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今こそ,み言葉を宣べ伝える時ものみの塔 1982 | 4月1日
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「良いたより」を宣べ伝える機会がいよいよ重要な意味を帯びてきていることを意味しています。日々懸命な努力を払ってイエスの忠実な追随者であることを証しし,純粋の崇拝を促進された方としてのイエスの生き方に倣い続けることができますように。忠実なダビデと同じように,エホバの家と清く純粋なその崇拝に対する熱心に動かされて,エホバが業は完了したと言われるまで堅く忠誠を保ち,王国宣明者の隊伍にとどまり続けたいものです。―詩篇 69:9。
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読者からの質問ものみの塔 1982 | 4月1日
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読者からの質問
■ イスラエルをエジプトから恒久的に去らせることが神の目的であったのに,『荒野へ三日の旅をする』ための許可をファラオに求めるよう神がモーセに命じられたのはなぜですか。
燃える茂みのところで神は,イスラエル人をエジプトから救出し,また乳と蜜の流れる地へ導くためモーセをお用いになると言われました。神は,ファラオに対して次のように言うようモーセにお告げになりました。「ヘブライ人の神エホバはわたしたちと接触を持たれました。それで今,お願い致します。わたしたちは荒野へ三日の旅をして,わたしたちの神エホバに犠牲をささげたいのです」― 出エジプト記 3:18,新。
イスラエルは約束の地へ行くことになっていると神がその直前にモーセに告げておられることから,神はファラオにすべての事実を示しておられなかったように思えるかもしれません。しかし,事の推移から,神の物事の扱い方が公平でそのお目的にかなっていたことが明らかになります。
イスラエル人はエジプトに200年以上住んでおり,奴隷の国民として扱われていました。ところが神は,アブラハムに対するご自分の変わることのない約束に従って,イスラエルを大きな国民にしようとしておられました。イスラエル人は神がアブラハムに示された地,すなわちカナンの地に自由な民として住まうことになっていました。(創世記 12:1,2,7; 18:18; 22:17,18)ファラオは神のお目的に進んで協力するでしょうか。
いいえ,協力しないでしょう。ファラオは,たとえ短期間であってもイスラエル人がエジプトから出ることを,断固として拒むであろう,とエホバは予知しておられました。神がモーセとアロンを通して,イスラエルを恒久的に去らせることがご自分の意志であることを示したなら,ファラオはもっともらしい異議を唱えることができたかもしれません。1度に100万人もの人が恒久的に去って行くなら,その地が混乱に陥ってしまうというような異議です。そして,他の人々はファラオの態度をもっともだと思ったり,ファラオに同情したりしたかもしれません。イスラエルがゴセンの地を数日間離れるだけであれば,エジプト人には実質的に何の損害も及ぶことはないでしょう。
イスラエル人が三日間だけ出掛けて行くことをさえファラオが片意地にも許そうとしなかったので,その心がかたくなであることがだれの目にも明らかになりました。そのようなかたくなな態度やその後のファラオの命によって圧制の度が増し加わったことについて言い訳をする余地は全くありませんでした。―出エジプト記 5:1-9。
一連の災いの後にさえ,強情なファラオはイスラエルをエジプトから去らせようとしませんでした。最後に,10番目の災いがエジプトにとってあまりにも破壊的だったために,ファラオはモーセに民を連れて出て行くよう告げました。しかし,その際に三日間という条件は付けませんでした。それでも,出エジプトの最中に,ファラオはイスラエルをわなに掛けて,再び捕らえようとしました。それは失敗に終わりました。ファラオ自身も紅海で命を失ったからです。―出エジプト記 12:31-39; 14:5-9,21-28。詩篇 136:15。
したがって神が,三日間その地を離れるという道理にかなった求めをするようモーセにお告げになったことは,ファラオにとって試みとなりました。それはファラオの心の中にあるものを明らかにしたのです。
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