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コリント第一ものみの塔出版物索引 1951-1985
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15:32 塔83 3/1 14; 塔82 3/15 22-23; 塔77 559; 目77 1/22 4; 塔75 363; 今 13; 塔74 436; 塔73 298,615; 目73 2/8 18; 目73 8/22 11; 目69 11/22 3; 目63 1/8 4; 塔56 320
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コリント第一 注釈 15章新世界訳聖書 (スタディー版)
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私がエフェソスで野獣と戦った: ローマ人は闘技場で犯罪者を野獣の前に投げ出すことがよくあった。この刑罰はパウロのようなローマ市民には科されなかったという学者たちの意見もあるが,野獣の前に投げ出されたり野獣と戦わされたりしたローマ市民がいたという歴史上の証拠がある。パウロがコリント第二の手紙で書いているのは,闘技場で文字通りの野獣に面した時のことかもしれない。(コ二 1:8-10)文字通りの野獣の前に投げ出されたのであれば,神が介入して救出したのだと思われる。(ダニ 6:22と比較。)そうであれば,これはパウロが宣教中に「死にかけ」た例の1つと言える。(コ二 11:23)一方,ここでパウロは比喩的な意味で野獣と述べていて,エフェソスで野獣のような人たちから反対されたことを言っていると考える学者もいる。(使徒 19:23-41)
食べたり飲んだりしましょう。明日には死ぬからです: パウロはここで,エルサレムの不従順な人たちの態度をよく表しているイザ 22:13から引用しているようだ。その人たちは,間もなく滅ぼされると分かっても悔い改めず,快楽の追求に身を任せた。パウロがこの言葉を引用したのは,復活の希望を否定する人たちの考え方と似ていたからかもしれない。例えば,エピクロス派のような人たちは復活を信じず,今のために生きることに集中していた。しかし,パウロが指摘しているように,復活は現実のものであり,クリスチャンが自己犠牲的な生き方を続ける十分な理由や動機付けとなる。(コ一 15:58)
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