現代において勝利を収める信仰
貧困,飢え,病気,犯罪,憎しみ,そして暴力。わたしたちの周囲にはこうした難しい問題が山積しています。しかも,現代のこれらの問題はしだいに深刻の度を増しています。人目には安定しているように見える結婚生活が破たんをきたし,家庭は崩壊しつつあります。不道徳な行為や麻薬の乱用にふける若者が増えており,若い人々の将来が憂慮されています。友情は薄れ,不安や恐れ,不信の念が増し加わっています。生活からは喜びが奪われ,生活の質はしだいに低下しています。
なんという悲しい事態でしょう。しかし,わたしたち各自もこれらの問題にある程度立ち向かわなければなりません。聖書に基づく信仰は,この点でわたしたちを助けるものとなるでしょうか。それとも,そうした信仰は,現代の問題を扱うにはあまりにも時代遅れで役に立たないものでしょうか。
聖書を生活に適用する
世界の各地で開かれた「勝利の信仰」国際大会で,エホバの証人は,「わたしたちの信仰の宣言」に熱意を込めて加わりました。この中で,証人たちは,他の様々な点に触れると同時に,人類が深刻な問題を抱えており,不安や恐れや不信の念が広まっている現状を認めています。しかし,証人たちの宣言は力強く次のように告げています:
「それと対照的に,わたしたちは,神の言葉に忠実に従うなら何が生み出されるかを見,また自ら経験してきました。つまり,わたしたち自身の生活や家庭における大きな変化,満足感と平和な人間関係と私心のない愛と暖かさによる数々の益です。わたしたちは,東洋と西洋,すべての大陸また島々のあらゆる背景の心の正直な人々に訴える『良いたより』の力を見てきました。また,信仰が世界的な規模で生み出し得るもの,神の霊がいかに比類のない結果を生み出すかを見てきました。すなわち,全地にわたる『兄弟の交わり』です。(ペテロ第一 2:17)『あなたがたの間に愛があれば,それによってすべての人は,あなたがたがわたしの弟子であることを知る』とキリスト・イエスは言われました。(ヨハネ 13:35)わたしたちは,地上にある唯一の国際的兄弟関係の一部であることを喜びとしています。それは,神とそのみ子,真理および正しい事柄,また互いに対する破れることのない愛で結ばれた兄弟関係です」。
これは意味のない美辞麗句を単に並べ立てたものでしょうか。それとも,これらのクリスチャンは,神が『ひとりの人からすべての国の人を作った』という聖書の言葉を本当に信じているのでしょうか。(使徒 17:26)また,証人たちは,愛によって結ばれた兄弟関係を築いているでしょうか。こうした点について,第三者の立場にいる外部の観察者は何と述べていますか。
米国ルイジアナ州ニューオーリンズで開かれた「勝利の信仰」国際大会について,ステイツ・アイテム紙は次のように報じました:
「老若入り交じった白人と黒人のエホバの証人が,五日間にわたって学び,経験を共にするために参集したルイジアナ・スーパードームには,兄弟愛がみなぎっていた。
「この週の大会全体を通して感じられたふんい気は,証人たちの間に人種差別の問題 ― 今だにこれが問題となっている教会がある ― がないことを確証している」。
エホバの証人は,聖書を生活に良心的に適用しているゆえに,他に例を見ない純粋な国際的兄弟関係を楽しんでいるのです。その兄弟愛の精神は,証人たちの開く「勝利の信仰」国際大会を見れば明らかです。例えば,カナダ,ケベック州モントリオールで開かれた大会には,様々な人種的また国家的背景を持つ出席者が集まりました。そのため,大会のプログラムは,アラビア語,英語,フランス語,ギリシャ語,イタリア語,ポルトガル語,そしてスペイン語で行なわれました。会場となったオリンピック・スタジアムでは,大会前日の夜11時にフットボールの試合が終わったため,証人たちは12時間足らずで複雑な音響システムを設置しなければなりませんでした。プログラムを七か国語で同時に進行させ,各言語別に完全に独立した拡声装置システムを注意深く据え付けねばならなかったため問題は大きくなりました。拡声装置を結び付けるコードの長さは10㌔にも達しました。据え付けた装置の位置等を修正する時間的余裕はなく,ぶっつけ本番でしたが,ほとんどの部分は順調に機能しました。
様々な方法で明らかになる信仰
エホバ神に対する信仰と,そのみ言葉を生活に適用することによって,幾万人もの人が一つに結び合わされ,国際的な兄弟関係を持つようになりました。このようにして,彼らは,分裂したこの世界にあって霊的な勝利を得ました。しかし,勝利の信仰は他の様々な方法によっても明らかになっています。もちろん,神を信頼し神の言葉を生活に適用することが信仰のこうした表われの要因となっているのですから,望ましい態度や行動に対する誉れはまず第一に神に帰されねばなりません。しかし,鋭い観察力を持つ人々は,エホバの証人と彼らが今開いている国際大会について何と述べているでしょうか。
中にはトレーラー村もしくはテント村,またはその両方が「勝利の信仰」国際大会のユニークな特色となっている大会もあります。例えば,ケベック州のモントリオールに設けられたそのような場所には,約4,000のテント,キャンプ用小型車,移動住宅バスが並び,1万5,000人余りの人々が寝泊りしました。六月に激しい地震に襲われて被害を受けたギリシャのテサロニケでは,ホテルや家屋が危険な状態にあったため,かなり大きなテント村を準備する必要がありました。事実,テサロニケの大会を中止する案も出されましたが,熱烈な祈りをささげた後,証人たちは信仰を抱いて準備を推し進めることにしました。
スウェーデンのストックホルム近郊でも,飛行場を借り切ってキャンプ場が作られました。滑走路はトレーラーや1万2,000人に及ぶテント村居住者の通路となりました。グライダーの格納庫は簡易食堂に変わりました。こうした事柄すべては,スウェーデンの新聞及びテレビ局関係者の注目を集めました。スベンスカ・ダグブラーデト紙は,この「郊外住宅地」は「大規模な組織的技術」をもって作り上げられたと伝えた後,さらに,証人たちは,「いっさいの事を,分別のある,気持ちのよい,また実際的な方法で取り扱う賞賛すべき技量を有している」と報じました。エクスプレッセン紙の報道によると,キャンプ場は「よく組織され」,「多数のこぎれいなテントやトレーラーが」収容されており,『どこにもごみくずは散らかっていません』でした。また,アフトンブラーデト紙もこう伝えました。「ここが普通のキャンプ場でないことはだれの目にも明らかである。ごみやビールの空きかん一つ見当らない。それにたばこを吸う人が一人もいない」。
「勝利の信仰」国際大会は米国のワシントン特別区でも開かれました。ブライアン・マーチスンは,証人たちの使用している施設を見た後,ワシントン・スター紙にこう書きました。「いつもはごみを散らかし放題のスタジアムが,あらしに見舞われて,初めて白くみがき上げられたかのようであった。昼食時にも,自発奉仕者たちは,食事を供給するのとほぼ同時にきれいに片付けていた」。
ポルトガルのリスボンにある,エホバの証人の大会出席者が使用したスポーツ施設の一役員は,次のように語りました。「あなたがたのことをどう思うかと人から問われた時に,うそを言うわけにはいかない。エホバの証人は非常に礼儀正しく,清潔で,組織的に活動する人たちであると答えることにしている……あなたがたは,何か一つを汚しても,99のものをきれいにしてしまう」。
米国のウィスコンシン州ミルウォーキーでも,エホバの証人はあるスタジアムで集まりました。そこで,野球のダブルヘッダーの試合が行なわれ,2万ないし2万5,000人の観衆が集まった際,何㌧ものごみが出ました。競技場の管理者はこう言いました。「これはいつものことです。競技場全体がごみで埋まっているようなものです。エホバの証人は通常の半分の時間でこれをきれいに片付けてしまいました」。その管理者はさらにこう言葉を加えました。「言い換えると,全くの無秩序から効率的な状態へと変化したのです。みなさんがスタジアムを去る時には,次の催しをいつでも開ける状態です。場内を歩く時に,くぎ一本も,ガラス一かけらも心配する必要はありません。全く清潔です」。
しかし,この清潔さが勝利の信仰にどのように関係しているのでしょうか。使徒パウロは,仲間のクリスチャンに書き送った手紙の中で,「肉と霊のあらゆる汚れから自分を清め,神への恐れのうちに神聖さを完成しようではありませんか」と勧めました。(コリント第二 7:1)それより幾百年も昔,神の民は,バビロンを去るに当たって次のように命じられました。「去れよ,去れよ,そこを出て,汚れた物にさわるな。その中を出よ,[エホバ]の器をになう者よ,おのれを清く保て」。(イザヤ 52:11,口[新])ですから,聖書を生活に正しく適用して,勝利の信仰を追求することと,霊と身体の両面での清さを保つこととの間には関係があるのです。
賞賛を呼ぶ行状
清潔さと関連して,エホバの証人の行状全般について語られることが少なくありません。例えば,フィンランドのヘルシンキで開かれた証人たちの大会会場となったホールの支配人は次のように語りました。「この前,みなさんがここで集まられた時は,みなさんを他のグループと比べる良い機会になりました。その前日,ポップコンサートが開かれたのですが,それは騒がしく,酔っ払いがうようよしていました。会場はひどく汚れていました。みなさんの活動は,いずれも驚くほどよく取り決められています。……このホールに,これほど大勢の人が一度に入ったのは初めてです。様々なタイプの集まりを見てきましたが,みなさんのは一番行儀の良いグループです」。
オーストリアのウィーンでは,エホバの証人の使用したスタジアムの理事が,大会管理部門内のチームワークに注目し,「全くすばらしい」と述べ,出席者の行状は際立っていたと語りました。また,国立スポーツセンターの一従業員は率直にこう述べました。「模範的な清潔さはここに集まっている証人たちには当たり前のこととなっています。だれでも,その模範に倣いたいと思うはずです。一方,運動選手がやって来ると,選手の捨てるたばこの吸いがらやごみくずで,選手自身たじろぐことさえあります」。
ケベック州のモントリオールで開かれた国際大会に関連して,1976年オリンピック大会管理局の一役員はこう語りました。「これほど訓練が行き届いていて,十分に組織された大会を見たのは生まれて始めてです。……わたしはこれまで随分多くの大会に出席してきましたがね」。同様に,デンマークのコペンハーゲンでエホバの証人が使用していたある施設の調査に来た係官は,次のように述べました。「ここで様々な団体が催しを行ないましたが,計画,秩序,そしてこうしたすばらしい精神のもとに協力して働くという点で,あなたがたに並ぶ団体は一つもありませんよ」。
コペンハーゲンの大会が終了した直後に,電話局に勤めるある証人は,大会会場のすぐそばに住む一人の上司から次のように言われました。『ルレトスパーゲンがこれほど魅力的に飾られ清潔だったのを見たことがありません。駐車の問題がこれほどみごとに,また手際よく処理されたのも初めてです。上品できちんとした服装をした人がこんなに大勢集まったのを見たことがありません。また,訓練の行き届いたこれほど大勢の人が,秩序正しく,平和に振る舞っているのを見たのも初めてです』。
りっぱな行状は賞賛を呼びます。しかし,エホバの証人は,賞賛に値する生活態度を自分たち独自で築いたとは語っていません。そうではなく,エホバ神に信頼を寄せて,そのみ言葉である聖書を適用することによって,この「終わりの日」にごく一般に見られる人間の望ましくない性格や性向に勝利を収める信仰が生み出されるのです。(テモテ第二 3:1-5)これらのクリスチャンが秩序正しく,また良い精神態度を示し,「平和を求めて」いるのは,聖書に基づく彼らの信仰によるのです。聖書は,これらクリスチャンに,「諸国民の中にあっていつもりっぱに行動」するように,またそれを自分の栄光のためではなく,自分たちの仕える神の栄光のために行なうよう勧めています。―コリント第一 10:31; 14:33。フィレモン 25。ペテロ第一 2:12; 3:11。
信仰は物の見方に影響を与える
信仰が,現代において良い事柄を成し遂げる上で,時代遅れということはありません。事実,信仰は人を変化させ,その人の物の見方や生活の質を向上させます。
米国オハイオ州シンシナチの国際大会で水のバプテスマを受け,エホバ神に対する献身を表明したある男の人の場合を考えてください。この人は次のように語っています。『私はいつもピストルを身につけていました。聖書研究を司会してもらっている時も,二回目まではそうでした。しかし,私が抱いていた,あらゆる物またあらゆる人間に対する憎しみは少しずつ薄らいでいきました。私の態度が大きく変化したので,勉強を続けるよう,母親が励ましてくれるほどでした。というのは,私の居場所は鉄格子の中か墓場以外にない,と家族は考えていたからです。しかし,エホバに対する祈りが私を変化させました』。そうです,真の信仰は盲目的な憎しみに対する勝利をもたらし,心の正直な人々に,「互いに愛し合うことのほかは,だれにも何も負っては」ならないことを教えます。―ローマ 13:8。
また,交通事故に遭って体がまひしたボリビアの若い女性の例があります。医学の分野で身を立てるという自分の希望が砕かれたため,幾度も自殺を図りました。しかし,この女性は,病院でエホバの証人と聖書を勉強するようになり,やがて,自分の手で命を取るようなことはもう二度としない,と言えるようになりました。事実,生涯のうちで今ほど幸福な時はありません,と語ったほどです。今ではバプテスマを受けた証人となっているこの女性は,英国のロンドンで開かれたスペイン語と英語の国際大会に出席しました。車いすを用いなければなりませんがこの女性の楽しげな表情やほおえみは,現代において真の信仰が勝利を収めていることを証明しています。
米国ペンシルバニア州フィラデルフィアの国際大会でバプテスマを受けた人の中に,26歳になる一人の男性がいました。この人はベトナムにいた時麻薬中毒者になりました。何がきっかけで,この人が真のキリスト教に引き付けられたかに注目してください。彼はこう語りました。「合衆国に戻った後,私は,エホバの証人が他の人とは対照的である点に心をひかれました。私は彼らの幸せそうな顔を幾度も見てきました。……そこで,ある日,思い切って何人かの証人たちに近付き……自分と勉強してくれるように頼みました」。まもなく,この青年は,麻薬の使用をやめなければならないことに気付きました。しかし,麻薬中毒治療計画は役に立ちませんでした。青年はこう語りました。「エホバ神は,み言葉である聖書を通して私を助け,麻薬中毒治療計画では成功しなかった,麻薬に対する渇望を断ち切れるようにしてくださいました」。
確かに,真の信仰は人を変化させます。その人の物の見方に好ましい影響を与え,生活の質を向上させます。「勝利の信仰」国際大会に出席している個人や家族の幸せそうな顔にその証拠を見ることができます。
平穏で幸福な家庭
多くの家庭が崩壊の危機にひんし,結婚生活が破たんをきたしているこの現代においてさえ,勝利の信仰は家庭の中に平穏で幸福なふんい気を醸し出しています。この一連の大会で,一日のプログラム全体が,「信仰を持って自分の家の者たちを救いなさい」(ヘブライ 11:7)という主題の下に準備されているのは注目に値します。大会出席者の益のために,結婚生活に関する聖書の健全な助言が与えられます。そのような助言が効果を収めていることを示す証拠を取り上げてみましょう:
英国スコットランドのエディンバラで開かれた大会に,夫と別居中の婦人が出席していました。この婦人は離婚の手続きを進めているところでした。しかし,夫は,妻が子供の面倒を見るのを助けるために大会にやって来ました。この夫婦は,結婚に関する討議に熱心に耳を傾けました。「私たちの結婚を破局に至らせないため,自分にできることがまだ他にもあることに気付きました」と,妻は語りました。プログラムの終了後,夫と妻は長い時間話し合い,大会で取り上げられた原則を考慮しました。どんな結果になりましたか。二人は和解することに決めました。神と聖書に対する信仰は,現代の結婚生活上の問題を解決する上で,決して時代遅れではないのです。
アイルランドのダブリンで開かれた国際大会では,出席者の一人が,「サタンにしっかり捕えられていたので,エホバに忠実に仕えるには,自分の全生活を変化させねばならないことを知りました」と語りました。この男の人とその妻は多くの問題を抱えていました。彼はこう語りました。「私はたばこを多く吸い,週末には酒場<パブ>に入り浸っていました。家に妻や子供たちがいることなど忘れていました。やがて,私はたばこをやめ,かけ事に時間を費やすことがなくなりました。……今では,自分の時間の大半を妻と子供たちのために用いています」。この夫婦はダブリンの大会でそろってバプテスマを受けました。妻が浸礼を受けるのを見守ったこの男の人は,「全く新しい生活を始めるも同然です。……私は非常に幸福です」と言いました。
家族の全員が自分の日常生活に聖書を適用するなら,必ずや,幸福な家庭と平穏な夫婦関係が築かれることでしょう。(エフェソス 5:21–6:4)しかし,若い人々についてはどうでしょうか。
エホバの証人の子供たちは自分の宗教を退屈なものに感じているでしょうか。「勝利の信仰」国際大会に出席する若者たちは,「若い人たち,信仰の点で手本でありなさい」(テモテ第一 4:12)という主題の下に一日のプログラムが組まれていることに気付きます。事実,すべての大会出席者は,「若いみなさん ― 人生におけるあなたの目標はなんですか」と題する示唆に富む劇を見て,使徒パウロの同労者,青年テモテが示した信仰を思い巡らし,益を得たに違いありません。
しかし,信仰は十代の若者にとって真に意味あるものとなっているでしょうか。そうであることは明白です。ある十代の若者は,テモテの生涯を描いた劇を見て深い感銘を受け,オハイオ州シンシナチの大会会場から帰路に着く際に,全時間宣べ伝える業に携わる正規開拓奉仕の申込書を求めました。学校の予定を変更する必要が生じ,この若者は高校の校長先生に会ってりっぱな証言を行ないました。その後,校長先生は,少年が学期半ばに卒業するのを許可しました。この若者は,1978年9月1日から正規開拓者として奉仕しています。
幼い子供でさえ聖書の真理を理解していることを示す証拠があります。例えば,最初の人間夫婦アダムとエバが神に背き,『ひとりの人を通して罪が世に入った』ことを理解するのは不可能ではありません。(ローマ 5:12)一例として,フランスの日刊紙ル・ドフィネ・リベレは,フランスのグルノーブルで開かれた大会のプログラムを取り上げ,こう報じました。「壇上でインタビューが行なわれ,父親が幼い息子にこう尋ねた。『あなたはいつも従順ですか』。すると,『はい ― でも,アダムとエバのために,いつもではありません』という答えが返ってきた」。
勝利の信仰は注目を集める
勝利の信仰を促進するために,多くの都市に幾万人ものエホバの証人が次々に集まりました。その結果,証人たちの一連の大会は,著名な新聞,ラジオ,テレビなどで取り上げられてきました。例えば,フィンランドのヘルシンキで開かれた国際大会の様子を伝えたニュースは,国境近くに住むソ連のエホバの証人のもとにも届いたに違いありません。
少なくとも20の異なった新聞が,スペインのバルセロナで行なわれた「勝利の信仰」国際大会に関する記事を載せました。71の写真を含む,それらの記事の各欄の合計は60メートルにも達しました。また,大会はテレビやラジオ番組で大きく取り上げられました。聖書劇の一部や歌をうたう聴衆の姿,様々な証人とのインタビューを取り上げたテレビ番組が,全国ネットで10分間放映されました。スペインのエホバの証人が法的に承認されていなかったわずか10年前と比べるなら,これはなんという相違でしょう!
政府当局者もエホバの証人の大会や活動に気付いていることを表わしました。例えば,二つの国際大会が開かれた米国ルイジアナ州ニューオーリンズ市の市長は,1978年6月を,同市にとって,ものみの塔聖書冊子協会の月にする,と宣言しました。同様に,ミズーリ州セントルイス市の市長およびニューヨーク州の知事はいずれも,大会に関連して,ある日を“エホバの証人デー”と定めるとの声明文を作成しました。
ドイツ連邦共和国のミュンヘンとデュッセルドルフでは,州当局と市当局の正式の承認を得て国際大会が開かれました。デュッセルドルフの市長は,1978年8月1日火曜日の夕方,市役所に84人の証人(19か国から来た宣教者を含む)を招き,歓迎レセプションを開きました。席上,キルテン市長は短い話を行ない,一部次のように述べました。「みなさんはどこででも歓迎される良い客です。だれもがこの事実を認めることと思います。みなさんがそのように迎えられるのは,みなさんを一つに結び合わせているものによるのでしょう。みなさんは,勝利の信仰というテーマの下に,ここデュッセルドルフにお集まりになりましたが,それは単に一つの集まりのテーマではありません。それは告白,つまりみなさんが当市のこの場所において今表明している信念の告白です。歴史的見地から見ると,みなさんは,時の政治権力の同意が得られるか否かにかかわりなく,常にそれを表明してこられました。それに対する感謝の言葉をここで述べるのはふさわしいことと思います」。
活動する勝利の信仰
聖書に基づく信仰は,時代遅れで役立たないどころか,現代において真の意味を持っていることをエホバの証人は知っています。また,証人たちは,神の王国の「良いたより」を他の人に熱心に分かち与えています。(マタイ 24:14)ですから,証人たちにとって,家々や他の場所で証言を行なうことは,神に対する定期的な奉仕の重要な部分を成しています。しかし,「勝利の信仰」国際大会の金曜日の午前中のために,この面で特別の努力が払われています。その時間は,野外での証言活動に充てられます。そして大会出席者は真の熱意を抱いてこの特別の活動に参加しています。一例を挙げると,ペンシルバニア州のピッツバーグ(ここの大会の最高出席者数は3万7,208人であった)では,2万8,000人の証人がこの活動に携わったものと思われています。
報道関係の人が,この特別活動に携わる証人に同行することもありました。例えば,ペンシルバニア州のフィラデルフィアでは,テレビ局の派遣したカメラマンが証人たちのグループに同行しました。カメラが向けられる中で,関心ある人と会い,証言を行ない,個人的な聖書研究が取り決められました。野外で撮られた他のフィルムと共に,この様子が夕方のニュース番組で放映されました。
ケベック州モントリオールで大会が行なわれた金曜日の朝,著名なあるジャーナリストはラジオでこう語りました。「おそらく,みなさんは,今朝,エホバの証人の訪問を受けることでしょう。証人たちはモントリオールの人々を訪問して,自分たちの大会に招待しているからです。証人たちは,小さな黄色いカバンを携え,パンフレットを提供することでしょう。一部を受け取り,わずかでも時間を割いて,耳を傾けてください。自分が相手に親切にしてやっているなどと考えないでください。証人たちがあなたに親切を示しているのです」。
あなたにとってあまりに時代遅れですか
前述のジャーナリストの助言を受け入れることはどうでしょうか。エホバの証人が通常の活動の際にお宅を訪ねる際,『わずかでも時間を割いて,耳を傾ける』のは賢明なことではありませんか。もちろん,それを決めるのは,あなたご自身です。
しかし,いずれにしても,エホバの証人が現代において勝利を収める信仰を持っているという事実には変わりありません。聖書に基づく信仰は,わたしたちを取り巻く様々な問題,つまり貧困,飢え,病気,犯罪,憎しみ,暴力,麻薬の乱用その他,生活から喜びを奪い取る種々の悩みに首尾よく対処する助けとなる上で,時代遅れで役に立たないものなどではありません。
一連の「勝利の信仰」国際大会は,エホバの証人に,引き続き強固な信仰を築き上げていく必要のあることを銘記させています。証人たちは,聖書を正しく適用することによって,自分自身の生活や家庭に良い状態が生まれ,安らぎと平和な人間関係を保ち,他に例を見ない国際的な兄弟関係を楽しみ,将来に対する確かな希望を抱けるようになったことを知りました。その信仰は現代のちょう戦に打ち勝っています。これはあなたを引き付けるものではありませんか。では,勝利の信仰を得るにはどうしたらよいかを学んでください。
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勝利の信仰は特別の証言活動に携わるよう大会出席者を促す
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ミュンヘンの大会会場で座席を一つ一つきれいにする証人の家族
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大会出席者は「良いたより」を他の人々に分かち与える
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多数の大会出席者がバプテスマを受け,信仰を表明した
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クリスチャン青年テモテの示した勝利の信仰を描く感動的な聖書劇