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  • 長老たち,牧羊の責任を真剣に考えなさい
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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1985
塔85 11/15 23–27ページ

長老たち,牧羊の責任を真剣に考えなさい

「あなた方にゆだねられた神の羊の群れを牧しなさい」― ペテロ第一 5:2。

 1 神に是認される人を象徴するために羊が用いられるのはなぜ非常に適切ですか。

エホバ神の恵みを受ける人間を象徴するために羊が用いられているのは実に適切なことです。羊は教えやすい動物で,羊飼いの声に反応し,すぐに従って来ます。同様に神の羊のような人々は,りっぱな羊飼いイエス・キリストに喜んで導かれます。それらの人々はりっぱな羊飼いを知っており,その声にこたえ応じ,喜びにあふれてその指導を受け入れます。(ヨハネ 10:11-16)もちろん,良い羊飼いがいなければ文字通りの羊はたちまち臆病で無力になってしまいます。ですから,イエス・キリストが「羊飼いのいない羊のように痛めつけられ,ほうり出されていた」人々に哀れみを感じられたのも不思議ではありません。―マタイ 9:36。

 2 エホバは,愛の欠けた「イスラエルの牧者たち」のもとで苦しんでいた羊のような人々をどのようにみなされましたか。

2 エホバ神は,聖書の中で「羊」と呼ばれている,正直な心を持つ人々の霊的な福祉に深い関心をお持ちです。例えば,神は預言者エゼキエルを通して,「イスラエルの牧者たち」,つまり羊をほうっておいて自分を養っていた,責任を持つ男子に災いを宣告されました。しかしエホバは,羊のような人たちが救助されずに苦しむままにはされませんでした。エホバはこう言われたからです。「わたしは失われたものを尋ね求め,追い散らされたものを連れ戻し,打ち砕かれたものに包帯をし,病んでいるものを強める」― エゼキエル 34:2-16。

 3 イエス・キリストはどのように羊に対する関心を示されましたか。

3 りっぱな羊飼いイエス・キリストも,羊のような人たちに対して同様の関心をお持ちです。そのためイエスは天に上る前,羊たちがふさわしい世話を受けるよう願っておられることを言い表わされました。使徒ペテロに向かって,『わたしの子羊たちを養いなさい,わたしの小さな羊たちを牧しなさい,わたしの小さな羊たちを養いなさい』と言われたのです。(ヨハネ 21:15-17)さらに,その後も愛ある配慮が必ず羊たちに示されるように,イエスは「キリストの体」を築き上げるため,『ある者を牧者として』お与えになりました。―エフェソス 4:11,12。

 4 使徒パウロは,霊によって任命された「年長者たち」に何をするよう勧めましたか。

4 神もキリストも羊のような人たちに対してそうした深い愛と関心を持っておられるので,神の羊の従属の羊飼いとなることは非常に責任の重い割り当てです。それで使徒パウロは,霊によって任命された,エフェソスの「年長者たち」に,『神の会衆を牧し』,会衆に然るべき配慮を払うように勧めました。(使徒 20:17,28)では,任命された長老はどのようにこの責任を正しく顧みることができるでしょうか。

牧者は指示を受ける

 5 ペテロは仲間の監督たちにどんな諭しを与えましたか。

5 イエスの羊を養うよう求められていた使徒ペテロは仲間の監督たちにこう述べました。「あなた方にゆだねられた神の羊の群れを牧しなさい。強いられてではなく,自ら進んで行ない,不正な利得を愛する気持ちからではなく,真剣な態度で牧しなさい。また神の相続財産である人々に対して威張る者のようにではなく,かえって群れの模範となりなさい」。(ペテロ第一 5:1-3)聖霊によって任命された長老たちがこの諭しによく従ってどのように行動できるかを調べてみましょう。

 6 長老たちはどんな態度で「神の羊の群れ」に仕えるべきですか。

6 ペテロは仲間の長老たちに,「あなた方にゆだねられた神の羊の群れを牧しなさい。強いられてではなく,自ら進んで行ない……なさい」と勧めました。霊的な牧者として仕える特権を持つ人々は,羊を世話しなければならないと考えていやいやながらその仕事を行なうようであってはなりません。この仕事が一種の骨折り仕事でもあるかのように,あるいは他の人から群れの羊を牧するように突かれているかのように,無理強いされていると考えるべきではありません。むしろ長老たちは進んで行なう精神をもって仕えるべきです。(詩編 110:3と比較してください。)ある人が他の人のために自ら進んで善を行なうときには,心をこめてそれを行ない,力を尽くし,他の人の益を図って余分の努力を払うのが普通です。自ら進んで行なう長老は自分の時間とエネルギーを惜しまず与えます。時々羊が迷い出てしまうことも知っているので,羊のような人々に対する神の関心に倣い,彼らを助けたいと願います。迷い出てしまったイスラエル人に対するエホバの関心は非常に強く,「わたしは,わたしの名を呼び求めていなかった国民に,『わたしはここにいる,わたしはここにいる!』と言った」と述べておられるほどです。―イザヤ 65:1。

 7,8 (イ)不正な利得を愛することなく牧羊の業を行なうとはどんな意味ですか。(ロ)真剣な態度で仕えるとは,どのようにすることを意味しますか。

7 牧羊の業は「不正な利得を愛する気持ちからではなく,真剣な態度で」行なうべきである,とペテロは述べました。任命された長老たちは,羊の重荷になりたいとは思いません。それが使徒パウロの示した態度でした。パウロはテサロニケのクリスチャンに次のように述べたからです。「兄弟たち,あなた方は,わたしたちの労と刻苦とを覚えているはずです。わたしたちは神の良いたよりをあなた方に宣べ伝えましたが,それは,あなた方のだれにも費用の面で重荷を負わせないようにするために,夜昼働きながらのことでした」。パウロはさらに次のことを思い起こさせました。『わたしたちは,あなた方の間で無秩序な振る舞いをせず,まただれからもただで食物を受けたりはしませんでした。むしろ,労と刻苦とを重ねて夜昼働き,あなた方のだれにも費用の面で重荷を課さないようにしたのです』。―テサロニケ第一 2:9。テサロニケ第二 3:7,8。

8 同様に,神の今日の羊の群れの忠実な牧者たちも,羊の持ち物を貪欲に欲しがったり,彼らに費用を出させて不正な利益を得ようとしたりしません。(ルカ 12:13-15。使徒 20:33-35)パウロは,これら監督となる資格を持つ人々が『不正な利得に貪欲であってはならない』ことを示しました。(テトス 1:7)むしろ,真剣な態度で仕え,自分たちの仕事に熱烈な関心を抱き,自分たちにゆだねられた羊の益を求めてゆかなければなりません。(フィリピ 2:4)このようにしてこれらの牧者たちは,エホバ神とそのみ子イエス・キリストがお示しになったように,羊に対する利他的な関心を示します。

 9 クリスチャンの牧者が,『神の相続財産である人々に対して威張ってはならない』のはなぜですか。

9 ペテロは,長老たちが『神の相続財産である人々に対して威張る者のようにではなく,かえって群れの模範となって』エホバの民を牧すべきである,とも述べました。愛ある牧者は,尊大な態度を取ったり,羊に対して威張ったりして権威を誤用しないよう注意を払います。誇りの精神はクリスチャンのものではないので,エホバを喜ばせることを願うすべての人々はそれを避けなければなりません。箴言 21章4節は,「ごう慢な目と尊大な心,邪悪な者たちのともしびは罪である」と述べています。またイエスは追随者たちにこう言われました。「あなた方は,諸国民の支配者たちが人々に対して威張り,偉い者たちが人々の上に権威を振るうことを知っています。あなた方の間ではそうではありません。かえって,だれでもあなた方の間で偉くなりたいと思う者はあなた方の奉仕者でなければならず,だれでもあなた方の間で第一でありたいと思う者はあなた方の奴隷でなければなりません」。(マタイ 20:25-27)確かに長老たちは,群れを形造っているのが神の羊であり,それらの人たちを厳しい仕方で扱ってはならないことを思い起こすべきです。

10 (イ)エゼキエルの時代,神の牧者のある者たちは何を行なっていましたか。(ロ)忠節な監督たちは,どのように羊の群れに対するりっぱな模範となっていますか。

10 エゼキエルの時代の利己的な牧者にエホバはこう言われました。「あなた方は病気のものを強めず,病んでいるものをいやさず,打ち砕かれたものに包帯をせず,追い散らされたものを連れ戻さず,失われたものを見いだそうとせず,かえって,過酷に,それも圧制的に彼らを従わせた」。それから神は,過酷な牧者たちが『病気になっているすべてのものを突き,ついにはこれを散らしてしまった』と言われました。(エゼキエル 34:4,20,21)しかし,今日の「神の羊の群れ」の愛ある牧者の場合は違います。彼らは自らの権威を誇示することなく,1匹の羊をもつまずかせないように注意を払います。(マルコ 9:42と比較してください。)むしろそのような長老は,愛ある助けと励ましを与えます。それに加えて,祈りのうちにエホバに依り頼み,「語ることにも,行状にも,愛にも,信仰にも,貞潔さにも」りっぱな手本となるよう懸命に働きます。(テモテ第一 4:12)その結果,羊は自分たちが愛ある,神を恐れる牧者の世話を受けていることを知って,満足感と安心感を覚えます。

危険が羊に臨む

11 なぜ現代の牧者は,羊が安心感を抱けるよう神の羊の群れを十分に世話しなければなりませんか。

11 今日,羊のような人々は,群れを保護するために長老が与える細かな配慮によって安心感を覚え,自信を与えられる必要があります。(イザヤ 32:1,2)クリスチャンは「終わりの日」をしるし付けるこの「危機的な時代」に数々の危難に遭うので,特にそう言えます。(テモテ第二 3:1-5)詩編作者ダビデも危険に遭いましたが,「エホバはわたしの牧者。……たとえ深い陰の谷を歩もうとも,わたしは何も悪いものを恐れません」と言うことができました。(詩編 23:1-4)神の羊の群れの現代の牧者たちは,これら羊のような人たちがダビデのようにエホバを非常に身近に感じるよう,羊を十分に世話しなければなりません。それら羊のような人々は,神の組織の一部として安心感をも抱いていなければなりません。

12 羊を,現代のどんな傾向から守らなければなりませんか。この点に関して長老はどのように助けになれますか。

12 神の羊の群れに属する人々をある危険から保護することが必要です。その危険とは,無節操で不道徳な行為に走ろうとする現代の傾向です。テレビを通して,あるいは他の媒体を通して示される現在の娯楽の形態が主な理由となって,多くの人は神の言葉に記されている規準と真っ向から衝突する生活様式を育んできました。今日,会衆内で備えられる健全な聖書的な諭しによって,はなはだしい性的な不行跡を伴う,何をやっても構わないというこの世の態度を相殺する必要があります。したがって,羊の群れの牧者たちは,道徳の問題について聖書が教えていることを熟知していなければなりません。さらに,エホバへの奉仕のために清さを保つという責任を羊に絶えず思い起こさせるべきです。―テトス 2:13,14。

13 (イ)ユダの手紙は,どんな危険に対処するための健全な諭しを与えていますか。(ロ)長老たちは背教者に関してどんな立場を取るべきですか。

13 背教者からもたらされる危険もあります。19世紀前に,偽教師であったある「不敬虔な者たち」が会衆に忍び込んだことを思い起こしてください。彼らは「水の下の隠れた[危険な]岩」であり,自らを肥やす偽りの羊飼い,分離を起こし霊性を欠く動物的な人間でした。ユダの手紙は,長老とすべての忠実な信者が「信仰のために厳しい戦いをする」ことを可能にする健全な諭しを与えています。(ユダ 3,4,12,19)長老が,分裂をもたらそうとするどんな人に対しても確固とした立場を保つべきなのは言うまでもありません。パウロは,「あなた方が学んだ教えに逆らって分裂とつまずきのきっかけをもたらす人たちに目を留め,その人たちを避けなさい」と書いているからです。(ローマ 16:17)ですから牧者にはこのような,また他の『羊の覆いを付けたおおかみ』から群れを守る責任があるのです。―マタイ 7:15。

他の面で羊を助ける

14,15 どうすれば長老たちは,互いを不親切に扱う仲間の信者たちを助けることができますか。

14 「神の羊の群れ」を牧するには,会衆内で生じ得るさまざまな問題に関して羊を助けることが求められるかもしれません。時には,羊が羊と争いを始めることさえあるかもしれません。ささいな問題のために,ある人々は互いを不親切に扱い始めるかもしれません。そのような人たちは互いに中傷し合うまでになり,最後にはエホバへの奉仕における以前の仲間たちとの交わりをやめてしまい,霊的にはなはだしい害を身に受けることもあります。―箴言 18:1。

15 霊的な牧者はそうした仲間の信者を助けるために極めて機敏でなければなりません。例えば,互いに中傷し合うことがいかに間違っているか,そして忠節なクリスチャンは皆,会衆の一致を保つために努力しなければならないことを指摘する必要があるかもしれません。(レビ記 19:16-18。詩編 133:1-3。コリント第一 1:10)長老は,「もしあなた方がかみ合ったり食い合ったりすることを続けているのであれば,互いによって滅ぼし尽くされてしまうことのないよう気をつけなさい」というパウロの警告を指摘し,助けることができるかもしれません。―ガラテア 5:13-15。ヤコブ 3:13-18。

16 会衆内に何らかの不健全な傾向が認められるとき,長老は何をしなければなりませんか。

16 長老の皆さん,悪魔が『ほえるライオンのように[うろつき回り],だれかをむさぼり食おうとしている』ことを思い起こしてください。(ペテロ第一 5:8)まことのクリスチャンは皆,肉と血に対する闘いではなく,邪悪な霊の勢力に対する闘いをしています。(エフェソス 6:10-13)忠実な牧者は,羊がサタンに出し抜かれることを決して望みません。ですから,羊のような人々がクリスチャンの集会を休み始めるとすれば,気遣いを示す長老はその理由を見極めるよう努め,適切な霊的な助けを差し伸べなければなりません。牧者は,羊の群れの様子を知り,会衆内のどんな不健全な傾向にも用心しなければなりません。(箴言 27:23)野外宣教を軽視したり,個人研究をないがしろにしたり,気晴らしや物質主義的な事柄の追求に過度にかかわったりする傾向が幾らか見られるなら,これら責任ある男子は事態の改善を図らなければなりません。「神の羊の群れ」を世話する長老たちは,エホバとりっぱな羊飼いイエス・キリストに見倣い,ふさわしい仕方で個人的な援助を差し伸べたり,時には集会で必要な諭しを与えたりします。(ガラテア 6:1)こうした方法により,愛ある長老たちは,自分たちが牧羊の責任を真剣に考えている証拠を示します。―使徒 20:28。

牧羊は真剣に取り組むべきもの

17 長老の資格を得るためには何が求められますか。

17 長老として「神の羊の群れ」を牧するのは非常に骨の折れる仕事です。そのような特権の資格を得るために必要とされる高い規準は,テモテ第一 3章1節から7節,テトス 1章5節から9節,ペテロ第一 5章1節から4節に明確に記されています。霊的な男子だけがこの責任を正しく担うことができるわけですから,どんな兄弟でもその立場で仕えることができるわけではありません。(コリント第一 2:6-16)現在長老として奉仕していない大勢の男子はこの特権の資格を得ることができますが,まず最初に「監督の職をとらえようと努め」なければなりません。神の言葉の深い理解を得るために聖書を真剣に学ぶ者でなければなりません。実に,そのような兄弟たちは,自分たちが長老,つまり「神の羊の群れ」の適格な牧者として任命されるにふさわしい聖書的な要求にかなっているゆえに推薦に値することを示さなければなりません。

18 パウロは諸会衆についてどのように感じていましたか。パウロと同じ気持ちを持っている人がほかにもいますか。

18 エホバ神のもとで仕えているのは,クリスチャン会衆の頭であり,りっぱな羊飼いであるイエス・キリストです。(ヨハネ 10:11。コリント第一 11:3。エフェソス 5:22,23)イエスは,正しく羊を導き保護する,その群れの従属の羊飼いを持っておられることに大きな喜びを感じておられるはずです。それらの霊的な男子は,クリスチャンの長老に関して記されている聖書の高い資格にかなっています。さらに,彼らは使徒パウロが明らかにしたのと同じような,羊に対する強い関心を抱いています。パウロはこう書きました。「そうした外的な事柄[困難と苦しみ]に加えて,日ごとに押し寄せて来るもの,すなわちすべての会衆に対する心配があります。だれかが弱くて,わたしが弱くないことがあるでしょうか。だれかがつまずいて,わたしがいきり立たないことがあるでしょうか」。(コリント第二 11:23-29)パウロは広範な地域を旅行し,今日の旅行する監督たちが経験しているような,「会衆に対する心配」を日々経験しました。同様に,個々の会衆の任命された長老たちは,霊的な牧者として自分たちに世話がゆだねられた群れの中にいる羊に対する心配を経験します。

19 ヘブライ 13章17節を人々が自分に当てはめ,長老たちが牧羊の責任を真剣に考え続けるなら,どんな結果が生じますか。

19 「神の羊の群れ」を牧するのはたいへんな仕事ですが,非常に報いの多い仕事です。ですから,羊の群れの牧者の皆さん,ご自身の貴重な特権を注意深く守ってください。神の羊を十分に世話してください。そして羊のような人々は皆,聖霊によって任命された従属の牧者に十分に協力したいものです。「あなた方の間で指導の任に当たっている人たちに従い,また柔順でありなさい。彼らは言い開きをする者として,あなた方の魂を見守っているのです」とパウロは勧めました。(ヘブライ 13:17)エホバに心から自分をささげた人々すべてが共に一致して働くなら,自らの牧羊の責任を真剣に考えるクリスチャンの長老たちの忠実な奉仕から,引き続き大きな霊的な祝福と益がもたらされることでしょう。

説明できますか

□ 霊的な牧者が自ら進んで仕えるべきなのはなぜですか

□ 長老たちが不正な利得に対する愛を持たないようにすべきなのはなぜですか

□ 長老たちが神の羊の群れに対して威張るのはなぜ間違ったことですか

□ 監督たちが羊の群れの模範となるべきなのはなぜですか

□ 牧者は「神の羊の群れ」を幾つかの危険から守る必要がありますが,そうした危険にはどのようなものがありますか

[25ページの図版]

気遣いを示した古代の羊飼いのように,現代の長老たちも愛のうちに『神の羊の群れを牧す』

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