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  • 『キリストの足跡にしっかり従う』
  • エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1970
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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1970
塔70 7/1 392–395ページ

『キリストの足跡にしっかり従う』

ジョージ・J・ローアンの経験

「1889年に出版されたものだけど,今の戦争,またそれが1914年に起こるであろう,というようなことを詳しく説明した本を持ってるんだよ」。1915年の4月,当時悪化しつつあった世界情勢について,わたしと話し合っていた義理の兄がこう言いました。わたしはその本を見せてくれるように頼みました。その本というのは,ものみの塔聖書冊子協会の初代会長チャールズ・T・ラッセルの著わした「時は近づけり」だったのです。わたしはすぐさま,むさぼるようにその本を読みました。

わたしがその内容にすっかり心を奪われたのを見て,義理の兄はこの本のほかに,同じ著者による2冊の別の本をわたしにくれました。それらの本の中に明らかにされている貴重な聖書の知識から,わたしは深い喜びを味わいました。「世々にわたる神の経綸」から始めて,わたしはすべての本を注意深く研究しました。キリスト教世界の偽りの教義を少しも教えられていなかったわたしは,事実と聖書の論理をすぐに受け入れることができました。

わたしは少ししか教育を受けていなかったので,その当時も今と変わらず,本を読むのがおそく,時間がかかりました。しかし最初から,聖書に関する真理を見いだしたことを確信していました。わたしはメルボルンのものみの塔協会事務所に手紙を書き,入手できる他のすべての本と聖書の参考文書を取り寄せました。その後の2年間で,ラッセルの「聖書研究」全6巻を読み終えました。それはなんとすばらしい霊的なうたげだったことでしょう。そして,完全な創造者が,ご自分の御子の像にかたどろうとする者に,天の命を差し伸べておられるとは!―ロマ 8:29。

しかし,このわたしがそのような光栄ある目標を望み見ることができるのでしょうか。わたしは1888年12月,オーストラリア,ニュー・サウス・ウェールズ州ベリンガー河畔のグレニファーというところで生まれました。わたしの家は酪農場を経営しており,わたしは25歳になるまで家族とともに暮らしました。1913年の11月からわたしはシドニーで電車の車掌として働き,聖書に深い関心を持つようになる少し後までその仕事を続けました。しかし,今やわたしの生活は大きく変化しようとしていたのです。

道のりを踏み出す

1917年の2月のある朝のこと,電車に乗り合わせたひとりの男の人と話し合っているうちに,わたしは聖書について学んだ事柄を彼に話しはじめていました。ところが,その男の人は聖書研究生(エホバの証人は当時そう呼ばれていました)だったのです。そして,聖書研究の集まりに出席するようわたしを招待してくれました。貴重な真理を研究し討議しあえる50人もの人々を見いだしたときの喜びを想像してください。そのとき以来,わたしは一度も後ろを振り返ったことはありません。研究すればするほど,真理はますます貴重なものとなり,いよいよイエスの足跡に従いたいと思うようになりました。

それから「完成された奥義」が出版されました。この本は激しい論争を引き起こしました。その内容は,偽りの宗教をあらわに非難したものだったのです。この本を一般の人々に積極的に配布するのを躊躇する内気な人もいましたが,わたしはできるだけ多くの本を配布したいと願いました。わたしたちは「大いなるバビロン」についてすでに学び終え,今度は,聖書が「大淫婦」と呼んでいるものを暴露しなければならないときでした。イエスもご自分の宣教中,偽りの宗教を暴露されました。彼の追随者もそうすべきなのです。―黙示 17:1,5。

やがて,大きな論議の的となったその本を50冊受け取り,幸いにも数人の恐れおじない人々を集めて,週末に戸別訪問をしながらその本を配布しました。わたしは同年,つまり1917年の10月にバプテスマを受けました。そのときから,わたしはイエスの残された完全な模範に自分の生活を一致させねばなりませんでした。その当時はシドニー全市がわたしたちの区域で,しかも本の配布にあたったのはわたしを入れて数名にすぎませんでした。まさに「処女」地で,人々の関心を呼び起こすすばらしい機会がわたしたちを待ち受けているようでした。

すべてを捨てて従う

「世々にわたる神の経綸」に書かれてあった次のことばが,何度となくわたしの心に浮かんできました。

「天の賞を目ざす各走者に神がこのように与えようとされているこの知識と力を得るなら,あなたがたの〔献身〕の誠実さはためされるでしょう。あなたがたは,自分の持てるすべての時間と才能を主に『ささげ』られました。問題は,どれだけあなたはささげているか,ということです。……しかも,このささげるということは,この研究に必要な時間と労力をささげればそれで終わり,と考えてはなりません。それで終わりではないからです。あなたがたが誠実に自己を犠牲にしているかどうかは,十分にためされるでしょう。……神のみことばを勤勉に学び,〔献身をささげた〕善良にして正しい心にその真理を取り入れるなら,神に対するそのような愛が,……それに,良いしらせを告げ,福音を宣べ伝えたいという望みがあなたがたに芽ばえ,それがその後のあなたの全生がいを支配するものとなるでしょう」。

1918年の秋,わたしは世俗の仕事をやめて,メルボルンで全時間の伝道のわざが始められるよう準備を整えました。わたしのパートナーはほろつき荷馬車を1台,わたしは自転車を1台携えて農村地帯に乗り出しました。夜になると行きついた場所でキャンプを張りました。最初の日は何一つ配布できませんでした。しかし,二日目には,前日のようにあがらないよう努力をして,聖書に真の関心を持っている人に,はじめて一組の本を配布しました。わたしはそのとき味わった感動をけっして忘れることはできません。

その後,協会の支部事務所付属の幕屋と呼ばれた集会場所で開かれる大会に出席するため,メルボルンに帰りました。オーストラリア各地から来た約100名の証人と一同に会し,四日間の交わりを共にすることができたのはなんという喜びだったでしょう。わたしたちには多くの共通点がありました。特に,イエスの模範についてさらに学び,それに従いたいという強い願望をだれもが持っていました。

1920年,わたしたちははじめてニューヨーク市ブルックリンから協会の代表者の「巡礼」の訪問を受けました。この訪問者は,オーストラリアの大都市すべてを旅行し,「現在生存する万民は決して死する事なし」と題する講演を行ないました。彼といっしょにその講演の宣伝活動に参加し,また各地の会衆で彼の霊的な話を聞くことによって,わたしはほんとうに強められました。それこそ,わたしが全時間の宣教奉仕を続けるのに必要としていた励ましだったのです。命を得る競争に堪え忍ぶためには,完全な模範であられるイエスから目をそらしてはなりません。―ヘブル 12:1,2。

数々の幸福な思い出

1922年,当時メルボルンにあった協会の支部事務所で奉仕するよう招待を受け,わたしはそこに3年間いました。その後1925年,わたしは結婚し,妻とともにシドニー地方で開拓者として奉仕を続けました。11年経過した後,妻とわたしは,今度はシドニーに移転したオーストラリア支部事務所で働くよう,招待を受けました。そのときは,蓄音機とレコードを使用して伝道するのが主要な方法になっていましたので,わたしの仕事の一つは,何百ものケースを作り部品を組み立て,証人が野外でそれを用いられるようにすることでした。

ある日,「船で航海する人々に証言することを考えたことがありますか」,と支部事務所の責任を取っている兄弟に話したことを思い出します。「良い考えだと思うね。やってみて,どんな成果があったか知らせてくれませんか」と彼は答えました。1946年,わたしの妻と再び開拓奉仕にもどったときから,それを実行に移しました。

それ以来,船舶がわたしの主要な働き場所となりました。航海の生活について勉強し,船上の人々に御国の,音信を受け入れてもらうには,どんな話し方と態度が必要かを学びました。船会社当局から2通の証明書を発行してもらわねばなりませんでしたが,その証明書のおかげで,停泊中の「全船に常時」乗ることができました。今日に至るまで,12,000隻余を数えるいろいろな国籍の船で証言をする特権にあずかり,このわざは日毎に興味深いものになっています。

この奉仕が実を結ぶのを見るのは喜びです。エホバの献身したしもべになった船員を数名知っています。心良く文書を受け取る人もおり,そういう人々と次回に船が入港する際,さらに討議を重ねたり,聖書研究の始まることさえあります。1948年以降,わたしがこうして船上で配布した聖書と聖書文書の概数は,書籍6,000冊・小冊子6,000冊・雑誌20,300冊です。確かにそれらは証言の山と言わねばなりません。

何年にもわたる全時間の奉仕中,わたしは証言に何千時間も費やしました。そして,そうした時間がいかに速く過ぎ去ったかを思い返すのはすばらしいことです。また,わたしの援助したある人々が,さらに大きな特権を目ざし,今度は他の人々を援助する側に立ち,いろいろな場所で監督として奉仕するようになるのを見るのも豊かな報いと言えます。もちろん,わたしたちが忠実に植え,水を注ぐかぎり,成長させてくださるのはエホバなのです。

御国の関心事にわたしが全時間の奉仕をささげるようになってから,今や51年以上になります。その間,多くの試みを受け,きびしい試練を経験しました。その中には思いもかけないところから来るものもありました。しかし,それから起こる個人的な感情が,わたしたちの天的な父に対する忠節な愛と,その愛する御子の像にかたどった者になろうとする決心をそこなうことのないよう,懸命の努力をしました。どのような環境にあるときでも,詩篇 91篇4節はすばらしい保証を与えてくれました。

1958年そして1969年に開かれたりっぱな国際大会は,妻とわたしにとって貴重な思い出となりました。ニューヨーク市ヤンキー野球場における1958年の大会は,わたしが30年間持ち続けてきた望みをかなえてくれました。ブルックリン本部の神権的な取り決めを直接に知ることができ,大会の報告で長年その講演を読んできた古い人たちに会うことができたのです。もちろん,「良いたより」を全世界に伝道するという神のご親切な目的に関連して,エホバがものみの塔協会を十分に用いておられることを疑ったことは一度もありませんでした。

「地に平和」大会も忘れることのできないものです。1969年中,わたしたちはオークランド,スバおよびメルボルンの大会に出席でき,大きな喜びを味わいました。メルボルンのショーグランドに集まった25,837人を目の前にし,1918年に同市に集まった100人のことを比較していだいたわたしたちの感慨を想像してください。いたるところから集まる仲間の証人に会い,前途に待ち受けているさらに大規模な信仰のわざに互いを励まし合うのはなんという喜びでしょう。

こうした大会が設けられ,成功裏に運営されたのは,エホバの霊の援助にほかなりません。この結果,エホバがご自分の賛美のためにかくも顕著に用いておられる組織に,神を恐れるもっと多くの男女が流れのようにはいって来ることは当然期待できます。一方,わたしたちはエホバの助力をいただいて,命を得させるこのすばらしい音信を,他の人に響きわたらせるよう努力を続けなければなりません。エホバはわたしたちの力をいっそう増し加えてくださったのです。

実り豊かな奉仕の畑

もう一度わたしの割り当てについて話しますと,わたしは船員たちの間ですばらしい経験を味わっています。イエスも船に関係ある人々とひんぱんに行き来されたであろう,とわたしはよく考えます。そういう人たちの中からご自分の使徒の幾人かを選ばれたぐらいですから。あるとき,「失楽園から復楽園まで」と題する本をひとりの男の人に配布したことがありました。二,三週間後,再び船の歩廊を登っていると,その男の人がわたしに声をかけました。「ジョージ。ちょうどあなたに会いたいと思っていたところです。あの本は今まで読んだ本の中で一番興味深いものでしたが,まだほかにそのような本を持ってませんか」。

わたしから「楽園」の本を受け取ったもうひとりの人は,わたしが再び訪問した際こう語りました。「あの本を読んだとき,真理を見いだしたことがわかりました。完全に確信させられました。わたしが神の御心を行なうのを助けてくれる本がほかにもあるなら,ほしいのですが。わたしは命を得たいのです」。

約18か月間,本や雑誌を取っていた別の人はこう語りました。「ジョージ,神の御心を行ない,命を神にささげるところまで進まないかぎり,この古い事物の体制とともに破滅に陥るだけだね」。そして,わたしと同じように船上で証言するにはどうしたらよいかを尋ねました。わたしは,船室に文書を少量用意しておき,昼休みとか他の自由時間に人々と話をするよう勧めました。その人は現在3か月の休暇を取り,研究に励んでいます。船にもどる前に,神に献身するためです。

船が停泊するたびにわたしを寛大にもてなしてくれ,関心を示す乗客係の主任が少なくとも3人いますし,またひとりの船長は定期的に雑誌を取り,いつも喜んでわたしをお客扱いにしてくれます。また手紙で連絡を保っている人もいます。そうした経験は伝道の書 11章の1節(口語)に記録されていることばを思い起こさせます。「あなたのパンを水の上に投げよ,多くの日の後,あなたはそれを得るからである」。聖書の中で「水」が「国民」の象徴であることを考えると,この聖句はわたしの経験を適格に表現しているように思えます。

この際,協会のC・T・ラッセル,J・F・ラザフォード,N・H・ノアの3人の会長が行なった忠実かつ大胆な奉仕に対して,わたしたちの感謝の気持ちを表わすのは時宜にかなったことと思います。地上の神の民の全組織に霊的な食物を適時に与え,勤勉な同労者とともにこの人たちが主人の御心を果たすのを見て,わたしたちは確かに鼓舞されています。―マタイ 24:45-47。

わたしは今81歳で,いろいろな病気に悩まされていますが,全時間の伝道活動ができる人はみなその奉仕にあずかるよう,また可能なかぎりそれを続けるように勧めたいと思います。わたしはそうすることによって多くの満足を経験してきました。そして常に使徒ペテロの次のことばを心に留めました。「汝らはこれがために召されたり,キリストも汝らのために苦難をうけ,汝らをその足跡に随はしめんとて模範をのこし給へるなり」。(ペテロ前 2:21)わたしは,わたしたちの罪のあがないとして,また御子の神すなわちわれらの神に対する献身のひな型として御子を備えてくださったかたを賛美するために,衰えゆく精力を保持しながら,この全時間奉仕を,エホバの助力をいただきつつこれからも続けていく決心でいます。

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