新しいものと共に生き残る
1 ヱホバの証者は,伝道するのでどんな非難を受けますか。エレミヤ自身は同じような非難に対する刑をどのようにのがれましたか。
諸国民に,このような音信を伝道するので,ヱホバの証者は,破滅をねがう者という非難を受けるかも知れません。エレミヤはそのように非難されました。宗教指導者たちは,政治支配者たちにエレミヤを殺させようと試みました。『祭司と預言者およびすべての民彼をとらえていいけるは,汝必ず死ぬべし。汝何故にヱホバの名をもて預言しこの室はシロのごとくなりこの邑は荒地となりて住む者なきに至らんと言いしや。』それから彼らはエルサレムのつかさたちに告げました,『この人は死にあたる者なり。これは汝らが耳に聞きしごとくこの邑にむかいて悪しき預言をなしたるなり。』これに対しエレミヤは次のように弁明しました,『ヱホバわれをつかわし,汝らが聞けるすべての言葉をもてこの室とこの邑にむかいて預言せしめ給う。……みよわれ汝らの手にあり汝らの目に善と見ゆるところ義と見ゆることを我に行え。されど汝らよくこれを知れ,汝らもし我を殺さば必ずつみなき者の血なんじらの身とこの邑とその中に住める者に帰せん。ヱホバ我をつかわしてこのすべての言葉を汝らの耳につげしめ給いしなればなり。』その時つかさたちは,宗教指導者たちと偽りの預言者たちに勇敢に反対し,ヱホバの証者を死刑に処することを拒絶しました。(エレミヤ 26:1-24)それはエルサレムが破壊される22年前のことでした。
2,3 (イ)エジプトの助けにもかかわらずエレミヤはどのようにエルサレムをこわしつづけましたか。(ロ)その後,エレミヤは,どんな罪を負わされましたか。彼がなぜ泥の穴に入れられたか,またそれでも死をまぬかれたいきさつを述べなさい。
2 それから後,ゼデキヤ王の9年に,ネブカデネザルのひきいるカルデヤ人の軍隊が,エルサレムを攻撃しました。しかしエジプトのパロが邑を解放するために来つつあるということを聞いた時,彼らはかこみをといて撤退しました。しかしエレミヤは,この邑が破滅に定められていることを預言して,エルサレムを抜きまたこわしました。彼は言いました,『カルデヤ人再び来りてこの邑を攻め戦いこれを取り火をもてやくべし。ヱホバかくいう,汝ら……自から欺くなかれ。』後になつてエレミヤは,エルサレムを捨ててカルデヤ人に降ろうとしたというけんぎをうけて告発されました。エレサレムの或る門を通つて外に出ていくとこを,その門の門守につかまつたのです。門守はこう言いました,『汝はカルデヤ人に降るなり。』
3 その時エレミヤは獄に入れられました。エレミヤは獄からでさえ,敵のカルデヤ人が再び戻つて来て王と邑を取ることを,ゼデキヤ王自身に告げました。(エレミヤ 37:1-19)獄から出された時もエレミヤは同じことを宣べ伝えました。剣により,またききんや疫病によつて邑の中で滅びたくないならば,ネブカデネザル王に降りなさいとエレミヤは人々に告げました。政治を行うつかさたちはこの通告を真剣に受け取らず,またそれに従つて行動も起しませんでした。彼らはこの通告を悪くとつて王に言いました,『請うこの人を殺し給え。彼はかくのごとき言葉をのべてこの邑にのこれる兵卒の手と民の手を弱くす。かの人は民の安を求めずしてその害を求むるなり。』この度はエレミヤは,底が泥だけの水のない穴に入れられました。その場所でエレミヤは泥の中に沈んで行くままにうちやられたのです。しかしながら,エチオピヤ人のある宦官は,男らしくも彼をその死の穴からすくい出しました。それからエレミヤは,エレサレムが崩壊しカルデヤ人の手によつて解き放たれるまで,監視の庭に留置されました。―エレミヤ 38:1-13。
4 国家の安全手段や偽りの牧師の批難にもかかわらず,私たちはエレミヤのように何を行いつづけねばなりませんか。
4 近ごろでは,ヱホバの証者がハルマゲドンの宇宙的な戦争におけるキリスト教国の滅亡を予告するため,政治的な政府は特別な安全手段を取り,そして特定な宗教牧師たちは証者のことを『共産主義者だ!』と叫んで人気を得ているときです。しかし,私たちは音信を変えることができません。とらわれの状態,投獄された状態にあつても,私たちはヱホバが伝道せよと私たちに命ぜられた音信を口から離してはなりません。なぜならそれは真実であり確かに成就するからです。私たちはエレミヤの事をよく心にとめて警告を行いつづけねばなりません。
5,6 キリスト教国の牧師と預言者は,どのように私たちに反対しますか。しかし彼らは,エレミヤが宮に関して言つたどんなことを忘れていますか。
5 キリスト教国の牧師や預言者たちは私たちに反対するでしよう。そして,ヱホバ神がキリスト教国を滅ぼされること,イエス・キリスト自身をネブカデネザルより偉大な者として用いて,キリストの名を自分のものとしている領域を滅ぼし給うのを否定するでしよう。自分たちの教会組織は,イエス・キリストの創設されたものだから,イエスはきつとそれを保存されて,自分自身のものを滅ぼされるようなことはあり得えない,と彼らは論ずるでしよう。『これは神の家である』と彼らは言います。このように言いながら彼らは,イエスがエルサレムの宮について言われたことを忘れています。『見よ。おまえたちの家は見捨てられてしまう。……その石一つでもくずされずに,そこに他の石の上に残ることもなくなるであろう。』(マタイ 23:38; 24:2,新口)彼らは,エレミヤが宮に関して次のように言つたのを忘れています。
6 『汝らこれはヱホバの殿なりヱホバの殿なりヱホバの殿なりという偽りの言葉をたのむなかれ。……みよ汝らは益なき偽りの言葉を頼む。汝らは盗み殺し姦淫しいつわりて誓い,バアルに香を焚き汝らがしらざる他の神にしたがうなれど,わが名をもて称えらるるこの室に来りて我前にたち,我らはこれらの僧むべきことを行うとも救わるるなりというは何にぞや。わが名をもて称えらるるこの室は汝らの目には盗賊の巣と見ゆるや,われもこれをみたりとヱホバいい給う。汝らわが初めシロにおいて我名を置きしところにゆき,我がイスラエルの民の悪の為にそこになせしところのことをみよ。……われシロになせしごとく我名をもて称えらるるこの室になさん,すなわち汝らが頼むところ我なんじらと汝らの先祖に与えし処になすべし。またわれ汝らのすべての兄弟……を捨てしごとくわが前より汝らをも捨つべし。』― エレミヤ 7:4-15。サムエル前 4:3-22。
7 それで,なぜ私たちは,人々の関心を買うだけのために,音信をかえることができませんか。
7 ヱホバから出たこの言葉は,ヱホバの証者と正反対のことを人々に告げるキリスト教国の牧師や預言者の言葉を否定します。だからこそ私たちは,人々やまた彼らが選んだ宗教指導者たちの歓心を買うだけのために,音信を変えることはできません。音信を変えて見たところで,それは誰も,私たち自身ですら救うことはできません。エルサレムと同様に,キリスト教国は,絶滅に定められています。そしてそれと共に他のすべてのこの世の組織制度も,『全能の神の大いなる日の戦い』に滅びます。神の天の総司令官イエス・キリストは,クリスチャンならぬキリスト教国を滅ぼされるでしよう。それは彼らが,すべての非キリスト教徒や国家の前で,イエスを偽善的に悪く代表してきたからです。
8 キリスト教国の中にいることに執着する人々には何がふりかかりますか。何に向つて出て行くように私たちは人々をすすめ教育しますか。
8 キリスト教国の宗教制度に執着して,その中に留る者は,ちようどエルサレムの中に留つて,邑を包囲していたバビロンの王に降らなかつた人々が,邑の中で悲惨な最期をとげたのと同じように,ハルマゲドンの宇宙戦争で死ぬでしよう。キリスト教国に反する音信によつて,私たちはどの神をも信じない共産主義にかわるよう人々に助言したりすすめたりしているのではありません。私たちは,エレミヤと同じように,自由を愛し,生命を愛する人々に,勝利の王イエス・キリストに降るようすすめているのです。私たちは人々が,イエス・キリストのくびきを負つて,イエスに奉仕するよう,聖書から人々を教育します。ちようどエレミヤがゼデキヤ王にそうすることを強くすすめたように,私たちは政治指導者たちにさえこれを行うように告げます。それは彼らの生命,彼らの永遠の生命を意味します。―エレミヤ 38:17-20; 27:12-17。
9 統治しているイエス・キリストのくびきを負うことは,負う人にとつて何を意味しますか。それを負うことはどんな結果をもたらしますか。
9 統治している王イエス・キリストのくびきを負うことは,今日のように世の終りの押し迫つた時でも,人の魂をさわやかにします。世界中の何万という羊のような人々は,すでにそれを経験しました。イエス・キリストは,今こそハルマゲドンの宇宙戦争のために戦いの衣服をつけておられますが,それでもやはりこう言われています,『すべて重荷を負うて苦労している者は,わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。わたしは柔和で心のへりくだつた者であるから,わたしのくびきを負うて,わたしに学びなさい。そうすれば,あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。わたしのくびきは負いやすく,わたしの荷は軽いからである。』(マタイ 11:28-30)そのくびきは木のくびきまたはくびきの棒です。そしてイエスは,そのくびきで私たちを押えつけおしつぶすのではなくて,私たちがそれを負うのを助けて下さいます。今イエスのくびきを負うことは,新しい世において生命を得る結果をもたらします。
10 キリスト教国の祭司や預言者たちは,どのようにハナニヤの立場を取つていますか。彼らの助言に従つている人々はどうなりますか。
10 キリスト教国の牧師や預言者は,エレミヤに反対した偽預言者のハナニヤと他の宗教指導者の立場に立つています。彼らは,イエス・キリスト ― 1914年以来敵のまつただ中で今統治していられる ― が,キリスト教国に反対していて,それを滅ぼされること,またためらわずにキリスト教国から逃げてヱホバ神に献身し,キリスト教国の宗教教理ではなく聖書に沿つてイエスのくびきを負い,真にキリストの足跡に従うことが焦眉の急務であることを否定します。もし人々がハナニヤのような人間の助言に従い,キリスト教国から出て王の王,主の主のくびきのもとに来ることを拒否するならば,ハルマゲドンにおける彼らの苦しみは大きいでしよう。
11 ヱホバはどのようにハナニヤを否認し,罰せられましたか。人々は今どの二つのくびきの中を選ばねばなりませんか。
11 預言者ハナニヤは,エレミヤの首から木のくびかせを取つてくだいてしまいました。そしてエレミヤの預言の例証は偽りであること,また,ちようど彼(ハナニヤ)が,木のくびかせをくだいたように,ヱホバは満2年のうちに,万国民の首からネブカデネザルのくびきを離してくだかれるであろうと述べました。ヱホバはエレミヤに,木のくびきの代りに鉄のくびきが準備してあることをハナニヤに告げよと言われました『われ鉄のくびきをこの万国民のくびに置きてバビロンの王ネブカデネザルにつかえしむ。彼らこれにつかえん。われ野の獣をもこれに与えたり』,さらに,『ヱホバにそむくことを』語つたハナニヤは死なねばなりません。はたして彼はその年に死んでしまいました。(エレミヤ 27:1から28:17)今日ハナニヤのような宗教指導者に従うことを選ぶ人々はどうなるでしようか。『もし盲人が盲人を手引きするなら,ふたりとも穴に落ち込むであろう。』とイエスは言われました。(マタイ 15:14,新口)今すべての人々の前には,新しい世において私たちの魂を生かす象徴的な木のくびきと,ヱホバとその王に反逆して死をもたらす鉄のくびきが置かれています。そして二つのうちひとつを選ばねばなりません。
建てること植えること
12 なぜエレミヤは,哀歌の中で自分の心を表現することができましたか。にもかかわらず,エレミヤ哀歌は,ヱホバの正義のいぶきをもつていますか。
12 エレミヤは『悲しみの預言者』と呼ばれてきました。たしかに,悪しき者,それにあたいする者にとつては『悲しみ』です。エレミヤはヱホバという彼の神の聖き御名が関連していたので,エレミヤ哀歌に記されている悲しみを表現することができました。しかしながら,哀歌はすぐれた詩的美しさをもつた本であり,ヱホバの正義のいぶきをもつています。そしてヱホバに反する罪に対しては悲しみをそそぎ出し,またヱホバによるあわれみに満ちた復興と再建の希望ではげましを与え,ヱホバの民に害を働くことに参加しそれを喜んだ人々の上に来りつつある神の復讐からなぐさめを引き出します。―哀歌 1:18,21,22; 3:26-41,55-66; 4:21,22; 5:19-21。
13 エレミヤを悲しませたのは何でしたか。しかしそれは何の成就でしたか。
13 敵が小気味よげに喜び誇つたために,彼らが神の御名を嘲り侮べつしたために,ヱホバの典型的宗教の諸象徴物が破壊されくつがえされたために,またヱホバの民がこのいたましい経験をするほど甚だしく反逆的にまた不忠実になつたために,預言者エレミヤは悲しみにしずみました。とは言えこれは,エレミヤの伝道したことが成就したのでした。その伝道においてエレミヤは,叙述的な言葉をもつてあるいは抜き,あるいはこわし,あるいは滅ぼし,あるいは倒したのです。
14 さいわいなことに,エレミヤはまた何をする使命を与えられましたか。これと一致して,どんなすばらしい預言をする特権を与えられましたか。
14 さいわいな事にエレミヤは,『あるいは建て,あるいは植える』役目も与えられていました。ヱホバの民の奇跡的復興を預言したのはエレミヤでした。そしてその結果はあふれるばかりの喜びでした。これらの心にふれるヱホバの言葉をヱホバの目に見える制度に述べたのもエレミヤでした。『わたしは不定の時まで続く愛をもつてあなたを愛している。それゆえ,わたしは絶えず愛に満ちた親切をつくしてきた。イスラエルのおとめよ,わたしは再びあなたを建てる。そしてあなたは実際に再び建てられるであろう。あなたはまた鼓をもつて身を飾り,ほんとうに出て行つて,喜び楽しむ者と共に踊るであろう。またあなたはぶどうの木をサマリヤの山々に植える。植える者は確かに植えてその実を食べることができる。見守る者がエフライムの山の上に立つて呼ばわる日が来る,「人々よ,立ち上りなさい。そしてシオンに上り,われらの神ヱホバに行こう。」』エレミヤはとらわれの身となつたヱホバの民が,『敵の地から帰る』であろうと預言して,悲しみを払い去つてしまいました。またエレミヤは,イエス・キリストが,一群の彼の追随者すなわち霊的イスラエルの国民のために,神との間の中だちになられることになつていた『新しい契約』も預言しました。この契約の中でヱホバはこう言われました,『われ我が律法を彼らのうちにおきその心の上に録さんわれは彼らの神となり彼らはわが民となるべし……そは小より大にいたるまでことごとく我をしるべければなり……われ彼らの不義を赦しその罪をまた思わざるべし。』― エレミヤ 31:3-6,16,31-34。
15 (イ)エレミヤはエルサレムの王や祭司に何が起るのを見ましたか。しかし彼はダビデとレビ人の祭司職に対する契約について,力強く何と言いましたか。(ロ)それで私たちは今何を伝道しますか。
15 エレミヤは,最後の王ゼデキヤが,エルサレムの模型的『ヱホバの御座』からどのように追われたかを見ました。また宮仕えをしていたヱホバの祭司長セラヤと第二の祭司ゼパニヤが,バビロニヤ人の死刑執行人に殺されたさまを目撃しました。それでもエレミヤは,ヱホバが,『祭司の国』王である祭司の『聖なる国民』『王なる祭司』に関してダビデ王および,レビ人の祭司と結ばれた契約は存続すると,喜びの中に宣言することにより,あるいは建てあるいは植えました。『ヱホバかくいう汝らもわが昼につきての契約とわが夜につきての契約を破りてその時々に昼も夜もなからしむることをえば,僕ダビデにわが立てし契約もまた破れん。天の星は数えられず浜のいさごは量られず我その如くわが僕ダビデの裔と我につかうるレビ人を増ん。』(エレミヤ 33:20-22。出エジプト 19:6。民数紀 25:10-13。ペテロ前 2:9)それと同様に今日ヱホバの証者は諸国民への証しとして,ヱホバがメルキゼデクのような王と祭司であるイエス・キリストの永遠の御国を植えられたという良い音信を伝道しています。その天的御国において,イエスは,『神とキリストの祭司となり』また『千年の間キリストと共に王となる』ところの14万4000人の油そそがれた者全部と共におられるでしよう。(黙示 20:4-6)その御国によつて人類は永遠の祝福を得るでしよう。
16 エレミヤは,神の新しい世の御国と,その新しい世に生き残る者とに関してどのように建設的なわざを行いましたか。
16 『ヱホバ言い給いけるは見よわがダビデに一つの義しき枝を起す日来らん,彼王となりて世を治め,栄え,公道と公義を世に行うべし。その日ユダは救いをえイスラエルは安きにおらん。その名はヱホバわれらの義と称えらるべし。』(エレミヤ 23:5,6)エレミヤは,彼の預言的わざをなすにおいて,ただ一つの希望の政府,神の新しい世の永遠の御国を建てまた植える以上のことをしました。彼はまた羊のようなヱホバの崇拝者の群衆を建てまた植えて,死ぬことのない新しい世に入れるのです。ヱホバはエレミヤを用いてこれらの『他の羊』を例証させる人々を出現せしめました。彼らとは誰でしようか。
生残者を予影する劇中の人物
17 神の命令によつて,エレミヤはレカブ人に何をしましたか。彼らはどのように答えましたか。
17 エルサレムは当時,終りの時にのぞんでいました。エレミヤの預言の巻物を切りさいて火に投げ入れたエホヤキム王は,まだ統治はしていましたが,しかし,バビロンの王とその軍隊の圧迫下にいました。エレミヤと共に邑の中に閉じこめられた者に,異邦人でありながらヱホバの崇拝者であつたレカブ人の部族がいました。ヱホバはエレミヤにレカブ人たちを宮に連れて来て酒を飲ませよと言われました。レカブ人は決してそれを飲みませんでした。彼らは次のように説明して言いました,「われらはレカブの子なるわれらの先祖ヨナダブのすべて命ぜし言葉に従いてわれらとわれらの妻とむすこむすめは生きながらうるあいだ酒を飲まず。われらは住むべき家を建てずぶどう園も田野も種ももたずして幕屋におり,すべてわれらの先祖ヨナダブが我らに命ぜしごとく行えり。」― エレミヤ 35:1-10。
18,19 (イ)それでヱホバはレカブ人にどんな言葉を与えましたか。なぜ?(ロ)レカブ人に与えられた保証は,今日の誰に対する保証となりますか。なぜですか。
18 もしそれらのレカブ人が,彼らの先祖の命令をかたく守つたくらいならば,なぜイスラエル人は,天におられる生命の与え主である彼らの神ヱホバの命令を守ることができなかつたのでしようか。また守らなかつたのでしようか。神を畏れたレカブ人の忠実の手本は,神を捨てたイスラエルを罪に定めました。ですから,エルサレムとその悪しき住民は滅びに行き,レカブ人は生きつづけます!
19 そこでエレミヤは彼らに言いました,『万軍のヱホバ,イスラエルの神かくいいたまう,汝らはその先祖ヨナダブの命に従いそのすべてのいましめを守り,彼が汝らに命ぜしことを行う。これによりて万軍のヱホバ,イスラエルの神かくいいたまう,レカブの子ヨナダブにはわが前に立つ人いつまでも欠くることあらじ。』(エレミヤ 35:12-19)全くその通りでした。先祖ヨナダブは,バアル崇拝者のイスラエル人が偶像の宮の中で殺された時生き残りましたが,それと同じように,レカブ人はヱホバの刑執行者の手よつてヱホバの不忠実な国民の上にのぞんだ破滅を生き残りました。今日,『他の羊』の大いなる群衆は,油そそがれたエレミヤ級と交わつています。神がレカブ人に与えられた御約束は,それらの他の羊が,キリスト教国の破滅を生き残つて神の新しい世に入ることを保証しています。
20 エルサレムが最後に包囲されていた時,エレミヤは警告をしつづけたという理由でどのようにひどい扱いを受けましたか。どんな非イスラエル人が彼を助けに来ましたか。
20 エホヤキム王の息子がエホヤキムの後を継いで,ヱホバの座から治めましたが,それは3ヵ月にすぎませんでした。次ぎにエホヤキムの兄弟ゼデキヤが王にされました。彼の統治の9年目に,エルサレムは再びバビロンの王と彼の軍隊によつて包囲されました。エレミヤは,エルサレムが焼かれ破壊されるということを警告しつづけたので,捕えられて煽動の罪をおわされ,水ための穴に入れられてそこで泥の中につかつていました。つかさたちを無視して,彼を救いにやつて来たのは,割礼のあるユダヤ人ではなくて,エベデメレクという名の宦官で去勢されたエチオピヤ人でした。ゼデキヤの命令でエベデメレクは,安全と援助のために30人の男たちを連れて来てエレミヤをその死の泥穴から救い出しました。それから後,エベデメレクのおかげで,『エレミヤは監視の宮にとどまり』ました。
21 エルサレムが包囲されていた間,多くの住民に何が起きましたか。しかしエレミヤはエベデメレクに何を告げるよう命令されましたか。
21 エルサレムが包囲されていた間,うえに迫られた母親たちは自分の子供を煮,多くの者は疫病で死にました。そしてバビロン人のやいばにかかつて死んだ者も多くいました。しかしゼデキヤ王の家にいたエベデメレクはどうなつたでしようか。ヱホバは,監視の庭にいたエレミヤに,彼の命の恩人エベデメレクにこう告げるよう命令されました。『ヱホバいいたまうその日にはわれ汝を救わん汝はその畏るるところの人々の手に付されじ。われ必ず汝を救わん汝は剣をもて殺されじ汝の生命は汝のぶん取物とならん汝われにより頼めばなりとヱホバ言いたまう。』― エレミヤ 39:15-18。
22 エベデメレクのように,今日誰がヱホバに信頼を置いていますか。そしてどのようにこの信頼を証明してきましたか。
22 ハルマゲドンにおけるキリスト教国の破滅が近づいている今日,エベデメレクのような羊級は,ヱホバ神に依り頼んでいます。彼らは,実体である今日のエレミヤを救うために,キリスト教国のつかさたちの手による死の危険を犯すことをいとわず,その信頼を証明しています。王イエス・キリストは,羊と山羊に関するたとえ話,すなわち世の終りに関する預言の最後の部分で,他の羊に向かい,『わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりにしたのは,すなわち,わたしにしたのである』と言われました。―マタイ 25:40,新口。
23 来てかれらのために備えられた国を継げという王の招待は何を意味しますか。従つてヱホバはどんな約束を思い出し,それを彼らに適用されるでしようか。
23 諸国民の審判の時である今,審判を行うために天の御座に坐わられている王なるイエス・キリストは,右に向いてこれらの羊たちに言われます,『わたしの父に祝福された人たちよ,さあ,世の初めからあなたがたのために用意されている御国を受けつぎなさい。あなたがたは,わたしが……獄にいたときに尋ねてくれたからである。』1914年以来その天の御国は統治しています。そしてこの緑の地球はその統治下に入つています。エベデメレクのような羊級の人々は,神の新しい世である御国の領域に入るために,死んでまた復活を受ける必要はありません。彼らはすでに御国の地的領域に住んでいます。これこそ彼らが受け継ぐべき領域なのです。ですから彼らは,自分たちの相継するこの地から追い出されることはありません。キリスト教国はのろわれています。しかしこれらの羊は,王の父ヱホバ神に祝福されています。キリスト教国とそれに属する山羊は,この御国の地的領域にいるべき場所をもたないで,滅ぼされてしまうでしよう。しかし王の父ヱホバは,エルサレムが滅びた時にエベデメレクに与えられた約束を思い出されるでしよう。ですから,これらの祝福された羊のようなクリスチャンたちは,ハルマゲドンで死刑執行者の剣に倒れることはありません。
24 これらの羊が,彼らの相続した地に死なずにとどまることはどのように可能ですか。
24 彼らはその戦いにおいて勝利者の捕虜となり,彼らの魂,彼らの生命を確かに保つでしよう。このことは,彼らが,キリスト教国とその宗教に用いた宮の破滅する時に生き残り,永遠の新しい世において彼らの地的相続を楽しむことを保証しています。牧者なる王に羊のような従順を保つ時,彼らが,相続したこの地で死ぬようなことはありません。山羊は,『永遠の切断に入り,正しい者は永遠の生命に入るであろう』と,審判主イエスは言われています。―マタイ 25:31-46,新世。
25 どんな仕事のために私たちは非難を受けますか。しかし私たちは非難の下にあつた時のエレミヤのようであるべきですか。
25 油そそがれた残れる者とその仲間,すなわち正しい羊のような人々は,ちようどエレミヤのようです。彼らはヱホバの報復の日を伝道することによつて,この古い世を抜き,こわし,滅ぼし,倒すので,激しい非難を受けます。しかし私たちはそのために,ヱホバの御言葉で自分を満たすことをやめ,ヱホバのきびしい通告を伝達することを中止すべきですか。エレミヤが自分にはできないと言つた通り私たちもそういうことはできません,『わが汝のためにはずかしめを受くるを知り給え。われ汝の言葉を得てこれを食えり。汝の言葉はわが心の喜びたのしみなり。万軍の神ヱホバよ,われは汝の名をもて称えらるるなり。』― エレミヤ 15:10,15,16。
26 建設的な仕事をしているのに,私たちは誰に反対されじやまされていますか。しかし,話すことをやめるということになると,私たちはどのようにエレミヤのようですか。
26 古い世を愛し支持する者たちは,私たちが神の新しい世の側に立つて,建てたり植えたりすることにさえ反対し,強制的にやめさせようとします。しかし私たちのように神の御言葉で燃えている者がどうして話すことをやめられるでしようか。エレミヤはこう言いました,『ヱホバの言葉は日々にわが身のはずかしめとなり嘲りとなるなり。ここをもて我かさねてヱホバの事を宣べずまたその名をもて語らじといえり。されどヱホバのことばはわが心にありて,火のわが骨の中に閉じこもりて燃るがごとくなれば,忍耐につかれてたえがたし。……ヱホバに歌をうたえよ,ヱホバをほめよ,そは貧しき者の生命を悪しき者の手より救いたまえばなり。』― エレミヤ 20:8,9,13。
27 私たちの伝道の主題を話している間,ヱホバはどのように私たちが敵の顔を恐れないよう力を与えて下さいますか。昔のエルサレムが滅びた時に神の救いがあつたように,ヱホバは何をされますか。
27 ですから,私たちの伝道の主題の表現の中で,古き世を倒し,新しい世を建てなさい。新しい世の全能の神は,敵の顔をおそれてはならないと私たちに命令されています。『彼らなんじと戦わんとするも汝に勝たざるべし,そはわれ汝と共にありて汝をすくうべければなりとヱホバいいたまえり。』(エレミヤ 1:19)ヱホバはご自身の約束を忠実に守つて,エルサレムが破滅した時,エレミヤ,レカブ人およびエベデメレクを救われました。その預言的な予表の通りに,万軍のヱホバは私たちの伝道した事がらを成就させられるハルマゲドンにおいて,私たち残れる者と他の羊を救つて下さるでしよう。そしてヱホバは古い世を滅し義の新しい世を建てられます。