新世社会内で全きを得よ
『それだから,あなた方の天の父が全きであられるよう,あなた方も全きになりなさい。』― マタイ 5:48,新世。
1 神の僕たちは,何をしつかりと保ちますか。彼らは何を避けますか。
くらやみは地をおおい,現在の悪い組織制度の奴隷たちは,その暗やみの中に住みつづけています。しかし,ヱホバのみこころをするために自由の身となる者たちは光をよろこびます。彼らはクリスチャンの「全き」を得ようと努めます。彼らは,自分たちのためにヱホバのなされたすべての事に感謝しつつ,『光の子』としての祝福された立場をしつかりと保ちます。(テサロニケ前 5:5)彼らはこの世の道を避けます。この世は自分自身の自由,すなわち神や仲間の人間に考慮を払わず自分勝手なことをする自由を欲します。この自己流の自由は,最もみじめな種類の隷属です。
2 人はどのように光の源を保つことができますか。
2 神に依存することを否定する人の自由は,ちようど鳥籠から飛び出て不なれな環境下で死んでしまう鳥の自由と同じです。不従順な者たちは,生命の源から飛び去りながら,生命を見出すことはできません。パウロは次のように言つています,『神の怒りは不従順の子らに下るのである。だから,彼らの仲間になつてはいけない。あなた方は,以前はやみであつたが,今は主にあつて光となつている。光の子らしく歩きなさい。光はあらゆる善意と正義と真実との実を結ばせるものである。主に喜ばれるものがなんであるかを,わきまえ知りなさい。』― エペソ 5:6-10,新口。
3,4 (イ)不従順はどんな報いをイスラエルにもたらしましたか。(ロ)それはキリスト教国にどんな報いをもたらしますか。(ハ)いま従順という敬虔な性質は,どこだけに見出すことができますか。
3 聖書は,不従順な人々や不従順な国民について警告となるいましめを与えています。イスラエルは,ヱホバから特別の恵みを受けましたが,不従順になり悪くなりました。そしてヱホバの御名に恥と非難をもたらしたのです。イスラエルに対してヱホバの裁きという鋭いむちは,エレミヤの口を通して述べられました,『ただ我このことを彼らに命じ,汝ら我声を聞かばわれ汝らの神となり汝ら我民とならん。かつ我が汝らに命ぜしすべての道をあゆみて幸いを得べしと言えり。されど彼らは聞かず,その耳を傾けず,己の悪しき心の謀とかたくななることにしたがいてあゆみ,また後を我に向けてその面を向けざりき。汝らの先祖がエジプトの地を出でし日より今日にいたるまで……汝かく彼らに語れ,これはその神ヱホバの声を聴かず,そのいましめを受けざる民なり。真実はうせてその口に絶えたり。汝の髪を剃りてこれを捨て,山の上になげきの声をあげよ。ヱホバその怒るところの世の人を捨ててこれを離れ給えばなり。』― エレミヤ 7:23-29。
4 イスラエルは不従順のために滅びました。今日,キリスト教国は不従順のためにハルマゲドンの滅びに向かつて急いでいます。国家的な群れは失敗するかも知れませんが,ヱホバのひとりびとりの奴隷は,妥協をしない積極的な従順により,ヱホバの御名に栄光をもたらしました。『人間に従うよりは,神に従うべきである』と彼らは断乎とした立場をとつています。そして,苦しみも死も,全く何ものも彼らのかたい立場をゆるがすことができなかつたのです。(使行 5:29,新口)いまの末の日にあつて,同じ敬虔の性質が見出されます。それは偽りのキリスト教国の内になく,聖書の初期キリスト教に謙遜に戻つた人々の群れの中に見出されます。これらの人々は,カイザルのものをカイザルに従順に払います。しかし又,注意深くも神のものを神に払います。―マタイ 22:21。
5 真のクリスチャンたちは,今日の大問題にたいしてどのように対処しなければなりませんか。
5 カイザルは貪欲で威張り散らすものですから,神のものをとられないようにするため絶えず警戒を払わねばなりません。クリスチャン中立とか,真理を自由に発表するとか,ある国々では家から家に良いたよりを伝道するとか,またいつしよに集まるというような事柄は,非常な敵意とつらい試練を受けます。それによつて彼らの従順はためされます。しかし,すべての試練の中に,彼らは『救いの君』を模範として持つています。彼は『苦難をとおして全うされた』そして『さまざまの苦しみによつて従順を学び』(ヘブル 2:10; 5:8,新口)彼らも学んでいます。
神権的な頭の地位
6 (イ)コリント前書 11章3節では,どんな二つの重要な点が示されていますか。(ロ)イエスは,どのように頭の地位を行使しますか。
6 聖書の中に説明され例証されているヱホバの原則の一つは,頭の地位という原則です。頭の地位は従順を含みます。家族の中では『女のかしらは男です』男は自分の妻にこの点を留意させたいと思うでしよう。しかしすべての男はその前の言葉,すなわち『すべての男のかしらはキリストである』の点をよろこんで認めたいと欲しますか。キリストの頭の地位は,人間の頭の地位ほどに感じられないとある人は思うかも知れません。しかし,そうではないのです。ヱホバから権威を受けたイエスは,自分の頭の地位を行使します。同時にイエスは『キリストのかしらは神である。』ということを認めます。(コリント前 11:3,新口)パウロは,制度を例証したときに,いろいろの異なつた器官を持つ人間の体になぞらえました。それで,頭はすべてのことをするというのでなく,ただ指示を与えるということはすぐに分ります。頭は体の器官に命じて行わせます。頭の指示の下にある体全部は,美しく協同して完全に組織された一つの単位として動き,行います。同じように,頭なるキリストは自分の体なる制度を用いて割り当てた仕事を行わせます。彼の指示は,統治体を通して地上の制度全部に達し,そして,支部を通して会衆に達するのです。―コリント前 12:12-18。マタイ 24:45-47。
7 人はどのようにキリストの頭の地位につき従いますか。
7 キリストの頭の地位に従うために,キリスト御自身がみちびいている制度に従うことは必要です。制度の言うことを為すのは,キリストの言うことを為すことです。制度に反抗することはキリストに反抗することです。さらに,物の道理から見ても男は,神の言葉と制度を通して来るキリストの指示に率先して従わねばなりません。もしそうしないなら,彼らがかしらの地位について語ることは空虚なもの,意味の無いものに聞えるでしよう。そして,妻たちや会衆の姉妹たちから自分の頭の地位を認めてもらいたいと要求することは,つじつまの合わないことになります。
8 (イ)従順に対する一つの妨害は何ですか。(ロ)どんな偽りの考え方は不従順にみちびくということを例をもつて示しなさい。
8 従順と服従に対する一つの妨害は,与えられる指示が果して適宜なものかどうかを不完全な人間が判断しようとする傾向です。それらの人々は,指示がキリストから制度を通して来たものとして受け入れようとせず,むしろ何をなすべきかについて自分の心の内で論じたり,又は他の者と論じ合います。このことは現在の悪い世では当然至極のことですが,ヱホバの御前では何の価値もありません。あるときサウロ王は敵の品物のいくらかを保存することは良いと考えました。この世的は考え方は,サウロ王の考えと同じだつたかも知れません。しかし,ヱホバは彼と同意しませんでした。ヱホバは,それとはちがう指示を与えて居られたのです。彼は預言者サムエルの口を通して,次のように述べました,『ヱホバはその言葉に従うことを善したもうごとく,燔祭と犠牲を善したまうや。それ,従うことは犠牲にまさり,……そむくことは魔術の罪のごとくさからうことは虚しきものにつかうる如く,偶像につかうるがごとし。』(サムエル前 15:22,23)同じようにエバも善と悪の決定をヱホバに委ねるよりも自分自身でするという考えにひかれました。(創世 3:1-6)今日の神の民は,同じ間ちがいを避けるべきです。
9 ヱホバはどのように人をみちびきますか。ヱホバはどんな種類の従順を要求しますか。
9 馬か驢馬を従わせるためには,馬銜を口の中に入れ,馬勒を用いて導かなければなりません。しかし,人間は理性と理解の力を持つています。ヱホバは御言葉を通して必要な知識を与え,そして御霊による力と,制度を通しての指示により,人間を導きます。各人が従うかどうかを決めます。ヱホバはダビデを通して次のさとしを与えました,『われ汝を教え,汝を歩むべき道にみちびき,わが目をなんじにとめてさとさん。なんじら弁えなき馬のごとく,驢馬のごとくなるなかれ。かれらはくつわたづなのごとき具をもてひきとめずば近づき来ることなし。』(詩 32:8,9)宇宙の主権者は強制された従順を欲して居らず,むしろヱホバに対する理解と愛にみちる心かる来る従順を欲せられます。
直ぐに従いなさい
10,11 (イ)アブラハム。(ロ)リベカの内にどんな従順の例は見えますか。
10 ヱホバは,直ぐに従う者たちを愛します。聖書の中には,そのことを証明する例がたくさん書かれています。アブラハムはその一人です。ヱホバが,アブラハムに向かつて息子を犠牲にせよと告げたとき,そのことにつき,逃げ口上を言うとか言い争うというようなことはなかつたのです。アブラハムはヱホバに信仰を持つていたので,ヱホバに従いました。そして,刀を振り上げてまさに息子の胸を突き刺そうとさえしたのです。アブラハムは,その信仰と従順により『ヱホバの友』と呼ばれ,神の新しい世における君としての立場は保証されています。―ヤコブ 2:23。
11 従順とその祝福についての別の例にリベカの例があります。創世記 24章にある記録の中に,リベカが直ぐに従つたことはエリエゼルが彼女に献上した飾りの品物よりも美しく輝いています。彼が水を飲ませてもらいたいと頼んだとき,彼女はすぐに答え応じました,『彼女は急いで水がめを肩からおろし,「お飲み下さい。私はあなたのらくだにも飲ませましよう,」と言いました。』そして,ヱホバのみちびきでそこに来たとエリエゼルが説明したとき,『娘は走つて行つて,母の家のものにこれらの事を告げた。』後になつて,リベカはイサクのところによろこんで行くであろうか,そして直ぐに出発するであろうかという質問が出たとき,『行きます』と彼女は答えました。(創世 24:46,28,58,新口)リベカはすぐに従つたのでヤコブを生むという特権を持つに至りました。ヤコブはイスラエルの国の支族の頭の父であり,メシヤに達する系統上で顕著な者でした。
12,13 (イ)イエスの使徒たちは,どんな感謝を示しましたか。そしてどのように?(ロ)ヱホバはどんな性質を祝福しますか。
12 使徒たちもイエスと接した最初から,直ぐに従う必要性を認識していると示しました。ペテロとアンドレについては,マタイ伝 4章19-22節(新口)は次のように述べています,『イエスは彼らに言われた,「私についてきなさい。あなた方を,人間をとる漁師にしてあげよう。」すると,彼らはすぐに網を捨てて,イエスに従つた。』ゼベダイの子たちであるヤコブとヨハネの答え応じた態度も同じでした,『すぐ舟と父とをおいて,イエスに従つて行つた。』使徒パウロも,すぐに従うというこの望ましい性質を持つていることを幾度も示しました。使徒行伝 9章20節の記録の述べるところによると,彼は改宗して後『ただちに諸会堂でイエスのことを宣べ伝えた』のです。後日,まぼろしの中に『マケドニヤに渡つてきて,私たちを助けて下さい』という召を受けたとき,パウロおよび彼といつしよにいた人々は,すぐに従いました。『パウロがこの幻を見た時,これは彼らに福音を伝えるために,神が私たちをお招きになつたのだと確信して,私たちは,ただちにマケドニヤに渡つて行くことにした。』ヱホバは,彼らがすぐに答え応じたのを祝福し,実を与えました。リデヤとその家族の者はすぐに真理を受け入れて洗礼を受けたのです。―使行 16:9-15。
13 このすべての模範の中に,すぐに従おうとする態度,利己的な意志のないこと,無関心の態度をとらないこと,そして単にそうあれかしと願うだけではないのに注意しなさい。これらの熱心な証者たちは,熱望,熱心,よろこんでする様子,注意深さ,誠実さ,直ちに行うこと,献身そして勤勉さを示しました。このことのために,ヱホバは彼らを愛したのです。
14 従う者たちは,どんな特権を持ちますか。
14 ヱホバの制度内の何処で奉仕しようとも,それは過分の御親切によるものです。従うならば制度内に止まります。直ぐに従うならば,その人は真実に幸福です。今日,心から進んで従う奴隷たちは,みな良いたよりの伝道者であるという特権を持つています。全くのところ,彼らは伝道せよという命令を受けているのです。(コリント前 9:16)この基礎的な名誉と特権に加えて,従う者たちには多くの責任の地位があります。いろいろの種類の開拓者活動があります。会衆内の奉仕の地位があります。宣教者として海外に行く特権,巡回の僕,地域の僕,そして地帯の僕として旅行する特権があるのです。他の者たちは,ベテルの家族の一員として奉仕することができます。割り当てられたこのすべての立場にあつて,従順と忠節は要求されています。その報いはよろこびです!―ヘブル 13:17。
15 ヱホバの奴隷たちは,みなどんな感謝を示さねばなりませんか。どんな欠点を直さねばなりませんか。
15 ヱホバの奴隷はみな,名誉ある奉仕の宝に感謝の念で一杯にならねばなりません。(コリント後 4:7)しかし,ある人々は会衆の記録にとどまつているのに必要なだけの極くわずかな奉仕をいたします。これは災を避けるために,保険料をいやいやにヱホバに払うのと同じではありませんか。いやいやに奉仕する者は,このことを直ぐに改めなければなりません。(コリント後 9:6,7)いつでも集会に遅刻すること,割当を拒絶したり,好ましくない重荷のように割当を取り扱つたり,直ぐに落胆したり,責任を取ろうとする気持をすこしも持たないこと,指示に従うことが遅いこと,― これらは悪い霊的な状態を示すものですぐに直すことが必要です。直すことが必要であるなら,早く直しなさい。すぐに従うことは,ヱホバの祝福をもたらします。ヱホバの祝福は富ましめるものです。―シンゲン 10:22。
16 ヱホバからのこらしめをどのように見なすべきですか。
16 人間は不完全であるために,ヱホバに従おうという誠実な気持を強くいだいていても,時おりに失敗することは避けがたいものです。それで,こらしめに対して正しい態度を持つことは必要です。こらしめは不注意な傾向を矯正し,心がかたくなつて反逆と敵意を抱くことを妨げます。『私の子よ,ヱホバからのこらしめを軽んじてはならない。彼にこらしめられるとき,弱り果ててはならない。ヱホバは愛する者をこらしめ,子として受けいれるすべての者をむち打たれるからである。……たしかに,こらしめはその当座には楽しくなく悲しく見えるが,しかし後になつてそれによつて訓練される者は,平和の実すなわち正義を結ぶであろう。』(ヘブル 12:5-11,新世)こらしめが神の御言葉を通して来るとき,そして神の制度を通して来るとき,ヱホバ御自身から来るものとしてこらしめを謙遜に受け入れなさい。忘れてはなりません,『教訓のこらしめは生命の道である。』― シンゲン 6:23,新口。
クリスチャンの全き状態
17 マタイ伝 5章48節は,今日どのように適用しますか。
17 イエスはマタイ伝 5章48節(新世)で次のように諭しています,『それだから,あなた方の天の父が全きであられるよう,あなた方も全きになりなさい。』この世の終りの時における不完全な人間に,このことはどう適用することができますか。すなわち,新しい世の社会内に来るすべての者は,クリスチャンとして全く成長しなければならぬということに適用します。消極的に引き下がることがあつてはなりません! 各人は天的な御父の全きにならうよう努めねばなりません。全くなるとは,不安定な子供のような状態からクリスチャンの円熟に進むということを意味します。
18 なぜクリスチャンの全きことは,いま重要なのですか。
18 初期クリスチャンの時には,円熟というこの事柄は非常に強調されました。(エペソ 4:11-16。ヘブル 5:12–6:3)悪魔が地に来てヱホバに従うすべての者を食べつくそうとしている今日,そのことは神の僕たち全部にとつてなんと重要なことでしよう!(黙示 12:12,17)西洋と東洋の多くの国々では,物質主義と迷信が陰険な罠ですが,鉄のカーテンの背後にいるヱホバの僕たちはちがつた種類の試練を受けます,すなわち彼らは火のごとき迫害を耐え忍ばねばならないのです。ここのところでもクリスチャンとしての全き状態は必要となつています。彼らはクリスチャンの自由の中に断乎としてしつかり立たねばなりません。彼らは生命が危険になろうとも,いつでも直ぐに従わねばなりません。彼らは『死にいたるまでも』証言しつづけねばならないのです。―黙示 12:11,新口。
19 鉄のカーテンの背後にいるヱホバの証者の耐え忍ぶ試練のいくらかは何ですか。
19 例えば鉄のカーテンの向うにある東ドイツのヱホバの証者の活動を見てごらんなさい。今晩,御国奉仕に行くとき,果して家に帰れるものか,又は共産主義者の刑務所で4年の懲役を受けるかをも知らないで出かけるという場合,あなたはどのように感じますか。刑務所内では栄養も不足であるし,衛生状態がたいへん悪いから自分の健康はそこなわれると知つているとき,あなたはこのような事がらをどのように見なしますか。自分の『ものみの塔』を受け取るために遥か遠い処にこつそり行かねばならない,しかも,もし『ものみの塔』を携行しているということが分れば数年間の入獄という危険を冒さねばならない,ということをどう思いますか。一部の『ものみの塔』を入手するなら,『ものみの塔』を1日だけ研究して,それから他の幾百人という読者に回さねばならない,ということについてはどう思いますか。以前の僕たちは,2度か3度すでに逮捕されて4年か5年の投獄刑を受けていると知りながら,伝道者の群れに奉仕するよう任命されることについては,どのように見なしますか。良いたよりを伝道したために5年の投獄刑が課せられた後,仮出獄のかたちで家に戻つた際にふたたび宣教をするということについては,どのように感じますか。共産主義者の治安警察により何度も何度も尋問されることをどのように感じますか。彼らは組織化された御国活動に参加したあなたを逮捕しようと努力しているのです。隣人や,仕事仲間,共産党員の者が絶えずあなたに及ぼす圧迫,および学校にいるあなたの子供たちに及ぼす圧迫について,あなたはどのような反応を示しますか。彼らはなんらかの仕方で自分たちの政治制度または軍事制度にあなたか子供たちをひき入れようとしているのです。あなたがヱホバの証者の一人であるからという理由だけで,失職したり,財産を取られたり,または家から追い出されるということについては,どのように感じますか。
20,21 そのような試練の下にあつて,ヱホバの僕たちはクリスチャンの全きことをどのように示しますか。
20 これらの問題や,それに類似の問題は共産主義の国にいる多数のヱホバの証者にとつては,毎日のおきまりの事柄です。東ドイツだけでも,1950年以来3000人以上のヱホバの証者は投獄されました。この中,約1000人は婦人です。刑の宣告は,各人に対して平均4年です。しかし,それらのヱホバの証者は神の御こころを行いつづけています。そのことは,刑務所内にいる証者たちのある者が,1958年7月のヱホバの証者神の御こころ国際大会に送つた次の言葉からも分ります,『忠実の中に歩む16人の兄弟は,あなた方とまつたくいつしよになつていると感じます。イザヤ書 12章3,4節。』その聖句は,次の通りです,『この故になんじらよろこびをもて救の井より水をくむべし。その日なんじら言わん,ヱホバに感謝せよ。その御名を呼べ,その御行為をもろもろの民の中につたえよ。その御名のあがむべきことを語りつげよと。』
21 そのような状態の下にいるとき,あなたはよろこぶことができますか。刑務所にいようといまいと,幾年にもわたる緊張に耐えるだけ円熟していますか。そして,愛と親切をもつて伝道しつづけることができますか。東ドイツの一兄弟からの次の報告は,そのようなクリスチャンの全きことを証明するものです。この兄弟は,自分の息子の逮捕について,次のように書いています,『息子は秘密警察に逮捕され,7週間投獄された後ふたたび留置され4年間の投獄刑を宣告されました。息子は,西ベルリンから東ドイツに文書を持ち入れたため告訴されたのです。真理のため,私自身も1950年から1956年まで投獄され,私の子供たちの別のひとりは1951年から1954年まで投獄されました。家に戻つてきた私たち2人は,及ばずながら主に奉仕ししつづけようと決意しています。主が過分の御親切を更に与えられますよう。』
クリスチャンの全きに達する為の要因
22 全きを得るためにどんな基礎的な性質が必要ですか。
22 これらの忠実な僕たちのごとく,ヱホバをよろこばすすべての者がクリスチャンの全きに円熟することは必要です。彼らのするすべての努力の基礎は,愛でなければなりません。このことは,クリスチャンの全きについてのイエスの言葉からも明白です,『「隣り人を愛し,敵を憎め」と言われていたことは,あなた方の聞いているところである。しかし,私はあなた方に言う。敵を愛し,迫害する者のために祈れ。こうして,天にいますあなたがたの父の子となるためである。天の父は,悪い者の上にも良いものの上にも,太陽をのぼらせ,正しい者にも正しくない者にも,雨を降らせて下さるからである。あなた方が自分を愛する者を愛したからとて,なんの報いがあろうか。そのようなことは取税人でもするではないか。兄弟だけにあいさつをしたからとて,なんのすぐれた事をしているだろうか。そのようなことは,異邦人でもしているではないか。それだから,あなた方の天の父が全きであられるよう,あなた方も全きになりなさい。』― マタイ 5:43-48,新世。
23 全きを得るためにどんな他の性質が必要ですか。
23 クリスチャンは全くなるために,忠実という性質とともに円熟に生長しなければなりません。クリスチャンは自分の弱点を正直に認め,その弱点を無くすよういつしよう懸命に努力しなければなりません。クリスチャンはイエスの助言を毎日行わねばならないのです。『もしあなたが完全になりたいと思うなら,帰つてあなたの持ち物を売り払い,貧しい人々に施しなさい。そうすれば,天に宝を持つようになろう。そして,私に従つてきなさい。』物質の価値よりも霊的な価値を高いものとなし,イエスの足跡に従順に従うことにより全きを得ます。―マタイ 19:21,新口。
24,25 (イ)新しい世の交わりと古い世の交わりについては何が言われねばなりませんか。(ロ)『御霊の実』は何ですか。それは,どのようにつちかうことができますか。
24 交わりに注意を払わねばなりません。多くの場合,親族とか以前のこの世の友たちは,新しい世の交わりのための時間に食い込んで来ます。そのようなことをさせてはなりません! それについては毅然とした態度を取りなさい! 集会の出席と,御国奉仕のために毎週割り当てているそれらの時間は,その週の中でいちばん貴重な時間です。それはクリスチャン崇拝に属する時間であつて,この古い世の何人も,それらの時間に干渉する権利を持つていません。そのような関係に係りを持つ者たちにたいし,イエスは『私に従つて来なさい』と言います。親族や古い世の友たちも従つてきたいと欲するなら,愛のある援助を惜し気なく与えます。しかし,それらの人々の妨害のために,あなたが円熟に生長しなくなるとか,クリスチャンの全きに違し得ない,などというようなことがあつてはなりません。―マタイ 8:21,22。
25 正しい交わりの必要は,新しく興味をもつた人も,長い年月のあいだ献身している人も,またその中間にいるどの人も,心に深く銘記しなければなりません。古い世の交わりは,古い世とともに滅びます。なぜ古い世と共に滅びるという危険を冒すのですか。新しい世の社会内の兄弟たちと交わることは,よろこび,平和,満足,そして最後には永遠の生命をもたらします。『御霊の実』を示す者との交わりこそ,つちかわねばならぬ交わりです。この交わりを通して,すべての者は同じ愛,同じよろこびと平和,同じ寛容,同じ親切と善,同じ信仰,同じ柔和と節制の中に住むようになります。クリスチャンの全きを得る場所があります! それは,新しい世の社会の愛ある交わりの中にあるのです!―ガラテヤ 5:22,23。ヘブル 10:24,25。
26 良い研究の習慣は,全きを得る際にどのような助けとなりますか。
26 全きを得る別の要因は,ヱホバの言葉を熱心にそして秩序立つて研究することです。毎日の30分,個人的な研究をすることは,30分の休息または睡眠よりもずつと価値あるものではありませんか。研究の習慣をつけなさい。毎朝,起きると共に朝の聖句を研究する習慣をつけなさい。昼休みの時間中,神権的な読みものをする習慣をつけなさい。毎晩就寝する時に,神の言葉を更に深く考えるという習慣をつけなさい。聖書を毎日読みなさい。良い研究の習慣は,「心を変える」際の助けとなります。そして,神の全き奉仕者として,新しい世の活動に熱心とよろこびに満ちた参加をすることができます。クリスチャンの円熟を得るのに,これはなんと価値のあるすばらしいものでしよう!―ヨシュア 1:6-8。
27 今日,全地の民の中で誰がいちばん特権を持つ者ですか。これらの者は,何をしなければなりませんか。
27 最少限の奉仕または交わりで満足する人は誰ですか。自由を得るためにきずなを断ち切つたのであるなら,すべての者はその自由をしつかり保ちましよう。(ガラテヤ 5:1)新しい世の社会内で全くなるため,励みつづけて行きなさい。すべての特権の中でいちばん特権のあるものとは,次のような者たちの特権です,すなわちヱホバに全く献身している彼らは,「神によろこばれる,生きた,理性の力を持つ聖なる供え物として体をささげ」つづける者たちです。『現在のこの悪しき世』から切り離れている状態を,全きもの,永続のもの,取消すことのできないものにしなさい! 心を全く新しい世の考え方に変え,生活を全く新しい世の生活に変えることにより,すべての者は『あなた方の天の父が全きであられるよう,全きになる』よう努めなさい。