恥を避けたいですか。高ぶりを避けなさい
高ぶる人はなぜ危険ですか。
高ぶる人は非常に危険です。物事を何でも自分に都合よく解釈して,他の人の言うことをはねつける態度また精神を示します。そこから高ぶった道にすすみ,無分別な行いをして遂には恥をこうむります。このような人を改めさせるのはまず不可能です。いったんこの道を進み始めた高慢な人は,ごうまんになり,道理に耳を傾けません。
神の前に高ぶっている人の例をあげなさい。
たとえば神の存在を否定する人がいます。家に建て主のいることを否定する人はいません。それでも神の存在を認めない人は,家よりもはるかに複雑な自然に注目するようにうながされると,道理にかなった考えをやめ,理知を持つ人間である自分をも含めて,自然のものは理知のない無生の物質的な盲目の力の働きによって生じたと主張し,創造主の存在を認めません。
地に住む人の中でだれがいちばん高ぶっていますか。
しかしもっと高ぶっているのはぎょうぎょうしい肩書を持ち,他の人の尊崇さえ要求している牧師です。教会員に宗教上の導きを与える権威者をもって自任していながら,牧師は自分たちの言葉と伝統を神のことば聖書よりも重んじています。―テサロニケ後 2:3,4。
(イ)高ぶる人はなぜ実際には奴隷ですか。(ロ)悪魔はどのように高ぶりを示しましたか。そのために悪魔はどうなりましたか。
彼らが偽りの神の奴隷であると言えば,その人々はそんなばかな話はないと言って反発することでしょう。しかしその人々は奴隷です。人はだれでも自分の仕える者のしもべであると聖書に書かれています。(ロマ 6:16)彼らはたとえ気づかなくても,聖書が「この世の神」と呼んでいるサタン悪魔に従っているのです。(コリント後 4:4)聖書は,ウヅの地の人ヨブの時代に,悪魔がエホバ神に対して高ぶったことを記録しています。悪魔はエホバの持たれる主権と,専心の献心を求めるエホバの権利に挑みました。真心を以てエホバに仕える者はいない,敬虔なヨブでさえもその例外ではないというのが悪魔の主張でした。エホバがこの論争の解決にむかって事を運ばれたとき,ヨブの落ち度を示す証拠をあげることのできなかった悪魔は,ヨブの忠実な行いをそしって,それはヨブの心が正しいからではなく,神がヨブを祝福したからに過ぎないと主張しました。この高慢な中傷を裏づけるために悪魔は人殺しの行いに出ましたが成功せず,悪意を以てそしる者の汚名を得ました。―ヨブ 1:8-22。
バビロンは神の前に高ぶる
バビロンが悪魔の精神を持っていたことはどうしてわかりますか。
しかし高ぶることの危険を示す最も印象的な例は,ノア時代の洪水後,サタンの偽りの宗教の座となった古代都市バビロンです。これは単なる臆測ではありません。だれでもしらべることのできる聖書と世俗の歴史は,神の前に高ぶったバビロンの行いを記録に留めています。またバビロンが遂にいやしめられた事をも述べています。ヨブ記 1章17節の記録によれば,エホバとそのしもべヨブに対するそしりを正当化しようとしたサタンがカルデヤ人(バビロニア人)を用いたのは興味深いことです。
エホバに対するバビロンの高ぶりは,エホバの言葉の中でどのように適切に述べられていますか。
聖書のエレミヤ記 50章にしるされた,バビロンに対するエホバの預言の中でバビロンは「メラタイムの地」と呼ばれ,その住民は「ペコデの民」と呼ばれています。「メラタイムの地」は「ふたえにもとれる国」を意味し,「ペコデの民」は「罰を受けるべき国の民」を意味します。a バビロンに与えたこれらの名によってさえ,エホバはバビロンの高ぶりと,バビロンに臨む滅びを適切に示されました。
バビロンをなぜ「ふたえにもとれる国」と言えますか。
バビロンはなぜ「ふたえにもとれる国」ですか。まずそれは神格化されてメロダクと呼ばれたニムロデが建てた国です。一説によれば彼の名は「大反逆者」を意味します。ニムロデはエホバに反逆した人です。しかもバビロンは火と剣をもってエホバの民の国をくつがえし,宮を破壊し,民を殺し,また何千人をシナルの地に追放しました。そこはヘブル人の族長が神の命により離れた土地です。それでバビロンの反逆は単なる反逆ではありません。バビロンは大いに高ぶりました。バビロンの反逆は普通に倍したものです。それゆえにバビロンには神の罰が当然に臨みます。
バビロンはどのようにエホバに対して高ぶりましたか。
バビロンは世界主権者をもって自ら任じていました。その神メロダクはバビロンの世界主権の地位を安泰なものにしますか。従ってバビロンは宇宙主権者エホバの前に高ぶり,エホバの位すなわちダビデの家系の王の座を攻撃して,エホバの宮を荒廃させることさえあえてしました。誇り高ぶったバビロンは倒れます。神の正しいさばきは次のように述べていました。
バビロンはどのように全地を砕いた鎚となりましたか。バビロンはエホバからどんな宣告を受けましたか。
「汝ら上りて……之を荒し全くこれを滅せ…その地に戦闘のさけびと大なるほろびあり,ああ全地をくだきし鎚〔バビロンは多くの国を滅ばした〕折れ砕くるかな ああバビロン国々の中に荒地となるかな バビロンよわれ汝をとるためにわなを置けり汝はとらへらるれども知ず汝エホバに敵せしにより尋ねられてとらへらるるなり」― エレミヤ 50:21-24。
突然の滅び
バビロンの征服は何にたとえられますか。バビロンはなぜ逃れことができませんか。
バビロンを倒すことを命ぜられたのはペルシャ人のクロス2世です。彼はそのことを巧妙に成し遂げました。世界主権を誇った強力なバビロンは不意をつかれ,その防備は役に立ちませんでした。クロスの軍勢はほとんど奇跡的にユフラテ河を渡り,かんぬきのはずされた,防備の手うすな内城壁の門を通って,抵抗らしい抵抗にあわず町に侵入しました。それは全くエホバがわなを置いて,不意にバビロンを捕えたかのようでした。バビロンはぼうぜんとなりました。バビロンはなぜ逃れることができなかったのですか。バビロンが倒れることなどはあり得ないように思われました。しかしバビロンを倒したのはクロスの軍隊の力ではありません。高ぶったバビロンにとって,なす術はなかったのです。「汝エホバに敵せしにより」と述べた聖書の言葉はその理由を明らかにしています。ゆえにバビロンの崩壊は人の目を見はらせるものでなければなりません。バビロンの驚くべき崩壊をおこさせるのはエホバご自身です。エホバはその事を啓示されました。
バビロンが激しく倒れることを描いたエホバの言葉を説明しなさい。
「エホバ庫をひらきてその怒の武器〔その戦いの武器とくにメデア人とペルシャ人〕をいだし給ふ,是主なる万軍のエホバ カルデヤ人の地に事をなさんとしたまへばなり汝ら終の者〔アルメニア,アララテ山にまで至る遠い地の者〕にいたるまで来りて之を攻めその庫をひらき〔略奪者が持ち去るのにまかせるため〕之を積みて塵づかのごとくせよ,〔もはや人間の用に供することなく,神にささげられたもののように〕ことごとくこれを滅して其処に遺る者〔後継者〕なからしめよ その牡牛〔帝国の支配者〕をことごとく殺せこれをほふり場にくだらしめよ其等は禍なるかな其日その罰を受べき時来れり」― エレミヤ 50:25-27,文語。
「のがれ来し者の声」は何時聞こえましたか。それはだれですか。
しかしバビロンにとらわれ,高ぶったバビロンに苦しめられた人々はどうなりますか。神は言われます,「バビロンの地より逃げてのがれ来し者の声ありて我らの神エホバの仇復その殿の仇復をシオンに宣ぶ」。(エレミヤ 50:28,文語)この声は,シオンに戻って神の宮を再建することを,志のあるすべてのユダヤ人に許す勅令がクロス大王の治世の元年(紀元前537年)に出されたとき,とくに聞こえました。(エズラ 1:1-4)こうして彼らは王の許したわざをするためにバビロンを秩序正しく離れました。しかし熱意と喜びにみちた彼らは,獄から逃げ去るかのように急いで出ました。その時までつながれていた束縛の中にあって,自分たちの神に全く仕え,神を喜ばせることは不可能だったのです。
「のがれ来し」イスラエル人はなぜ歓喜しましたか。メロダクはどのようにいやしめられましたか。
ゆえにバビロンが恥をこうむったのにひきかえ,神のしもべは歓喜しました。クロスは,バビロニア人がエホバの宮から持ち出した聖なる器物を携えて帰ることをユダヤ人に許しました。またユダヤ人は勅令によってシオンに新しい宮を再建できました。それはソロモンの宮があったのと同じ場所です。そのとき彼らはバビロニア人の高ぶりを暴露し,宮と崇拝の器を汚したバビロニア人にエホバが報いた仇を宣べることができました。盗んだエホバの宮の器物をひき渡さなければならなかったのは,メロダクの当惑したことにメロダク自身の宮でした。エホバは次のように言われます。
エレミヤ記 50章29,30節にあるエホバの言葉は,高ぶることの報いをどのように述べていますか,
「射手をバビロンに召集めよ……そのまはりに陣どりて之を攻め何人をも逃す勿れ,そのわざにしたがひて之に報いそのすべて行ひし如くこれに行へ,そは彼イスラエルの聖者なるエホバにむかひてたかぶりたればなり この故にその日わかき者はちまたにたふれその兵卒はことごとくたやされん」― エレミヤ 50:29,30,文語。
報復
バビロンに対するエホバの勝利は,どのように仇を報いるものとなりましたか。
紀元前607年バビロンがエルサレムを滅ぼしたとき,預言者エレミヤは次の哀歌を書きました。「婦人おのが実なるそのいだき育てしをさな児を食ふべけんや,祭司預言者ら主〔エホバ〕の聖所において殺さるべけんやをさなきも老たるもちまたにて地にふし,わが処女も若き男も刃にかかりてたふれたり,なんぢはそのいかりの日にこれを殺し,これを屠りてあはれみたまはざりき」。(哀歌 2:20,21,文語)ゆえにメデア人とペルシャ人の射手が,逃げようとしたバビロニア人をことごとく射倒したのはその報いでした。彼らは町にはいって若者をちまたに殺し,兵士をそこで無慈悲に殺しました。
エホバの目にバビロンはどこまで高ぶりましたか。バビロンは何を思い知らされますか。
バビロンはたしかに高ぶりの典型でした。エホバは言われます,「高ぶる者よ,見よ,わたしはおまえの敵となる,あなたの日,わたしがおまえを罰する時が来た。高ぶる者はつまずき倒れる,これを助け起すものはない。わたしはその町々に火を燃やして,その周囲の者をことごとく焼き尽す」。(エレミヤ 50:31,32)バビロンはその最も強大な王ネブカデネザルが,エホバ神のみ手によって得た経験から教訓を学びませんでした。7年間にわたる狂気ののち,王位に復したネブカデネザルは天の神を認めて,天の王は「高ぶり歩む者を低くされる」と述べました。(ダニエル 4:1-37)バビロンは自らの滅びによって次の箴言の真理を思い知らされたことでしょう。「すべて心たかぶる者はエホバににくまれ」「たかぶりは滅亡にさきだち,誇る心はたふれにさきだつ」。(箴言 16:5,18)この事はネブカデネザルの孫ベルシャザル王に真実となりました。酒宴の最中に宮の器を汚してエホバの前に高ぶっていたとき,ベルシャザルはつまずいて倒れました。
(イ)バビロンはどれほど激しく倒れましたか。(ロ)バビロンに対する神のさばきが完全に執行される前に,バビロンはどんな屈辱を味わいましたか。
バビロンは激しくつまずいたため,世界支配の地位に復帰できません。バビロンの後の王ネブカデネザル3世とネブカデネザル4世がペルシャの支配に対して起こした反逆は失敗しました。それはなぜですか。神の怒りは,バビロンが「焼け山」になるまで燃えつづけるからです。(エレミヤ 51:25)しかし焼けつきる前に,バビロンは神の民を解放することを余儀なくされ,シオンと宮の再建を見せつけられます。それも神の報復の一部です。「イスラエルの民とユダの民は偕に虐げらる彼らをとりこにせし者は皆固く之を守りてはなたざるなり彼らを贖ふ者は強し其名は万軍のエホバなり,彼必ずその訴をただして此地にやすきを与へバビロンに住る者ををののかしめ給はん」― エレミヤ 50:33,34,文語。
高ぶりと偶像崇拝は狂気の行いを生む
エホバはどのようにご自身の民をあがなわれましたか。
神の民は「売られた」にもかかわらず,バビロンは自分が神に対して何も支払っていない事を忘れました。実を言えば神はイスラエルをその罪のゆえにとらわれに渡したのです。(イザヤ 52:3)しかしあがなう者,全創造の所有者としての権利を持たれる神は,神の民を解放した国民に価を授け,ご自身の民とひきかえに別の民すなわちエジプトをペルシャに与えられました。エジプトはクロス大王の息子カンビセスの支配下におかれたのです。神の法廷において正義が執行されたとき,バビロンの感じた痛みとおののきはエホバの次の言葉に述べられています。
神にさばかれる時のバビロンのおののきは,エホバの言葉にどのように述べられていますか。
「カルデヤびとの上とバビロンに住む者の上,そのつかさたち,その知者たちの上につるぎが臨む。占い師の上につるぎが臨み,彼らは愚か者となる。その勇士の上につるぎが臨み,彼らは滅ぼされる。その馬の上と,その車の上につるぎが臨み,彼らは滅ぼされる。その馬の上と,その車の上につるぎが臨み,またそのうちにあるすべての雇兵の上に臨み,彼らは女のようになる。その財宝の上につるぎが臨み,それはかすめられる。その水の上に,ひでりが来て,それはかわく。それは,この地が偶像の地であって,人々が偶像に心が狂っているからだ。それゆえ,野の獣と山犬とは共にバビロンにおり,だちょうもそこに住む。しかし,いつまでもその地に住む人はなく,世々ここに住む人はない」― エレミヤ 50:35-39。
バビロンは高ぶることの結果に関して,どんな公正な警告をエホバから与えられていましたか。
バビロニア人に公正な警告を与えて,エホバは次の意味のことを言われました。『高ぶったバビロニア人よ,バビロンの偉大さと悠久の歴史を何時までも誇るがよい。それは空しいことだ。兵士よ,勇気を出せ。それは恐怖に転ずるであろう。馬と戦車は役に立たない。傭兵は女のようになる。宝は奪われる。ユフラテ河の流れはかわり,高ぶった都の防備とはならぬ。偶像は無力で救う力がない。偶像はその崇拝者に分別を与えないからである。滅びがにわかに臨むとき,偶像は救いとならず,狂いと迷いとのみがある』。
バビロンは遂に全く荒廃する
神に敵対し,高ぶったバビロンはどんな罰を受けますか。
偶像崇拝の罪に加え,エホバに敵した高ぶりの罪のために,バビロンに対する刑罰は燃えつづけ,遂にバビロンの組織を完全に滅ぼします。「神がソドムとゴモラと,その隣の町々を滅ぼされたように,そこに住む人はなく,そこに宿る人の子はない」。(エレミヤ 50:40)エホバの預言はつづき,バビロンの征服者の恐ろしさを次のように述べています。
バビロンの征服者のおそろしい様子はエホバの言葉にどのように述べられていますか。
「見よ,一つの民が北の方から来る。大いなる国と多くの王が地の果から立ち上がっている。彼らは弓と,やりを取る。残忍で,あわれみがなく,その響きは海の鳴りとどろくようである。バビロンの娘よ,彼らは馬に乗り,いくさびとのように身をよろって,あなたを攻める」― エレミヤ 50:41,42。
エレミヤ記 50章43節の預言は何時,どのようにベルシャザルを打ちましたか。彼はどうなりましたか。
バビロンの町の人々は,ナボニドスとその軍勢がバビロンの外において敗れ,ナボニドスがボーシッパに逃れたのを知りました。バビロンの北の遠い地から軍隊が進撃してきました。バビロンを征服するためです。それにもかかわらずバビロンの人々は高慢にかまえ,自分たちは安全だと思っていました。しかし宮殿で酒宴をしていたベルシャザル王は,不思議な手が壁の上に書いた文字をダニエルから解き明かされたとき,バビロンの命数のつきたことを悟りました。(ダニエル 5:25-28)エレミヤ記 50章43節の預言の述べていた事をベルシャザルは身に迫って感じたに違いありません。「バビロンの王はそのうわさを聞いて,その手は弱り,子を産む女に臨むような痛みと苦しみに迫られた」。町が突然に占領され,酔いどれの兵士が女のように逃げるのを見たその夜,ベルシャザルが呆然としたのも当然です。バビロンはエホバの民を苛酷にあしらいました。そこで神のおこした征服者のクロスは,神の言葉の中でヨルダンの獅子にたとえられています。
バビロニア人とその征服者はエホバの言葉の中で何にたとえられていますか。
「視よ敵獅子のヨルダンのくさむらより上るが如く堅き宅に攻め来らん,われ直に彼等をそこよりおひはしらせわが選みたる者をその上に立ん,誰か我の如き者あらんや誰かわが為に時期を定めんや何の牧者か我前に立ことをえん さればバビロンにつきてエホバの謀り給ひし御謀とカルデヤ人の地につきて思ひ給ひし思想をきけ,群の弱者必ず曳ゆかれん彼必ず彼らの住居を滅すべし バビロンは取られたりとの声によりて地震へその叫び国々の中に聞ゆ」― エレミヤ 50:44-46,文語。
エレミヤ記 50章44-46節の預言はどのように成就しましたか。
クロスはエホバに代わって事を行なっていたゆえに,エホバの道を妨げ得る者がないのと同様,クロスの前に立ちふさがることのできた者はいません。それでエホバの遣わしたヨルダンの獅子を追い払おうとしたバビロンの人々の考えは愚かでした。彼らはエホバの言葉に耳を傾けるべきでした。「彼らの群れの小羊は必ず滅ぼされ,牧場は彼らから絶たれるであろう」。(エレミヤ 50:45,七十人訳,バグスター訳)b バビロニア人は象徴的なヨルダンの獅子の前にひき出された小羊のようでした。彼らは滅びます。堅固と思われた彼らの都も荒廃に帰するでしょう。地とくにカルデヤ人の地は,バビロンの倒れた時の響きによってふるいます。深い傷を受けたバビロンは再び立ちあがれません。その事については後の号にとりあげます。バビロンの驚きと苦しみの叫びは,バビロンが第二世界強国として君臨した国々の間に聞こえます。それは神の前に高ぶったことの結果であり,苦しみです。
悲さんで不名誉なバビロンの最後は,私たちにとって何の警告ですか。
これは神のしもべをもって任ずるすべての人にとって警告です。指導者に追随して高ぶった行いをし,また神のことばにさからう,あるいは神のことばに信仰をおかない伝説や人間の言葉に従うことのないように,注意しなければなりません。これはまた次のことを認識させます。すなわち大いなるバビロンの大宗教帝国が支配する悪の事物の諸制度を永続させようとする人間の努力にたより,哲学者,科学者,宗教家を問わず誇り高ぶった人間の言葉を信頼するのは自滅の道です。私たちは箴言を書いた賢人の言葉を認識しています。
箴言のどんな言葉が私たちの心に銘記されますか。
「高ぶりが来れば,恥もまた来るへりくだる者には知恵がある」― 箴言 11:2。
[脚注]
b ジェイムス・モハット博士訳「聖書 ― 新訳」のエレミヤ記 50章45節は次のようになっています。「バビロンに敵する永遠者のはかりごと,カルデヤ人に対するその目的を聞け。彼らの羊飼の若者は無理に連れ去られ,農地は彼らの果てに呆然とする」。改訂標準訳およびアラミヤ語ペシタからのジョージ・ラムサ訳とくらべて下さい。