-
ヨハネ 注釈 1章新世界訳聖書 (スタディー版)
-
-
人類: 直訳,「世」。このギリシャ語コスモスは,一般のギリシャ文学で人類と密接に関連付けられていて,聖書では特にそうなっている。この文脈とヨハ 3:16のコスモスは,アダムから受け継いだ罪を負っているものとしてここで描写されている人類という世全体を指す。
神の子羊: イエスがバプテスマを受け,悪魔に誘惑された荒野から戻った後,バプテストのヨハネはイエスを「神の子羊」と紹介した。この表現は,こことヨハ 1:36にだけ出ている。(付録A7参照。)イエスを子羊に例えるのは適切なこと。聖書全体を通じて,羊は,罪を認めて神に近づくために捧げられた。これは,イエスが完全な人間の命を人類のために差し出して犠牲となることを予示していた。「神の子羊」という表現は聖書の幾つもの節と関連付けられる。バプテストのヨハネがヘブライ語聖書に通じていたことを考えると,彼の言葉は次のものに暗に言及していたのかもしれない。アブラハムが息子イサクの代わりに捧げた雄羊(創 22:13),奴隷状態にあったイスラエル人を救出するためにエジプトでほふられた過ぎ越しの羊(出 12:1-13),もしくは毎日の朝と夕方にエルサレムの神の祭壇で捧げられた雄羊(出 29:38-42)。またヨハネは,エホバが「私に仕える者」と呼ぶ人が「羊のように,殺されるために連れてこられ」る,というイザヤの預言を念頭に置いていたのかもしれない。(イザ 52:13; 53:5,7,11)使徒パウロは,コリントのクリスチャンへの最初の手紙を書いた時,イエスのことを「私たちの過ぎ越しの子羊」と述べた。(コ一 5:7)使徒ペテロは,キリストの「傷も汚点もない子羊の血のような貴重な血」について語った。(ペ一 1:19)また「啓示」の書では25回以上,栄光を受けたイエスが「子羊」として比喩的に述べられている。(例えば,啓 5:8; 6:1; 7:9; 12:11; 13:8; 14:1; 15:3; 17:14; 19:7; 21:9; 22:1。)
-