目的のある教育
「義なる者に知識を分け与えよ。そうすれば,彼は学識を増すであろう」― 箴言 9:9。
1 エホバは知識に関して,ご自分の僕たちに何を期待しておられますか。
エホバは「知識の神」であられます。(サムエル第一 2:3)エホバはご自分の僕たちに教育を施されます。モーセは,イスラエルについて同じ時代の人々が,「この大いなる国民は確かに知恵と悟りのある民だ」と言うであろう,と予告しました。(申命記 4:6)同様に真のクリスチャンも,豊かな知識を持っていなければなりません。神の言葉の優れた研究者でなければなりません。使徒パウロはそうした研究の目的を示し,こう書きました。「わたしたちは,……あなた方があらゆる知恵と霊的な把握力とにより,神のご意志に関する正確な知識に満たされるようにと祈り求めてやみません。それは,あなた方があらゆる良い業において実を結び,また神に関する正確な知識を増し加えつつ,神にじゅうぶん喜ばれる者となることを目ざしてエホバにふさわしい仕方で歩むためで(す)」― コロサイ 1:9,10。
2 (イ)神に関する正確な知識を得るためには,何が必要ですか。(ロ)エホバの証人の統治体は,どのようにこの問題と取り組んできましたか。
2 神と神の目的に関する正確な知識を得ることを念頭に置いて研究するには,少なくとも最低限の教育が必要です。しかし,神の言葉の真理を学ぶようになった大勢の人々は,適切な世俗の教育を受ける機会がほとんど,あるいは全くないような国で生活しています。そのような人々は不利な状況に置かれています。エホバの証人の統治体はこの問題を克服するため,これまで多年にわたり,必要な場合には,是非とも会衆内に読み書きを学ぶクラスを設けるよう指示してきました。30年余り前のことですが,ブラジルの新聞「ディアリオ・デ・モジ」は,「エホバの証人は文盲と戦う」という題の記事を掲載し,こう述べました。「資格のある教訓者が,……他の人たちに忍耐強く読み書きを教え始めている。……生徒は,神の奉仕者としての自分たちを駆り立てる状況そのものに動かされ,話をすることを目的にして,言語の知識を蓄えなければならない」。そのようにして,世界中で非常に多くの人々が,神の言葉の良い研究者となることができました。彼らは,高められた目的を念頭に置いて,こうした基本的な教育を受けたのです。
効果的な奉仕者になるために必要な技術
3,4 (イ)真のクリスチャンが教育に関心を抱いているのはなぜですか。(ロ)イスラエルにはどんな状況が見られましたか。今日のわたしたちの会衆内において,どんな基本的な教育は欠かすことができませんか。
3 真のクリスチャンは教育に関心を抱いていますが,それは教育自体のためではなく,一層効果的なエホバの僕となるためです。キリストは,「すべての国の人々を弟子とし,……わたしがあなた方に命令した事柄すべてを守り行なうように教え(る)」ことを,すべてのクリスチャンの任務とされました。(マタイ 28:19,20)他の人々を教えるためには,まず彼ら自身が学ばなければなりませんが,そのためには良い研究方法が必要になります。聖書を注意深く調べる能力がなければなりません。(使徒 17:11)その任務を遂行するために,流暢に読む力も必要とされます。―ハバクク 2:2; テモテ第一 4:13をご覧ください。
4 前の記事で理解できたように,古代イスラエルの若者たちでさえ,一般的に読み書きを知っていたと考えてよい確かな理由があります。(裁き人 8:14。イザヤ 10:19)今日のクリスチャンの奉仕者は,家から家に証言を行なう際,きちんとしたメモを取らなければなりません。手紙も書けば,集会でノートを取り,研究資料に書き込むこともします。読みやすい文字が書けなければ,こうしたことは何一つ行なえません。クリスチャン会衆内で記録を保つには,最低限,基本的な計算能力が必要です。
適切な学校教育に伴う利点
5 (イ)「スクール(学校)」という英語の語源は何ですか。(ロ)若者たちは,どんな時をとらえるべきですか。
5 興味深いことに,「スクール(学校)」という英語の元になったギリシャ語のスコレーは,元来「余暇」,もしくは何らかの真面目な活動 ― 例えば勉強 ― のために余暇を使うことを意味しました。それが後代には,そのような勉強を行なう場所を表わすようになりました。このことには,ある時期,ギリシャや他のほとんどの国では,特権階級だけが学ぶための余暇を持っていたことが示唆されています。労働者階級は一般に無知のままでした。今日,大抵の国では,子供たちと若い人たちに学ぶ時間が与えられています。確かに,年若い証人たちは,豊かな知識を身に着けてエホバの有能な僕となるために,よい時を買い取るべきです。―エフェソス 5:15,16。
6,7 (イ)適切な学校教育にはどんな幾つかの利点がありますか。(ロ)外国語を学ぶことは,どんな点で役立ちますか。(ハ)学校を終える時点で,今日の多くの若者たちは,どんな状態にありますか。
6 歴史,地理,科学などに関する基本的な知識があれば,年若い証人たちは釣り合いの取れた奉仕者になることができます。彼らは,学校教育を受けることによって,多くの科目だけでなく,学び方についても教えられます。真のクリスチャンは学校を卒業した後も,勉強と研究をやめません。しかし,彼らが研究から得る事柄は,研究の仕方を知っているかどうかに大きく左右されることでしょう。世俗の学校教育も会衆内の教育も,彼らの思考力を培うための助けとなります。(箴言 5:1,2)彼らが読むとき,重要な事柄,つまり注意を払って記憶するに値する事柄を見分ける力もついてくるでしょう。
7 例えば,外国語を学ぶなら,若い人々の知力が発達するだけでなく,エホバの組織にとって彼らは一層有用な者となります。ものみの塔協会の幾つかの支部では,大勢の若い兄弟たちが,英語を流暢に話せたり読めたりすることには利点が伴うことに気づいています。さらに,すべてのクリスチャンの奉仕者は,母国語ではっきり話せるよう努力しなければなりません。王国の良いたよりには,はっきりと,文法的にも正確に伝えるだけの価値があるのです。事実が示すところによると,今日の世界において,多くの若者たちは,学校を終える時になっても,正確に書いたり話したりすることや,ごく単純な計算をすることが上手にできません。歴史や地理の知識も至極あいまいです。
適切な教育
8 世俗の教育や自活する能力に関連しているのはどんな聖句ですか。
8 ですから,ここで,世俗の教育に対するクリスチャンの態度について考慮するのはふさわしいと言えるでしょう。この問題にはどんな聖書的原則が関係しているでしょうか。まず第一に,大抵どの国でも,「カエサル」に対するふさわしい服従を示すため,クリスチャンである親は子供たちを学校に通わせなければなりません。(マルコ 12:17。テトス 3:1)若い証人たちに関して言えば,学業に携わる間,「何をしていても,人にではなくエホバに対するように魂をこめてそれに携わりなさい」と述べるコロサイ 3章23節の言葉を忘れてはなりません。関係している二つ目の原則は,クリスチャンは全時間の開拓奉仕者であるとしても,自活できなければならないということです。(テサロニケ第二 3:10-12)結婚している男子であれば,自分の妻と,生まれてくるかもしれない子供たちをきちんと扶養できなければなりません。困っている人たちに与えたり,地元でも世界中でも行なわれている伝道活動を支えたりするための余分も,幾らか見込んでおきます。―エフェソス 4:28。テモテ第一 5:8。
9,10 (イ)多くの国では,どんな傾向が見られますか。(ロ)開拓奉仕者はどの程度のものを,適切な給料とみなすことができますか。
9 それらの聖書の原則に敬意を払い,クリスチャンとしての自分の責任を果たすために,若いクリスチャンにはどれほどの教育が必要でしょうか。それは国によって異なります。とはいえ,一般的には,人並みの給料を得るために必要とされる学校教育のレベルは,数年前に比べると高くなっているというのが,多くの国における全般的傾向のようです。世界各地のものみの塔協会の支部から寄せられた報告は,法的に要求されている最低限の学校教育を受けただけでは,また国によっては,中学と高校を終えた後でさえ,人並みの給料が得られる仕事は見つけにくいことを示しています。
10 「人並みの給料」とはどんな意味でしょうか。高給の仕事のことではありません。「ウェブスターの辞典」はこの文脈における「人並みの(英語はdecent)」という語を,「適切な,満足のゆく」と定義しています。例えば,良いたよりの開拓奉仕者となることを願う人たちにとって,どの程度が「適切」と言えるでしょうか。一般にそのような人たちは,自分の兄弟たちや家族に「費用の面で重荷」を負わせないようにするため,パートタイムの仕事を必要とします。(テサロニケ第一 2:9)彼らの給料は,その額で自分のクリスチャン宣教を果たすための十分な時間と力が残り,なおかつ人並みの生活ができるようなら,「適切な」,「満足のゆく」ものだと言えるかもしれません。
11 ある若い人たちが開拓奉仕を断念したのはなぜですか。どんな質問が生じますか。
11 今日,どのような状況がしばしば見られるでしょうか。幾つかの国では,良い意図を持つ大勢の若者たちが,開拓者になるため,最低限必要な学校教育を終了した後に学校を離れている,と報告されています。彼らには身に着けた技術もなければ,世俗的な資格もありません。親の援助がないなら,パートタイムの仕事を探さなければなりません。借金をせずに生活するため,非常に長い時間働くことを要求される仕事を受け入れなければならない人もいました。彼らは体力を使い果たし,開拓宣教を断念しました。自活し,開拓奉仕に戻るため,彼らに何が行なえるでしょうか。
教育に関する釣り合いの取れた見方
12 (イ)教育に関して,クリスチャンはどんな二つの極端な見方を避けますか。(ロ)エホバの献身した僕たちと彼らの子供たちにとって,教育はどんな目的を果たすはずですか。
12 教育に関して釣り合いの取れた見方をすることは助けになります。この世の多くの若い人たちにとって,教育はステータス・シンボル(地位の象徴)であり,出世の助け,裕福で物質主義的な生き方をするためのかぎです。学校教育が,なるべく早く済ませたい退屈なものとなっている人もいます。これらはいずれも,真のクリスチャンにとってふさわしい見方ではありません。では,どのような見方を「釣り合いの取れた見方」と呼べるのでしょうか。クリスチャンは教育を,ある目的のための手段とみなすべきです。今の終わりの日における彼らの目的は,できるだけ多く,できるだけ効果的にエホバに仕えることです。自分の住んでいる国で,最低限の教育しか受けていない人が,あるいは高校程度の教育を受けた人であっても,開拓者として自活するには不十分な収入の仕事しか得られないのであれば,補足的な教育や訓練について考慮できるでしょう。それは,全時間奉仕という明確な目標を持った教育と訓練です。
13 (イ)フィリピンの一姉妹はどのようにして,家族の責任を果たしながら開拓奉仕を続けることができましたか。(ロ)どんな警告は時宜にかなっていますか。
13 中には,職業訓練の課程を選んだため,全時間奉仕を行なうことや再開することを可能にする仕事が得られた人たちもいます。フィリピンの一姉妹は家族を養っていましたが,開拓奉仕を希望していました。支部からの報告によると,「彼女は,公認会計士の資格を得るための特別な教育を受けていたので,これまで開拓奉仕ができました」。同じ支部からの報告はこう述べています。「わたしたちの国には,勉強を続けながら,開拓奉仕を行なうために計画を調整できた人たちが大勢います。概してそのような人たちは,世の事柄に対して過度に野心を抱かない限り,勉学に励むにつれ,より良い伝道者になります」。この最後の言葉は熟考すべき理由を与えてくれるはずです。特別な学校教育が必要に思える場合でも,その教育の目的を見失ってはならず,その目的を物質主義的な目標に変えてはならないのです。
14,15 (イ)教育に関して厳密な規則を設けるべきでないのはなぜですか。(ロ)責任を持つある兄弟たちは,世俗のどんな教育を受けましたか。しかし,その教育を補うものとなってきたのは何ですか。
14 中学や高校で職業訓練を受けることができるため,卒業の時期までに若いクリスチャンは何かの技術や職業の備えができているという国も幾つかあります。それが当てはまらない場合でさえ,ある国では,基礎的な学校教育しか受けていない進取の気性に富んだ若者たちがパートタイムの仕事を見つけ,開拓奉仕を行なえるだけの生活費を得ることができます。それで,特別な教育の是非に関して,厳密な規則を設けるべきではありません。
15 現在,旅行する監督として,あるいは協会の本部や支部の一つで責任ある立場を与えられて奉仕している人の中にも,基礎的な教育しか受けていない人たちが大勢います。彼らは忠実な開拓者であり,学ぶことを決してやめず,訓練を受け,より大きな責任を委ねられてきました。彼らは後悔していません。一方,彼らと同じ時代の人で,大学教育を受ける道を選んで脇道へそれ,信仰を破壊する哲学と「この世の知恵」に征服されてしまった人々もいます。―コリント第一 1:19-21; 3:19,20。コロサイ 2:8。
費用を計算する
16 (イ)さらに進んだ教育が望ましいものかどうかを決定するのはだれですか。どんな事柄を第一に考えるべきですか。(ロ)どんな事柄を考慮に入れるべきですか。
16 若いクリスチャンがさらに進んだ教育や訓練を受けるべきかどうかは,だれが決定するのでしょうか。この問題に適用されるのが,頭の権に関する聖書の原則です。(コリント第一 11:3。エフェソス 6:1)親はこれを根拠として,身に着ける技術や職業の選択においても,ひいては必要とされる教育の程度についても,子供たちに導きを与えたいと思うに違いありません。教育や職業の選択を早くも中学や高校で行なわなければならない国も少なくありません。それは,クリスチャンである親と若者が王国の関心事を第一に考えて,エホバの導きを求めながら賢明な選択をする必要がある時です。若い人たちの性質と適性はみな異なっています。賢明な親はその点を考慮に入れます。肉体労働であれ事務系の仕事であれ,誠実に行なわれる仕事はすべて貴いものです。この世は事務職を高め,骨の折れる肉体労働をさげすむかもしれませんが,聖書は決してそうではありません。(使徒 18:3)ですから,今日の親と若いクリスチャンが,賛否両論を注意深く祈りのうちに比較考量して,高校卒業後の勉強を取るか取らないかを決定する時,会衆内の他の人たちは彼らを批判すべきではありません。
17 あるエホバの証人の親たちは,子供たちのためにどんな選択をしますか。
17 クリスチャンである親が子供たちに高校卒業後の教育を受けさせることを責任を持って決定するなら,それは彼らの自由です。そうした勉強を行なう期間は,選んだ技術や職業のタイプによって異なるでしょう。経済的な理由で,さらには子供たちができるだけ早く全時間奉仕に入れるよう,クリスチャンである多くの親は,子供たちのために,職業や技術を教える学校の短期課程を選んできました。場合によっては,若者たちに,何かの技術の訓練を施す必要がありますが,全生活をエホバへの奉仕にささげることを常に目標としなければなりません。
18 付加的な課程を選択する場合,どんなことを念頭に置くべきですか。
18 付加的な課程を選択する場合,決して学者風を吹かせようとか,この世的に誉れのある職業を求めようという動機を抱いてはなりません。履修課程は慎重に選択すべきです。本誌は高等教育の危険を強調してきましたが,それは正当なことでした。高等教育の多くは聖書の「健全な教え」に反しているからです。(テトス 2:1。テモテ第一 6:20,21)さらに,1960年代以降,高等教育を施す多くの学校は,不法と不道徳の温床となっています。「忠実で思慮深い奴隷」はそのような環境に身をさらすことがないよう強く勧めてきました。(マタイ 24:12,45)しかし,今日の若者たちが中学や高校でも,専門学校でも,さらには職場においてさえそうした同じ危険に直面していることを認めなければなりません。―ヨハネ第一 5:19。a
19 (イ)補足的な課程を選ぶことにした人たちは,どんなことに用心すべきですか。(ロ)ある人たちは,どのように自分の受けた教育を活用してきましたか。
19 若い証人が補足的な教育を受けることにした場合,もし可能ならば,それを自宅で行なうのは得策でしょう。そうすれば,通常の,クリスチャンとしての研究の習慣,集会の出席,伝道活動を維持できます。最初から聖書の原則に関する正しい立場を取るべきです。次のことを忘れてはなりません。ダニエルと3人のヘブライ人の友は,バビロンでの進んだ勉強を行なうよう強制された時,流刑にされた捕虜であったにもかかわらず,終始一貫して忠誠を保ちました。(ダニエル 1章)幾つもの国の若い証人たちは,霊的な関心事を第一にしながら,パートタイムの仕事の準備として,会計士,熟練工,教師,翻訳者,通訳といった職業に関する課程を選んできました。そうした職業は,開拓者という主要な仕事に携わる彼らを十分に支えました。(マタイ 6:33)それら多くの若者たちはその後,旅行する監督やベテル奉仕者になっています。
一致した,教育を受けた民
20 エホバの民の間には,この世に見られるどんな区別の占める場はありませんか。
20 エホバの民の間では,肉体労働,事務職,農業,サービス業など,どんな職業に携わる人であれ,すべての人が聖書の良い研究者となり,有能な教え手となる必要があります。すべての人が得た,読むこと,研究すること,教えることに関する技術は,この世が肉体労働者と事務系の労働者との間に設ける区別を除き去るのに役立ちます。その結果,ベテル・ホームやものみの塔協会の建築現場で働く自発奉仕者の間にはっきり見られる一致と互いに対する敬意が生じます。そのような場所では,霊的な特質が非常に肝要であり,それが全員に求められます。そこでは,経験を積んだ事務職の人が,熟練した肉体労働者と共に喜びをもって働き,すべての人が互いに対する感謝に満ちた愛を表わしています。―ヨハネ 13:34,35。フィリピ 2:1-4。
21 若いクリスチャンは何を目標とすべきですか。
21 親の皆さん,お子さんたちが新しい世の社会の有用な成員となるという目標を目ざして進むよう導いてください。若いクリスチャンの皆さん,自分の教育の機会を用い,エホバへの奉仕における自分の特権をより十分にとらえるための備えをしてください。皆さんすべてが,教えられた者として,現在も,また神の約束された「新しい地」においては永遠に,良い備えのできた,神権社会の成員となることができますように。―ペテロ第二 3:13。イザヤ 50:4; 54:13。コリント第一 2:13。
[脚注]
a 「ものみの塔」誌,1975年12月1日号,734-736ページもご覧ください。
あなたの記憶を試してください
□ 真のクリスチャンが教育に関心を抱いているのはなぜですか
□ 真のクリスチャンは,教育に関するどんな極端な見方を避けますか
□ 付加的な教育に伴うどんな危険を考慮に入れなければなりませんか。どんなことに用心しなければなりませんか
□ エホバの民の間には,この世に見られるどんな区別の占める場はありませんか
[16ページの図版]
若いクリスチャンは勤勉に学ぶことにより,新しい世の社会の,より有用な成員になることができる
[19ページの図版]
さらに進んだ教育を受けることにしたなら,よりよくエホバに奉仕したいという願いを動機としなければならない