エホバのしもべたちは異なっている
「この事物の体制に合わせて形づくられるのをやめなさい。むしろ,あなたがたの思いを作り変えて,みずからを一変させなさい。あなたがた自身に,神の,善良で,好ましく,かつ完全な意志を実証するためである」― ロマ 12:2,新。
1,2 (イ)人間の心臓に発する,どんな堕落した傾向に,クリスチャンは気をつけなければなりませんか。なぜですか。(ロ)エホバの考えと道と,イザヤの時代のイスラエル人のそれとの間には,どんな相違がありましたか。それはなぜでしたか。
クリスチャンは,不完全な心臓に発する種々の傾向に屈しないよう,気をつけねばなりません。そのひとつに,人気を得たい,どんな人でもよいから,他の人に好かれたい,と願う傾向があります。そうした傾向のゆえに,人類の大多数は,迎合のわな,つまり,周囲の人びとの意見や,ふるまいに迎合,あるいは黙従するわなに捕われてきました。エホバ神を喜ばせ,かつ,神の正義の新しい天と新しい地で永遠の命を得たいと願う人はすべて,他に迎合させようとする,こうした圧力に屈する,あるいは,屈服することのないように,十分警戒しなければなりません。なぜですか。なぜなら,エホバが,ご自分の預言者,イザヤの時代の堕落した民に言われたとおりだからです。「『あなたがたの考えは,わたしの考えではなく,わたしの道は,あなたがたの道でもないからである』とエホバは言われる。『天が地より高いように,わたしの道は,あなたがたの道より高く,わたしの考えは,あなたがたの考えより高いからである』」。―イザヤ 55:8,9,新。
2 「天が地より高いように」とは,なんと大きな相違でしょう。実際,それは,考えうる最大の相違を表わしたことばといえるでしょう。エホバとその民との間に,それほど大きな相違が生じたのはなぜですか。それは,彼らが物事を正しく行ない,親切を愛し,慎しみをもって,自分たちの神とともに歩むことをやめたためです。(ミカ 6:8)そのかわり,エホバの民は逆の方向に歩み,崇拝および道徳上の行為のいずれに関しても,周囲の諸国民に迎合するにまかせました。
3 周囲の人びとに迎合しようとする傾向は,イスラエルの歴史の初期に,どのように現われましたか。
3 イスラエル国民の歴史をみると,その初期に,周囲の人びとの不敬けんな道にならう傾向が現われています。モーセが神の山に40日間こもっていた時,イスラエルの人びとは異教の崇拝を取り入れ,異教の淫乱な行為にふけりました。(コリント前 10:7)しかも,ヨシュアおよび,「エホバのかつてイスラエルのために成したまひし諸の大なる行為を見」,かつ,ヨシュアの死後まで生き残った長老たちが死ぬやいなや,イスラエルの子孫は,「エホバをすてゝバアルとアシタロテ〔の像〕につかへ」たのです。(士師 2:7-13,〔新〕)そして,さばき人,サムエルの時代のイスラエル人は,周囲の諸国民に迎合し,見える王を立ててほしいと執ように要求して,こう言いました。「我らも他の国々のごとくになり 我らの王われらをさばき われらを率て我らの戦にたゝかはん」。エホバは彼らの要求をいれましたが,怒りをいだいて,そうなさったのです。―サムエル前 8:7,20。ホセア 13:11。
4,5 (イ)エホバのしもべたちは,周囲の世界に迎合しながら,なおエホバを喜ばせることはできません。なぜですか。(ロ)それゆえ,パウロは,きわめて適切などんな助言をクリスチャンに与えていますか。
4 エホバのしもべたちは,自分たちの周囲の人びとと同様でありながら,なお,エホバに喜ばれることなど,どうしてできるでしょうか。ノアの大洪水後の数年を除けば,アダムとエバが罪を犯し,エデンを追放されて以来,今日に至るまで,全世界は,確かに邪悪な者,サタン悪魔,すなわち,「この事物の体制の神」の支配下に置かれてきたのではありませんでしたか。このことには一点の疑いもありません。したがって,だれであれ,エホバ神のしもべにとって,世に迎合することは,重大なわなであるといわねばなりません。―コリント後 4:4,新。ヨハネ第一 5:19。
5 ゆえに,ロマ書 12章2節(新)の次の助言は,きわめて適切です。「この事物の体制に合わせて形づくられるのをやめなさい。むしろ,神の,善良で,好ましく,かつ完全な意志をわきまえ知るために,あなたがたの思いを作り変えて,みずからを一変させなさい」。パウロのこのことばを多少意訳した,あるいは,かなり自由に訳した飜訳は次のとおりです。「現在のこの世の型に,もはや順応してはならない」。(「新英語聖書」)「この世の諸習慣に従って生活するのをやめなさい」。(「新訳聖書」C・B・ウイリアムズ訳)「あなたがたは,この世の諸習慣を取り入れてはならない」。(「アメリカ訳」)「あなたがたは周囲の世に圧迫されて,その型に押し込まれてはならない」―「現代英語による新約聖書」。
大洪水前のエホバの証人は異なっていた
6,7 エホバのしもべたちは,異なっていることに,ひけめを感ずべきではありません。なぜですか。この点で,だれがわたしたちのために,最初の模範を残していますか。
6 人類の最初のふた親がエデンを追われて以来,今日に至るまで,人間の世の歩みは不敬けんな歩みだったのですから,エホバのしもべたちはみな,最初から,周囲の人びとすべてと,はっきり異なっていた,しかも,ひときわ異なっていたに違いありません。今日のエホバのしもべたちで,服装のスタイル,あるいは行動または崇拝の方式などの点で,周囲の人びとと,きわ立って異なっていることにひけめを感ずる憶病な人は,神のことばにしるされているとおり,忠実なエホバのしもべたちが,この点で最初から作り上げた記録に注目してください。
7 まずはじめに,エホバの忠実な証人の最初の人,アベルがいます。彼がエホバの清い崇拝を大胆に擁護した当時,地上にどれほどの人が住んでいたかはわかりません。しかし,少なくとも,神聖な記録に名前の出ている,アダムとエバおよびカインは,邪悪な者すなわちサタン悪魔の影響と支配下にあったことは確かです。アベルの歩みは確かに,それら3人の人びとの歩みとは正反対でした。彼は勇敢にも他の人ときわ立って異なっていたので,最初の忠実な証人,また最初の殉教者となりました。―創世 4:3-11。ヘブル 11:4。ヨハネ第一 3:12。
8 エノクが周囲の人びととは,きわ立って異なっていたことを示す事実をあげなさい。
8 それから,エノクがいます。彼が,大洪水前の事物の体制に迎合しなかったことは確かです。そのことをどうして確信できますか。なぜなら,アダムの孫,エノスの日に,エホバのお名前が,すでに誤った偽善的な仕方で呼ばれていた,という明白な事実からわかるとおり,地上には偽りの崇拝が相当はびこっていたからです。(創世 4:26)同時に,「まことの神とともに歩みつづけた」人として,エノクだけがあげられていることからもわかります。(創世 5:22,新)事実,エノクが,ひときわ異なった人として目だっていたことは,エホバ神が彼を用いて宣明させた警告の預言からも明らかです。クリスチャンの弟子ユダが次のように記録したとおりです。「みよ,〔エホバ〕はその聖なる千万の衆を率いてきたりたまへり。これすべての人の審判をなし,すべて敬虔ならぬ者の,不敬虔をおこなひたる不敬虔のすべての業と,敬虔ならぬ罪人の,〔彼〕に逆ひて語りたるすべてのはなはだしきことばを責め給はんとてなり」。この音信の趣旨からすれば,確かに,エノクは,不敬けんな人びとに囲まれていたこと,また,それゆえに,勇敢にも,きわ立って異なっていたに違いない,ということがわかります。―ユダ 14,15,〔新〕。
9 ノアとその家族は,当時の他の人びとと異なっていたことを,どのように実証しましたか。
9 霊感の下にしるされた歴史はまた,ノアとその家族について述べています。アベルやエノクの場合,当時のエホバの真の崇拝者は彼らふたりだけだった,と断言することはできません。たとえば,アベルは結婚していて,その妻は彼と信仰をともにしていたかもしれないのです。ところが,ノアの時代に,ひとりのまことの神エホバを崇拝していたのは,ノアとその家族だけであり,この点に関して聖書は少しも疑問の余地を残していません。「しかし,ノアはエホバの目に好意を得た。……ノアは正義の人であった。彼は,その時代の人びとの中で,非の打ちどころのない者であることを実証した。ノアは,まことの神とともに歩んだ」のです。「エホバは,人の悪が地にあふれ,人の心臓から生ずる考えの傾向がすべて,いつも,ただ悪いだけなのを見た」といわれる時代に,ノアが,そうした証をたてられたという事実は,彼が当時の人間の世とは,きわ立って異なっていたことを示すものです。ノアが,巨大な物置きのような形の建物を陸上で建てている間,彼とその家族はたいへんな嘲笑をこうむったに違いありません。その建物は,自分と自分の家族,および陸の動物の代表類がその中にはいって,予告された大洪水の期間中,そこで生活するためのものでした。40年ないし50年間,その仕事を続行するには,たいへんな勇気が必要だったでしょう。当時の世の人びととは異なっていましたか。まさにそのとおりです。―創世 6:8,9,5,新。
族長たちは異なっていた
10,11 アブラハム,イサク,ヤコブなどの族長は,自分たちが他国人で,寄留者であることを,どのように示しましたか。
10 次に,族長,また,イスラエル十二支族の最初の家長たちをあげることができます。まず最初はアブラハムです。宗教上のあらゆる慣行,なかでも,ウルの都の守護神である,月の神シンの崇拝に染まっていた人びとのただ中にあって,ひとりのまことの神エホバに信仰をいだいていたアブラハムは,ひときわ異なって目だっていたに違いありません。事実,彼の育った都ウルは,バビロン的な崇拝と宗教の主要都市として,メッカやローマに匹敵するものでした。「汝の国を出で汝の親族に別れ汝の家を離れて我が汝に示さんその地に至れ」と,エホバから命じられたアブラハムは,なおいっそう,きわ立って異なる人となりました。―創世 12:1-3。
11 アブラハムは,近隣の人びとや知人たちにとって,まるで“雲をつかむような企て”としか思えないような事柄のために,衆人環視のうちにウルを出発したとき,たいへんな嘲笑を浴びせられたに違いありません。また,イサクやヤコブについても,だいたい同じことが言えます。彼らはみな,「自分たちが,その土地では他国人で,寄留者であることを公に宣言した」のです。故国に戻って落ち着こうと思えば,そうすることもできたのですが,それは,自分たちに対するエホバの意志ではないことを,彼らは知っていました。今日のエホバのしもべたちも,現在の事物の体制と,それに属する人びとに関するかぎり,自分たちもまた,居留外人で,寄留者であることを認識すれば,勇気をもって,周囲の世界と異なった生き方をすることができるでしょう。―ヘブル 11:8-15,新。
12 他と異なっているという点で,ヨセフはどのようにすぐれた模範でしたか。彼は,どのように報われましたか。
12 また,族長ヤコブに特に愛されたむすこ,ヨセフがいます。聖書の中で,ヨセフの生涯は異彩を放っています。奴隷として売り飛ばされ,エホバの真の崇拝者たちから完全に引き離されてしまったヨセフにとって,行ないや崇拝の点で,周囲の異教の崇拝者たちに迎合し,また,自分のまわりの事物の体制に合わせて形づくられるままにするのは,たいへん容易だったでしょう。彼は清い崇拝と神聖な原則をしっかり守り,そうすることによって,最も強力な誘惑に面しても,忠誠を保った人としての目ざましい模範となりました。そのうえ,エホバに対する忠誠を守ったため,投獄される羽目にあいましたが,ひき続き,確固とした立場を保ちました。ただひとりだけだったヨセフは,それまでの,あるいはそれ以後の多くの人のように,「なんにもならないじゃないか」といって,崇拝や行ないに関し,周囲の人びとの例にならうこともできたでしょう。しかし,そうしませんでした。彼は,当時の事物の体制に合わせて形づくられることを拒み,エホバへの忠実を保ったのです。そのために,エホバは彼をなんと祝福されたのでしょう。ヨセフはエジプトの総理大臣となり,エジプトと自分の父の家族とを救う者となりました。―創世 37:1-36; 39:1–45:28。
預言者たちの模範
13,14 エホバのしもべたちは異なっているべきであることを,モーセはどのように立証しましたか。
13 勇敢にも他と異なっていることを示し,周囲の人びとの不信仰な手本に合わせて形づくられることをしなかった,エホバ神の忠実なしもべは,ほかにもたくさんいます。その中にも,モーセからダニエルの時代,さらにそれ以後に至るまでの,ヘブル人の預言者がいます。パロの宮廷で成人するに及んで,モーセは,周囲の人びとに迎合し,ヘブル人として受けた教育や信仰を忘れ,パロの娘の子としての自分に提供されていた快楽や名声また権力をほしいままにする生活を続けることもできました。モーセは,「エジプト人のすべての学術を教へられ,ことばと業とに能力」があったのですから,なんと有利な立場がその前途にあったのでしょう。―使行 7:22。
14 しかし,彼は,他と異なっていることに,少しもひけめを感じませんでした。以前,宮廷で交際した人びとは,王位継承者ともあろう彼が,「罪のはかなき歓楽を受けんよりは,むしろ神の民とともに苦まんことを善しとし,キリストによるそしりはエジプトの財宝にまさる大なる富と」みなしたことをあやしみ,ひどくいぶかって,頭を振ったに違いありません。(ヘブル 11:25,26)その歩みのゆえに,彼は,エホバ神との関係において,すぐれた名を確かなものにしただけでなく,それまでの他の不完全な人間のだれよりも強力な器として,神に用いられました。また,なかでも,イザヤ,エレミヤ,エゼキエルなどの忠実な預言者たちは,周囲の堕落したイスラエル人と異なった生き方をする勇気を要求されました。―イザヤ 20:3。エレミヤ 16:2; 7:16。エゼキエル書 4,5章。
15,16 ダニエルと,その3人の仲間は,自分たちが周囲の人びととは異なっているということを,どんな仕方で示しましたか。
15 さらに,ダニエルとその3人の仲間の目ざましい模範があります。どんな種類の食物を食べるかという点で,バビロニア王国の事物の体制に迎合するのは,彼らにとって,なんと容易だったでしょう。しかし,そうしませんでした。周囲の人びとに迎合することなく,エホバ神の真の崇拝者として,勇敢にも,きわ立って異なっていたのです。それで,記録はこう述べています。「しかし,ダニエル[と,その三人の仲間]は,王のごちそうと,彼の飲むぶどう酒をもって自分を汚すことはすまいと,その心臓のうちに決意した。そして,彼は……願いつづけた」のです。そうです,彼は,その問題を単に一度だけ持ち出して,努力はしたのだからといって,良心を慰めたのではありません。「自分を汚さないようにすることを,宮廷の長官に」繰り返し願いつづけたのです。ついに,長官は,「この事柄に関して,彼らのいうことを聞き,彼らを十日の間,試みることに」しました。そして,エホバ神は,勇敢な立場を取ったダニエルと,その3人の仲間を,なんと祝福されたのでしょう。王のごちそうを食べることを拒み,質素な野菜の食事(あぶら身や血などのない食べ物)を取ったために,周囲の人びとから受けた嘲笑や侮べつを,ものともしなかった彼らは,3年にわたる訓練期間の終わりに至って,訓練を受けた他の人びとすべてにまさって健康で,賢い者であることがわかりました。―ダニエル書 1章。
16 また,ダニエルの3人の仲間は,ネブカデネザル王がドラの平野に立てた像に,ひれ伏すことを拒んだため,その際にも,目だった,あるいは,異なった者として映りませんでしたか。その像にひれ伏さなかったかどで,ネブカデネザル王の前に召し出された3人は,高位高官はもとより,下じもに至る幾千人もの人びとの注視の的とされたに違いありません。同様に,ダニエルをなき者にすることをたくらんだ競争相手が,そのための法律を首尾よく通過させた時,ダニエルは,だれにも見えるように窓をあけてエルサレムに向かい,引き続き1日に3度,祈りをささげ,こうして,自分が他の人とは異なっている,ということを示す必要は,なかったのではありませんか。神にひそかに祈ろうと思えば,そうすることもできたのです。しかし,彼は,神に敵する,王の布告に,たとえ表面的ではあっても,自分が迎合している,という印象を,だれにも与えたくなかったのです。ゆえに,勇敢にも,他ときわ立って異なっていることを示した,ダニエルと,その3人の仲間に,エホバは,なんとすぐれた報いをお与えになったのでしょう。彼らは,奇跡的に救い出され,その地位は高められたのです。―ダニエル書 3および6章。
イエス・キリストの模範
17-19 イエスがおくすることなく,きわ立って異なっておられたことを示す,その生涯に関する事実をあげなさい。
17 神の子で,メシヤであるイエス・キリストが到来するとともに,エホバのしもべたちが,きわ立って異なっていることを勇敢に示す必要が,なくなったわけではありません。彼は,エホバご自身の民に現われました。その民は,神と契約関係にあり,神のことばと律法,また,祭司職を持ち,同時に,バプテスマのヨハネによる予備的なわざの恩恵に浴していました。それにしても,その宗教指導者たちに対し,イエスはなんと著しい相違を示されたのでしょう。イエスの行動は,当時の宗教上の習慣や行為とは,まさに対照的でした。彼は,自分が紹介した崇拝という“新しいぶどう酒”と,伝統的なユダヤ教という“古い,ぶどう酒の皮袋”の相違を折衷させる,あるいは軽視するどころか,大胆にも,その相違を,だれの目にもよくわかるように目だたせました。―マタイ 9:14-17,新。
18 一方,イエスは,権威のある教え方と,地上の一般の人びとと自由に交わることとによって,きわ立って異なっていました。(マタイ 7:29; 9:11)他方,教えた事柄のゆえに,ひときわ異なっておられました。イエスが人を喜ばせようとするかたでないことは,彼の語ったことばから,きわめて明りょうです。行なった種々の奇跡のゆえに,その国民の中で最も人気のある者となり,そのため,彼の敵は,「みよ,世は彼に従へり」と語ったほどです。(ヨハネ 12:19)それにもかかわらず,イエスは,支配者あるいは被支配者の歓心を買おうとしたりはしませんでした。大胆にも,彼はこう語りました。「……と云へることあるを汝らきけり。されど我は汝らに告ぐ」。(マタイ 5:27-48)「なんぢらこの宮をこぼて,われ三日のうちにこれを起さん」。「人の子の肉を食はず,その血を飲まずば,汝らに生命なし」。「まことに誠に汝らに告ぐ,アブラハムの生れいでぬ前より我はあるなり」。まるで,聴衆を驚かし,ゆさぶり動かしたいと思っておられたかのようでした。耳をくすぐるような伝道者ではなかったのです。―ヨハネ 2:19; 6:53; 8:58。
19 そのあからさまな話し方には,彼の弟子たちさえ,時々驚かされました。ある時,弟子たちはこう言いました。「御言をききてパリサイ人のつまづきたるを知り給ふか」。それで,それらパリサイ人は,自分たちの伝統によって神のことばをむなしくしている,とイエスに言われてつまずいたとすれば,偽善者・へび・まむしの子孫,そして,ほかならぬ悪魔サタン自身の子らと呼ばれて,イエスにきびしく懲らしめられたとき,それはそれは激しく反発したに違いありません。イエスは,語った事柄のゆえに,自分が異なっていることにひけめを感じたりは,決してなさいませんでした。それは,彼が行なったことについても言えます。このことは,2度にわたって,ご自分の父の神殿から,貪欲な両替人たちを追い出した事件からもわかります。―マタイ 15:12; 23:13-39。マルコ 11:15-18。ヨハネ 2:13-17; 8:44。
同様に,イエスの弟子たちも異なっていた
20,21 イエスの使徒や初期の弟子たちは,周囲の人びとと異なっていることを,どのように実証しましたか。
20 イエスの弟子たちは,イエスに見習い,同じ仕方で同じ神を崇拝していたのですから,イエスと同様,仲間のユダヤ人とは異なっていたに違いありません。ナザレのイエスこそ待望のメシヤであって,エホバ神は彼を死からよみがえらせた,という彼らの特異な音信と,その伝道方法の点でも,彼らはきわ立って異なっていました。ペテロと,その仲間の者たちが,イエス・キリストについて,恐れることなく証するのを見た反対者たちは,「その無学の凡人なるを知りたれば,これをあやしみ」ました。そうです,どうして彼らが,教育のない普通の漁師と全く異なる者になったのかをあやしみ,「かつそのイエスとともにありし事を認(め)」ました。―使行 4:13。
21 イエスの初期の弟子や使徒たちについていえば,わたしたちは,だれよりも使徒パウロについて多くを知っています。彼は,「八日めに割礼を受けたる者にして,イスラエルの血統,ベニヤミンの族,ヘブル人より出でたるヘブル人」で,「律法につきては[厳格で熱狂的な]パリサイ人」でした。クリスチャンになったパウロは,以前の仲間たちのすべてとは,全く異なっていたに違いありません。彼は今や,あまりにも異なっていたため,テサロニケのユダヤ人は,パウロとその同労者たちを,「天下をくつがへした」として,訴えたのです。王アグリッパ2世の前でパウロが弁明した時,「パウロよ,なんぢ狂気せり,博学なんぢを狂気せしめたり」と,フェストが呼んだのも,無理からぬことでした。パウロは,現在の事物の体制に迎合してはならない,と他のクリスチャンに教えただけでなく,教えたことを,確かに実践しました。―ピリピ 3:5,6。使行 17:6; 26:24。ロマ 12:2。
使徒時代以後のクリスチャンも異なっていた
22-25 (イ)使徒時代以後のクリスチャンは,彼らの宗教の点で,どのようにきわ立って異なっていましたか。(ロ)カイザルと彼らの関係,(ハ)その道徳,(ニ)互いに対する彼らの愛の点ではどうでしたか。
22 使徒たちが死の眠りについてまもなく,つまり,「人々の眠れる間に」,敵であるサタン悪魔がやってきて,小麦の畑に雑草の種をまきましたが,小麦の畑が直ちに,雑草のはえる土地と化したわけではありません。(マタイ 13:25)それで,初期の教会史家は,当時のクリスチャンが周囲の人びととはきわ立って異なっていたことを述べています。その相違は,少なくとも四つの別個の事柄に明らかにみられます。そのひとつとして,彼らは宗教の問題で,他の人びとすべてと,きわ立って異なっていました。その信仰内容と崇拝の方式だけでなく,自分たちの宗教だけが真の宗教であるとし,他のすべてを偽りとした,その主張も特異なものでした。そう主張するには,勇気を要しました。それは,一教会史家が述べたとおりです。「クリスチャンにとって,その神は,決して,イシスやミトラ,あるいはアウグスツスと同じ範ちゅうに入れることのできないものであった」。ローマの皇帝たちは,さまざまな宗教を容認しましたが,「ローマの神々および他のあらゆる宗教の神々は等しく偽りである」と教え,かつ,「全人類を,その信仰に引き入れることに努めた」宗教だけは,認めませんでした。
23 それら初期クリスチャンはまた,当時の事物の体制の他の部分との関係においても,きわ立って異なっていました。彼らは,政府の公職につくことや,カイザルの軍隊にはいることを拒む一方,物質主義を退けました。物質上の富の獲得は,もはや人生の目標ではなくなり,そうした富は,伝道活動を拡大する単なる手段として用いられました。
24 初期クリスチャンは,道徳面でも,同様に,きわ立って異なっていました。当時のローマおよびギリシア文明の世界には,あらゆる種類の不道徳がはびこり,性的不道徳は人びとの崇拝の一部をさえ成しており。同性愛行為その他の性的倒錯がはやっていました。歴史家は,初期クリスチャンが,この点でも周囲の人びとといかに異なっていたかをしるしています。「われわれは,彼らの非の打ちどころのない生活,申し分のない道徳,その善良な市民生活,また,クリスチャンとしての美徳を裏づける証拠を持っている」。
25 そして最後に,それら初期クリスチャンは,互いに対する深い無私の愛の点でも,ひときわ異なっていました。そうあるべきであると語られたイエスの次のことばどおりだったのです。「あなたがたが自分たちの間で愛をいだいているならば,それによって,すべての者が,あなたがたはわたしの弟子であることを知るであろう」― ヨハネ 13:34,35,新。
26 アベルの時から,使徒時代以後の時期に至るまで,エホバのしもべたちに関して,きわ立っている事実をあげなさい。現代については,どうですか。
26 疑問の余地は少しもありません。霊感による記録も,そうでないものも,エホバのしもべたちは,アベルの時以来,使徒時代以後の初期に至るまで,周囲の人びとと異なっていたことを証しています。しかし,現代についてはどうですか。前述のことは,今もなお真実ですか。次の記事をお読みになれば,そうであることが,おわかりになるでしょう。
[692ページの図版]
ダニエルと,その三人の仲間は,勇敢にも他と異なっていた