自分の勉強を改善する
「求めよ,そうすれば,与えられるであろう。捜せ,そうすれば,見いだすであろう。門をたたけ,そうすれば,あけてもらえるであろう」― マタイ 7:7,新口。
1,2 (イ)マタイ伝 7章7節を説明しなさい。(ロ)信仰と認識の質は何によって決まりますか。
神のことばから得られる非常に貴重な知識と知恵は,求める者に与えられます。聖書を学ぶための努力をいとう人は,この宝を得ることができません。また文字に書かれた神のことばが,すぐれた律法であり,有益なさとしであり,光を与える真理であるとの信念を持っていないことになります。マタイ伝 7章7節にあるイエスの言葉は,イエスの御父のことばを尊重する人々に語られたものです。それは聖書の価値を認めず,聖書を読もうとしない人々に対する言葉ではありません。聖書の価値を認める人は,イエスの言われた通りにすることでしょう。そして教え,知識か知恵を授けられるように,一回ならず何回も御父に祈るに違いありません。イエスの言われたように求めつづけることは,誠実と熱意の表われです。
2 聖書をひもといて学ぶとき,教え,知識,知恵を求める願いはかなえられます。戸をたゝくだけの努力をする人が戸を開けてもらえるのと同じく,神のことばの宝を求めるために努力するならばそれは与えられ,楽しみと益がもたらされます。他の人に代って求めてもらうことはできません。信仰の強さと聖書の真理に対する認識の深さは,聖書をどれほど学ぶかという事に関連しています。エホバによみされる道を歩むには,エホバのみわざとお約束に対する認識を持ちつゞけなければなりません。それはクリスチャンの熱意を燃え立たせる火です。しかし聖書の勉強を怠るとき,その火は弱くなります。
3 (イ)なぜ聖書を定期的に学ぶべきですか。(ロ)どうすれば聖書の真理に普通以上の注意を払うことができますか。
3 聖書の勉強をたゆまずにつゞけないと,学んだ真理もやがてぼんやりとしか記憶に残らなくなり,たしかにつかんでいるかどうかも怪しくなってきます。それは信仰から離れる第一歩です。使徒パウロはこの事を警告して次のように述べました,「こういうわけだから,わたしたちは聞かされていることを,いっそう強く心に留めねばならない。そうでないと,おし流されていまう」。(ヘブル 2:1,新口)聖書の真理をくり返し思いおこすならば,それに普通以上の注意を払うことになります。そうすれば真理を心に刻むことになり,たまにしか考えない事柄のようにすぐ忘れる心配はありません。何度も思い返すことによって,はっきり思い出せるようになります。
4,5 真理を深く知ることはなぜ必要ですか。どうすればそのような知識を得られますか。
4 献身したクリスチャンならば,水の浸礼を受けたとき,イエス・キリストにならって真理をあかししたいとの願いを表わしたのです。イエスはポンテオ・ピラトの前で言われました,「わたしは真理についてあかしをするために生れ,また,そのためにこの世にきたのである」。(ヨハネ 18:37,新口)真理をあかしするためには,まず真理を知らなければなりません。真理をよく知れば知るほど,御霊の剣を巧みに用いて「要塞をも破壊」し「さまざまな議論を破り,神の知恵に逆らって立てられたあらゆる障害物を打ちこわ」すことができます。(コリント後 10:4,5,新口)人の心に深く根をおろした間違った宗教や考えは,容易に取り除けるものではありません。首尾よくそれを成し遂げるには,剣を巧みにふるうことを学んだ昔の兵士のように,聖書を巧みに使うことを学ばねばなりません。
5 クリスチャンの剣は聖書です。聖書を思うまゝに使いこなせますか。間違った教えを巧みに論破できますか。真理にさからう議論を論破できますか。もしできないとすれば,聖書の勉強を改善し,宣教において聖書をますます使って,聖書という剣の使い方をますますみがかねばなりません。
聖書を読む
6 聖書の通読にはどんな価値がありますか。
6 聖書を学ぶのにいちばん良い方法は,題目別に学ぶことです。しかし聖書を通読することに価値がないという意味ではありません。聖書の通読には大きな価値があります。そのことからは背景となる貴重な知識が得られ,神のことばが全体的に把握されます。それは大きな出来事が何時起きたか,神と交渉のあった人々がそれぞれどの時代の人であったかを時の流れの中で位置づけるのに役立ち,これらの人々またそのした事を知るのに役立ちます。このすべての知識は,エホバの真理を効果的に証言するのに必要です。
7,8 (イ)聖書を全部読みましたかと聞かれたとき,エホバの証者はなぜハイと答えられるべきですか。(ロ)ものみの塔聖書冊子協会は,聖書を読むことを,どう考えていますか
7 個人的な聖書の勉強のプログラムの中に,聖書を読むことをいれていますか。聖書を何時も読むことを人にすゝめながら,自分自身は読まないでいますか。真理について証言する目的で人を訪問したとき,聖書全体を読みましたかと聞かれて何と答えますか。読みましたと,はっきり答えられますか。それとも少しもじもじしてほとんど全部読みました,と答えますか。はっきり答えられなければ,聖書の真理を宣明する者としての信用は落ちてしまうでしょう。
8 ものみの塔聖書冊子協会は,聖書の教えを説明した手引のほか,聖書を読むことを長年の間すめてきました。ニューヨーク,ブルックリンにある協会の印刷工場の壁には,「神のことば聖書を毎日読みなさい」と大きな字で書かれ,毎日,通勤の途中そこを通る何千人の人々に,人はすべて聖書を定期的に読むべきである,という事を語りかけています。これは聖書を読むことに対する協会の立場を示すものです。エホバの証者は世界中でいちばん良く聖書を読む者でなければなりません。ものみの塔ギレアデ聖書学校においてもこの事は認められ,学生は学校を終えるまでに聖書全巻を読むことを要求されています。聖書を読むことをこのように重んずるのは正しい事です。私たちの生活は神のことばを中心にしています。その真理を伝道し,その約束を信じ,その原則に従って生活する私たちは,だれよりも率先して聖書を毎日読むべきです。
何時勉強するか
9 証者はなぜ自分を教えるべきですか。
9 献身したエホバの証者ならば,非常にいそがしい毎日を送っています。その時間の大部分は世俗の仕事と宣教活動でなくなってしまいます。することが多いため,自分の勉強の時間を見つけるのが問題です。しかし霊的な福祉と円熟のために,個人的な勉強は欠くことができません。それを怠ることはできません。たえず自分自身を教えていなければ,どうして他の人を能率的また効果的に教えることができますか。忙しいスケジュールをやりくりして,自分の勉強の時間をくみいれて下さい。
10 自分の勉強また聖書を読む時間を,どのように作りますか。
10 できれば週毎の勉強時間をきめ,その時間にはテレビ,ラジオその他の娯楽に気が散らないようにしましょう。一晩を勉強にあてることができなければ,午前中あるいは午後の時間を利用できるかも知れません。たとえ1時間でも,きまった時間を勉強にあてるならば,全然ないよりもましです。毎週テレビの人気番組をいくつか見る時間がありますか。そのうち一つか二つ見るのをやめて,その時間を勉強にあてることはいかがですか。毎日15分か30分の時間でも,聖書を読むのに利用できます。聖書を何時も持ち歩き,病院や歯医者の待合室,バスや電車を待つ時間,美容院や床屋で番を待つ時間を無駄にせず,有効に用いて下さい。朝,昼休み,あるいは寝る前の時間を使って,聖書をいくらかでも読めるならば,それを毎日の習慣とすることによって,長い間には一回だけでなく何回も聖書を通読できます。
11 勉強の時間と他の活動との釣合をとるため,何が提案されていますか。
11 献身したクリスチャンは,毎月少なくとも10時間を宣教に費やすように努めています。同じ分量の時間を自分の勉強にあてることを目標にしてはどうですか。霊的に活発であるためには,霊的に養われていることが必要です。そのことを認識して下さい。それで野外の宣教についやした時間を記録するのと同様に,個人的な勉強についやした時間を記録できます。そうすれば,毎月の末になって勉強の時間と他の活動とのつりあいを検討できます。
子供と勉強しなさい
12,13 親はどのように子供を教えますか。どのように質問しますか。
12 子供のために勉強の時間をきちんと決めて下さい。大人と同じく子供も生命をもたらす神のことばの真理を学ばねばなりません。そして子供を教えるのは両親の責任です。勉強の時間のたびに宿題を与えなさい。ギレアデ聖書学校で行なわれているように,協会の出版物を一定の頁数だけ読むことを割りあて,次の勉強の時間に報告させます。こうして一冊の本を仕あげるまで,同じことをくり返すのです。聖書を何章か読んで内容を報告する割当と交互に,これを行なうのも良いでしょう。聖書の本の順序を覚えさせるのも良いことです。幾人かの子供がいるならば,次のようなゲームができます。各自が聖書を持ち,本の名前のあげられる度に,だれがいちばん早くそれを見つけるかを見ます。それは楽しく,ためになるゲームです。
13 子供が宿題を報告するとき,クイズをして子供の理解をたしかめることができます。乗物の中でも,食卓でも,ほとんど何時でも子供に聖書の質問をできます。聖書の教え,地理,人物,来事その他,子供が勉強の時間に学んだことを尋ねてごらんなさい。子供の頃から勉強の習慣をつけさせれば,大きくなってもそれが役立ちます。
勉強の方法
14 勉強にとりかかる前に何が必要ですか。
14 自分の勉強を改善するには,勉強の方法を学ばねばなりません。正しい方法を知っていれば,勉強から大きな益が得られます。まず何を勉強するかを決めてから,勉強にとりかゝるべきです。集会の準備,協会の新しい出版物の研究,あるいは調べものなどいろいろあるにしても,目標を決めれば,あてもなくいろいろなものに手をつけることはありません。はっきりした目標を決めて勉強すれば,漫然とするよりもはるかに益があります。エホバの証者の御国会館で行なわれる神権宣教学校において時おり与えられる割当は,このような目標となります。
15,16 (イ)神のことばのいわば冒険旅行をどのようにするかを説明しなさい。(ロ)この節にあげられている例にかぎらず,どんな問題をしらべることができますか。
15 神のことばを学ぶ,いわば冒険旅行を時おり試みてごらんなさい。だれかに尋ねられた質問あるいは自分の心に浮んだ疑問の答をさがすとか,聖書歴史の一定の時期また出来事の背景をしらべるとか,特定の預言の理解を深めるといったことです。「ものみの塔」(英文)を用いて,協会の出版物をしらべることができます。
16 協会の出版物以外の参考書,たとえば地図,聖書辞典などを使って,参考となる知識を得て下さい。また索引もあります。関連した事柄を知るのに索引は有用です。聖書に出てくる土地について読んでいるならば,地図を見てその土地を心に思い浮べてごらんなさい。使徒パウロの宣教旅行を例にとっていえば,地図の上でそのあとをたどることにより,読んだ事柄を心に描いてみることができます。ソロモンの宮の建築について読むとき,その資材に関していろいろしらべることができるでしょう。資材をどこから入手しましたか。だれが,どんな方法で工事をしましたか。巨大な香柏の木は,どのようにレバノンの山からエルサレムに運ばれましたか。ユダヤ人がバビロンに捕われたことについて学ぶとき,地図を出してバビロンとエルサレム相互の位置の関係をしらべ,捕われの人々が旅行した距離を計ってごらんなさい。更にしらべるならば,ユダヤ人がどんな待遇を受けたか,どんな国を通過したかも明らかになるでしょう。このような背景にある事柄を知るのは,学んでいることの理解を助けます。どれほどよく覚えるかは,どれほどよく理解しているかに依存しています。
17 学ぼうとする欲求はなぜ必要ですか。
17 これらの提案も,学びたいという気持のない人には役立ちません。この気持がない人は,神のことばの知恵を求めないでしょう。また知識と知恵を求める動機にかけていることになります。献身したクリスチャンならばこの気持,創造主のことを知り,創造主が書きしるさせた事柄を学ぼうとする意志を持っています。創造主に対する愛のゆえに,知識と理解を求めなければなりません。「さとき者の心は知識をたずねる」。―箴言 15:14,新口。
18 勉強に望ましいのはどんな環境ですか。そのような環境を得るため,どんな努力をすべきですか。
18 勉強する時には,勉強しやすい環境を選びなさい。音を小さくしてもラジオを聞きながら,勉強しようとするのは無理です。有益な勉強をするには,静けさが必要です。静かなところでないと,精神を集中できません。しかし狭い家の中で子供たちがはね回っている時はどうしますか。子供たちが家にいない時あるいは寝てしまってから勉強できるかも知れません。それもできなければ,図書館あるいは天気がよければ公園に行く方法もあります。あるいは友人の家に行って一緒に勉強し,そのあいだ先方の子供をこちらの家で遊ばせることもできるでしょう。もちろんその反対のこともできます。精神を集中できる静かな場所と時間は,どこかにあるはずです。
19 勉強を実りのあるものにするため,興味と注意の集中はどのように大切ですか。
19 勉強しようと努力しても,精神を集中しなければ本当の益は得られません。何かほかの事を考えているなら,注意力が散漫になり,学んでいることに注意を集中できません。しばらくの間わずらいを忘れて,読んでいる事柄に深い関心を払うように努めなさい。関心のない事柄をぼんやりと読んだのでは,機械的に読むだけに終り,頭に何も残らないでしょう。勉強してもさっぱり成果があがらないのは,たいてい精神を十分に集中していないためです。読みながら他の事を考えているので,読んだことはほとんど印象に残りません。勉強しながら眠ってしまうこともあるでしょう。これはたいてい勉強している事に関心がないからです。学んでいる資料を何かのために使うというはっきりした目標があると,資料に興味を持つ助けとなります。その場合には勉強に目的があり,使おうとする資料に関心が向いています。資料に興味を持つことと,注意を集中することによって,勉強の能力を改善できます。
勉強の技巧
20 (イ)本を勉強するとき,まず何をしらべますか。(ロ)どんな目的でこの事をしますか。
20 さて協会の出版した新しい本を勉強するとしましょう。それを勉強するいちばん良い方法は何ですか。まず本の表紙を読み,それについて自分の知っている事を考えてごらんなさい。これは本の内容を全体的に知るための第一歩です。これは自動車を見るときの要領と同じです。自動車の各部分を見ただけで,どれだけのことがわかりますか。まず全体を眺めるほうが,よほどいろいろな事に気づきます。そのまわりを一まわりして色々な角度から眺めてごらんなさい。次にもう少し近づいて,各部の関連を見ます。こうしておいて今度は細かい部分を見ると,いっそうよく理解できるでしょう。本を学ぶのもこれと同じです。表題,目次を一読して本の内容をおしはかり。まず全体的に知るようにします。次に章の中の副見出しを見て,章の題との関連を考えます。このようにして最初一通り見るときに,長い時間をかける必要はありません。しかしこれには大きな益があります。
21 章をどのように読むかを説明しなさい。
21 本の内容についておよその見当をつけたならば,第一章を読み始めます。読みながら節全体の内容を述べた文章に注目して下さい。このような文章は,たいてい各節のはじめに出ていますが,時には節の中頃にあったり,あるいはひとつの節のまとめとして最後に出ていることもあります。それは節の内容を簡単に言い表わしている文章です。これらの文章は傍線をつけることもできます。このように心を配って一章を読むならば,章のあらすじをつかめます。雑誌の記事を読むときにも,同じようにすると効果的です。
22 いくつかの言葉をひとまとめにして読むことにはどんな価値がありますか。どんな場合にゆっくり読むことが必要ですか。
22 読むとき,一時に一つの言葉ではなく,いくつかの言葉をひとまとめにして読むようにしなさい。おはじきの玉をつかむとき,一度に幾つもつかめるのと同じで,目の動きを止める毎に,いくつかの言葉を一度に読みとることができます。こうすると早く読めるだけでなく,内容もよくつかめます。しかし時には内容が難しくて,早く読めない性質の文章もあります。たとえば意味の深い箴言の文章などは,言葉をひとつずつ読むことが必要です。しかし大抵の場合,いくつかの言葉をひとまとめにして読んだほうが意味を容易につかむことができます。
23 読んだ事柄を頭にいれるため,どんな読み方が提案されていますか。
23 副見出しのところに来たならば,今まで読んできたことを思い直してみます。要点を覚えていますか。内容をつかんでいなければ,各節の全体を要約している文章をもういちど読んで,記憶をあらたにして下さい。聖句が説明されていたならば,それを覚えていますか。覚えていなければ,もういちど読んでごらんなさい。こうしておいて,次の副見出しのところまで読み進みます。主題と内容の進展を頭において読みなさい。
24 (イ)勉強するとき,どのように鉛筆を使うべきですか。(ロ)何ひとつの章を終えたところで何をすべきですか。
24 自分の本また雑誌ならば,かぎとなる言葉や注目すべき文章に鉛筆で傍線をつけられます。傍線はひかえ目につけましょう。これは後で読み返すときや,本をグループで勉強するとき,要点を思いおこすのに役立ちます。他の人の本にしるしをつけてはなりません。本を読むとき,他の人のつけたしるしは邪魔になるからです。一章を読みおえたならば,頭の中で最終的な復習をしてみます。要点を心に留めなさい。いま読んだ事について,他の人に何を話せるかを考えてごらんなさい。
25 活発に考えながら読むため,何をしますか。
25 活発に頭を働かせながら読めば,1,2頁読んだあとで何を読んだのかわからないという事はありません。考えながら読むことは,実のある読書をするために肝要です。出来事の描写ならばそれを心に描いてごらんなさい。聖書の根本的な真理,預言の成就に注目して下さい。書かれていることと自分の行動をくらべてごらんなさい。そうすれば益を得ます。新しい考えに注目し,また述べられている事の理由を考えてごらんなさい。内容を吟味し,また神のことばの伝道者として宣教に役立つ事柄に注目して下さい。このようにして勉強は実のあるものとなります。
26 自分の勉強を改善することからどんな益が得られますか。
26 自分の勉強を改善することから,多くの益が得られます。学べば学ぶほど,自分の希望を他の人によく説明できるようになり,問題にぶつかるときも,より良い判断を下すことができます。また自分が正しいことをしているという確信も強まり,この世の懐疑主義や無神論の悪い影響から身を守る信仰の盾を強く,また大きくできます。更に会衆の神権宣教学校でする研究生の話に上達し,グループの聖書研究の時にいっそう有益な答ができるようになります。家から家の宣教において語る言葉にも確信がこもり,善意者を再訪問することに上達し,またいっそう内容の充実した家庭聖書研究を司会できるようになります。こうして霊的な幼児にとゞまることなく,円熟に成長できるでしょう。自分の勉強の習慣を改善することによって,生命への道をしっかり歩めるのです。
27 神のことばという宝をどのように考えるべきですか。
27 神のことばは霊的な富の宝の倉です。その宝を得ようと勤勉に努力すれば,それを得られるのです。この宝は金銀で買えないものをもたらします。神のことばに思いをめぐらし,神のことばを口に出して,生ける限りこの富を大切にして下さい。神のことばを何よりの関心事にしなさい。自分の勉強を改善して神のことばに対する認識を示し,クリスチャンのなすべき宣教に実を結ぶよう神のことばを使いたいとの願いを示して下さい。