会衆の組織の新しい取決め
地域大会で発表されたように,会衆の組織の上で幾つかの新しい取決めがなされます。すべての長老は,大会で行なわれた話に基づくこの情報を注意深く読み,それに従って完全に実施すべきです。
神の羊の群れを益する書記たち
1 王国の業が世界中のエホバの証人の四万余の会衆の働きをもって十分に確立されているこの現代において,会衆の益のためにある種の記録を保持する必要があります。これは,コリント第一 14章40節に,「すべての事を適正に,また取り決めのもとに行ないなさい」と述べられている聖書の原則と一致しています。
2 それゆえ,各会衆は通信や会衆の重要な記録を扱う責任を負う一人の任命された書記を持つことによって,明らかに益が得られます。今奉仕年度の最初の6か月間に(巡回監督が訪問する時),各会衆の長老団は,長老の一人を会衆の書記として任命されるよう推薦することになります。その人は会衆の記録と綴りを正しく世話する能力を持ち,書信類を立派に書ける兄弟であるべきです。ある兄弟たちは他の人々よりもこのような仕事をする,より優れた資格を持っています。(コリント第一 12:28-30)したがって長老たちは推薦されるべき兄弟の資格を注意深く吟味し,履行されねばならない務めや,兄弟たちに仕えたいという当人の進んで事に当たる精神を考慮しなければなりません。会衆によっては十分資格のある兄弟が何人かいるでしょう。この奉仕にはただ一人の人しか割り当てられないので,長老たちは推薦すべき人を一人だけ選定しなければなりません。長老たちはまた,書記が任命された場合,その人は交替してこの書記の割当てから離れるのではなく,長老団が変更を推薦することに決めるような時が来るまで継続的に奉仕するという事をも念頭に置きます。―列王下 12章10,11節および22章3節をごらんください。
3 地元の長老団は9月1日以後の最初の巡回監督の訪問中に書記を推薦すべきです。このような推薦は,長老や奉仕のしもべの任命に関する通常の推薦が提出される際に行なわれます。推薦用紙(S-2J)の長老たちの推薦の下に記される当人の氏名の前の余白に,「書記」と書き込まねばなりません。
4 推薦と共に,S-29Jの用紙に書記の完全な氏名と住所を記入すべきです。巡回監督はこの用紙を用意しています。書記の住所は会衆の永久郵便住所となるでしょう。統治体もしくは協会からの会衆あての通信物はすべてこの住所に送られます。
5 会衆のために書記として任命される兄弟は,集会に出席する点で定期的であるべきですし,会衆の種々の記録を会衆の益のために他の長老たちが用いられるようにしておくべきです。もし,ある時,何かの理由でその地方を不在にしなければならないことが分かったら,その場合には必ず別の兄弟が一時的にその務めを処理して,自分の住所に送られるどんな郵便もしくは通信物でも気を付けて調べられるように取り決めておくべきです。
6 書記には会衆の重要な記録を秩序正しい仕方で保つことが求められますが,その記録には,長老や奉仕のしもべの任命書,長老や会衆に対する協会からのすべての手紙,旅行する監督の報告の写し,協会への注文や送金の記録,王国会館もしくは会衆の他の所有物の所有権に関する記録,王国会館の何らかの借入金に関する情報,保険,種々の証書その他の書類が含まれます。また,会衆の綴りに保管すべき,審理委員の作成した排斥事例に関する記録もあります。
7 書記は,会衆の必要とする事柄が顧みられねばならない期日を忘れずに覚えている,時間を厳守する人であるべきです。会衆がエホバへの奉仕を遂行するために法人を組織したなら,政府機関の事務所に対する報告,年次会議,議事録の保持,および法人に関する必要な発表の掲示の点で政府が要求している事柄を書記は知っているべきです。また法人の綴りを保持すると共に,議事録を作成する責任のある人がそれをきちんと保っていることを見届けるべきです。
8 会衆が王国会館その他の所有物を持っているなら,その地方で受けられる課税免除に確実にあずかれるようにするため,書記は地方の関係官庁の要求が満たされることを確認します。もし法律上の何らかの通知を受けたなら,その事に長老団の注意を向けさせ,また,早く会衆の注意をも向けさせるように取り計らい,物事を最後まで仕遂げてゆきます。
9 書記は次のような会衆の事務上の働きを調整することにも関心を持ちます。それには,公益事業に対する料金や支払い期日の来た保険料の敏速な支払い,借入金の支払い,納期の来た税金の支払い,記念式の招待状の注文書を十分前もって送付すること,および期日通りに報告類を送ることなどがあります。
10 書記はまた,会衆内で奉仕している他の兄弟たちが準備する注文書や送金書を含め,種々の通信物を協会の事務所に送ります。それらの書類を調べて,読み易いか,数字が正確かを確かめるのは書記の責任です。
11 長老すべてにあてた手紙を協会から受け取ったなら,書記はいつでもそれをすべての長老に回し,各々の長老に,それを読んだ印として略式の署名を手紙の上部に記してもらいます。そしてそのような手紙のことをよく覚えていて,すべての長老が読んで取り扱った後,その手紙を回収して会衆の綴りに入れます。
12 書記は伝道者の記録カードを保持し,会衆のための野外奉仕報告を集計します。会衆によっては,長老団は書記を補佐して記録類を扱うよう,(もしいれば)長老か,有能な奉仕のしもべを割り当てたいと思う場合もあるでしょう。
13 このような務めのために書記は時間を皆取られてしまうと予想されている訳ではありません。書記として任命される人は会衆の書籍研究で司会することにあずかれますし,その書籍研究の群れに関連して野外奉仕で率先するでしょう。また,会衆に対して他のどんな立場の長老としてでも仕え,集会の一部を司会し,審理委員の一人として奉仕するなどすることができるでしょう。
14 かなりの数の長老が任命されている大きな会衆の場合,現在,聖書研究の監督あるいは野外の監督としての資格で忙しく奉仕している人が書記として推薦されることになるかもしれません。そのような場合には,その書記が新しい仕事をするよう任命されるに際して,長老団は別の長老がそのような奉仕を引き継ぐよう取り決めたいと考えることでしょう。小さな会衆では,書記はほかの責務を取り扱うことができるでしょう。
15 各会衆に一人の書記が任命されることにより,今,会衆の必要とするものが満たされると共に,長老団が神の羊の群れの中のすべての者に注意を払ってゆくとき,さらに多くの益がもたらされるものと私たちは確信しています。―使徒 20:28。
「彼らはみなエホバに教えられるであろう」
16 この終わりの日のクリスチャンは引き続き『エホバに教えられた者』となります。(イザヤ 54:13,新)彼らはまた,とりわけ教える責 を担う「人々の賜物」を持つという備えに感謝しています。(エフェソス 4:11-13)この点に関し,弟子ヤコブは,「わたしの兄弟たち,あなたがたの多くが教える者となるべきではありません。わたしたちがより重い裁きを受けることをあなたがたは知っているからです」と書きました。(ヤコブ 3:1)したがって長老たちは教えの点で改善することを絶えず追い求めます。個人個人に効果的に教える人もいれば,話をするのに優れた人もいます。野外奉仕や新しい人を助ける面で良い教え手である人々もいます。教訓的な「ものみの塔」研究や神権学校を司会して,霊的に前進するよう他の人を助ける点で特に成果を上げている長老たちもいます。能力は様々ですが,どんな賜物を持っているにせよ,その人は他の人の益のためにそれを用いることを勧められています。―ペテロ第一 4:10,11。
17 今年の地域大会で学んだように,二つの会衆の集会を監督することに影響を与えるいくらかの調整がなされました。1977年9月に行なわれる年ごとの交替の後,長老が奉仕する五つの立場のうちの二つは交替しなくなります。それは,(1)「ものみの塔」研究の司会者,および(2)神権学校の監督です。長老団は,長老たちのうちで誰がこれら二つの立場で特によく奉仕できるかを考慮すべきです。9月にそれぞれ1人の長老が指名され,巡回監督が次に会衆を訪問する時までそれら各々の立場で一時的に奉仕できるでしょう。
18 最終的な決定をするにあたり,長老団は訪問する巡回監督の提案から助けを得られるでしょう。これら二つの立場に実際に割当てをするのは長老団であって巡回監督ではありません。この場合には,協会の支部事務所からの任命の手紙は必要ないでしょう。しかし,支部事務所が参照できる記録が残るよう,巡回監督は推薦用紙(S-2J)の裏面にふさわしい記入をし,任命されたすべての長老たちの一覧表の氏名の左側に,どの長老が「ものみの塔」研究を担当するように割り当てられ,どの長老が神権学校の世話をするかを示します。そしてそれぞれ,「『も』司会」,「学校」,などの略号を用います。このようにして支部事務所も地元の会衆も,これら二つの立場で継続的に奉仕するよう割り当てられた人に関する記録を持つことになります。
19 これら二つの立場に就いて監督を行なう長老たちを割り当てるほかに,長老団は巡回監督と共に,これら二つの集会で教えるのに特に上手な他の長老たちを指名し,「ものみの塔」研究の司会者と神権学校の監督を補佐するようにします。土地の事情にもよりますが,「ものみの塔」研究の司会者は一回に1か月の期間,他の長老たちにも毎週の「ものみの塔」研究を司会してもらって,補佐してもらうことを歓迎するでしょう。「ものみの塔」研究の司会者は,「ものみの塔」研究のためのこのような特別の長老たちを用いる予定を立てる責任を持っています。同じことが神権学校の監督にも当てはまり,神権学校の監督は,他の長老たちが普通2か月の間,会衆の一つあるいはそれ以上の学校の司会をして助けることを喜びます。神権学校の監督はその予定を立てる責任を持っています。
20 先にも指摘したように,これら二人の長老は普通,ある不定の期間,その教える立場に置かれます。もし,将来のある時に,長老団が訪問中の巡回監督と共に,変更が得策であることに気付くなら,変更を行なうことができるでしょう。この改善された教える取決めにより,兄弟たちにそれぞれ適任の立場で奉仕してもらうことができるようになります。長老があまりいない会衆では,司会の立場は毎年交替し続けるものの,選ばれる一人か二人を用いてできるだけ適応させる必要があるでしょう。
21 巡回監督の訪問: エホバの民の中の旅行する監督たちは長い間,任命された教え手として諸会衆に奉仕してきました。彼らは会衆内で教える聖書的な資格にかなっています。そして,その訪問中,諸会衆が一貫した啓発を受ける点で大いに貢献しています。
22 今まで,その訪問中会衆の集会は四日間開かれ,加えて長老および奉仕のしもべとの集まり,長老たちとの集まり,それに開拓者の集まりがありました。この予定は巡回監督はもとより会衆の成員にとってもぎっしりつまった予定でした。
23 1977年9月から始まりますが,調整された一週間の計画が実施されます。訪問中,会衆の集会はただ三日だけ開かれます。
24 神権学校と奉仕会は訪問中の火曜日に開かれるよう勧められています。通常の神権学校と30分間の奉仕会に続いて,巡回監督の結びの奉仕の話が行なわれ,集会は歌と祈りを含めて全部で2時間となります。
25 会衆全体は,できれば通常の集会が開かれる夜,たぶん木曜日か金曜日に王国会館で再び集まります。長老団は,その夜一つの大きな書籍研究を司会する人を長老たちの中から選びます。書籍研究は45分に短縮されますが,それでもその週のために指定された分を扱うよう努力します。
26 書籍研究に続いて巡回監督は,『自分が学んだ事がらに引き続きとどまっていなさい』と題する,聴衆の参加する特別のプログラムを取り扱います。(テモテ第二 3:14)これには巡回監督が会衆にとって有用と感ずるどんな点に関する情報でも含められます。最近の「ものみの塔」誌だけでなく,「組織」の本,「わたしたちの王国奉仕」その他の出版物の資料も取り上げるのが適当だと考えるかもしれません。この30分の部分に続いて巡回監督による結びの奉仕の話が行なわれます。この週の中程の集会は全体で,歌と祈りを含めて1時間45分にわたり行なわれます。
27 日曜日の予定もまた歌と祈りを含めて2時間に調整されます。巡回監督は55分間の公開講演をします。「ものみの塔」研究の長さと形式に変更が加えられて節の朗読抜きで司会されます。聴衆は質問に答えて参加し,30分が用いられます。それに続いて巡回監督の結びの話が行なわれます。
28 この調整された一週間の予定により,その週のための計画はもっと平衡の取れたものになると考えられています。こうすれば,兄弟たちが他の活動に用いられる時間を余分の晩の集会として取らなくて済むでしょう。この特別の週中には,野外奉仕に一層多くの努力を払えるよう計画を立てるべきです。そのようにすれば,会衆のすべての人は,その地域社会で集団的な光として光を輝かせることにあずかってゆけるでしょう。
29 王国宣教学校: 長老たちは王国宣教学校のプログラムの下で受けた訓練に対し深い感謝の意を表しています。実際,多くの長老はもう一度出席して最新の情報を取り入れる機会があるかどうか尋ねています。何年もの間に組織上の調整が数多くなされたので,長老たちが付加的な訓練を受けるのは望ましい事柄となってきました。数人の長老たちが同時にこの学校の課程を終える場合,会衆は一層大きな益を受けられるように思えます。
30 このような訳で,その課程は改められ,クリスチャン会衆の現在の必要にかなうよう,それに合わせて作成されました。改訂された教科書が資料として準備されました。
31 すべての長老たちがこの秋,銘々の巡回区で王国宣教学校に出席する取決めが設けられています。この備えが大きな励ましを与え,霊的なさわやかさをもたらす源であることをわたしたちは確信しています。
会衆内で神の律法を施行する
32 今日,クリスチャン会衆内で神の律法を施行する取決めは,西暦一世紀に初期のクリスチャンの間に存在していた取決めと似ています。エホバのクリスチャン証人の間で聖書の律法の施行を指導する特別の責任を持つ,年長者たちで成る中央機関もしくは統治体があって,これは「忠実で思慮深い奴隷」と共に働いています。会衆の長老たちや旅行する監督たちは会衆のために裁き人を務めるよう権能を付与されています。これらの管理者はエホバの愛ある備えとして正しく評価され,その働きゆえに敬われています。(テサロニケ第一 5:12,13。テモテ第一 5:17)他の人々を教育し,神の要求を擁護するためには,これらの人々は聖書の律法に十分通じている必要があります。彼らは,裁くということは単に事件を審理するだけの事柄ではないことを悟っています。神の律法を施行することにはそれを守って教えること,それに対する従順を励ますこと,また裁きの資格を持って行動する際に神の律法を判断の根拠として用いることが含まれます。
33 今日,資格ある助言者や裁き人が必要とされています。(イザヤ 1:26)生活の面で問題が起きる大抵の場合,注意を促された問題や疑問を解決するよう助けを与えるなら,助言者は本当に感謝されます。ですから,もしだれかが「それと知らずに」悪事を犯すなら,普通二人かそれ以上の長老が愛ある助けを与えることができます。長老たちはその過ちを犯した人に助言し再調整を施す際,「柔和な霊」をもってそうします。(ガラテア 6:1,2)ある人が神の律法にまさしく触れる道を進み始めていることに気付く場合,長老たちは当人を助けるため,真剣に努力し,必要であれば,繰り返し訓戒を与えねばなりません。(テトス 3:10,11)憐れみ深く接すれば,そのような人を「火の中からつかみ出して」厳しい裁きを免れさせることに成功するかもしれません。(ユダ 23)ひどい事件の場合には,長老たちは健全な信仰を回復させるために「厳しく戒め」なければなりません。会衆の牧者たちの益を正しく受けるには,重大な事件はすべて,長老たちのもとに持ち出されてその注意を向けさせるべきで,そうすれば,長老たちは必要に応じて神の律法を適用することができます。
34 現在の取決めでは,主宰監督,野外の監督および聖書研究の監督が審理委員として奉仕してきました。しかし,これらの兄弟たちは既に多くの責任を負っています。その上,審理を要する事件を処理したり,悪行の関係している重大な事件を扱ったりするには,経験と時間が必要です。そして,重大な事件は大抵,複雑で,慎重な討議や話し合いを要し,聖書に基づく助言や戒めを与えたり,悔い改めが見られない場合,排斥処置を講じたりしなければなりません。時には一つ以上の事件が未決のままで緊急な注意を要しているかもしれません。もし,ある事件の処理が必要以上に延ばされたり長引かされたりすると,ある人は気持ちを乱され,何もなされていないとか,会衆を保護することがなおざりにされていると感じたりするかもしれません。会衆内で奉仕している長老たちは皆,責任感を抱いてはいるものの,事実は,自動的に審理委員の職務に就く人たちが会衆内で神の律法を注意深く施行するのに求められるほどには必ずしも備えができていなかったり,経験を積んでいないことを示しています。
35 審理措置が求められる重大な事柄に長老たちの注意が促された場合,これからはどのようにして審理委員を選ぶ手順が進められるのでしょうか。ある場合には,重大な悪行を犯した当人,あるいはそのような悪行について確かに知っている人が,話し合えると思う長老に近づくかもしれません。次に,その長老は,長老の会合を招集するよう司会者に要請できるでしょう。司会者が不在であれば,司会者から指名されて一時的に奉仕している人に問題が提出され,その人がそうした集まりを主宰します。問題について最初に聞いた長老は,居合わせている長老たちの一団全体に事件の性質を簡単に話します。これは不必要な詳細を述べるという意味ではなく,むしろ,当人もしくは関係している人々の名前,問題は何か,不道徳・詐欺・泥酔・麻薬の乱用その他の重大な悪行かどうかを簡単に述べるという意味です。長老たちの一団は,その問題に独身者あるいは既婚者,年若さ,その他,長老を正しく選ぶことを可能にする何らかの特徴が関係しているかどうかを考慮するでしょう。例えば,もし問題が詐欺の嫌疑を含む争いの関係するものであれば,そのような訴えを調査する審理委員として,背景の点で一層適任と言える,経験のある長老を用いたいと考えるでしょう。
36 このような最初の会合で考慮される事柄は,それを知る資格のない人と気軽に話し合うべき事ではありません。長老たちは物事を内密に保つ責任があります。長老もしくは審理委員のだれかが軽率に話したり,秘密を守らなかったりすると,問題の起きる恐れがあります。箴言 25章9節(新)は,「仲間の人間に対し自分の訴えを弁護しなさい。他人の内密の話を明かしてはならない」と述べています。この言葉に含まれる知恵はしっかりと守られねばなりません。もし,秘密が守られないなら,長老たちの判断の健全さや関係している他の人々に対する愛の深さに関して疑問が差しはさまれる恐れがあることを長老たちははっきりと思い知るべきです。―箴 10:19; 11:13。
37 時には,重大な性質の問題が一件以上起きるかもしれません。もし,資格のある長老が十分いれば,それぞれ別の問題を担当するため,二つの審理委員を選定する必要があるかもしれません。そうでない場合,長老たちは何でもその時の事情の必要に応ずる最適な事を目ざして努力すべきです。会衆の長老たちが三人より少ないなら,できれば近隣の会衆から資格のある長老たちを招いて奉仕してもらうこともできるでしょう。もし,会衆が孤立した地方にあって,審理委員会の成員と共に同席するよう遠い所から長老たちに来てもらうのが不便であれば,審理委員を完全にそろえるために,十分資格のある奉仕のしもべを選ぶこともできるでしょう。あるいは,もし旅行する監督の訪問が一,二週間以内に近付いているなら,地元の長老たちはその訪問を待つことにし,その監督に長老たちと共に奉仕するよう依頼することもできるでしょう。長老たちが二人しか同席できない場合には,その二人だけでも問題を扱えるでしょう。(マタイ 18:19)もし,その二人が問題に関してどんな処置を取るべきかについて意見が分かれるなら,各々協会の支部事務所に報告を提出できます。全く孤立した地域のため,これらのうちのどの道も採ることができないなら,土地の長老もしくは代理の監督を務めている責任のある人が協会の支部事務所に手紙を書いて指示を求めることもできます。
38 審理委員は三人の成員に限られる必要はありません。聖書は,初期のクリスチャン会衆内で悪行に関する事件を扱った長老たちの人数については何も明確に述べていません。イスラエルの歴史を通じて,地域社会で奉仕した年長者たちは都市の門のそばでそれぞれ奉仕できる事情に応じて事件を審理したことでしょう。例えば,ボアズは自分が提出しなければならなかった問題を審理するために都市の年長者たちのうちから十人の人を選びました。(ルツ 4:1,2)ところで当時,地域社会の人々は皆,律法契約の取決めの下にいました。そのために,年長者たちが責任を負う人々の数は多数に上りました。今日,大抵の場合,各会衆内で人数はそれ程多くはありませんから,普通審理委員となるのは三人で十分でしょう。関係している事柄の重大性から考えて,四人もしくは五人もの経験のある人に委員になってもらうべき十分の理由がある場合には,そのように取り決めることができます。
39 問題を持っている人が,どの長老たちと面会することになるかを過度に気にかける必要はありません。牧羊を行なう人たちに服するに際し,クリスチャンは,従属の祭司たちが羊の群れのために最善を尽くしたいと願っていることを確信できます。(ヘブライ 13:17)昔のイスラエルの中で期待された通りに,神の義の原則を施行し,また神の言葉の述べることを指摘して事を運ぶよう任命されている人たちの判断を,クリスチャンは尊重すべきです。(申命 17:10-13)もし,悪行者,あるいは訴えられた人が長老たちの一人に対して強い反感を持っていることがわかっているなら,長老団はそのことを念頭に置いて,人選を行なう際,適切な判断を下すでしょう。関係者すべてのことを思いやって事を運ぶなら,審理そのものを行なう際にも関係者から最大限の協力が得られるでしょう。
40 関係者の一人もしくはそれ以上の人たちが,ある審理委員のことを偏っていると主張するような場合がまれにあるかもしれません。審理手続きを踏む前にそのような事が起きたなら,長老団はその種の異議申立てが何らかの実質を伴うものかどうかを考慮します。箴言 24章23節(新)は,「裁きにおいて不公平を示すことは善くない」と述べています。したがって,委員の構成の変更が必要かどうかを決めることは土地の長老団に一任されています。資格のある兄弟たちがほかにいて用いられる場合には,訴えられた人と親類関係にある長老,あるいは仕事を一緒にしていたり,特に親しい交友関係を持っていたりする長老は,普通,審理委員を務めることはしません。委員は各々,一方に偏することなく務めることができると良心的に感じられるようであるべきです。
41 「交替制の取決め」はこのような委員を選ぶこととは全く無関係ですが,この点は明らかでしょう。多くの新たに任命された長老たちは審理を要する問題を以前に扱ったことがないということを考えて,長老団は,余り複雑でない問題を扱ってもらうため,そのような長老の一人に委員と共に奉仕するよう勧めるかもしれません。このようにして,経験のない長老たちも,実際の事件を扱う審理委員と共に奉仕しながら,物事を観察して学ぶ機会を持つことになります。
42 審理委員がひとたび事件を扱い始めたなら,念頭に置かねばならない他のいくつかの要素があります。状況の扱い方を決めるための融通性のない規則を求めてばかりいるよりも,神の基本的な律法が本当に犯されているかどうかを判定する必要があります。聖書の原則,関係する事情,また犯された罪の重大さもすべて考量されなければならない要素です。また,その人の態度についてはどうですか。これも重要なことです。このようにして問題に近付き,徹底して行なうことにより,審理委員は,そうするには根拠が十分でないにもかかわらず性急に人を戒めたり排斥したりすることを避けられるでしょう。(箴 25:8)逆に,真の悔い改めを本当に示していない人を扱う際には,彼らは手ぬるいことはしないでしょう。わたしたちは,パウロが,悔い改めた人を自分たちの中に迎え入れるようコリントのクリスチャンに勧めたことを知っています。しかし,その同じ第二の手紙の中で,彼は,自らの悪行を相変わらず悔い改めない他の者についても触れています。―コリント第二 12:21。
43 公平な審理を行なう資格をもって奉仕する真に霊的な人を会衆内に持つということは,わたしたちのためになる愛ある備えです。神の律法に従い,それを施行する人々を敬うなら,多くの益がもたらされます。わたしたちは聖書の義の原則を理解して適用するよう助けられ,それ自体わたしたちを守り,わたしたちを清く保たせるものですが,そればかりか,神の律法を施行すれば,必要が生ずる時はいつでも,わたしたちを懲らしめて正し,わたしたちを立ち返らせるのに役立ちます。このようにして,わたしたちは,来たるべき新秩序における生活に欠かせない,エホバに是認された立場を維持することができます。―詩 19:7-11。