あなたは神の支配権の支持者ですか
1-3 世の人びとは支配権ということに関しては,どんな態度を取っていますか。
世界の多くの国々には,多数の反対者,つまり自国の政治形態に不満な人,行政のありかたに反対する人びとがいます。多くの人は積極的に改革を唱えながらも,単なる人間の考えを解決策として提供しているにすぎません。神の支配権に対する信頼の必要を説くことなど全然しません。
2 また,人間の生み出したイデオロギーや支配形態は一つとして世界の大問題を首尾よく解決できるものではないという人がいますが,彼らは何らかの真の希望を持っていますか。中には,神がいつか何かをするだろうと漠然と考え,正しい生活を送って,うそをついたり,だましたり,姦淫その他同類の罪を犯したりさえしなければ『救われる』と思っている人がいます。
3 では,そのような人びとはほんとうに神の支配権の支持者であることを示していますか。また,メシヤの王国政府に関する神の約束や,その政府がやがて地に対する支配権を完全に行使することを実際に信じていますか。
4-7 (イ)使徒パウロのことばによれば,神の支配権の支持者となるためには何をする必要がありますか。(ロ)神の支配権を支持することに関して,どんな質問に直面しますか。どこを調べれば,何が必要かにかんして詳細をはっきり知ることができますか。
4 使徒パウロは述べました。『人は心に信じて義とせられ,口に言いあらわして救わるるなり』。このように公に言い表わすには,自分が神の支配権の支持者であることを,積極的に公然と明らかにしなければなりません。―ロマ 10:10。
5 あなたは,神の主権や神が全地に対して義の支配を行なってその主権を行使なさるということを心の中で信じていますか。あなたは,神が実際にこの地を不定の時まで,つまり永遠に続く楽園にするということを信じていますか。また,神の支配権に服し,それを擁護したいと願っていますか。
6 神の支配権の支持者であるということには何が含まれていますか。また,自分がその支持者であるということをどのようにして明らかにすることができますか。
7 聖書のエゼキエル書を調べると,どうすれば神の支配を支持する者となれるか,それには何が必要か,自分がそのような者であることを明らかにするとはどういう意味か,またそうすることにはどんな価値があるかなどの事がらを総合的にはっきりと理解できます。
神の支配権を支持する者としての『しるし』をどこにつけてもらえるか
8 預言者エゼキエルがしるしたその預言的な書の9章に述べられている彼の見た幻の大要を簡単に説明しなさい。
8 当誌のこの記事の前の記事の中で指摘されているように,昔のエルサレムでなされた,『額にしるしをつける』わざは象徴的なわざでした。預言者エゼキエルは幻の中で,打ち砕く武器を持った「六人の者」と,『布の衣を着て腰に〔秘書官〕の墨いれをおぶる』ひとりの者を見ました。後者はエルサレム中を巡って,そこで行なわれている神を侮辱する事がらのゆえに『嘆き悲しむ』人びとを捜すことになっていました。それらの人たちは,「六人の者」が同市を行き巡って,しるしのつけられていない人びとの頭を打ち砕くとき生き残れるよう,その額に『しるしをつけ』られました。―エゼキエル 9:1-7,〔新〕。
9 エゼキエルの時代には,だれかが実際にエルサレムを巡って,しるしをつけるわざを行ないましたか。そのことは,預言の主要な成就に関して何を示していますか。
9 エルサレム中を実際に行き巡って人びとにしるしをつけた者はひとりもいません。それはただエゼキエルの幻の中でなされたにすぎません。このことは,その預言的な幻の主要な成就は,現代の「エルサレム」すなわちキリスト教世界が滅ぼされる前の終わりの時の間に生ずるということを示しています。現代の場合,だれが『しるしをつける』わざを行なっていますか。―ロマ 15:4。コリント前 10:11。
10,11 現代の『布の衣を着た者』とは,だれのことですか。その者はどうしてしるしをつける資格を持っていますか。
10 『布の衣を着た者』とは今日,栄光を受けた王,イエス・キリストの任命された代表者ということができるでしょう。なぜですか。なぜなら,この「世の〔王国〕」は今や,『我らの主およびそのキリストの〔王国〕』となったからです。(黙示 11:15)キリストは今や,地に対するエホバの神聖な支配権にかかわるあらゆる事がらを指揮しています。イエスは地上にいた時,その同じ象徴的な『布の衣を着た者』を描写するのに別の表現を用いて,その者のことを『主人が自分の召使いたちの上に任命した,忠実で思慮深い奴隷』と呼びました。(マタイ 24:45-47,新)キリストを主人と認めるこの「奴隷」は,ただひとりの人ではなくて,一団の人びと,つまり地上にいるキリストの霊的な兄弟たちのことです。彼らは王国の良いたよりをふれ告げるよう,神の霊によって油そそがれた人たちです。彼らは自分たちに影響をおよぼす神の霊を持っており,それによって動かされています。そして,すでにイエス・キリストを通して神により『額に印され』ています。彼らはその印,つまりキリストの共同相続者になるよう召されているとの自覚を彼らにいだかせる,神の霊を持っています。それはいわば,天的な相続物の「しるし」です。彼らは象徴的な『布の衣を着た者』を構成していますから,エホバの権威に基づき,キリストによって任命され,派遣されているのです。―黙示 7:3,4,新。エペソ 1:13,14。ロマ 8:16,17。
11 象徴的な秘書官を構成するこの複合的な団体が自らにしるしをつけるのでないことは明らかです。その額の「印」は,その団体が神のしもべであることを示すものです。では,だれが神からの使命を受けるのですか。
支持者であることが明らかになる
12 『しるし』を受ける人たちとはだれですか。彼らはどんな態度を取っていますか。
12 しるしをつけてもらう人たちは,『大いなるバビロン』つまり偽りの宗教の世界帝国の領域の地上のあらゆる場所に散在しています。その宗教帝国の主要部分を成すものの領域,つまりキリスト教世界内のそうした人びとの場合は特にそうです。(黙示 17:5)それらの人たちは,不道徳で不正な,無慈悲で不敬虔な行為,なかでもキリスト教の美名に隠れて,また神の名において偽って行なわれている事がらを見て残念に思い,あいそをつかしています。彼らはキリスト教世界の僧職者がそのようなことを行ない,また容認しているのを見ています。それら心の正直な人たちは,単に自分たちが利己的な気持ちから欲するものを得ていないゆえに大声を上げ,抗議デモを行ない,反抗する他の人びとの場合と同様の仕方で事態を残念に思っているのではありません。そうではなくて,不正が行なわれているゆえに悲しんでいるのです。―コリント後 7:10,11と比べてください。
13 『しるし』を受けるとは,単に知識を頭に入れるだけのことですか。説明しなさい。
13 それら四散している人たちを見いだすには,戸別訪問をして捜さなければなりません。『しるしをつける』とは,それらの人の頭に知識を入れさせることですか。それも必要ですが,それ以上のことを意味しています。頭だけの知識は必ずしも,すべての人にわかるような生活の変化を遂げさせるよう人を動かすものではありません。その『しるし』が額につけられるとは,それがだれの目にも見えるということです。昔の奴隷所有者が多くの場合自分の奴隷の額に,そうでなければ手にしるしをつけて,その所有者がだれかをはっきりわかるようにしたのと全く同様です。ですから,象徴的な『しるしをつけられた』人たちを見分けられるようするには,知識以上のものをそれらの人に与えなければなりません。キリスト教世界の多くの人は聖書を何度も読んでおり,中にはかなりの知識を持っている人もいます。しかし,クリスチャンとして行動したり生活したりしているわけではありません。また,神の支配権を支持してもいません。外面的には「敬虔の形」をとっているかもしれませんが,内面的にもまた,外面的にも実際にはその力にそむいています。彼らは行ないによって裏づけられた真の信仰を持ってはいません。―テモテ後 3:5。ヤコブ 2:18-26。
14 『しるし』を受けるには,何が動かされなければなりませんか。
14 そのようなわけで,もし『しるし』をつけてもらいたいなら,『信じて義とされる』よう,心が動かされなければなりません。すべての人が見て,それとわかるためには,生活全体がキリスト教の原則によって律されなければなりません。―ロマ 10:10。
15 『しるし』を受けることを願う人には,何が求められていますか。
15 あなたはその『しるし』を持っていますか。もし持っていないなら,それを望んでいますか。そうでしたら,今ふれ告げられている王国の良いたよりに耳を傾けなければなりません。次いで,聖書の真理を心に取り入れたのち,「あなたがたが思いを動かす力において新たにされ,神の意志にしたがい真の義と忠節とをもって創造された新しい人格を身に着けるべき…です」と述べた使徒の導きに従うことでしょう。―エペソ 4:23,24,新。
16 『しるしをつける』わざを行なっている人たちは,自分が助けている人びとに対してどんな責任を負っていますか。
16 ですから,それは,家々を尋ねて宣べ伝えるわざを行ない,神について知りたいと願う人びとの手に聖書や聖書文書を配布するだけのことではありません。それに加えて,『しるしをつける』仕事をする人たちは,『しるし』を受けるよう自分たちが助けている人びととの聖書研究に多くの時間を費やさなければなりません。それら心の正直な学び手のうちに,『火に耐える』クリスチャンの特質を築かねばなりません。―コリント前 3:10-15。
17,18 自分の額に『しるし』を受けることを願う人は,聖書を勉強するほかに,さらに何をする必要がありますか。
17 もしあなたがその『しるし』を望まれるなら,『しるしをつけられた』者のひとりとして,神のメシヤの王国を通して行使される神の支配権にかんする良いたよりを伝える人たちと定期的に交わってください。また,あなたは,自分の学んだ事がらを他の人たちにぜひ話したいと望まれるでしょう。聖書の知識があなたの態度や行動にもたらす変化はもとより,あなたの大胆さや誠実さ,また熱意に人びとはおそらく驚かされるでしょう。
18 あなたは神への全き献身という義の道に従い,その献身の象徴としてバプテスマを受ける必要のあることを認識するようになるでしょう。そして,神に対するひたむきな奉仕によって自分の献身の誓いを遂行するにつれ,人びとは,『しるし』,つまりあなたが神とキリストの奴隷であることを明示する,クリスチャンの人格という証拠をはっきりと認められるようになります。
19 『しるし』にはどんな益がありますか。
19 もしあなたが額に『しるし』を受けている人であるなら,あなたにとってそれにはどんな益があるのですか。第一にそれは,あなたが主権者なる神の奉仕に携わって神の神聖な支配権を支持する者であることを明らかにします。あなたには神の恵みと保護があります。エホバは,『おのれの者を知りたもう』ので,そのような人たちを救い出してくださいます。(テモテ後 2:19。詩 145:20)あなたは現在のこの事物の体制の滅びを通過して神の新秩序に生き残り,神の支配権のもとで永遠に生きる見込みを持っています。その『しるし』は,それを持っている人たちに滅びを免れさせる,つまり「大かん難」のさいに神のみ使いの刑執行者たちによって打ち砕かれるのを実際に免れさせるものとなります。(マタイ 24:21,新)このことは,エゼキエルの幻の中でエルサレムにいた『しるしをつけられた』者たちが滅びを免れたことによって表わされています。
20 『しるし』を受ける人たちも,他の人に『しるしをつける』わざに携わりますか。
20 次いであなたは,神の油そそがれた者たちの指導のもとで『しるしをつける』わざにあずかりつつ,自分の額のその象徴的なしるしを守らなければなりません。なすべきわざは膨大なものですから,地上に残っている少数の油そそがれた者たちが個人的に『しるしをつける』わざすべてを行なうことはできません。『しるしをつける』わざに加わらないなら,神の支配権を支持していないことになります。何十万人もの人びとは,教えを受けてイエス・キリストの弟子となって,しるしをつけてもらう機会を捕えており,次いで彼らは,この事物の体制を一掃する「大かん難」の間じゅう保護を受けるためにしるしをつけてもらうよう,他の人びとを援助しています。―マタイ 28:19,20。
『しるしをつける』わざが開始された時
21 現代の『しるしをつける』わざは何年に始まりましたか。それに先立って,どんな事がらが生じましたか。
21 『布の衣を着た者』の仕事によって予表された現代の『しるしをつける』わざはいつ開始されましたか。それは早くとも,1934年8月15日号の「ものみの塔」誌が「神の親切」と題する記事を発表したときに開始されました。それより前の1931年のこと,イエスの油そそがれた献身した追随者たちは,ものみの塔協会の発表した「立証」と題する聖書の解説書を通して,自分たちが『しるしをつける』わざを行なわねばならないことを知らされました。その同じ年に彼らは,聖書のイザヤ書 43章10-12節の示す「エホバの証人」という聖書的な名称を採用したのです。それはあたかもエホバが彼らにこう命じておられるかのようでした。『町の中[キリスト教世界を予表する]エルサレムのうちを巡れ しかして町のうちに行なわるるところのもろもろの憎むべき事のために嘆き悲しむ人びとの額にしるしをつけよ』― エゼキエル 9:4。
22 1934年にはどんなことが初めて理解されましたか。
22 1934年には前述の「神の親切」と題する記事の中で,ヨハネ伝 10章16節のイエスの次のことばが論じられました。『我にはまたこの檻[天的相続者たちの『小さな群れ』]のものならぬ他の羊あり,これをも導かざるをえず,彼らはわが声をきかん,ついに一つの群れひとりの牧者となるべし』。そして,現代の『他の羊』は,キリストを通して神に献身し,その無条件の献身を,イエスのように身を水に浸すことによって象徴した人たちであるに違いないということが初めてわかったのです。
23 1931年から同34年までの3年間,『しるしをつける』わざはなぜ行なわれませんでしたか。
23 では,1931年から同34年までの3年の間,『しるしをつける』わざはなぜ行なわれなかったのですか。なぜなら,1934年以前はそれらの人たちに対するわざは,単に聖書の知識を彼らに分け与えることだけで成り立っていたからです。1934年以来,『しるし』にはさらに多くの事がらが必要だということが初めてはっきりと理解されたのです。
24 『しるしをつける』わざがほんとうに組織的に開始されたのはいつですか。
24 翌1935年の春,『しるしをつける』わざはほんとうに組織的に開始されました。アメリカの首都ワシントンで開かれた大会では,黙示録 7章に描かれている『大いなる群衆』の意味が解明されました。『大なる群衆』にかんする講演の中で,当時のものみの塔協会の会長は,それらの者たちは同章の冒頭の8節の中で述べられているような天的な級の者ではなくて,むしろ,楽園の地における永遠の命の希望を神から差し伸べられる人たちであることを説明しました。その日,何百人もの人びとは深い感動を受け,水のバプテスマを受けました。―黙示 7:9-17。
首尾よく完了するわざ
25 『しるしをつける』わざが首尾よく完了することを保証するものがあります。それは何ですか。
25 エゼキエルの幻の中で,額にしるしをつけるわざは,その終わりを見ました。それと全く同様,現代の『しるしをつける』わざは必ず首尾よく完了し,信仰を働かして義とされ,口に言い表わして救われる人びとすべてを整えさせるでしょう。エゼキエルはこう述べています。『時にかの布の衣を着て腰に筆記者の墨いれをおぶる人 復命もうして言う 汝が我に命じたまいしごとくなしたりと』― エゼキエル 9:11。
26 (イ)もし現代の「秘書官」がその任務を果たさないなら,どうなりますか。(ロ)地上にいる油そそがれた者たちが確かにその任務を遂行してきたことを述べなさい。
26 幻の中のその人,すなわち現代の複合の「人」が,もしその任務を果たさないなら,どうなりますか。「大かん難」のさいに処刑される者たちの血の責任を問われるでしょう。エホバはこのことを,ご自分の審判の執行について警告する監視人として任命されたエゼキエルに明らかにされました。しかしながら,地上にいる油そそがれた者たちは,自分たちの割り当てられた仕事を遂行してきました。彼らはうまずたゆまず人びとを訪問し,命を救う聖書の知識を得るよう人びとを助けてきました。それは容易なことではありませんでした。なぜなら,彼らは非常に激しい反対や迫害をこうむってきたからです。しかし,彼らはイエスの預言的なことばを命令と解しています。『〔王国〕のこの福音は,もろもろの国人に証をなさんため全世界に宣伝えられん,しかして後,終わりは至るべし』― マタイ 24:14,〔新〕。
27 『しるしをつける』わざを行なっている人たちは,何を待ち望んでいますか。
27 したがって,その『終わり』が来るとき,『しるしをつける』わざは完了します。なお地上にいる,イエス・キリストの油そそがれた霊的な兄弟たちは,自分たちの天的な長官であるエホバ神に,『汝が我に命じたまいしごとくなしたり』と報告できる時を待ち望んでいます。
28 神の支配権の支持者であるためには,あなたは何をしなければなりませんか。
28 もしあなたが,数えることのできない『大いなる群衆』のひとりでしたら,油そそがれた者たに組して協力し,神の支配権の全面的な擁護者また支持者となるでしょう。そして,自分がイエス・キリストの献身してバプテスマを受けた弟子であることの証拠となる『しるし』を保持し,また自分がすべての偽善的な「クリスチャン」とは異なっていることを示す,キリストのような人格を身につけることに努めるでしょう。また,その『しるし』を得て,それを保つよう,他の人びとをも援助するでしょう。そうすれば,あなたは全能の神に仕える高潔な奴隷となり,神の新しい事物の体制にはいって小羊イエス・キリストのもとでエホバの奉仕にさらにあずかる確かな見込みを持てるでしょう。