8. 私 わたし たちが良 よ くない考 かんが え方 かた や習 しゅう 慣 かん を捨 す て去 さ るために何 なに が助 たす けになりますか。
8 エホバは,私 わたし たちが良 よ くない考 かんが え方 かた や習 しゅう 慣 かん を捨 す て去 さ るのに時 じ 間 かん や努 ど 力 りょく が必 ひつ 要 よう だ,ということをよく知 し っています。(詩 し 103:13,14 )それで,聖 せい 書 しょ や聖 せい なる力 ちから や組 そ 織 しき を通 とお して,私 わたし たちに知 ち 恵 え や力 ちから や支 ささ えを与 あた えてくださっています。あなたも,そうした助 たす けをすでに経 けい 験 けん してきたのではないでしょうか。では,古 ふる い人 じん 格 かく を脱 ぬ ぎ捨 す てて,バプテスマの資 し 格 かく を満 み たすために進 しん 歩 ぽ していく上 うえ で,どんなことができるでしょうか。幾 いく つか考 かんが えてみましょう。
9. 聖 せい 書 しょ はどんな面 めん で助 たす けになりますか。
9 聖 せい 書 しょ を 使 つか って 自 じ 分 ぶん を 分 ぶん 析 せき する。 聖 せい 書 しょ は鏡 かがみ に似 に ているので,自 じ 分 ぶん の考 かんが え方 かた や話 はな し方 かた や行 おこな いを分 ぶん 析 せき する上 うえ で助 たす けになります。(ヤコ 1:22-25 )聖 せい 書 しょ を教 おし えてくれている人 ひと や,クリスチャンとして十 じゅう 分 ぶん に成 せい 長 ちょう した兄 きょう 弟 だい 姉 し 妹 まい は,この点 てん で助 たす けになってくれるでしょう。例 たと えば,聖 せい 書 しょ を使 つか って自 じ 分 ぶん の良 よ い点 てん や改 かい 善 ぜん すべき点 てん に気 き 付 づ けるよう助 たす けてくれます。また,良 よ くない習 しゅう 慣 かん を乗 の り越 こ える上 うえ で役 やく 立 だ つ情 じょう 報 ほう を出 しゅっ 版 ぱん 物 ぶつ から見 み つけられるように教 おし えてくれるでしょう。そして,エホバはいつでも助 たす けてくれます。それも,あなたにとって一 いち 番 ばん 良 よ い方 ほう 法 ほう で助 たす けてくれるのです。エホバはあなたの心 こころ の中 なか をよく知 し っているからです。(格 かく 14:10; 15:11 )ですから,エホバに祈 いの ることと聖 せい 書 しょ を学 まな ぶことを毎 まい 日 にち の習 しゅう 慣 かん にしてください。
10. イーリー兄 きょう 弟 だい の経 けい 験 けん からどんなことを学 まな べますか。
10 エホバの 基 き 準 じゅん が 一 いち 番 ばん 良 よ いものであることを 確 かく 信 しん する。 エホバが求 もと めていることを行 おこな うなら,必 かなら ず私 わたし たちのためになります。エホバの基 き 準 じゅん に従 したが う人 ひと は,自 じ 尊 そん 心 しん を保 たも ち,人 じん 生 せい の目 もく 的 てき を見 み いだし,本 ほん 当 とう に幸 しあわ せになることができます。(詩 し 19:7-11 )一 いっ 方 ぽう ,エホバの基 き 準 じゅん を退 しりぞ ける人 ひと は,罪 つみ 深 ぶか い欲 よく 望 ぼう から出 で ることを行 おこな った結 けっ 果 か ,つらい思 おも いをすることになります。イーリー兄 きょう 弟 だい の経 けい 験 けん を考 かんが えてみましょう。兄 きょう 弟 だい はエホバの証 しょう 人 にん の両 りょう 親 しん に育 そだ てられましたが,10代 だい の頃 ころ に良 よ くない友 とも 達 だち と付 つ き合 あ うようになりました。盗 ぬす みを働 はたら き,薬 やく 物 ぶつ を使 つか い,不 ふ 道 どう 徳 とく なことを行 おこな うようになりました。だんだんと怒 おこ りっぽくなり暴 ぼう 力 りょく 的 てき になっていきました。「実 じっ 際 さい ,クリスチャンとしてすべきではないと教 おし えられていた事 こと 柄 がら は何 なん でも行 おこ なっていたのです」と述 の べています。それでも,幼 おさな い時 とき に親 おや から教 おし えてもらったことを忘 わす れてはいませんでした。やがて,聖 せい 書 しょ を再 ふたた び学 まな び始 はじ めました。そして,良 よ くない習 しゅう 慣 かん を捨 す て去 さ るために一 いっ 生 しょう 懸 けん 命 めい に努 ど 力 りょく し,2000年 ねん にバプテスマを受 う けました。エホバの基 き 準 じゅん に従 したが って,どんな良 よ い結 けっ 果 か になったでしょうか。兄 きょう 弟 だい は,「今 いま では,心 こころ が安 やす らかで良 りょう 心 しん も清 きよ い状 じょう 態 たい にあります」と述 の べています。 この経 けい 験 けん から分 わ かる通 とお り,エホバの基 き 準 じゅん を退 しりぞ ける人 ひと は,自 じ 分 ぶん を傷 きず つける ことになります。それでも,エホバはそうした人 ひと たちが変 へん 化 か できるよう助 たす けたいと思 おも っています。
11. エホバは何 なに を憎 にく みますか。
11 エホバが 憎 にく むものを 憎 にく む。 (詩 し 97:10 )聖 せい 書 しょ によると,エホバは「傲 ごう 慢 まん な目 め ,うそをつく舌 した ,無 む 実 じつ の人 ひと の血 ち を流 なが す手 て 」を憎 にく み,「暴 ぼう 力 りょく 的 てき で人 ひと を欺 あざむ く者 もの をひどく嫌 きら う」方 かた です。(格 かく 6:16,17。詩 し 5:6 )それで,ノアの時 じ 代 だい の邪 じゃ 悪 あく な人 ひと たちを滅 ほろ ぼしました。彼 かれ らのせいで地 ち 上 じょう に暴 ぼう 力 りょく があふれていたからです。(創 そう 6:13 )また,エホバは預 よ 言 げん 者 しゃ マラキを通 とお して,罪 つみ のない配 はい 偶 ぐう 者 しゃ を裏 うら 切 ぎ って離 り 婚 こん しようとたくらむ人 ひと を憎 にく む,と言 い いました。エホバは,そうした人 ひと たちの崇 すう 拝 はい を退 しりぞ け,その行 おこな いに対 たい する責 せき 任 にん を問 と います。(マラ 2:13-16。 ヘブ 13:4 )
腐 くさ っている物 もの は決 けっ して食 た べたくないと思 おも うのと同 おな じように,エホバが悪 わる いと言 い っていることは決 けっ して行 おこな いたくないと思 おも うべき。(11-12節 せつ を参 さん 照 しょう 。)
12. 「悪 わる いことは憎 ぞう 悪 お 」するとはどういうことですか。
12 エホバは私 わたし たちに,「悪 わる いことは憎 ぞう 悪 お 」するよう求 もと めています。(ロマ 12:9 )憎 ぞう 悪 お とは,強 つよ い感 かん 情 じょう を表 あらわ す言 こと 葉 ば で,何 なに かを激 はげ しく憎 にく み,ひどく嫌 きら うことです。腐 くさ っている物 もの を食 た べるようにと言 い われたら,どんな気 き 持 も ちになるでしょうか。考 かんが えただけでも気 き 分 ぶん が悪 わる くなるでしょう。同 おな じように,エホバが悪 わる いと言 い っていることを行 おこな うことを考 かんが えることさえ,非 ひ 常 じょう に不 ふ 快 かい に感 かん じるべきです。
13. 良 よ くない考 かんが えを退 しりぞ けるべきなのはなぜですか。
13 良 よ くない 考 かんが えを 退 しりぞ ける。 考 かんが えは行 こう 動 どう に表 あらわ れるものです。それでイエスは,重 じゅう 大 だい な罪 つみ につながりかねない考 かんが えを退 しりぞ けるよう教 おし えました。(マタ 5:21,22, 28,29 )私 わたし たちはエホバに喜 よろこ んでいただきたいと心 こころ から願 ねが っています。ですから,良 よ くない考 かんが えが思 おも いに浮 う かんだなら,すぐにそれを退 しりぞ けるのは非 ひ 常 じょう に大 たい 切 せつ なことです。
14. 話 はな す言 こと 葉 ば からその人 ひと についてどんなことが分 わ かりますか。どんな点 てん を考 かんが えてみるのは良 よ いことですか。
14 話 はな す 言 こと 葉 ば に 注 ちゅう 意 い する。 イエスは,「口 くち から出 で るものは何 なん でも心 こころ から出 で てくる」と言 い いました。(マタ 15:18 )話 はな す言 こと 葉 ば を聞 き けば,その人 ひと がどんな人 ひと かがだいたい分 わ かります。それで,次 つぎ のように考 かんが えてみるのは良 よ いことです。「自 じ 分 ぶん にとって都 つ 合 ごう が悪 わる い時 とき でも,うそをつかずに正 しょう 直 じき に話 はな すだろうか。不 ふ 道 どう 徳 とく な会 かい 話 わ をきっぱりと退 しりぞ けているだろうか。ひどいことを言 い われた時 とき にも穏 おだ やかに応 おう じるだろうか」。もし結 けっ 婚 こん しているなら,「異 い 性 せい に対 たい して思 おも わせぶりなことを言 い ったりしていないだろうか」と考 かんが えることもできます。話 はな す言 こと 葉 ば は服 ふく のボタンに例 たと えることができます。ボタンを外 はず すなら服 ふく を脱 ぬ ぎやすくなります。同 おな じように,口 くち 汚 ぎたな い言 こと 葉 ば やうそや不 ふ 道 どう 徳 とく な会 かい 話 わ を退 しりぞ けるなら,古 ふる い人 じん 格 かく を脱 ぬ ぎ捨 す てやすくなるでしょう。
15. 古 ふる い人 じん 格 かく を「杭 くい にくぎ付 づ けに」するとはどういうことですか。
15 きっぱりとした 行 こう 動 どう を 取 と る。 パウロは例 たと えを使 つか って,生 い き方 かた を変 へん 化 か させることがどれほど重 じゅう 要 よう かを教 おし えました。古 ふる い人 じん 格 かく を「杭 くい にくぎ付 づ けに」する必 ひつ 要 よう がある,と書 か いたのです。(ロマ 6:6 )イエスが進 すす んで自 じ 分 ぶん を差 さ し出 だ したのと同 おな じように,私 わたし たちもエホバが嫌 きら う態 たい 度 ど や行 こう 動 どう をいわば殺 ころ す必 ひつ 要 よう があります。そのようにして初 はじ めて,やましいところのない良 りょう 心 しん と永 えい 遠 えん に生 い きる希 き 望 ぼう を持 も つことができます。(ヨハ 17:3。 ペテ一 いち 3:21 )エホバが自 じ 分 ぶん の基 き 準 じゅん を私 わたし たちに合 あ わせて下 さ げることはありません。ですから,私 わたし たちがエホバの基 き 準 じゅん に合 あ わせて自 じ 分 ぶん を変 へん 化 か させる必 ひつ 要 よう があるのです。(イザ 1:16-18; 55:9 )
16. 間 ま 違 ちが った欲 よく 望 ぼう と闘 たたか い続 つづ けることを決 けつ 意 い すべきなのはなぜですか。
16 間 ま 違 ちが った 欲 よく 望 ぼう と 闘 たたか い 続 つづ ける。 バプテスマを受 う けた後 あと も,罪 つみ 深 ぶか い傾 けい 向 こう と闘 たたか い続 つづ ける必 ひつ 要 よう があります。マウリシオ兄 きょう 弟 だい の経 けい 験 けん を考 かんが えてみましょう。若 わか い頃 ころ から同 どう 性 せい 愛 あい 行 こう 為 い をしていましたが,やがてエホバの証 しょう 人 にん と出 で 会 あ い,聖 せい 書 しょ を学 まな び始 はじ めました。そして,生 い き方 かた を変 か え,2002年 ねん にバプテスマを受 う けました。兄 きょう 弟 だい は何 なん 年 ねん もエホバに仕 つか えてきましたが,「時 とき には誤 あやま った欲 よく 望 ぼう を鎮 しず めなければならないこともあります」と述 の べています。それでも,兄 きょう 弟 だい は諦 あきら めていません。こう言 い っています。「そうした欲 よく 望 ぼう に従 したが って行 こう 動 どう しないようにすればエホバに喜 よろこ んでいただける,ということを知 し っているので,勇 ゆう 気 き を奮 ふる い起 お こせます」。
17. ナビハ姉 し 妹 まい の経 けい 験 けん から,どんな励 はげ みを得 え られますか。
17 助 たす けを 求 もと めてエホバに 祈 いの り, 自 じ 分 ぶん の 力 ちから ではなく 聖 せい なる 力 ちから に 頼 たよ る。 (ガラ 5:22。 フィリ 4:6 )古 ふる い人 じん 格 かく を脱 ぬ ぎ捨 す て,それを再 ふたた び身 み に着 つ けないようにするには決 けつ 意 い が必 ひつ 要 よう です。ナビハ姉 し 妹 まい の経 けい 験 けん を考 かんが えてみましょう。姉 し 妹 まい は6歳 さい の時 とき ,父 ちち 親 おや に捨 す てられました。「わたしは心 こころ にとても大 おお きな痛 いた 手 で を負 お いました」と言 い っています。大 おお きくなるにつれて,怒 おこ りっぽくて攻 こう 撃 げき 的 てき な性 せい 格 かく になりました。麻 ま 薬 やく の売 ばい 買 ばい に関 かか わるようになり,逮 たい 捕 ほ され,刑 けい 務 む 所 しょ で数 すう 年 ねん 過 す ごしました。やがて,刑 けい 務 む 所 しょ を訪 ほう 問 もん し てくれたエホバの証 しょう 人 にん と聖 せい 書 しょ を学 まな び始 はじ めました。そして,大 おお きな変 へん 化 か を遂 と げることができました。こう言 い っています。「わたしの非 ひ 行 こう の中 なか には,簡 かん 単 たん にやめることができたものもあります。……しかし,たばこはそうはいきませんでした」。たばこをやめるために1年 ねん 以 い 上 じょう 闘 たたか い,ようやくやめることができました。何 なに が助 たす けになったのでしょうか。「何 なに よりも,やめられるよう絶 た えずエホバに祈 いの ったことです」。姉 し 妹 まい はこう言 い っています。「わたしは,『エホバに喜 よろこ ばれるための変 へん 化 か を遂 と げることがこのわたしにもできたのであれば,だれにでも できる』と確 かく 信 しん しています」。