諸国民の癒しは近し
1 今日,諸国民はどのような面で癒しを緊急に必要としていますか。
国家内であつても,または国家間であつても,現在の患難の時代に,諸国民の癒しは緊急に必要なものです。世界の治癒者は,みなこの事実を認めています。全世界は重病の状態になつています。といつて,人間の体のことだけについて考えているのではなく,特にあらゆる場所に見られる道徳,宗教,そして政治の状態を考えているのです。現代の中に,政治的な諸国民の癒しがすぐに来ないならば,何が生じますか。憂慮すべき理由があるのです。
2 インドネシヤのスカルノ大統領は,世界の諸国民が癒しを必要としていることをどのように示しましたか。
2 世界の著名な政治家たちは,心配動揺しています。彼らは,世界を癒す者,治癒者のような行をしようと努めています。最近,インドネシヤの大統領アチメド・スカルノは,うがつたことを語りました。スカルノ大統領は熱心な回教徒で,人口8200万人の一国家の指導者です。この国では各10人の中9人は回教徒であります。ところが,スカルノ大統領は国家の首都からスマトラまでの900マイルを飛行して,回教とはちがう宗教の人々の集まりに講演をいたしました。その集まりは東アジア・キリスト教会議と呼ばれ,24の国々から来た120名の代表者がそこにいました。彼らは本部をスイスのジュネーブに持つ教会世界会議を代表するものでした。新教徒の一牧師は演壇に立つて,言語を異にする約1000人の群衆にむかい,『我々はみな,自分たちの言葉でもつて主の祈りを読もう。』と語りました。スカルノ大統領は,その言葉を聞いていたのです。その後の1957年3月17日に,スカルノ大統領は,野外の会合で講演をなし,また自分のホテルでも講演をしました。大統領は次のように説明しました。すなわち,インドネシアの立脚している5つの哲学的原則の一つは,『神を信ずることである。』大統領は,この世は『艱難の多い状態』であると語つてから,『人々は,口先きでは世界平和を語つたが,自己滅亡の兵器をもつくつたものは,他ならぬ彼らなのである。』と附言しました。重病人の枕元に坐る医者のように,彼は『我々は人間の危機に生活している。』と語りました。(1957年3月20日,ニューヨーク・タイムス紙)或ることを口に出して言つても,それとは全く逆なことをするなら,その者は道徳的にも精神的にも病気であつて,宗教的にはまつたく無規律な者一性格分裂症の人です。頭の冴えた医者は,必らずそう言うでしよう。
3 極東の注意を惹いたごとく,アイゼンハウワー大統領はこの分裂した世界を癒すために何を誓いましたか。
3 別の大統領は,自分こそ世界を癒す者であると名告り出ました。極東は,この大統領のさしのべた救済に注意を向けています。1957年1月22日の台湾,台北のチャイナ・ポスト(英文)は,表紙に次のような見出しを掲げたのです,『二度目の就任演説中,アイクは世界分裂を癒すために力と富をアメリカに誓う。』アメリカ合衆国大統領としてドワイト・ディー・アイゼンハウワーの2度目の就任式について,自由中国のこの英字新聞は,ワシントン・ディー・シーからの1月21日附のシー・エヌ・エイー・ユー・ピー報道を出版しました,『アイゼンハウワー大統領は,「この分裂の世界を癒して」法律に則る公正と共に平和をもたらす為,アメリカの力と富を誓つた。この目標に達することは「むずかしいであろう」そして「我々は……あらゆる犠牲をも惜しまずに払わねばならぬ」と大統領は語つた。「その犠牲は高価なものであろう,忍耐強く働き,すすんで援助を与え,冷静な態度で犠牲を耐えねばならぬ」と大統領は述べ,かつアメリカは「あらゆる場所の人間の運命に深い関心を持つ」と言明した。』
4 (イ)この世界を癒すことについてのアイゼンハウワーの話は,何の本にその源がありますか。(ロ)彼が大統領としての誓をしたときに,彼の手はその本のどの聖句の上に置かれていましたか。
4 この分裂した世界を癒すということについてのアイゼンハウワー大統領の講演は,ユダヤ人にとつても,またクリスチャンにとつても,神聖な書である聖書に,その源があるのです。そのことに気づいている人は,ほとんどいません。しかし,次のような事実に気をつけてごらんなさい,アイゼンハウワーが2度目の就任の誓をした際,アメリカ標準訳の聖書を開いて手に持つていました。その聖書は,彼が1915年ニューヨーク,ウエスト・ポイントのアメリカ陸軍士官学校を卒業するとき,母親から贈られたものです。アイゼンハウワーの手は詩篇 33篇の12節に置かれていました。その聖句は次のようです,『ヱホバをおのが国とする国はさいわいなり。ヱホバは嗣業にせんとて選びたまえるその民はさいわいなり。』すると,あたかもアメリカ合衆国が『ヱホバをおのが国とする祝福された国』なることを示すかのようです。また,地上の全国民は,みな祝福を受けるためにはヱホバを自分の神にしなければならぬと示すかのようです。
5 第1回の大統領として就任の誓をしたとき,アイゼンハウワーの左手はどの聖句の上に置かれましたか。
5 さて,アイゼンハウワーはこの分裂した世界を『癒す』と語りましたが,このことは,それよりも4年前の1953年に行われた第1回目の大統領就任式を思い起させます。就任の誓をしたアイゼンハウワーは,そのとき左手に2冊の聖書を持つていました。その1冊は,いわゆるジョージ・ワシントン聖書と言われるもので詩篇 127篇1節のところが開かれていました。その聖句はこうです,『ヱホバ家をたて給うにあらずば,建つる者の勤労は空しく,ヱホバ城をまもり給うにあらずば,衛士のさめおるはむなしきことなり。』もう1冊の聖書は,アイゼンハウワー元帥に贈られた聖書で,黒い皮表装に彼の名前が金文字で書かれています。その聖書の歴代志略下 7章14節が開かれていました,『我名をもて称えらるる我が民もし自ら卑くし,祈りてわが面を求め,その悪しき道を離れなば,我天より聴きてその罪をゆるし,その地を医さん。』― 1953年1月20日と21日のニューヨーク・タイムス紙。
6 そのわけで,アメリカを含むこの世界の癒しについてどんな質問を尋ねますか。
6 前大統領の施政の後には,アメリカの地を癒すことが必要であると,アイゼンハウワー元帥は多分感じたのでしよう。しかし,世界の他の国民も癒しを必要としませんでしたか。アイゼンハウワー元帥が初めて大統領になつてから2ヵ月経たない中に,強力なロシヤの共産主義独裁者ヨセフ・スターリンは死にました。だが,世界の諸国民の状態は良くなりましたか。アイゼンハウワー大統領が歴代志略下 7章14節に手を置いて厳粛な誓をなしてから4年以上経つて後,その2度目の大統領就任中にアメリカの地は,アイゼンアウワーや他のアメリカの政治家,そして事業の指導者や宗教の指導者によつて癒されましたか。アメリカ合衆国には力と富が与えられると誓われました。その力と富のおかげで分裂した世界は癒されていますか。
7 1953年1月20日以来の世界のどんな出来事や状態は,アメリカの救済がこの分裂した世界を癒すのに失敗すると証明しますか。なぜアメリカ一国だけが救われませんか。
7 1953年1月20日以来,民主主義強国と共産主義強国が最初の水素爆弾を爆発させたこと,相次ぐ軍備縮少会議の失敗,現在地上の3分の1を支配する共産主義強国が,その支配を拡大して全地の支配を狙おうとする野望は変らないこと,それにつれて非共産主義の諸国家は共産主義に反抗しようという強固な決意を持つていること,両陣営の科学者たちは原子爆弾を搭載して幾千マイルも飛行できる長距離誘導弾 ― それは一つの大陸から別の大陸にまで飛んで遠くの敵に達し,非常に広範囲な大破壊をもたらします。―をつくり出そうと躍起になつて努力していること,そしてまた大国家であれ,小国家であれ,国々のあいだに,憎しみや,しつとや,嫌疑や競争があること,諸国民や社会のあいだに数知れぬ程多くの宗教的な相違のあること,無情の精神があること,そして明白に示されているごとく目に見ることのできぬ,反抗し得ない超自然の悪鬼の勢力は,諸国民を着々と追いやつて,亡びと破滅にますます近づけているということ ― これらのすべてのことがらは,地上にある一番富む国,そして一番強力な国の救済も,この分裂した世界を癒し得ないということを全く明白に証明するものです。癒しができないということは,この世界の死をまちがいなく意味するものです。そして,その結果として,地上にいる25億の人々は死んでしまうでしよう。アメリカ合衆国が癒されるとするなら,世界の他の国々も癒されねばなりません。今日では,自活できる国というものは一つもないからです。一人立ちできる国は一つもありません。病気の諸国家を墓に追いこんでいる伝染病にかからない国というものは,一つもありません。
8 (イ)諸国民の癒しが近づいたという良いたよりを,どうして発表することができますか。(ロ)誰が,歴代志略下の7章14節で癒しの言葉を語りましたか。彼は誰に向つてその言葉を語りましたか。そしてなぜ?
8 それでは,諸国民の癒しは近づいたなどという良いたよりを,どうして発表することができるのですか。癒しを得る為に正しい道にむかうとき,そして全国民の中の幾十万人という人々がすでに癒しの治療を受けて全き回復と完全な健康にむかつているのを見るとき,私たちは,諸国民の癒しは近づいたと発表することができます。アイゼンハウワー元帥が開いた聖書に手を置いて大統領の職務を忠実に行うと誓つたとき,神の前に誓つたと感じました。聖書の歴代志略下 7章14節のところに手を置いたとき,神の御言葉の上では別の支配者に手を置いたのです。この支配者とは,ずつと昔に南はエジプトの河から北はユフラテ河にいたるまで,多数のちがつた国民のいる近東地方を支配した者です。神はその言葉を,古代のいちばん賢明な支配者,すなわちダビデの子であるソロモシ王に語りました。このソロモン王は,仏教の時代や儒教の時代が始まる時よりも幾世紀も昔にエルサレムの聖都で統治をしていたのです。ソロモン王の地は,当時には健全な状態でした。真の健康に必要な一つのもの,すなわち真の宗教があつたからです。それは,その宗教に一致した生活をなしていました。ソロモン王は丁度宮を建てて神に奉献したところであつて,神はソロモン王に現われ,その言葉を語られたのです。神は,ソロモン王の国民がこの健全な状態から落ちて,地はその罰に災を受けることを見こされました。それでどのようにすれば,地は健康に戻れるかを,神はソロモン王に告げたのです。
9 それらの言葉を語つた神がイエス・キリストでないと,どのように知ることができますか。
9 しかし,国民を癒す力を持つこの神とは,誰でしたか。それはイエス・キリストでしたか。イエス・キリストではありません。このイエスはソロモン王の子孫として,それから1000年以上も後になつて現われたのです。イエス・キリストではありません,聖書の歴史も歴代志略下 7章12-14節で次のように述べています,『時にヱホバ夜ソロモンに顕われて,これに言いたまいけるは,我すでに汝の祈りを聞き,またこの所を我がために選びて犠牲を捧ぐる家となす。我天を閉じて雨なからしめ,又は蟊賊に命じて地の物を食わしめ,又は疫病を我民の中におくらんに,我名をもて称えらるる我民,もし自ら卑くし,祈りてわが面を求め,その悪しき道を離れなば我天より聴きてその罪をゆるし,その地を医さん。』霊感の権威を持つ聖書は,ソロモン王にそのような慰めの約束をされた方がヱホバという御名を持たれている神だけであると述べています。
10 アイゼンハウワーの就任式のときに用いられた二つの聖句は,ヱホバの御名で呼ばれるそれらの民に,どう適用しますか。
10 神は,ソロモン王の民を『我名をもて称えらるる我民』と呼びました。大統領の就任式のときの詩篇 33篇12節,すなわち『ヱホバをおのが神とする国はさいわいなり。ヱホバ嗣業にせんとて選びたまえるその民はさいわいなり。』の聖句の言及した民とは,他ならぬその民だつたのです。そして,神の御名を負うこの民が,神の助けや指示なしに家を建てたり,都を守ろうとしても,それは,大統領の他の就任式の聖句,詩篇 127篇1節に述べられていることと同じようでありましよう,『ヱホバ家を建て給うにあらずば,建つる者の勤労は空しく,ヱホバ城を守り給うにあらずば,衛士のさめおるは徒労なり。』それよりもずつと昔,現在のスエズ湾に近いシナイ半島のところで,ヱホバはすべての民に対する意味深い次のような言葉をこの同じ民に語つておられました,『我はヱホバにして女を医す者なればなり。』― 出エジプト 15:26。
全国民が病にかかつている理由
11 どんな他の国民の中に,艱難の根とそれに対する救済の例が見られますか。
11 この古い世の全国民は,その最初から病にかかつていました。その中には,現代イスラエルの若い国民も含まれているのです。その病気の状態は,いまや最高潮に来ています。なぜ,この危険な状態は起りましたか。この艱難の根は何ですか。それが分れば,私たちが癒しを受けるに必要な唯一つの救済は何であるかを知ることができます。極めて重大なこの質問に対する答は,一国民の例の中に与えられています。しかし,それはアラブ人世界によつて憎まれている現代のイスラエルではなく,いまから2500年以上むかしのイスラエルの12支族の国民です。その国民は,律法の与え主モーセや,ダビデ王や,ソロモン王を出しました。シナイ半島のシナイ山で,モーセはヱホバ神と人間のあいだの仲保者の役をなし,それらの人々をして神と国家的な同意をなさしめました。神は,モーセを通して,古代のイスラエルの国民に特別な律法を与えました。
12 イスラエルの国民は,どんな人の子孫であるために,神は彼らを選びましたか。神は,この人を通して,どんな癒しの約束を諸国民に与えましたか。
12 その昔,モーセはイスラエルにこう告げています,すなわち神はその国民を選ばれたが,その理由は彼ら自身の価値によるのではなく,それとは逆に,彼らの曾祖がアブラハムと言うヘブル人であり,このアブラハムが神なるヱホバにかたく信じて,ヱホバに従つたため『ヱホバの友』と呼ばれたからである,と告げました。(申命 7:6-9。歴代志略下 20:7。イザヤ 41:8。ヤコブ 2:23)地上の全国民には癒しが来ること,そしてアブラハムとその子孫はそのすばらしい癒しの業にあずかると,神は御自分の友アブラハムに特別の約束をなされました。アブラハムに与えられた神の約束は,このようでした,『天下のもろもろの宗族,なんじによりて福祉を得ん。』『また汝の子孫によりて天下の民みな福祉を得べし。なんじ我が言葉に従いたるによりてなり。』(創世 12:3; 22:18)今日,このような約束から判断して,これは現代のイスラエルの国民を意味するなどと間ちがつた考えをしてはなりません。たしかに現代のイスラエルは昔のアブラハムの子孫であると表示することができます。しかし子孫だからといつて祝福の裔になるわけではありません。イスラエルの属している国際連合制度の80の他の国に対してでさえ,祝福の裔にはならないのです。今日,イスラエルの国民によつて祝福を受けて,癒しを受けている国は地上に一つもありません。現代において全国民の癒しは近づきましたが,それは分裂した世界に属するその近代国民以外の他の手段によるのです。
13 詩篇 33篇12節は,ソロモン王の支配したイスラエルにどのように適用しましたか。そのときの彼らの国家的な状態は,何についての予言的な絵でしたか。
13 いまから約3000年むかしのソロモン王の時代においては,彼の民について次のように言うことができました,『ヱホバをおのが神とする国はさいわいなり。ヱホバ嗣業にせんとて選びたまえるその民は幸いなり。』(詩 33:12)その12支族の国民は,ヱホバの崇拝の中に一致していました。彼らは荘麗なヱホバの宮をエルサレムに建てるため一致して働きました。彼らは,ヱホバのいましめに従うことによりヱホバとの同意,すなわち契約における自分たちの分を守りました。それで,ヱホバは御自分の分を守り彼らを敵から守つて,繁栄を与えることによつて祝福しました。ソロモン王の支配についての歴史は,次のように述べています,『ユダとイスラエルの人は多くして,浜の沙の多きがごとくなりしが,飲食して楽しめり。ソロモンは河よりペリシテ人の地に至るまでとエジプトの境に及ぶまでの諸国を治めたれば,みな礼物をおくりてソロモンの一生のあいだ事えたり。』(列王紀略上 4:20,21)それは一つの予言的な絵でした,つまりヱホバ神がアブラハムを通して約束された祝福を実現して,全人類を癒したもう時,地上の状態がどのようになるかを示すものです。
14 どんな女王は,ソロモンの智恵を自分自身で見たり聞いたりするために,はるばるとやつてきましたか。その後,ソロモンの民について,彼女は正直にも何を認めましたか。
14 シバの女王までも,1500マイルの遠い道程をはるばる旅して来ました。現代のアデンに近いアラビヤ半島の西南方のはずれのところから,ソロモンの智恵を自分自身でたしかめたいと思つて来たのです。ソロモンの為し行つたこと,および王であるソロモンのすばらしい智恵を見て後に,シバの女王はソロモンにこう語りました,『なんじの知恵とさかえは,わが聞きたるうわさに越ゆ。つねに汝の前に立ちてなんじの知恵を聞くこれらの人,なんじの臣僕は幸いなるかな。なんじの神ヱホバは讃むべきかな。ヱホバなんじをよろこび,なんじをイスラエルの位にのぼらせたまえり。ヱホバ永久にイスラエルを愛し給うによりて,なんじを王となして公道と義を行わしめ給うなりと。』(列王記略上 10:1-9)それで,イスラエル人でないこの女王は,ヱホバ神が忠実なアブラハムの子孫たちを自分の相続に選んで,彼らの神になつたこと,そしてこの理由の故にそれらのイスラエル人は今から約3000年昔のそのときに祝福を受けていたと,正直に認めました。
15 ソロモンの死後,イスラエルはどのように分れましたか。キリスト前607年までには,それぞれの国にはどんな亡びが生じましたか。そして,なぜ?
15 しかし,ソロモン王の死んだ後のイスラエルの歴史を調べてごらんなさい。その国民は二つの国に分れました。北の地に首都を持つイスラエルの国と,エルサレムに首都を持ちソロモンの子を王とするユダの国です。なぜそうなりましたか。なぜなら,ソロモン王は後になつて天的な知恵から離れ去り,父親ダビデ王の神に背いたからです。イスラエルの北の国は,257年間つづいてから,アッシリヤの世界強国によつて亡ぼされました。なぜ? なぜなら,その国もエルサレムにおけるヱホバの崇拝から離れて偶像崇拝をしたからです。金の牛や,後日には偽りの神バアルとかその連合であるアストレトを崇拝しました。ユダの国は,ソロモンの死後390年つづきましたが,キリスト前607年にはヱホバに捧げられた宮は亡び,エルサレムの聖都は灰燼に帰し,この亡びに生き残つた数千人のイスラエル人の大部分は,征服者の地であるバビロンに連れて行かれ,ユダの地は荒廃した地となつて,通り過ぎる者たちはみな避けて行きました。なぜ? なぜなら,ユダの民であるユダヤ人は,彼らの先祖アブラハムの神,ヱホバを棄てたからです。神であるヱホバを持たないなら,どうして祝福を頂くことができますか。
16 その民と彼らの地は,どのように癒されましたか。それで,どんな事実について私たちは歴史的な証拠を持つていますか。
16 その国民が,そのときに癒しを必要としたことはたしかです。彼らの聖地が癒しを必要としたこともたしかです。その癒しは来ましたか。エルサレムの聖都が亡んで後70年経つてからその癒しは来ました。なぜ? なぜなら,そのときヱホバ神は御自分の選民なる彼らを棄てなかつたからです。現在ではイラクのアラブの国にあたるバビロンに捕われていた多数のイスラエル人は,ヱホバ神との契約を破つたことを悔い,ヱホバの崇拝に再び戻りました。ヱホバ神は,御自分の御名の故に約束通りのことを行いました。つまり,彼らが彼に戻るときに,行おうと約束したことを果されたのです。ヱホバ神は彼らを癒しました。ヱホバ神は彼らを捕われの状態からその地に連れ戻して,人を殖やさせることによりその地を癒しました。彼らがエルサレムの再建した宮で,ふたたびヱホバを崇拝し得るためでした。このようにして,大いなる治癒者は彼らの傷ついた心を癒して,災をうけたその地を祝福しました。それで,その地はエデンの園,すなわち創造主なる神が最初の男と女,アダムとエバを置き給うたパラダイスのようになつたのです。(エゼキエル 36:32-36)そのわけで,全能の神ヱホバは国民を癒し得るという歴史的な証拠がここにあるのです。しかし,そのためには,ヱホバだけを唯一つの神にしなければなりません。
17 (イ)今日,モリア山上にはなぜヱホバの宮がありませんか。(ロ)イスラエルが1948年に共和国を建てることにより,癒しを受けたか否かを知るために,私たちはどんな質問を尋ねて答えねばなりませんか。
17 そのときより約2500年経つて後の今日,エルサレムの聖都がかつて在つた丘を見ます。モリア山の上にあつたヱホバの宮は何処にありますか。それはありません。クリスチャン時代の70年,ローマの世界強国はその宮を亡ぼしました。キリスト前607年の場合と同じ理由によるのですが,そうです。イスラエル人がヱホバを崇拝することから離れ背いたからです。この明確な理由により,彼らの聖都は数ヵ月のあいだ包囲されて,敵の手に陥り,その宮もろともに亡んでしまいました。そして,その恐ろしい亡びに生き残つた9万7000人のイスラエル人は捕虜として連れ去られ地の隅々までに散らされたのです。今日でも彼らの多数は全地にいます。しかし,イスラエル共和国がアラブ諸国の只中で設立された1948年以来,その国民は癒されたのではないでしようか。イスラエル人のしている農業,治園,そして石油発掘というものから見て,彼らの地は癒されたのではないでしようか。絶対の事実をもつてこれらの質問に答えるため,次の質問を尋ねなければなりません,ヱホバの宮はモリア山上に再建されましたか。現代のイスラエルの国民は,すべての敵から身を守るためにヱホバに頼つていますか。イスラエル人たちは,ダビデの油注がれた子,ソロモン王の時代のように,ユダの支族に属すると共に,ダビデの王統に属するヱホバの王の支配下にあつて,食べたり飲んだり,楽しんだりしていますか。彼らの地は,エデンの園のように栄えていますか。彼らはヱホバの証者として聖名を担い,ヱホバの民として幸福ですか。
18 なぜ,これら全部の質問に対する答は,否ですか。
18 この質問すべてに対する答は,なぜ否ですか。なぜなら,今日の彼らは『ヱホバをおのが神とする国』ではなく,また『ヱホバ嗣業にせんとて選び給えるその民』でもないからです。(詩 33:12)先祖たちの非聖書的な言伝えに従い,また偽りの宗教的な教師に従いつづけるイスラエルは,神なるヱホバを棄てました。それですから,今度はヱホバはその不忠実な国民を棄てて御自分の民という関係を切られ,彼らから御名を取り去りました。ヱホバはそれ以来,その御名を担い,証者として行うのにふさわしい者たちに御名を置かれています。
19 いまから1900年の昔,イエス・キリスト自身はどのようにそれらのイスラエル人にそう告げましたか。今日,イスラエル共和国はどんな実を結んでいますか。
19 いまから1900年むかし,イエス・キリスト御自身がそれらのイスラエル人にそう告げました。彼は次のように言われています,『なぜ,あなたがたも自分たちの言伝えによつて,神のいましめを破つているのか。……こうしてあなた方は自分たちの言伝えによつて,神の言葉を無にしている。偽善者たちよ,イザヤがあなた方について,こういう適切な予言をしている,「この民は,口さきでは私を敬うが,その心は私から遠く離れている。人間のいましめを教として教え,無意味に私を拝んでいる。」』そして,そのイスラエル人が,人間のつくり出した言伝えの故にイエス・キリストを殺す数日前,彼らはダビデ王の約束の子孫を棄てたとイエスは告げました。ヱホバ神は,その約束の子孫に油を注いで遣わし給うたのです。それから,イエスは次のように言葉をつけ加えました,『それだから,あなた方に言うが,神の国はあなた方から取りあげられて,御国にふさわしい実を結ぶような異邦人に与えられるであろう。』(マタイ 15:1-9; 21:42,43,新口)その実によつて判断するべきです。すると,今日のイスラエル共和国は,神の御国の実を結んで,神の民なることを証していますか。いいえ,そうではありません。1900年むかしの先祖たちがその実を結ばなかつたのと同様です。彼らに告げたイエスの次の判決の言葉,『見よ,お前たちの家は見捨てられてしまう。』は今日にいたるまで真実であります。(マタイ 23:38,新口)今日にいたるまで,エルサレムの元の場所には宮はありません。モーセの兄弟アロンの選ばれた家族の者で構成される祭司たちは,今日までありません。彼らの政府は神権政府ではなく,彼らの共和国は国際連合制度の実を結ぼうと努力しています。
癒された国民はどれですか
20 イエス・キリストはどのようにイスラエルに来ましたか。なぜ彼はイエスと呼ばれましたか。彼はどのようにキリストになりましたか。
20 1900年むかし,イエス・キリストは中東にいたイスラエルの宗教的な国民の治癒者として来ました。最も偉大な医者,すなわち完全な治癒者であられるヱホバ神は,天から彼をつかわしました。人間の治癒者は,地上のどこにもいなかつたからです。まつたくのところ,イエスという彼の名前は,『ヱホバは救い』という意味の名をちぢめたものであり,そのキリストという称号は『油注がれた者』,つまり聖霊によつてヱホバから油注がれた者という意味です。この者は,ヱホバ神からつかわされた治癒者でしたから,その出生を告げた御使は,処女なる母について次のように語りました,『彼女は男の子を産むであろう。その名をイエスと名づけなさい。彼は,おのれの民をそのもろもろの罪から救う者となるからである。』(マタイ 1:20,21,新口)イエスが30歳になつたとき,ヨハネと呼ばれる彼の従兄弟はイエスをヨルダン河の水に沈めました。そして,彼が水から出たとき天からしるしが現われ,神は洗礼を受けたこのイエスに,目に見えない活動力,すなわち御霊で油注がれたことを示しました。(マタイ 3:13-17)それで,彼はキリストなるイエス,すなわち油注がれたイエスになりました。それから彼は,油を注がれて任ぜられた仕事を始めたのです。
21 イエスは,どのように御自分が治癒者なることを証明しましたか。彼の弟子であるペテロは,彼について何と言いましたか。
21 地上にいたイエス・キリストは治癒者なることを,はつきり示しました。しかし,大部分のイスラエル人は,治癒者としての彼の働きを棄てたのです。もちろん,イエス・キリストがすばらしい癒しを行つたことについては,歴史的な記録があります。病人をたちどころに癒したり,一瞬の中に病める者を清め,不具者には,その不具の肢体を正常に戻したり,使用したりすることができるようにしました。また,死んだ者を生命によみがえすことすらしたのです。4日間も死んでいた人を墓の中から復活させたこともあります。イエスは,癒しをなす力を近密な弟子たちに分け与えました。ペテロという名を持つ,弟子たちの中の一人は,次のように言いました,『神はナザレのイエスに聖霊と力とを注がれました。このイエスは,神が共におられるので,よい働きをしながら,また悪魔に押えつけられている人々をことごとくいやしながら,巡回されました。私たちは,イエスがこうしてユダヤ人の地やエルサレムでなさつたすべてのことの証人であります。』― 使行 10:38,39,新口。
22 イエスによる大きな癒しとは何でしたか。イエスがナザレで読みあげたイザヤの予言は,このことをどのように語つていましたか。
22 しかし,それよりも大きなイエスの癒しは,人々の心と思を癒すことでした。つまり,宗教的な癒し,霊的な癒しです。肉体の病気にかかつていようと,いなかろうと,それにはかかわりなく国民全部がこの霊的な癒しを必要としました。彼らはみな,あらゆる種類の偽りの神々や女神を崇拝したローマの世界強国の下に生活していたのです。イエスは,『天の御国は近づいた』と伝道することにより,自由を求める人々を慰め,そして彼らの心を癒そうと努めました。イエスは,そのように伝道することができたのです,というのは来るべき神の御国の王として,彼はヱホバ神により油注がれた者だからです。(マタイ 4:12-17。ルカ 17:20,21,新世)あるときイエスはかつて大工をしていたナザレに戻り,その会堂の中で伝道をしました。彼はイザヤの予言の書を手に取つて,次の言葉を読みました,『ヱホバの御霊は私にのぞんでいる。ヱホバは,貧しい者に良いたよりを宣べ伝えるため私に油を注いだ。捕われ人のゆるしを伝道し,盲の目を開き,打ちひしがれた者に自由を得させ,ヱホバの受けいれ給う年を宣べ伝えるために,ヱホバは私をつかした。』その後,『あなた方のいま聞いたこの聖句は,今日成就された。』と彼らに言われました。(ルカ 4:16-21,新世)しかし,その地のナザレ人たちは,イエスの差しのべた癒しを拒絶したのです。
23 イエスは,どんな自由と救をさしのべましたか。しかし,彼らは何を好みましたか。
23 その国民全部もナザレ人の場合と同様な状態でした。イエスは国民にむかつて次の言葉を言われています,『もし私の言葉の中にとどまつておるなら,あなた方はほんとうに私の弟子なのである。また真理を知るであろう。そして真理は,あなた方に自由を得させるであろう。』しかし,彼らはイエスが真理によつて提供した自由を拒絶しました。(ヨハネ 8:31,32,新口)彼らはサタン悪魔,すなわち偽りの神である『この世の神』の圧迫から自由に解放されなかつたのです。彼らはその罪から教われることが必要でした,ところが罪のための人間の犠牲になられたイエス,すなわち『世の罪を取り除く神の小羊』を棄てたのです。(ヨハネ 1:29,36)彼らはイエスの罪のない完全な人間の体よりも,羊とか,山羊とか,牛とか,鳩を犠牲にすることを好みました。彼らは,唯一つの正しい犠牲を持つ神の真の大祭司としてのイエスを欲しなかつたのです。彼らは,神から与えられたイエスの言葉を理解しようともしなければ,イエスの行つた奇蹟のしるしを信じようともしなかつたのです。
24 聖書の歴史を書いた人々は,イザヤのどんな予言をそれらのイスラエル人に適用しましたか。彼らは霊的な癒しを拒絶したために,遂にはイエスに対して何をいたしましたか。
24 その理由の故に,聖書の歴史を書いた人々は,予言者イザヤを通して述べられた神の言葉を不信なイスラエル人にあてはめています,『こうしてイザヤの言つた予言が,彼らの上に成就したのである。「あなた方は聞くには聞くが,決して悟らない。見るには見るが,決して認めない。この民の心は鈍くなり,その耳は聞えにくく,その目は閉じている。それは,彼らが目で見ず,耳で聞かず,心で悟らず,悔い改めていやされることがないためである。」』(マタイ 13:14,15,新口。ヨハネ 12:39,40。使行 28:24-28)神の御子を通して差し伸べられた霊的な癒しを拒絶した彼らは,霊的に死ぬことが必至になつたのです。そのわけで,ついに西暦33年,霊的に病気の状態であつた彼らは,彼を苦しみの杭にかけて殺してしまいました。
25 諸国民の癒しが近づいたのは,どうしてですか。そして,治癒者としてのイエス・キリストを拒絶したそれらのイスラエル人から,すべての国民はどんな警告を受けることができますか。
25 しかし,ヱホバの大いなる治癒者は,再び生きておられます! 諸国民の癒しが近づいたのも,そのわけによります。なぜなら,アブラハムの子孫として彼は天と地にあるすべての力を持つて,いま生きて居るからです。祝福は,この者を通して地上の全家族および全国民に来ると約束されていました。3日目に最大の治癒者,全能のヱホバ神は,この良い治癒者を死人の中からよみがえし,天の地位に復旧せしめました。しかし,それは前よりも高い地位であつて,彼は前よりも大きな力を授けられたのです。しかし,地上の全国民は次の戒めを受けなさい,すなわちイエス・キリストを拒絶したイスラエル人たちは,一つの国民としては棄てられてしまい,霊的に癒されることは決してなかつたということです。引きつづいて行われた悪魔の圧迫の下にあつて,彼らは霊的に病気であり,死ぬべき者でありました。そして,神の御国は与えられず,またその実を産み出すことは決してなかつたのです,今日のイスラエルの国民を見てごらんなさい!
26 イエスの言葉によつて,御国が与えられる国民はどれであると,私たちはどのように知ることができますか。
26 イエスは,昔のイスラエルに向つて,神の御国は彼らから取り上げられると告げました。それでは,神の御国が与えられるとイエスの言われた国民はどれですか。どの国民であるかは,その実によつて知れます。なぜなら,それは神の御国の実を結ばねばならないからです。神の御国が与えられる為には,それは神の御国を受け入れねばなりません。
27 (イ)イスラエルの国家的な指導者たちは,ポンテオ・ピラトの前にあつてどんな実を結んでいましたか。(ロ)御国の与えられる国民は,なぜこの世的な国民ではないのですか。
27 ヱホバ神の油注がれた者であるイエスは,音信をたずさえてイスラエルの国民のところに来ました,『神の御国は近づいた。悔い改めて良いたよりに信仰を持ちなさい。』(マルコ 1:14,15,新世)イスラエルの国家指導者たちは,ローマの総督ポンテオ・ピラトに強くすすめ,イエスを殺すように促しましたのですから,彼らが悔い改めておらず,御国を受け入れなかつたことは間ちがいありません。彼らは次のような言葉を述べてピラトにすすめました,『この人が国民を惑わし,貢をカイザルに納めることを禁じ,また自分こそ王なるキリストだと,となえている。』また,次のようにも叫んで総督の反対をも押し切つてしまつたのです,『自分を王とするものはすべて,カイザルにそむく者です。』そして『私たちには,カイザル以外に王はありません。』(ルカ 23:1,2。そしてヨハネ 19:12-15,新口)それらのイスラエル人たちは,ローマ・カイザルの兵士の手によつてイエスを苦しみの杭にかけようと図りました。それですから,彼らはクリスチャンの迫害者であるカイザルの国の実を結んでいたことになります。それで,彼らは神の御国が取りあげられた国民であつて,神の御国が与えられた国民ではありません。神の御国の与えられる国民は,この古い世の政治的な国民ではないのです。その日から今にいたるまで,この世の国民の中の一つとしてその恵まれた国民ではありません。なぜなら,ローマ総督の前に立つて生死を決する裁きを受けたとき,イエスは次のように言いました,『私の国はこの世のものではない。もし私の国がこの世のものであれば,私に従つている者たちは,私をユダヤ人に渡さないように戦つたであろう。しかし事実,私の国はこの世のものではない。』(ヨハネ 18:36,新口)たしかに,彼の国は『天の御国』であつて,地的なものとか,人間的なものではありません。
28 御国の与えられる国民は,どんな種類の国民ですか。それは何時始まりましたか。
28 神の御国の与えられた国民とは,神の御国を受けいれる国民です。それは,イエス・キリストをヱホバ神の御霊によつて油注がれた者,そしてその国民の王なる者と受け入れる国民です。それは政治的な国民でなく,また地的の主権を要求するこの古い世の国民でもありません。それは霊的な国民です。すなわち,イエス・キリストと共に天の国籍を持つと称する新しい国民です。天界に政府的な首都を持つこの霊的な新しい国民は,五旬節<ペンテコスト>の祝祭日に始まりました。それは,ヱホバ神がその油注いだ王を死人の中からよみがえして,天で御自分の右に高めてから50日後のことです。
29 その日,ペテロは御国の理解を開くために,最初の鍵をどのように用いましたか。そして,約3000人の人々は,どのように神の御国の与えられたその国民の一部になりましたか。
29 その日のエルサレムで,イエスによつて『天の御国の鍵』が与えられた使徒ペテロは,その中の最初の鍵を開いて3000人以上のイスラエル人に伝道し,天の御国についての彼らの理解を開きました。ダビデ王は天的な王になるために昇天せず,その時にも死んだままで葬られていたと,ペテロは彼らに語りました。ダビデは詩篇 110篇を書き,死人の中からよみがえされて神の天的な御座に昇るイエス・キリストについてだけ予言しました。ペテロは次のように語つています,『ダビデは天に上つたのではない。彼自身こう言つている,「ヱホバは私の主に仰せになつた『あなたの敵をあなたの足台にするまでは,私の右に座していなさい。』」だから,イスラエルの全家は,このことをしかと知つておくがよい。あなた方が杙にかけたこのイエスを,神は主またキリストとしてお立てになつたのである。』そのとき,そのところで,約3000人のイスラエル人と改宗者は,悔い改めてイエスを主およびキリストとして受け入れ洗礼を受けました。そして,ペテロと共々に,その実をむすぶために神の御国の与えられた国民の一部になつたのです。―使行 2:29-41,新世。
30 何時そして,どのようにペテロは第2番目の鍵を用いましたか。その時以来,誰が御国の実を結ぶその国民の一部になりましたか。
30 それから3年半経たない西暦36年の10月1日頃,地上のペテロには天の御国の第2番目の鍵が与えられました。ペテロは,中東のヨッパから,北のカイザリヤに伝道するよう遣わされましたが,それは割礼を受けていたイスラエル人に伝道する為ではなく,割礼を受けていない非イスラエルのイタリヤ人に伝道する為です。イタリヤ軍隊の士官コルネリオの家で,ペテロは神がイエスを死人の中からよみがえして天界で主にせしめられたことを聴衆に語りました,『それから,イエス御自身が生者と死者との審判者として神に定められたかたであることを,人々に宣べ伝え,また,あかしするようにと,神は私たちにお命じになつたのです。予言者たちもみな,イエスを信じる者はことごとく,その名によつて罪のゆるしが受けられると,あかしをしています。』イタリヤ人のコルネリオとその話を聞いていた他の者たちは,ペテロの伝道した御国の音信を信じました。そして,ペテロが話している最中,ヱホバ神はイエス・キリストを通して,コルネリオと仲間の信者たちに聖霊を注ぎました。彼らは,天から注がれたこの活動力の影響を受けて,自国語とはちがう異言を話し神を崇め始めたのです。これは,神が割礼を受けない非ユダヤ人を新しい霊的な国民の一部とし,彼らに神の御国を与えてその実を結ばせるということを耳で聞える程にはつきり示す証明でした。それで,ペテロは『その人々に命じて,イエス・キリストの名によつてバプテスマを受けさせた。』(使行 10:1-48,新口)このようにペテロが天の御国の第2番目の鍵を用いて以来,生来イスラエル人でない信者たちは,神の御国の実を結ぶこの国民の中に取り入れられてその一部になりました。
31 ペテロは,その国民に宛てて,彼らが誰であり,また癒された国民であることを,どのように書きましたか。
31 後日,ペテロはこの霊的な国民の成員に手紙を書き送りました。そして,イスラエルの地的な国民が王なるイエス・キリストを棄てたこと,それ故彼らは神の選民ではなくなり,神が新しい国民を産み出すことは必要になつたことに注意を喚起しました。それから,主なるキリストを信ずる油注がれた信者にむかい,ペテロは次のように言いました,『あなた方は,選ばれた種族,祭司の国,聖なる国民,神につける民である。それによつて,暗やみから驚くべきみ光に招き入れて下さつたかたのみわざを,あなた方が語り伝えるためである。あなた方は,以前は神の民でなかつたが,いまは神の民であり,以前は,あわれみを受けたことのない者であつたが,いまは,あわれみを受けた者となつている。』それから,ペテロは更にこう示しています,すなわちこの国民は神の癒しを受けた国民であり,またその罪が許されて,そしてイエス・キリストの犠牲を通してその国民と神との間の破れが癒されたものです,『私たちが罪に死に,義に生きるために,キリストは杙にかかつて,私たちの罪を御自分の身に負われた。その傷によつて,あなた方は,いやされたのである。あなた方は,羊のようにさ迷つていたが,今は,たましいの牧者であり監督であるかたのもとに,たち帰つたのである。』(ペテロ前 2:7-10,24,25,新世)神の癒しが全国民にさしのべられるのは,癒されたその国民を通してだけです。
キリスト教国に癒しがなされる?
32 その癒された国民は,なぜアメリカ合衆国の市民団体ではありませんか。
32 神からの霊的な癒しが,いま程必要になつている時はありません。幸いなことに,その癒された国民のいくらかは,今日でも地上にいます。アイゼンハウワーは大統領に再任した時聖書の詩篇 33篇12節を開いて,その上に手を置き誓をなしました。しかし,この癒された者たちとは,アメリカ合衆国の市民団体ではありません。アメリカ合衆国は,多くの金銭や医療計画とか医療奉仕を世界の後進国に与えてその健康向上を図るかもしれませんが,しかしながら,アメリカはヱホバを己が神とする選ばれた国民ではなく,また他のすべての国々は霊的な癒しをアメリカに求めていません。この霊的な癒しは,神の新しい世における完全な健康の中に永遠の生命へ導くものです。アメリカ合衆国は,今日ヱホバ神の御国の実を結んでいると言える人が地上にいますか。アメリカ合衆国は,神の天の御国を支持しておらず,国際連合制度を支持しています。そのことを否定し得る人がいますが。国際連合制度は,この古い世が分裂しているのと同様に,政治的にも又宗教的にも分裂しているのです。アメリカ合衆国自体が霊的な癒しを必要としているのに,合衆国が人々に癒しをもたらす神の国であるなどということが,どうしてあり得ましようか。いわゆるキリスト教宗教というものを幾百と持つアメリカ合衆国だけでなく,自称キリスト教の他の諸国民は,霊的な癒しを必要としています。まして精神的な癒しや,肉体的な癒しを必要とすることは言うまでもありません。
33 キリスト教国が霊的な癒しを受けたかどうかについて,どんな厳しい事実はどう示していますか。
33 キリスト教国は,いま神の国民であると主張しています。キリスト教国は神の霊的な癒しを受け入れるでしようか。そして,今度はこの生命を与える癒しを他の者たちに提供するでしようか。そのようなことは決してありません。19世紀前のエルサレムが,イエス・キリストを通じてさしのべられた霊的な癒しを受け入れず,亡びをまぬがれなかつたことと全く同様であります。1914年に第一次世界大戦が起りましたが,それ以来の世界の出来事に裏づけられる聖書予言は,その年に神の天の御国が設立し,イエス・キリストが神の右に坐し給うたことを証明しています。特に第一次世界大戦が終了して以来,アメリカ合衆国に地的な本部を持つヱホバの証者は神の御国の実を結んで来ました。つまり,イエス・キリストの与えた世の終りに関する次の予言を成就しているのです,『この御国の福音は,すべての民に対してあかしをするために,全世界に宣べ伝えられるであろう。そしてそれから最後が来るのである。』(マタイ 24:14,新口)すべてのキリスト教国,特にアメリカ合衆国は御国の良いたよりを受け入れて,霊的な癒しを受け,そして神の御国の実を結び始めましたか。御国の良いたよりを伝道する者たちに対して,キリスト教国が迫害を加えたり,また憎しみを持つていることは,圧倒的に否と示します。その結果,幾百という宗派に分れている8億400万人以上の自称クリスチャンに対して,わずか70万人ぐらいのヱホバの証者は,全能の神の大いなる日の宇宙的な戦争が来て終りが来る前に,神の設立した御国の良いたよりを全地にわたり証として伝道しているのです。―黙示 16:14,16。
34 なぜキリスト教国は永久に死にますか。なぜ私たちはキリスト教国を避けるべきですか。
34 分裂したキリスト教国を通して,神の癒しの業が来るなどと期待してはなりません。その宗教的な指導者たちについて,エレミヤの予言は次のように述べています,『彼らは小さき者より大いなる者にいたるまで,みな貪る者,また予言者より祭司にいたるまでみないつわりをなす者なればなり。彼ら我が民の女の傷を浅く医し,平康からざる時に平康,平康と言えり。』それから,その予言は,キリスト教国を支持する者たちの期待を次のように書き録して,言葉をこうつけ加えています,『われら平康を望めども善きこと来らず,癒される時を望むに,かえつて恐れ来る。』(エレミヤ 8:10,11,15,ア標)昔のエルサレムの場合と同じことは,今日におけるその宗教的な対当物,キリスト教国についても言えます。キリスト教国には癒しがありません。キリスト教国は永久に死ぬべきであります! それはキリストよりもカイザルを好みつづけるでしよう。神の天の御国よりも国際連合制度を好みつづけるでしよう。そして,ついに全能の神ヱホバとの最後の戦場であるハルマゲドンの時においては癒しを受けない他の世界と共々になるでしよう。そのヱホバとの戦には,ヱホバと平和になることはなく,むしろヱホバの御手よりハルマゲドンの打撃を受けて,もはや二度と回復することはありません。今日のヱホバの証者はキリスト教国およびそれと同盟するこの世の同盟者について,昔のヱホバの証者がバビロンについて述べた通りの言葉を言います,『われらバビロンを癒さんとすれども癒ず。我らこれを捨てて各々その国に帰るべし。そは,その罰天におよび雲にいたればなり。』(エレミヤ 51:9。黙示 18:1-5)キリスト教国を通して来るものは,死にみちびく悪病であつて,生命にみちびく癒しではありません。キリスト教国を避けなさい!
癒しの径路
35 なぜ古い世は,人々のこの時代の中に死にますか。そして,なぜいま,霊的な癒しは,全国民の人々の手元にありますか。
35 分裂しているこの世界や,その国民および人間のつくり上げた制度は,癒すことが不能です。それに対しては,癒しが近づいておらず,亡びが近づきました。ヱホバ神もイエス・キリストも,この古い世を改めて,古い世を救おうとはしません。古い世は死の床についており,神の言葉の予言によるとその終りは1914年に生存している人々の時代の中に来ます。(マタイ 24:33,34)しかしながら,『諸国民の癒し』は近づいています。つまり神の新しい世における永遠の生命にみちびく霊的な癒しは,いまや全国民の手元にあるものです。どの国籍の者であろうと,この癒しを頂くためにヱホバ神のところに行くことは禁ぜられていません。この理由は,主の祈りを述べるときに何時でも祈り求めてきた私たちの父の天の御国は,天界で支配しておられるからです。ヱホバ神が,右に居られる御子イエス・キリストを御座につけて王権を持たせ,そして敵の只中で支配を行つて,来るべきハルマゲドンの戦では敵をこなごなに粉砕せよと命じた1914年以来,神の御国は支配しております。(マタイ 6:9,10。詩 110:1-6)神,および犠牲になられた神の小羊であるキリストの御国から,いま癒しの流れが出ています。国籍,人種,皮膚の色,言語,および以前の宗教にはかかわりなく,すべての人はこの癒しの流れの水を飲むことができます。このことは,聖書の最後の章の中に,予言的な象徴でもつて美しく描かれています。
36 このことは,黙示録 22章1-3,17節で,どのように書き描かれていますか。
36 『御使はまた,水晶のように輝いている生命の水の川を私に見せてくれた。この川は,神と小羊との御座から出て,都の大通りの中央を流れている。川の両側には生命の木があつて,十二種の実を結び,その実は毎月みのり,その木の葉は諸国民をいやす。のろわるべきものは,もはや何一つない。神と小羊との御座は都の中にあり,その僕たちは彼を礼拝し……御霊も花嫁も共に言つた,「きたりませ」また聞く者も「きたりませ」と言いなさい。かわいている者はここに来るがよい。生命の水がほしい者は,価なしにそれを受けるがよい。』― 黙示 22:1-3,17,新口。
37 なぜ,新しいエルサレムの残れる者は,1918年に霊的な癒しを必要としましたか。
37 この生命の水の川は,都の大通りを流れていますが,その都とは新しいエルサレムです。すなわち,ヱホバ神が小羊イエス・キリストに結婚せしめられる花嫁,つまり弟子たちの霊的な国民です。天的な新しいエルサレムを構成するこの霊的な国民の中,幾千人という忠実な残れる者は,いまでも地上におります。第一次世界大戦中,新しいエルサレムに属する人たちは,1914年に設立した神の御国に反対する敵の手にかかつて非常に苦しみました。世界大戦の終つた1918年には,迫害を受けて圧迫されたこの残れる者は癒しを必要としていました。それは彼らが力を得て起ち上り,そしてハルマゲドンの宇宙的な戦争の時まで,その大戦後の時代に神より命ぜられた業をするためです。ヱホバはずつと以前のキリスト前537年,昔のエルサレムを癒したと同じく,新しいエルサレムの現在の残れる者をも癒しました。それは,次の予言を成就するものです。
38 彼らの癒しについてのエレミヤのどんな予言は,成就しましたか。
38 『視よ,われ巻布と良き薬をこれに持ちきたりて,人々を医し,平康と真実の豊かなるをこれに示さん。……われ彼らが我にむかいて犯せしすべての罪をきよめ,彼らが我にむかいて犯し,かつ行いしすべての罪をゆるさん。この邑は地のもろもろの民の中において我が為によろこびの名となり,ほまれとなり,栄えとなるべし。彼らはわがこの民にほどこすところの諸々のめぐみと,もろもろのさいわいのためにふるえ,かつ身をうごかさん。』― エレミヤ 33:6-9。
39 誰がヱホバの為によろこびの名となりましたか。彼らは,どのように生命の水の河の傍に生長する木のような働きをしましたか。
39 もろもろの民の中において,ヱホバ神の為によろこびの名となり,ほまれとなつたものは,中東に今日でも城壁にかこまれて存在しているエルサレムの古い都でなく,天的な新しいエルサレムの油注がれた残れる者たちです。なぜなら,これらの油注がれた真のクリスチャンたちは,ヱホバの御名で呼ばれ,彼の証者,まつたくヱホバの証者になつたからです。(イザヤ 43:10-12)彼らは,生命の水の河の両側に繁茂して,月ごとに神の御国の実を結ぶ生命の木のようになりました。これらの象徴的な生命の木のしぼまない葉も,大気を清めて疲れをなくす日蔭となるということから,『諸国民を癒す』癒しの目的を果します。第一次世界大戦が終つて以来,全国民の霊的な癒しのために,彼らはこれらの実を結んで癒しの葉をつけました。どのように? イエスの述べた予言を成し行うことによるのです。イエスは,この分裂した古い世がハルマゲドンで全く終る前に,その予言は成就されねばならない,そして成就されるであろうと言われました,すなわち『あなた方は,私の名のゆえにすべての民に憎まれるであう。そしてこの御国の福音は,すべての民に対してあかしをするために,全世界に宣べ伝えられるであろう。そしてそれから最後が来るのである。』(マタ 24:9,14,新口)神とその小羊の御座から出ているこの設立された御国の福音は,生命の水の河のようです。それは神の選んだ霊的な国民,すなわちその神がヱホバである新しいエルサレムの中を流れています。それは,渇のために死にかかつているすべての人のところに流れています。
40 誰がこれらの象徴的な生命の木のところに来ましたか。他の者たちに『来たりませ』と言えとの招待に,彼らはどのように答え応じましたか。
40 すでに,160以上の国々,地方,区域,そして島々から,幾十万人という善意者たちは,ヱホバがその真理と霊によつて霊的な国民の残れる者を癒し,かつキリストの『花嫁』として天的な御国の永遠の生命を得させるようにされたかを見ました。彼らは又,癒しの不能なこの古い世と共々にハルマゲドンで亡ぼされる危険を見て,霊的な癒しを欲します。それは,新しい世において,神の天的な御国の支配する楽園<パラダイス>の地で生命を得たいからです。それで,彼らは毎月ごとに実る生命の木の実のところに来て,その実を食べます。彼らは,これらの木がたしかにヱホバの証者にちがいないことを認め,健康を与えるその神権制度の蔭に来て,霊的な癒しを受けます。彼らは,この『花嫁』級の招待を受け入れて,両側に生命の木の生えている川のところに来ます。彼らは飲みます。それから彼らは,御国の実から滋養を取り,木の葉で癒され,そして生命の川の水でその渇を充して,神からの次の招待の言葉に応じ従うため,新しい霊的な力を用います,『聞く者も「きたりませ」と言いなさい。』それで,彼らは『花嫁』級の残れる者に加わり,天の御国の福音を全地で伝道することによつて全国民に対する証者になります。かくすることによつて,彼らは『かわいている者はここに来るがよい。生命の水がほしい者は,価なしにそれを受けるがよい』との招待の言葉を伝えるのに参加します。
41 あなたの霊的な健康を図るには,この招待に答え応ずるため,何を行わねばならぬと教えられていますか。
41 あなたは今その招待を聞いています。もしまだ聞いたことがないなら,いまその招待に答え応じなさい。ヱホバ神が,御自分の書かれた御言葉 ― 聖書を通して流れさせている生命を与える真理の水を飲みなさい。聖書研究をする場合には,実を結んで癒しをなす象徴的な生命の木と,この霊的な国民とすでに結合しているすべての人々と交わりを持ちなさい。この霊的な国民の神はヱホバであり,ヱホバは御自分の相続としてそれらの者を選ばれたのです。霊的な癒しを得なさい。あなたとヱホバ神との間の致命的なやぶれを取りのぞきなさい。ヱホバ神と一致の状態,親しい関係になりなさい。それは,ヱホバの敵としてハルマゲドンの時に亡ぼされないためです。ヱホバの小羊なるイエス・キリストを通して,あなたの罪のゆるしを求めなさい。そして永遠の死という処罰を取りのぞいて頂きなさい。神の言葉の真理により,自由にされなさい。あなたの動揺した心を,健全で平和な神の考えと入れ変えなさい。癒しの不可能なこの古い世がハルマゲドンでの無残な死を受けるままにし,キリストによる神の御国に忠節な献身を捧げなさい。そして,『この世の神』である悪魔サタンの圧迫から救われなさい。
42 生き残ることと生命についてのどんな機会のために,私たちはつとめますか。そして,どのように?
42 霊と真をもつてなす唯一つの真の神の崇拝,すなわち真の宗教を行う際の慰めとよろこびを知ることにより,あなたの傷ついた心を癒しなさい。あなたが霊的に癒されたことはどのようにしてであつたかを他の人に告げなさい。そして永遠の生命の水を飲ませるために彼らを招待して川のほとりにみちびきなさい。あなた自身も神の保護を受けて,この死に行く古い世の終りに生き残り,すばらしい霊的な健康の中に,御国の支配する神の新しい世に生き残るようにしなさい。神の新しい世においては,身体上の癒しも受け,回復された楽園内で人間としての完全さに達するでしよう。そこには,最初の人間の罪に対する罰としての死はもはやありません。(黙示 21:1-4)大いなる天的な治癒者ヱホバの癒しの力を認めなさい。そして,いまやイエス・キリストによるヱホバ神の御国を通して,すべての国の全国民に近づいた癒しに,あなた自身もあずかるようにしなさい。
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『義しき者はなやみ多し,されどヱホバはみなその中よりたすけいだし給う。』『視よ,我かれを牀に投げ入れん。又かれと共に姦淫を行う者もその行を悔い改めずば大なる患難に投げ入れん。』― 詩 34:19。黙示 2:22。