崇拝を行なうための唯一の真の神殿
「また,天にある神の神殿の聖所が開かれ,神の契約の箱がその神殿の聖所の中に見えた」― 黙示 11:19,新。
1 世の地上の事がらは今日どのように取材されていますか。
今日,地球上の四方八方から,それも膨大な量のニュースがどっと押し寄せてくるため,普通の人はついてゆけないほどです。それはあまりにも多種多様で,当惑させられるほどです。この世の地上の事がらは,雑誌,新聞,電報,電話,ラジオ,テレビその他のあらゆるニュース機関によってかなりよく取材されています。
2 それら現代の報道機関は,真剣な考慮に値するどんなニュースをいつも見過ごしてきましたか。
2 しかしながら,それら報道機関のすべてがいつも見過ごしている非常に重要なニュースがあります。それは大いに真剣に考慮されるにふさわしいニュースです。それは,報道価値を有する年となった西暦1914年以来,国際戦争や政治政府の変革を見た現代の人類社会で生じてきた一連のできごととともに起きてきました。この珍しいニュースとなるできごとは,人類史の20世紀の現代に生ずるよう事前に定められていました。それは,霊感を受けて事前に書かれた歴史,すなわち神聖な預言の中で,およそ19世紀前にわたしたちのために予告され,記述されました。その預言的な報告を今読んでみると,世界情勢の中で起きている事がらとこのニュースとの関係がわかります。
3 そのようなニュースとなる事がらをどこから調べ出せますか。それは何と述べていますか。
3 そのニュースとなる事がらを聖書巻末の書,すなわち黙示録の11章15-19節〔新〕を読んで調べてみましょう。『第七のみ使いラッパを吹きしに,天に数多の大いなる声ありて「この世の〔王国〕は我らの主およびそのキリストの〔王国〕となれり。彼は世々限りなく王たらん」と言う。かくて神の前にて座位に座する二十四人の長老ひれふし拝して言う,「今いまし昔います主たる全能の〔エホバ〕神よ,なんじの大いなる能力を執りて王となりたまいしことを感謝す。諸国の民,怒りをいだけり,なんじの怒りもまたいたれり,死にたる者を審き,なんじのしもべなる預言者および聖徒,また小なるも大なるもなんじの名を畏るる者に報いをあたえ,地を滅ぼす者を滅ぼしたもう時いたれり 『かくて天にある神の〔神殿の聖所〕ひらけ,〔神の契約の箱がその神殿の聖所の中に〕見え,数多のいなずまと声といかづちと,また地震と大いなる雹とありき』。
4 (イ)そのニュースに関連して,この世に対する王国による支配については何と言わなければなりませんか。(ロ)「神の契約の箱」が神殿の聖所の中にあるということは何を表わしていますか。
4 さて,この預言的なニュースに関して今日どんな注解を述べるのはふさわしいことですか。それはこうです。1914年以来,諸国家の民主主義陣営と共産主義陣営との間で人類世界の支配を目ざして戦いが行なわれてきたにもかかわらず,その1914年以来,大いなる力を執って王として支配を開始したのは,永遠に生きておられる全能者,エホバ神です。その年に確かに『この世の〔王国〕はわれらの主[神]およびそのキリスト』すなわち神のみ子イエス・キリストの『王国』となりました。「世の王国」の現在の所有者である全能者,エホバ神はその神殿の聖所に来られたのです。その聖なる場所におけるエホバの臨在は,「神の契約の箱」と呼ばれる聖なる容器で象徴されました。その「箱」の大きさや形については,それを見たクリスチャンの使徒ヨハネは何も述べてはいませんが,それは主なる神の臨在を表わすものでした。わたしたちはその神を見ることもできませんし,人間の言語をもってしてはその神を十分に描写することもできません。この象徴的な「箱」は,西暦33年以来有効になった,神と人間との間の「新しい契約」の箱なのです。
5 歴史的見地からすれば,神殿とは何ですか。あらゆる国民が,限りない命を得るには,どんな神殿で崇拝を行なわなければなりませんか。
5 歴史の記録が示すとおり,神殿とは神もしくは神々に対する奉仕や崇拝のためにささげられた建物または場所を意味します。前述の『神の契約の[象徴的な]箱』の場合,その神殿の聖所というのは,全能者エホバ神の神殿の聖所のことです。義者と不義者に対する約束の復活によって諸国の民を死からよみがえらせることが必要であるにしても,あらゆる国民が一致して崇拝を行なうためには,これからもこの神聖な神殿に来なければなりません。(黙示 11:18。使行 24:15)これこそ,予定の時に全地が楽園と化すこの地上で,あらゆる国民が限りない命を得ることのできる唯一無二の方法です。それらの人びとは,「世の王国」の神聖な所有者を認め,そのかたを崇拝し,そのかたに仕えなければなりません。そのかたはご自分の神殿の聖所で王として永遠に支配します。―黙示 11:15,新。
6,7 楽園に住む人たちがこの神殿で崇拝を行なうことに関してどんな質問が生じますか。神殿のような建造物の中に神が住まわれるかどうかについてソロモンは何と述べましたか。
6 この崇拝は楽園の地で行なわれる以上,国々の民は天に行くのではないということを意味していますか。では,彼らが天に行かないとすれば,黙示録 11章19節は『天にある神の神殿の聖所』について述べている以上,それらの人はいったいどうして神の神殿に行けるのでしょうか。ここではこれは当を得た質問といえます。しかし,わたしたちは,天にある,壁と出入口のついた建物もしくは建造物としての神の神殿の聖所について考えるゆえに,その質問は当を得ているのでしょうか。では,西暦前11世紀の著名な神殿建造者がその神殿の落成式にさいして述べたことばを思い起こしてみましょう。その建造者とは,エルサレムのモリア山上にその種のものとしては最初の神殿を建てた賢い王ソロモンです。ソロモンは神に語りかけて,こう言いました。
7 『神はたして地の上に住みたもうや 視よ天ももろもろの天の天もなんじを容るに足らず ましてわが建てたるこの家をや』― 列王上 8:27。
8 「契約の箱」はどこに置かれていましたか。それは何を表わしましたか。それで,神殿の至聖所は何を表わしましたか。
8 ソロモン王の建てた神殿の聖所の一番奥の部屋は,奥行き・幅・高さがいずれも20キュピトの完全な立方体で,その部屋は至聖所と呼ばれました。確かにそれは,物質でできた地上の「エホバの契約の箱」を収めるには十分の大きさの部屋でした。その箱には,神の指で十戒がしるされた2枚の石の板が収められていました。(列王上 6:19,20,新; 8:6-9。出エジプト 34:1,27,28; 40:20)しかし,その一番奥の部屋つまり至聖所といえども,天と地の創造者であるエホバ神ご自身が臨在するに足りる大きさのものなどとはとても言えません。契約の箱は,神に仕える大祭司が毎年,贖いの日に,罪を贖う犠牲の血をそれに向かってふりかけた神聖な器物でした。このように契約の箱は,天のエホバ神の王座を表わしていました。このことと一致して,契約の箱の収められていた,神殿の至聖所は,広大無辺の天の,神ご自身の聖なる住まいとなっている部分を表わしていました。そこは神が臨在するに足りる広大な所です。
「天幕」もしくは「幕屋」
9 ソロモンの神殿はどんな建造物の型にならって造られましたか。その建造物の仕切り室に出はいりしたのはだれですか。
9 ソロモン王の建立した神殿の聖所は,アラビアのシナイ山の荒野で預言者モーセが建てた神聖な天幕,つまり幕屋の型にならって造られました。その天幕の内部には,それぞれ奥の幕で隔てられた2つの仕切り室がありました。祭司たちが,中庭に面する外側の幕をくぐって中にはいったその第1の仕切り室は,〔聖なる所〕と呼ばれました。大祭司が奥の幕をくぐって中にはいった一番奥の仕切り室は,至聖所と呼ばれました。大祭司は,至聖所にはいる場合には,至聖所に香の煙を満たすべく,香をたく器,つまり,つり香炉を携えてゆきました。金でできた契約の箱に向かって大祭司が贖いの日の犠牲の血をふりかけることができる態勢を整えるために香がたかれたのです。クリスチャンの使徒パウロはヘブル書 9章2-10節〔新〕でこのことを次のように述べています。
10 ヘブル書 9章2-10節によれば,それらの仕切り室にはどんなものが入れられていましたか。だれがそれらの仕切り室にはいりましたか。いつはいりましたか。
10 『設けられたる〔天幕の第一の仕切り室〕ありき,前なるを〔聖なる所〕と称え,そのうちに燈台とつくえと供えのパンとあり。また第二の幕の後ろに至聖所と称うる〔天幕の仕切り室〕あり。その中に金の香壇と金にてあまねく覆いたる契約の〔箱〕とあり,この中にマナを納れたる金の壺と芽したる[大祭司]アロンの杖と契約の石碑とあり,〔箱〕の上に栄光のケルビムありて〔なだめの覆い〕を覆う。これらの物につきては,今いちいち言うことあたわず,これらのものかく備わりたれば,祭司たちは常に〔天幕の第一の仕切り室〕に入りて礼拝をおこなう。されど〔第二の仕切り室〕には大祭司のみ年に一度おのれと民との過失のために献ぐる血を携えて入るなり。これによりて聖霊は〔第一の天幕〕のなお存するあいだ,〔聖なる場所〕に入る道のいまだあらわれざるを示したもう。この〔天幕〕は〔今すでに来ている定められた時〕のために設けられたる比喩なり…(これらは)改革の時まで負わせられたるのみ』。
11 その「天幕」は,昔の何ものかを,それとも後代の何ものかを表わしましたか。
11 ここで筆者が,預言者モーセの建てた聖なる天幕は『今すでに来ている定められた時のために設けられたたとえなり』と述べている点に注目してください。この筆者の場合,その『今すでに来ている時』とは西暦61年ごろ,つまり,ローマの軍隊が西暦70年にエルサレムの神殿を滅ぼす9年前のことでした。それはまた,イエス・キリストが死んで復活し,昇天してから28年後のことでした。ですから,モーセの建てたその天幕は,預言者モーセの時代以前の何ものかではなく,後代の何かを表わす『比喩』でした。大祭司エリの時代にその比喩的な「天幕」は「神殿」と呼ばれるようになりました。(サムエル前 1:9; 3:3,新。またサムエル後書 22:7と詩篇 18:6; 27:4をも比べてください。)このようなわけで,モーセの建てた天幕もしくは神殿は,モーセの時代以前に存在した神殿を表わすものではありませんでした。
12 モーセ以前のエホバの忠実な証人たちは地上で神殿を建てましたか。当時,エホバご自身は天に神殿を持っておられましたか。
12 モーセ以前の時代を振り返ってみても,エホバ神の忠実な崇拝者のだれかが地上で神殿を建てたという記録は一つもありません。『サレムの王にていと高き神の祭司』であったメルキゼデクですら神殿を建てませんでした。(ヘブル 7:1。創世 14:18-20)アベル,ノア,アブラハム,イサク,ヤコブそしてヨブなどの,エホバ神の忠実な証人たちは,神に犠牲をささげはしましたが,神のための神殿を建てたことはありません。では,エホバ神は,物質でできた神殿を地上に持っていないとはいえ,天では神殿を持っていましたか。いいえ,持っていませんでした! すなわち,モーセの建てた天幕やソロモン王の建立した神殿で表わされるような神殿を神はお持ちになってはいませんでした。
13 神の創造活動の六日目の終わりの当時,神殿を必要としなかったのはなぜですか。預言的な文書の中でエホバの神殿に言及した箇所はどのように理解すべきですか。
13 エホバ神がエデンの園でアダムとエバを完全な人間として創造したとき,確かに天ではそのような神殿は必要ではありませんでした。なぜでしたか。なぜなら,創造の日の六日目の終わりに完全な男女が創造され,そして,『神その造りたるすべての物を視たまいけるにはなはだ善りき』と言われたのちの当時は,天でも,また地上でも,どんな創造物にも罪が少しもなかったからです。神が大祭司を用いて,罪を贖う犠牲をささげさせる必要もなければ,罪のための供え物をささげる,神殿の中庭の祭壇も必要ではありませんでした。(創世 1:26-31; 2:7-24)詩篇 11篇4節,ミカ書 1章2節,ハバクク書 2章20節などに見られる神殿に言及したことばは,預言的な意味を持つものであって,それはモーセが天幕の神殿を建てたり,あるいはソロモンがエルサレムに神殿を建立した後に書かれました。それらの神殿は,後代に存在することになっていた霊的な神殿を表わす,もしくは予表するものでした。
14 エホバの真の神殿が西暦33年のペンテコステの日に存在するようになったかどうかを問うのはなぜですか。
14 それでは,モーセの建てた天幕やソロモンが建立した神殿によって表わされた真の神殿はいつ存在するようになりましたか。それは,クリスチャン会衆もしくは教会が設立された西暦33年のペンテコステの祭りの日でしたか。こう尋ねるのは,使徒パウロが当時のクリスチャン会衆にあてて次のように書き送ったからです。『汝ら知らずや,汝らは神の〔神殿〕にして神の御霊なんじらの中に住みたもうを。人もし神の〔神殿〕を毀たば神かれを毀ちたまわん。それ神の〔神殿〕は聖なり,汝らもまたかくのごとし』。(コリント前 3:16,17〔新〕)このことばからすれば,モーセの建てた天幕やソロモン王や総督ゼルバベルまたヘロデ大王がエルサレムに建立した神殿によって表わされた,もしくは予表されたのは,比喩的な神殿としてのクリスチャン会衆だったと考えられるでしょう。しかし,はたしてそうでしょうか。この問題についてパウロ自身は何と答えていますか。
15 大祭司としてのイエス・キリストについてヘブル書 9章11,12節は何と述べていますか。
15 それでは,ヘブル書 9章に戻って,さきほど読んだ箇所に続くパウロの説明のことばをさらに読んでみましょう。『されどキリストは来らんとする善き事の大祭司として来り,手にて造らぬこの世に属せぬさらに大いなる全き〔天幕〕を経て,やぎと犢との血を用いず,おのが血をもてただ一たび〔聖なる場所〕に入りて,永遠の贖罪を終えたまえり』― ヘブル 9:11,12〔新〕。
16 ユダヤ人の贖いの日に,イエスはご自分の血を携えてエルサレムの神殿の至聖所にはいりましたか。それとも,イエスは,神殿としてのクリスチャン会衆にはいったのでしょうか。
16 イエス・キリストはユダヤ人の贖いの日(チスリ10日)に犠牲の死を遂げて,エルサレムに立つヘロデの神殿の至聖所にみずからの血を携えて,はいったわけではありません。イエスは決してそうすることができませんでした。彼はレビ人の大祭司ではありませんでした。当時のユダヤ人の大祭司はカヤパで,彼は贖いの日に若い雄牛と山羊の血を携えてエルサレムの神殿の至聖所にはいりました。しかし,イエス・キリストはそうしませんでした。それでは,イエス・キリストはご自分の血を携えてどんな「聖なる場所」にはいったのでしょうか。地上にあるクリスチャン会衆にはいったのではありません。というのは,クリスチャン会衆はイエスの復活の日にも,また西暦33年のペンテコステの10日前のイエスの昇天の日にもまだ設立されてはいなかったからです。では,そのペンテコステの日以前にイエス・キリストがはいった「聖なる場所」とは何ですか。もう一度ヘブル書 9章を開いて,パウロに答えてもらいましょう。
17 ヘブル書 9章23,24節によれば,大祭司としてのイエス・キリストはどこにはいりましたか。
17 パウロは述べます。『このゆえに天にあるものにかたどりたる物はこれらにて潔められ,天にある物はこれらに勝りたる犠牲をもて潔めらるべきなり。キリストは真のものにかたどれる,手にて造りたる〔聖なる場所〕に入らず,〔天そのもの〕に入りて今よりわれらのために神の前にあらわれたもう』― ヘブル 9:23,24〔新〕。
真の神殿が存在するようになる
18,19 (イ)神は,イエス・キリストがはいった,あの真の至聖所にどのようにして住んでおられますか。(ロ)そこにはいるために,イエス・キリストはどんな障害物を通過しなければなりませんでしたか。ヘブル書 6章18-20節によれば,それはどのように表わされていましたか。
18 パウロに感謝しなければなりません。というのは,喜ぶべきことに,そのことばから,復活したイエス・キリストがご自身の犠牲の血の価値を携えてはいったのは,その少数の弟子たちのいる地上の聖なる場所ではなく,「天そのもの」であることがわかるからです。そこは『神のみ前』であり,神が霊によってではなく,みずから住んでおられる所なのです。しかしながら,その真の「聖なる所」すなわち「天そのもの」は,真の神殿のすべてではありません。なぜですか。なぜなら,神がその霊によって住まれた場所である,手で作った地上の天幕や神殿の至聖所は,それら神聖な建造物のすべてではなかったからです。至聖所はそれら地上の建造物の一番奥の部屋にすぎず,それは第一の仕切り室から幕で隔てられていました。(マタイ 27:50,51)この内側の幕は,イエスが天の至聖所にはいるために通過しなければならなかった肉体の障害物すなわちイエスご自身のからだ,つまりその人間性を表わしていました。この希望について語ったパウロはこう述べます。
19 『おのれの前に置かれたる希望を捉えんとてのがれたるわれらに強き奨励を与えんためなり。この希望はわれらの〔魂〕の錨のごとく安全にして動かず,かつ幕のうちに入る。イエスわれらのために前駆し,とこしえにメルキゼデクの位に等しき大祭司となりて,その所に入りたまえり』― ヘブル 6:18-20〔新〕。
20 天幕の「聖なる所」は,どのようにして中庭から隔てられていましたか。その中庭には銅製のどんな物件がありましたか。
20 ここで,天幕もしくは幕屋の第一の仕切り室は聖なる所と呼ばれており,それは神殿の聖所の外の中庭から幕,もしくは仕切りで隔てられていました。その中庭の,神殿の聖所の前(もしくは東)には大きな銅の祭壇がありました。
21 ユダヤ人の祭司たちには,どんな祭壇から食べる権利がありませんか。この祭壇はだれの犠牲と関係がありますか。
21 神殿の聖所そのものと同様,この祭壇も模型的なものでした。使徒パウロは,ユダヤ人の祭司とバプテスマを受けたキリストの弟子たちとの違いを述べるにさいして,この点を示し,こう語っています。『われらに祭壇あり,幕屋につかうる者はこれより食する権をもたず。大祭司,罪のために生き物の血を携えて至聖所に入り,その生き物のからだは陣営の外にて焼かるるなり。このゆえにイエスもおのが血をもて民を潔めんがために,門の外[すなわちエルサレムの門の外]にて苦難を受けたまえり』。(ヘブル 13:10-12)したがって,キリスト教に関する場合,その祭壇はイエスの人間としての犠牲に関係があります。しかし,その対型的な祭壇とは何ですか。また,地上の天幕もしくは神殿の第一の仕切り室,つまり聖なる所の対型は何ですか。聖書の助けを用いてこの問題を解いてみましょう。
22 (イ)神殿の奥の幕は何を表わしていましたか。イエスはどのようにしてそれを通過しましたか。(ロ)したがって,その幕の外側もしくは東側にあるものはすべて,どんなものと関係がありましたか。
22 神殿の至聖所と聖なる所の間の奥の幕は,区分する線を表わしています。それはイエス・キリストがご自分の人間としての完全な肉体を犠牲としてささげて,それを永遠に捨てることによって通過しなければならなかった肉体の障害物を表わしています。さて,奥の幕の内側の仕切り室である至聖所は,神が霊によってではなく,みずから住んでおられる「天そのもの」を表わしているのですから,その幕の外側(あるいはその東側)にあるものはすべて,見えない天の何ものかではなくて,この地上にある何ものかを表わしているといえるでしょう。それは,この地上でエホバ神を崇拝し,エホバに仕える人たちの肉のからだと関係があります。したがって,このことは銅の祭壇にもあてはまります。ソロモンおよびヘロデの建てた神殿の場合,祭壇は奥の中庭,もしくは祭司の中庭に設置されました。その中庭では,大祭司や従属の祭司たちが犠牲を備える務めを行ないました。その祭壇は何を予表するものでしたか。
対型的な祭壇
23,24 (イ)イエスは,「世に」来たとき,犠牲に対する神の態度に関して何と言いましたか。なぜですか。(ロ)それで,何が取り除かれましたか。クリスチャンはキリストの犠牲を通して何によってきよめられましたか。
23 使徒パウロはヘブル書 10章の中でこの点を明らかにしています。神の大祭司としてのイエス・キリストがご自分の血の価値を携えて,わたしたちのために神のみ前に現われるべく,どのようにして天そのものにはいったかを述べたのち,パウロはこう続けます。
24 『それ律法は来らんとする善き事の影にしてまことの形にあらねば,年ごとにたえず献ぐる同じ犠牲にて,神にきたる者をいつまでも全うすることを得ざるなり。…これ牡牛と山羊との血は罪を除くことあたわざるによる。このゆえにキリスト世に来たるとき言いたもう「なんじ犠牲と供え物とを欲せず,ただわがためにからだを備えたまえり。なんじ燔祭と罪祭とを喜びたまわず,その時われ言う 『神よ,われなんじの〔意志〕を行なわんとて来たる』 我につきて書の巻にしるされたるがごとし」と。先には「なんじいけにえと供え物と燔祭と罪祭と(すなわち律法にしたがいて献ぐる物)を欲せず,また喜ばず」と言い,後に「視よ,われなんじの〔意志〕を行なわんとて来たる」と言いたまえり。その後なる者を立てんために,その先なる者を除きたまうなり。この〔意志〕に適いてイエス・キリストのからだのひとたび献げられしによりてわれらは潔められたり』― ヘブル 10:1-10〔新〕。
25 では,イエスがやって来て,犠牲としてご自身をその上にささげた祭壇とは何でしたか。
25 このことばから,神殿の中庭の銅の祭壇に相当する対型とは神の「意志」,つまり神がみずから整えた完全な人間の犠牲を喜んで受け入れようとする神の意志であることがわかります。神のこの「意志」は,巻物の書にしるされた事柄の中で予告されていました。(詩 40:6-8)神はアブラハムの息子イサクの不完全な人間としての犠牲を受け入れることを快しとはしませんでしたが,ご自分のひとり子,イエス・キリストの完全な人間としての犠牲を喜んで受け入れました。神は年ごとの贖いの日の動物の犠牲をいつまでも欲したり,是認したりしておられたのではありません。かえって,神はご自分の意志と目的に従って,人間の罪を贖い,ほんとうに「罪を除く」完全な人間の犠牲をまさしく欲しておられたのです。イエス・キリストは神の意志を行なうために来ました。そして,祭壇の上でなされるように,神の意志を基盤としてその上で,人間の犠牲としてささげられた完全なイエスは受け入れられ,また備えられたイエスの完全な人間のからだがささげられました。神の「意志」という祭壇の上でささげられたこの完全な人間の犠牲は,ほんとうにキリストの弟子たちを清めるものとなりました。パウロが,『この〔意志〕に適いてイエス・キリストのからだのひとたび献げられしによりてわれらは潔められたり』とつけ加えたのはそのためです。―ヘブル 10:10〔新〕。
26 クリスチャンの従属の祭司はその「祭壇」から食べますが,ユダヤ人の祭司にはそうする権利がないのはなぜですか。
26 また,パウロがあとの箇所で次のように述べたのもやはりそのためです。『われらに祭壇あり,幕屋につかうる者はこれより食する権をもたず。…このゆえにイエスもおのが血をもて民を潔めんがために,門の外にて苦難を受けたまえり』。(ヘブル 13:10-12)つまり,われらとは霊的な従属の祭司のクリスチャンたちのことですが,それらの人たちは神の「意志」という祭壇にささげられた罪を贖う犠牲を持っています。しかし,エルサレムのヘロデの神殿で仕える祭司たちは,この祭壇にささげられた犠牲を食べる権利はありません。なぜなら,彼らはエホバの真の大祭司で,エホバの新しい契約の仲介者であるイエス・キリストに対する信仰に欠けていたからです。
27 イエスはいつご自身を犠牲としてささげましたか。それで,犠牲を供える基盤となるどんなものが存在するようになりましたか。また,対型的などんな「日」が始まりましたか。
27 完全な人間としてのイエスは,巻物の書に述べられているように,神の「意志」という祭壇に供える犠牲となるため,いつご自身をささげましたか。それは西暦29年にヨルダン川で浸礼を受けるため,ご自身をバプテスマのヨハネに渡した時でした。エホバ神が,みずからを犠牲にしたイエスを受け入れたことは明らかです。なぜなら,イエスが水のバプテスマを受けたのち,エホバはご自分の聖霊をイエスの上に注ぎ,イエスをキリストつまり油そそがれた者とし,また人に聞こえるように天から,『これはわが愛しむ子,わが喜ぶ者なり』と述べたからです。(マタイ 3:13-17。ヨハネ 1:29-34)したがって,その時,神の対型的な祭壇が存在するようになり,またその上に,受け入れられうる罪祭が備えられました。その時以降,イエス・キリストは,ご自分の人間としての犠牲を死に至るまで管理しながら,対型的な祭司の中庭を歩んでゆかれました。大いなる対型的な贖いの日は始まりました。そして,神の大祭司,イエス・キリストは,チスリ10日の年ごとの贖いの日にエルサレムの神殿でアロンの家系の大祭司が行なったと同様の仕方で,神の真の霊的な「祭壇」で仕えていたのです。―ヘブル 8:1-6。
[143ページの図]
(正式に組んだものについては出版物を参照)
幕屋の平面図
北
西
南
東
至聖所
箱
幕
聖なる所
机
香壇
燭台
仕切り
中庭
水盤
燔祭の祭壇
門
[144ページの図版]
幕屋と同様,ソロモンの神殿は,神の霊的な神殿 ― イエスのなだめの犠牲に基づきエホバに近づいて崇拝を行なう取り決め ― を予表していた