-
忠実を保つものみの塔 1956 | 11月15日
-
-
『忠実を保て!』と声高らかに語りました。そして,大きな迫害に耐忍んでいる現在の兄弟たちも,忠実を保て,と私たちに絶えずすすめているのです! 目に見えない部分であろうと,見える部分であろうと,ヱホバの力ある制度は,いつでも私たちを援助して忠実を保たせる用意をしています。
-
-
悪を止めて善を始めなさいものみの塔 1956 | 11月15日
-
-
悪を止めて善を始めなさい
悪の循環を止める仕方は,善でもつてその循環を打破ることです。悪に対するに悪をもつてなし,また憎しみは憎しみを生ぜしめ,暴力が暴力を生ぜしめるかぎり,悪はますます深まつて行き,悪を行う人はいよいよ悪に染まつて行きます。渦巻に逆つて泳げる人の体は,頑健なものでなければなりません。同じように,善を行うことによつて悪の循環に逆う人は,霊的に頑健でなければなりません。それには,雄々しさ以上のものを必要とします。敬虔を必要とするのです。
イエスもそう語られました,『「隣り人を愛し,敵を憎め」と言われていたことは,あなたがたの聞いているところである。しかし,私はあなたがたに言う。敵を愛し,迫害する者のために祈れ。こうして,天にいますあなたがたの父の子となるためである。天の父は,悪い者の上にも,良い者の上にも太陽をのぼらせ,正しい者にも正しくない者にも,雨を降らして下さるからである。あなたがたが自分を愛する者を愛したからとて,なんの報いがあろうか。そのようなことは取税人でもするではないか。兄弟だけにあいさつをしたからとて,なんらすぐれた事をしているだろうか。そのようなことは異邦人でもしているではないか。それだからあなた方の天の父が完全であられるように,あなた方も完全な者となりなさい。』― マタイ 5:43-48,新口。
使徒パウロは,ローマにいたクリスチャンたちに,『悪をもつて悪に報いず』と告げました。また,テサロニケにいたクリスチャンたちにも,『悪をもつて悪に報いないように』との類似の戒めを与えました。これを言うのは易しくても,行うのは難しいことです。しかし,パウロは言うだけでなく,行いました。『はずかしめられては祝福し,迫害されては耐え忍び,ののしられては優しい言葉をかけている。』― ロマ 12:17。テサロニケ前 5:15。コリント前 4:12,13,新口。
イエスは高い程度の敬虔さを持つていました。私たちはイエスの模範に従わねばならぬ,と告げられています。『(キリストは)ののしられても,ののしりかえさず,苦しめられても,おびやかすことをせず,正しいさばきをするかたに,いつさいをゆだねておられた。あなたがたは,実に,そうするようにと召されたのである。キリストも,あなたがたのために苦しみを受け,御足の跡を踏み従うようにと,模範を残されたのである。』― ペテロ前 2:23,21,新口。
人々の普通にしている行は,自分に丁寧な人には丁寧にし,自分を尊敬する者には尊敬を払い,自分に怒つている者には怒りを持ち,そして自分を打つ者には打ちかえすことです。しかし,こうすることは他の人に自分の性格をつくらせ,自分の行を決定させ自分の人格をつくらせていることになります。実際のところ,あなたを他の人々のようになし,そして彼らのような罪深い人にならせているのです。もしあなたが立派な行の標準を持つておられるなら,なぜそれを棄ててしまつて他人の低い標準を取るのですか。なぜ自分自身の持つ善よりも他人の悪の方を強めてしまうのですか。こうすることは,あなた自身を否定し,あなたの擁護するものを否定し,あなたの大切にしている原則を否定することになります。イエスに倣いなさい。彼はまわりの者の弱さによつて変化することなく,ありのままの自分を保ち続けたのです。『たとい,私たちは不真実であつても,彼は常に真実である。彼は自分を偽ることが,できないのである。』― テモテ後 2:13,新口。
もし,あなたが善でもつて悪の循環を止めるだけ強いならば,善の循環を始めることができます。『柔なる答は,憤恨をとどめ。』この柔な答は,あなたの弱さから来るのでなく,あなたの強さから生じます。そして,怒つている人は,この真理を感じます。多くの人々は,似たものでもつてお返しをしているため,あなたが善でもつてそれを打こわすなら,悪の循環は良いものに変ります。『施しを好む者は肥え,人を潤す者はまた利潤を受く。』『汝の食物を水の上に投げよ。多くの日の後に汝ふたたび之を得ん。』あなたの行う善が実を結んで,他人から戻つてくるまでには,時間がかかることでしよう。今日種子を播いて,明日麦を刈ることはできません。しかし,『人は自分のまいたものを刈り取ることになる。私たちは,善を行うことに,うみ疲れてはならない。たゆまないでいると,時が来れば刈り取るようになる。』― シンゲン 15:1; 11:25。伝道之書 11:1。ガラテヤ 6:7,9,新口。
ヱホバ神は人類に愛を示されました。そして,ヱホバ神の恵みを感ずる人々より愛を刈り取られます。神は私たちの生活している地や,私たちの呼吸する空気や,私たちの食べる食物と動物や,そして私たちの飲む水を創造しました。大多数の人々は,それらのものを当然なものと考え,神に感謝していません。我々は働いて,金を得て,食物を得ている,それであるのに神に感謝する理由なぞあろうか,とそれらの人々は考えています。農夫は種子をまいて,水をかけ,栽培することができます。しかし,それを成長させることはできません。『植える者も水をそそぐ者も,ともに取るに足りない。大事なのは,成長させて下さる神のみである。』自分の受ける祝福の源をたどつて行くならば,すぐ神に達します。善人にも,悪人もこのことは絶対の真理です。―コリント前 3:7,新口。
悪い人々は,神への負債を認めようとしません。神が彼らにまかれる愛は,実を結ばず,ただ無関心と不信のみが残ります。しかし,感謝の気持を抱く人々,すなわちクリスチャンの場合は違います。
それで,善を行うことにより悪の循環を破りなさい。『悪に負けてはいけない。かえつて善をもつて悪に勝ちなさい。』そして,他の人の善に答え応じなさい。特に神が私たちに注ぎ給う愛にたいして,愛の従順さをもつて答え応じなさい。―ロマ 12:21,新口。
-