんで枯れてしまいます。人々が音信を聞くとき,他の種子はいばらの中に落ちます。しかし,この世のわずらい,富,そして快楽に忙しすぎるため,種は死滅して,そだちません。正しい種類の地を見つけるためには多くの研究が必要です。そして,実を結ばぬものを忍耐づよく取りのぞかねばならないでしょう。
6 ある人々が音信を拒絶するとき,なぜ私たちは失望すべきではありませんか。
6 フランス人のひとりの証者は,職場の仲間に7年間伝道しましたが,すこしの結果も得られませんでした。しかし,ついに彼は幾人かの者と聖書研究をはじめることができ,そのうちの数人は真理に良い進歩をとげました。彼の忍耐はむくわれました。それで,多くの人々に良く受けられなくても,宣教に忍耐を失ってはなりません。すべての人がイエスの言葉に耳を傾けて,その言葉をうけいれたわけではありません。そして,好奇心から彼の言葉に耳を傾けた多くの人々は,彼の教えに信仰を働かそうとしませんでした。今日でも同じことが期待されるでしょう。イエスが天の御父の真理を人々に説明したとき,彼らはイエスの言葉に耳を傾けませんでした。それでは,それらの人々がイエスのいまの僕たちの言葉に耳を傾けるというようなことはとうてい期待できないでしょう。世界が改宗してすべての人が音信に耳を傾けるなどと考えることはできません。しかし,エホバの報復の日について警告は与えられています。それで,答え応じたいとのぞむ人々は,滅びをのがれることができます。羊のような人々を,山羊のごとき気質を示す人々から分ける仕事は,全世界で行なわれています。人々が音信に答え応じて,音信をたずさえる人々を取りあつかう仕方次第で,彼らが王キリスト・イエスの恵みの右手にいるか,あるいは不興の左手にいるかを決定します。キリスト・イエスは次のように言われました,「あなたがたによく言っておく,これらの最も小さい者のひとりにしなかったのは,すなわち,わたしにしなかったのである」。それで,ある人が「忙しすぎる」とか「興味がない」と言って御国の音信をたずさえる者を拒絶するとき,実際にはキリストに向かってそのことを言っていることになります。私たちはキリストの大使としての働きをするからです。―マタイ 25:45,新口。コリント後 5:20。
7 私たちは,あらゆる種類の人々に,真理をどのようにすすめることができますか。
7 キリストの代表者は,後に証言の道が開ける仕方で宣教を行ないたいとのぞみます。使徒パウロはこのことについて次のような良い指示を与えました,「主の僕たる者は争ってはならない。だれに対しても親切であって,よく教え,よく忍び,反対する者を柔和な心で教え導くべきである。おそらく神は,彼らに悔改めの心を与えて,真理を知らせ,一度は悪魔に捕えられてその欲するままになっていても,目ざめて彼のわなからのがれさせて下さるであろう」。(テモテ後 2:24-26,新口)最初,音信に強く反対する人々のうちのある者は,タルソのサウロの場合のように,以前に教えられていたことを誠実な気持で信じていたために反対します。タルソのサウロは,見当ちがいのことに熱心であったため初期クリスチャンたちに対してはげしい迫害をもたらしました。しかし,彼がクリスチャンの生き方をうけいれたとき,彼はキリスト教に対する反対の矢面に立ちました。彼は次のように書いています,「かえって,あらゆる場合に,神の僕として,自分を人々にあらわしている。すなわち,極度の忍苦にも,患難にも,危機にも,行き詰まりにも,むち打たれることにも,入獄にも,騒乱にも,労苦にも,徹夜にも,飢餓にも,……」。―コリント後 6:4-10,新口。
8 私たちの生活は,真理をどのように反映すべきですか。
8 あなたは,クリスチャン行動をしているために,それほどのはげしい反対を身をもって経験したことはないでしょう。しかし,献身しているどのクリスチャンも,パウロが次のように述べている仕方で神の奉仕者として,自分をすすめることができます,「真実と知識と寛容と,慈愛と聖霊と偽りのない愛と,真理の言葉と神の力とにより,左右に持っている義の武器により,ほめられても,そしられても,悪評を受けても,好評を博しても,……悲しんでいるようであるが,常に喜んでおり,貧しいようであるが,多くの人を富ませ,何も持たないようであるが,すべての物を持っている」。パウロは,良い平衡を保ち,真理についての正しい認識を持っていると示しました。彼は何ものにも失望させられず,エホバの奉仕を第一にしました。彼は,むち打たれても,投獄されても,また反対をうけても忍耐を持ちました。なぜなら,その行いはエホバの祝福を受けると彼は知っていたからです。
家族の反対をうけても耐え忍ぶ
9 家族の反対をうける場合,従うべき最善の道は何ですか。
9 多分,あなたのうける最大の反対は,あなたに親密な者たちから来るかも知れません。エホバが人類に示された寛容と忍耐を十分に認識して尊重する人は,たとえ他の者たちが真理に反対する場合でも,彼らに対して,特にその家族に対する行いの中に,寛容,親切そして忍耐という同じ性質をぜひ示さねばなりません。忍耐と愛の道により,反対する者たちも時たつ中に真理をうけいれるようになるでしょう。他の者に対して短気になることは,そのみぞをひろめるだけです。クリスチャンが集会に出席したり,奉仕に参加してその崇拝を行ないつづけるとき,家族の者が彼に絶えず反対する場合でも,決して断念せず,むしろ忍耐づよく御国の事柄を第一にすることにより,この反対を次第に弱らせることができます。イエスは次のように言われました,「最後まで耐え忍ぶ者は救われる」。(マタイ 10:22, 34:39,新口)また次の言葉も述べられています,「善を行って苦しみを受け,しかもそれを耐え忍んでいるとすれば,これこそ神によみせられることである」。(ペテロ前 2:20,新口)時たつ中に,反対者たち ― それがだれであろうとも ― は,どんなことをしても,あなたを失望させることができず,あなたの忍耐に打ちかつことができないと知ります。そして,彼らはあなたの立場を尊敬するでしょう。
10,11 (イ)クリスチャン行為について,ペテロとパウロはどんな助言を与えましたか。(ロ)クリスチャンがしっかりと立場を保つことは,どのように報われますか。
10 問題がひじょうに大きくなって,あなたは家族内の他の者と真理について語ることができないかも知れません。彼らは耳を傾けて聞くのを拒絶します。それでも,言葉によらずうやうやしい良い行いで彼らを救いに入れることができるかも知れません。(ペテロ前 3:1,2)そのような行いは,必ず良い印象を残します。古い世で行なわれているように,他の人の見解に対して悪口を言ったり,けいべつした行いをしたり,また敬意を欠く行動をして仕返しをしてはなりません。むしろ,パウロの述べたごとく,「義と信心と信仰と愛と忍耐と柔和とを追い求めなさい」。(テモテ前 6:11,新口)クリスチャンの妻は宣教に参加してもならず,また集会に出席してもならないと夫が言うとき,彼女は重大な問題にぶつかったと知ります。なぜなら,彼女はエホバの御心を行なうという献身の誓いを立てたからです。彼女は夫に反対したいとのぞみません。しかし,また自分の創造者に忠節を保ちたいとのぞみます。聖書は,彼女に次のようなさとしの言葉を述べています,「信仰の戦いをりっぱに戦いぬいて,永遠のいのちを獲得しなさい。あなたは,そのために召され,多くの証人の前で,りっぱなあかしをしたのである」。夫は妻に生命を与えることができないと彼女は知っています。しかし,真理のうちにしっかり立つことにより彼女はついに夫を救いに入れて神の言葉をうけいれさせることができるでしょう。彼女は敬虔と忍耐を示し,りっぱなあかしを公にしますか。これこそ神ののぞまれることです。生命をのぞむなら,彼女は自分の信仰を断念することができません。彼女は夫に対して愛を示します。しかし,またエホバに対する献身の誓いを果たしつづけます。―テモテ前 6:12,新口。
11 いまから約28年前に真理を初めて聞いたひとりの証者は,妻や親族たちから絶えず反対をうけました。彼のために祈りはささげられ,ろうそくは燃されました。宣教をしたために彼が投獄されたとき,それは当然の報いだと彼らは言いました。彼の妻は,子供たちをして父親の教えに耳を傾けさせないようにしました。このすべてのことにもかかわらず,彼は愛の心を持つ父親,かつクリスチャンの父親として必要なものを確実に供給する者であると示しました。そして彼は真理にしっかり従いました。ついにこの長年月の後,家族生活における宗教の重要性を論じた「目ざめよ!」の一記事は,彼女に深い印象を与えました。それで,彼女はエホバの証者との研究を願い求めるようになりました。いまでは彼女は夫とともに真理をうけいれて,洗礼をうけています。そして両人は神の言葉によって,いままで以上に密接にむすばれていることをよろこんでいます。
12 ヨブは,どのように忍耐についての良い模範ですか。
12 忍耐して我慢することには祝福が来ます。そのことを示す聖書の例はたくさんあります。ヨブは類似の問題に直面しました。彼は病気になって,家族と資産を失いました。彼の友人は彼に背を向け,ヨブが悪事を行なって神から罰を受けているのだと告げました。彼の妻は愚かな言葉を彼に告げ,神をのろって死になさいと言いました。しかし,ヨブは信仰をかたく守りつづけたのです。それで,ヨブのがまんづよい忍耐は,人々にひろく知れわたるものになりました。ヤコブ書 5章10,11節は次のように述べています,「兄弟たちよ。苦しみを耐え忍ぶことについては,エホバの御名によって語った預言者たちを模範にするがよい。耐え忍んだ人たちは幸福であると,私たちは言う。あなたがたは,ヨブの耐え忍んだことと,エホバの与え給うた報いについては聞き知っている。すなわち,エホバはきわめてやさしく,愛の御心を持ち,かつなさけ深い」。それで,もし問題があると思うなら,ヨブの経験を考えなさい。そして,あなた御自身とあなたの家族が祝福をうけるためヨブのしたように,忍耐を働かしなさい。エホバはあなたに耐えられぬ程の試験と試錬を課せられることをゆるさぬということを確信しなさい。むしろ,あきらめないことによりあなたは勝を得るでしょう。―コリント前 10:13。
最後まで忍耐し辛抱する
13 イスラエル人たちは,いまの私たちにとって,どのような見せしめになっていますか。
13 人が神の御言葉から真理をうけいれて新しい世の社会と交わり始めるとき,その人の立場は,幾千年もの昔にエジプトを去って約束の地に向かって行進したイスラエル人の立場と似ています。それと同様に,今日の善意者は古い世の組織制度とその生活の仕方を捨てて,正義の新しい世を目標にしています。しかし,その道が長くてむずかしく見えるからという理由で失意せず,また短気にならないことは大切です。イスラエル人は,エジプトを去ってから間もなくして不平を言い始めました。全会衆はモーセとアロンに向かって不平の言葉をつぶやき始めました。「あなたがたは,われわれをこの荒野に導き出して,全会衆を餓死させようとしている」。(出エジプト 16:2,3,新口)昼は雲により,夜は火の柱によって彼らをみちびかれていた方はエホバでした。しかし,彼らはそのことを忘れたのです。彼らのために食物を供給せられた御方はエホバでした。エホバは,マナとうずらを食物として彼らに与えて,そのことを示しました。ところが,彼らは水が不十分だと不平を言いました。モーセは「何ぞエホバを試むるや」と言って彼らをしかりました。エホバは彼の国民をかわきで死なせるということをしません。エホバはメリバで彼らに水を与えました。このすべての後,占拠すべき地に間諜をつかわしたとき,間諜の報告を受けた彼らはその地の住民を恐れました。彼らは次のような不平の言葉を発しました,「何とてエホバわれらをこの地に導きいりて剣にたふれしめんとし,……われらひとりの長を立てエジプトに帰らん」。彼らはこのようにエホバへの信仰の欠如を示し,また彼らをみちびいて守るエホバの力に対する信仰の欠如を示したので,彼らは40年のあいだ荒野をさまよう刑をうけました。その後になって彼らの子供たちは約束の地にはいったのです。―出エジプト 17:2,3。民数紀略 14:3,4。
14 大いなるモーセであるキリストは,どのように奉仕しますか。
14 今日,私たちは大いなるモーセ,キリスト・イエスの指導に従っています。かわききった地のただ中にあって,彼は私たちに霊的な食物と真理の水を豊かに供給されます。彼は,サタンとその軍勢が,私たちにもたらすあらゆる反対から私たちを守ります。私たちは,多数のイスラエル人の示したような信仰と認識の不足を示したいとのぞみません。また,エホバとその御準備,および御自分の目的を行なわれるエホバの予定に対して短気の態度をとりたいなどとのぞみません。むしろ,詩篇 37篇7,9節にある約束の言葉について思いをめぐらす方が良いでしょう,「なんぢエホバのまへに口をつぐみ忍びてこれをまちのぞめ,……そは悪をおこなふものは断ち滅され,エホバを俟のぞむものは国をつぐべければなり」。
15 エペソの会衆に宛てられた音信は何でしたか。いま,それはどのように適用しますか。
15 十分かたい信仰と熱心をもって忍耐しつづけて行きなさいという助言は,エペソにあった初期クリスチャンたちにも与えられました。「わたしは,あなたのわざと労苦と忍耐とを知っている。また,あなたが,悪い者たちをゆるしておくことができず,……あなたは忍耐をしつづけ,わたしの名のために忍びとおして,弱り果てることがなかった。しかし,あなたに対して責むべきことがある。あなたは初めの愛から離れてしまった」。これはエペソの兄弟たちをびっくりさせたにちがいありません。彼らはいっしょうけんめい働いて忍耐を示してきました。しかし,それでも彼らは真理に対して最初に示した熱心,深い愛,そして熱意に欠けていました。今日,あなたが長年のあいだ奉仕に活発であったにせよ,あなたは最初に持っていた熱心とよろこびを冷えさせたいとはのぞまないでしょう。むしろ,あなたの生活を力づけるものとして,これを生き生きさせるために働かねばなりません。(黙示 2:2-4)イエスは,今日この問題が存在するということを前もって知っておられ,多数の人の愛は冷えるということを指摘しました。しかし,もし私たちが信仰に強く,会衆と定期的に交わり,エホバの奉仕を活発に行なうなら,それは私たちに生じないでしょう。かえって,私たちは平衡のとれた生活をしつづけ,エホバの事柄を第一に保ち,御国を私たちの目標にしつづけなければなりません。
16 なぜクリスチャンは反対を期待することができますか。しかし,彼は何をしなければなりませんか。
16 忍耐に密接な結びつきを持つ性質は,辛抱です。すなわち,くるしみや迫害をうけるときに屈伏しないで,真理のために堅固な立場を取ることです。イエスは,真理に対して多くの反対があることを警告して,次のように語りました,「もしあなたがこの世から出たものであったなら,この世は,あなたがたを自分のものとして愛したであろう。しかし,あなたがたはこの世のものではない。かえって,わたしがあなたがたをこの世から選び出したのである。だから,この世はあなたがたを憎むのである。わたしがあなたがたに『僕はその主人にまさるものではない』と言ったことを,おぼえていなさい。もし人々がわたしを迫害したなら,あなたがたをも迫害するであろう」。(ヨハネ 15:19,20,新口)活発なクリスチャンは,自分の宣教が反対されることを期待できます。しかし,それにもかかわらず彼は忠実を保ちつづけねばなりません。なぜなら,いま耐え忍ぶことは,新しい世における将来の生命を意味するからです。生命に達する道を半分だけ走って,しかも賞をうけるなどということを期待できません。彼はその道の全部を通らねばならないのです。パウロは,ヘブル書 10章36節(新口)でこのことを強調して,次のように述べました。「神の御旨を行って約束のものを受けるため,あなたがたに必要なのは,忍耐である」。「こういうわけで,わたしたちは,このような多くの証人に雲のように囲まれているのであるから,いっさいの重荷と,からみつく罪とをかなぐり捨てて,わたしたちの参加すべき競走を,耐え忍んで走りぬこうではないか」。(ヘブル 12:1,新口)信仰が足りないためにつまずくようなことがあってはなりません。むしろ,最後まで頑張り通すことによりクリスチャンはエホバの援助をうけつつこの忍耐の競争を走ることができるでしょう。
17 ある人々は,真理のためにどんな迫害に直面しましたか。しかし,それは何を産出しますか。
17 昔でも現在でも,数多くの兄弟たちははげしい迫害の下にあって忠実を保ちつづけました。ある国のふたりの兄弟は,いわゆる「革命反対の活動」をしたというかどで,いまでも刑務所に入れられています。なぜなら,彼らは宣教の活動を行ないつづけ,御国の希望を善意者に知らせたからです。別の国では,長年のあいだエホバの証者のクリスチャン活動を指導してきたひとりの兄弟は,真理のために多くの苦しみをうけました。一政権が勢力をにぎっていた期間中,彼は投獄されました。しかし,それから後に彼はしばらくの期間中,自由を楽しみ,宣教を押しすすめました。彼は信頼していたひとりの人によって裏切られてしまい,いまではまたまた刑務所に入れられています。しかし,そのような忠実なクリスチャンたちは,たとえ死の脅迫をうけることがあっても,エホバの崇拝から離れません。パウロの次の言葉は,私たちを力づけてはげまします,「患難をも喜んでいる。なぜなら,患難は忍耐を生み出し,忍耐は錬達を生み出し,錬達は希望を生み出すことを,知っているからである。そして,希望は失望に終ることはない。なぜなら,わたしたちに賜わっている聖霊によって,神の愛がわたしたちの心に注がれているからである」。(ロマ 5:3-5,新口。ヤコブ 1:2,3)世界中,豊かな時でも不足の時でも迫害をうけているときも平和なときも,兄弟たちはよく耐え忍びました。しかし,時が良くても,むずかしくても,兄弟たちは御国奉仕に熱心な活動をすることからよろこびと幸福が来るということを知っています。―ピリピ 4:11-13。
18 私たちは,持っている真理の知識に従ってどのように行動するべきですか。
18 彼らは与えられた真理の知識に従って行動することを拒絶して,御国のタラントを埋めるなどということをのぞみません。むしろ,彼らは御国のタラントをたえず用います。そして,彼らのよろこぶ同じ希望を他の人々の心に植え,水をそそぎ,また培います。イエスのたとえ話の中で述べられている僕たちは,タラントを使用して増加を示すべきであって,ゆだねられたものを使用しないで埋めておくことは主人ののぞまぬことであると知っていました。それで,今日私たちは収穫のわざを活発に行ないつづけたいとのぞみます。そして,偽りの羊飼のように準備のない状態で捕えられるのをのぞみません。それらの偽りの羊飼たちは,長年のあいだやとわれていた者で,偽りを語っていました。彼らはその非難をのがれるため,最後のときには農業をしている者だと言います。(マタイ 25:14-30。ゼカリヤ 13:4-6。ミカ 3:11)エホバの僕たちは,ぶどう畑で活発に働いていた者であったことを示すことができるようのぞみます。彼らはエホバの導きの下に野外で働き大きな,収穫のわざにあずかります。収穫がどんどん行なわれている時であるいま,彼らは断念したいとのぞみません。むしろ,もう十分であるとエホバが言われる時まで,彼らは忍耐しつづけます。―イザヤ 6:11。テサロニケ後 1:4,5。ペテロ後 1:6。
19 どんなことは,無活動で実を結ばないことから私たちを守りますか。なぜ私たちは忍耐して辛抱すべきですか。
19 あなたも,この収穫のわざに参加することができます。もし,あなたの信仰に徳,知識そして忍耐を加えあなたが受けた正確な知識を用いるとき,あなたが活発に行なって実を結ぶことを妨げるものは何ひとつないでしょう。もし新しい世の事柄を進歩させるために,あなたが長年のあいだ忍耐づよく行なってこられたなら,あなたは自分の持つ奉仕の特権をしっかり持ちなさい。そのようにして,生命の冠を取られないようにしなさい。(ペテロ後 1:5-8。黙示 3:10,11)私たちは忍耐することができます。なぜなら,私たちには時間があるからです。しかし,古い世の制度に対しては,時間はなくなっています。サタンは彼の持つ時間がわずかなものであると知っています。いまは,この時代の一部しか残っていません。それで,救いを得るために最後まで忍耐しつづけなさい。収穫は完了したとエホバが言われるまで,そしてハルマゲドンの滅びで古い世が終わる時まで,伝道しなさい。忘れてはなりません,『最後まで耐え忍ぶ者は救われる』。―マタイ 24:13,新口。テサロニケ後 3:5。