魂を得るに至る信仰を行いにあらわす
香港
人口: 3,409,700人
最高伝道者数: 227人
比率: 15,021人に1人
香港のエホバの証者は,香港に家を持つ何百万という中国人および,中国からの脱出ルートとして香港を利用している難民の間でなすべき大きな仕事をもっていることをよく認識しています。この植民地では,かってないほどのわざが行なわれ,御国の良いおとずれを伝える伝道者たちは,昨年中,8万1486時間を宣教にささげました。御国伝道者の数はさほどの増加を見なかったにしても,伝道者はみな一生懸命奉仕してきました。彼らは,道の悪い丘の中腹にある小さな掘立て小屋におとずれを伝え,また広大な住宅区域に落ち着くことのできた比較的恵まれた人々をも定期的に伝道しました。そうした区域を伝道する時には,たくさんの子供たちがぞろぞろついてきて,証者が戸口で家の人に話すまえに,彼らが話していることを大声でわめき立てます。兄弟たちがいつもぶつかる困難の一つは集団精神です。これは,個人が御国の救いの音信を受け入れるのを防げる一つの障害となっています。しかし証者はそこで中止することなく,さらに高い標準の伝道を続けています。そして社会的に富裕な生活をしている人々にも,よいおとずれを聞く機会を提供しています。次に支部の僕から寄せられた二,三の経験をお伝えしましょう。
宣教者の姉妹は,ある若い婦人について書いています。この婦人は工場で働いていましたが,最初から非常な興味を示し,すぐに勉強を取りきめました。工場での勤務時間がいつもかわるので,集会に出席するのはむずかしいことでしたが,それにもかかわらず,グループの研究には定期的に出席し,奉仕のことを聞いたときには参加を希望しました。彼女のそういう行為に対して,先祖崇拝をする両親からさっそく反対の火の手があがりました。彼女は「それをやめるか家を出ていくか」という最後の通告を受けました。理由を説明しようにも相手にされません。彼女は悲しみましたが,信仰を守ることを決意して家を出ました。しかし一週間もたたぬうちに両親は,ぜひ帰ってきてくれとおがむように頼みました。そこで彼女は,自分に干渉しない,という約束をとって家に帰りました。もう一つのめんどうな問題が残っていました。以前両親は,彼女の結婚を取りきめ,すでに結納を受け取っていたのです。しかし相手の青年は真理に興味がなかったので,彼女は自分の貯金で結納を返済しました。これでなにもかもかたずいたので彼女は献身し,次の巡回大会で浸礼を受け,奉仕年度の終りごろには休暇開拓者としてよい働きをしました。これは特別の例ではありません。ほかにも数人が,エホバに自由に奉仕するために,家族の反対という障害を乗り越えて,真の決意と勇気を示しています。彼らには霊的富が最初に与えられました。
何年かまえ,ある特別開拓者が,雑誌活動で「ものみの塔」を一部,昼食中のくつ屋さん夫婦に配布したことがありました。よく尋ねてみたところそのご夫婦は救世軍の集会に出席していたことがわかりました。奥さんの方と聖書の研究をすることになりましたが,その後彼女は救世軍の集会へ出席するのをやめました。そしてまえの「教会」からの反対を乗り越え,たいへんな努力を重ねて集会に出席しました。ご主人と一緒に主になって働いていたし,くつ屋は働く時間が長いので,集会に出るにはよほど気を使わなければなりませんでした。特別開拓者は,町の外の区域で働くように任命されて,そこを去ることになりました。しかし,その間に,その興味を持った新しい人は,もうひとりの伝道者と一緒になり,進歩をつづけました。その特別開拓者は1年ほどまえ病気にかかり,入院して静養しなければなりませんでしたが,回復後また開拓者のリストにのりました。彼女は新しい区域に任命されてとても幸福でした。こんどのパートナーはだれだったでしょうか。以前一部の雑誌を求めたくつ屋さんの奥さんでした。
香港の住民はいつも移動しています。興味を持つ新しい人々に,多くの努力と注意をかたむけて援助したあと,その人々が海外にいってしまって,また新しい研究と代わる,というようなことは宣教者や特別開拓者がしばしば経験するところです。ですからここの古い兄弟たちが,勇敢にわざを続行し,また事務所や大会や会衆でよく責任を果たしている中国人の兄弟姉妹に喜びを持ち感謝しているのは当然のことです。
台湾
人口: 11,000,000人
最高伝道者数: 2,271人
比率: 4,844人に1人
1962年の年の聖句は,全世界の兄弟にとって適切であったと同じく,台湾の兄弟にも確かに適切なものでした。彼らは勇気を必要とし,エホバに望みを置かなければなりませんでした。彼らは神に導きと力を求めなければなりませんでした。というのは,台湾の兄弟たちはひとり残らず,組織の浄化と人物崇拝排除に関連したむずかしい問題に悩まされていたからです。ひとりの人間が,真理を教えてきた組織を破壊しようとする力は驚くべきものです。人々が人物を崇拝しはじめ,そしてその人物が間違った道に陥った時は,彼は多くの人々を神の御言葉から引き離します。もちろんそれは神に滅ぼされることを意味します。台湾の伝道者の数は著しく減少しました。そして多くの兄弟たちは,自分の命を守るための激しい戦いをしなければなりませんでした。最後まで耐えしのんだ者こそ救われる者です。しかし,どんなことが起きたのか,支部の僕に話してもらいましょう。
奉仕年度の初め頃,台湾の法人団体である万国聖書研究会台湾支部の理事長で,何年もの間伝道にたずさわってきたよく知られたある巡回のしもべが,二人の特別開拓者の姉妹と不道徳な関係に陥っているということが明るみに出ました。彼は何年もの間そういう関係をつづけてきましたが,台湾の組織の理事長という地位を利用してアミ族の兄弟たちを威嚇し,このことを報告しようとしても無益なことで,それどころか彼ら自身が損をするばかりだ,と信じこませようとしました。このようにして彼は支部事務所に知られないようにしていました。ところが,会衆のしもべたちや特別開拓者たちが御国宣教学校に出席して,組織の清さを保つことの重要さを学んでからは,復しゅうというおどしも,そのようなでたらめな行為をもはや隠しておくことはできませんでした。当然この姦淫を行なった者はエホバの組織から排斥されました。以前彼は監督および理事という地位にあったために,彼と関係のあった会衆には,会衆自身の保護のためにその事を知らせなければなりませんでした。排斥されたことに腹を立てた彼は,台湾の組織を破壊することを決意し,その創始者は自分であると主張しました。排斥委員の役をつとめた支部の二人の協会代表者は,名誉損傷および中傷を行なったというかどで法廷に呼び出されました。裁判は台北地方裁判所で行なわれ,判事が判決を言いわたすまで3カ月かかりました。いく人かの兄弟が証人として呼び出され,この姦淫を行なった者の行いは判事の前に暴露されました。判決文の一部はつぎのとおりです。「さらに,『平和と一致の中に伝道し教える』という小冊子の123節には,委員会がある者を有罪と認めて排斥する時は,彼らは決議を作成して諸会衆に提出すべきことが述べられている。…この者は,クリスチャンの標準にかなわなかったのであるから被告人が,……規定に従って諸会衆に通知したことは正当であったことが証明された。さらに,同じ小冊子の124節は,会衆の各メンバーが,排斥された者と通信したり,彼を訪問すべきでないことを規定している。この規定があったので被告人は,原告にこのうえ訪問や伝道をさせないために,全会衆に通知しなければならなかった。ゆえに,被告人が会衆の最善の益のために行動していなかった,と非難し得るものはない。
「要約すれば,被告たちの行為は正当であったことが,彼らの宗教によって十分に証明された。また…刑法にふれるものでもなかった。…ゆえに無罪である」。
現在のところは,以前あまり伝道されていなかった孤立した地域に手をのばす努力が行なわれています。ひとりの巡回のしもべは,そうした地域で「他の羊」をさがしていた時に得た経験を,次のように話しています。「私たちのグループは,山の間に散在する村々を3日間伝道することにしました。水曜日の朝,手に手にかばんをさげた12人の兄弟の一団が,3日間の伝道へと出発しました。
「六時間歩いたのち,伝道すべき最初の村に着きました。グループはこの村を2時間余りで伝道してしまい,かなりの数の善意者を見つけました。ひとりの人はおとずれを聞いて非常に喜び,私たちの食事の準備に自分の家を提供し,いっそのこと泊ったらどうかとすすめてくれました。私たちは喜んでそうしました。その家は非常に小さな家だったので,ほとんどの兄弟は,家の外に竹のござを敷いて寝ました。米は3日分もっていきましたが,副食は森の中からとってきた種々の食用きのこ。肉もありました。つかまえてきた小さな青がえるやかたつむりです。この地方の住民はふつうこういうものを食べているのです。
「3日間いつも同じような調子でした。長いこと歩いては二,三時間伝道します。そしてついにこの区域の最後の村に着きました。この村では非常に多くの人々がおとずれに興味を示しました。私たちは,全部の家を訪問したのち,翌朝帰途につく前に公開講演をすることに決まりました。『この御国のよいたより』という小冊子からの話を聞きに,35人の村人が集まったのは私たちの大きな喜びでした。その後,質問と答えが1時間ほど活発にやりとりされました。いく人かが本を求め,兄弟たちがまたきて援助するとりきめがつくられました」。