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ヨハネ 注釈 2章新世界訳聖書 (スタディー版)
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それは: または,「女性よ,それは」。イエスが自分の母親に「女性よ」と呼び掛けたのは他の女性への呼び掛けと同じで,多くの場面で丁寧な表現と考えられたようだ。無礼,不親切,不敬とは見なされなかった。天使および復活したイエスは,イエスの墓で泣き悲しんでいるマリア・マグダレネに話し掛けるような時にもこの表現を使ったので,きつくて不敬なものだったはずはない。(ヨハ 20:13,15,脚注)イエスは苦しみの杭に掛けられた時,深い気遣いに動かされて同じ表現で母親に呼び掛け,愛する使徒ヨハネに母親の世話を委ねた。(ヨハ 19:26,脚注)イエスがこのように計らったのは,父と母を敬うようにという聖書的な務めのためだった。(出 20:12。申 5:16。マタ 15:4)幾つかの参考文献によると,「女性よ」という呼び掛けは敬意と愛情を表せる。
それは私たちが心配することですか: マリアは,イエスに「ぶどう酒がありません」(ヨハ 2:3)と言った時,何かしてあげたらどうかとイエスに提案していたに違いない。イエスはこの時までに奇跡を行ったことがなかったので,これは注目に値する。イエスのこの返答はセム語系の慣用句で,直訳すると「私とあなたとには何が」。これは基本的に異議を示すものだが,文脈に沿って理解しなければならない。敵意や拒絶の表れの場合もあるが(マタ 8:29。マル 1:24; 5:7。ルカ 4:34; 8:28),ここでは穏やかな反論のようだ。(この慣用句のそのような穏やかな使い方の例がサ二 16:9,10と王一 17:18などヘブライ語聖書にもある。)イエスがすぐに応じなかった理由は,その後に述べた私の時はまだ来ていませんという言葉に示されている。とはいえ,マリアの提案に対するイエスの反応は,5節のマリアの反応から分かるように,手助けに反対ではないことを示していたのだろう。
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