休息と回復の時は近い
わたしたちの世代は,圧迫に満ちた現体制の終わりを見るでしょう。事実,この70年代に,神のお立てになる新秩序が発足するという希望さえもてる十分の理由があります。1914年以来,人類に加えられる圧力は劇的に増大し,爆発点に達しようとしています。この号の初めのほうで述べたとおり,成就した聖書の預言は,1914年が,予告されていた,圧迫に満ちた現体制の「終わりの時」の開始する年であることを示しています。しかしそれは同時に,その時に住んでいる世代を『しるしづけられた』世代にします。なぜですか。
イエスはこのことを,マタイ伝 24章,マルコ伝 13章,ルカ伝 21章にしるされている偉大な預言の中で示しておられます。なるほどその預言の多くは第1世紀に成就しました。それはユダヤ教の秩序の崩壊と,エルサレムおよびその神殿の荒廃を予報しました。しかしイエスご自身のことばは,この預言が,イエスの『再臨』の時にもう一度,つまり主要な成就を見ることを明示しています。その主要な成就が,1914年に始まったこの「終わりの時」に生じつつあるのです。―マタイ 24:27,30。
1914年以来いっしょになってこの世代のうえに重圧をもたらしてきた戦争,ききん,病気,地震,犯罪の増加その他の苦しみをイエスは預言しておられました。ジレンマから脱出する道がわからないために『国々の民は悩み』,『人々は恐れ,また世界にくることを思って胆を失う』であろうとイエスは言われました。それらのことばは,人間の歴史のどの時代よりも,1914年以降の人類の状態に当てはまります。
でもしあわせなことに,イエスはイエスの王国政府に信頼と希望を置く者たちに対してこう言われました。『これらのこと起り始めなば,仰ぎて首を挙げよ,汝らの贖罪,近づけるなり。……われ誠に汝らに告ぐ,これらの事ことごとく成るまで,今の代は過ぎゆくことなし」― ルカ 21:25-32。
第1世紀にこの預言を聞いた世代のユダヤ人は,エルサレムにかんするイエスの預言が40年足らずのちに成就したのを見ました。それは西暦70年,エルサレムが破壊されたときでした。その預言がわたしたちの時代に主要な成就を見ることも,わたしたちは確信することができます。
『これらのことが起き始めた』1914年に生きていた世代は今は年を取っています。過ぎ去った50年の間に,その世代の人々の数はかなり少なくなりました。しかしイエスがわたしたちの時代にかんして予告された「これらの事」は,『その世代が死に絶える』前に「ことごとく」起こらねばなりません。それは,それらのことごとく生ずる,定められた時が近い,しかも非常に近いことを意味します。イエスの預言の他の部分はすべて現在,驚くべき正確さで成就しています。この「終わりの時」のはじまりを見た世代はその結末をも見ると言われたイエスは,霊感によって真理を語られたのであって,そのことをわたしたちは疑う必要はありません。これは,不満足で,利己主義で,圧制的な古い秩序が終わり,神の正義の,すがすがしい新秩序が到来することを意味します。
それにしても,この変化が70年代に起きるかもしれないという希望をもつ理由はどこにあるのですか。
聖書の示すところによると,わたしたちは人間の歴史の6,000年の終わりに近づいています。聖書の年代表は,人間の生命が,イエスの死(西暦33年の春)より4,058年ほど前に,アダムの創造とともに始まったことを示しています。これに,イエスの死から現在までの年数を加えると,人間の生存の6,000年が完全に終わるのは,1970年代のこの10年間の半ば近くになります。これはたいへん意義の深いことです。なぜですか。
答えは,神が仲介者モーセを通して古代イスラエルにお与えになった律法契約のなかに見いだされます。聖書は律法が,「来らんとする善き事の影」であることをわたしたちに保証しています。(ヘブル 10:1)影をたどっていくと最後には実体に行き当たります。実体は実質のあるもので,影は輪かくにすぎません。律法契約が予影した事柄は,神のみ子キリスト・イエスの手中にある神の王国という実体にわたしたちを導きます。
コロサイ書 2章16,17節は,安息日の取り決めが『こようとしているよいことの影』に含まれていることを示しています。その安息日の取り決めによると,七日目はすべての働きをやめて休む日でした。また七年目は土地の休息の年で,耕すことも,種をまくことも行なわれませんでした。それによって土地だけでなく人々にも生産力を新たにする機会を得ました。―出エジプト 20:8-11。レビ 25:1-8。
これはどんな「善き事」を予影しましたか。その安息日の取り決めは,キリストの王国が全人類にもたらす大きな祝福と解放を予影しました。黙示録の示すところによると,現在の不義の秩序が終わるとともに,神の王国は,平和と神の祝福の豊かな千年統治を招来します。それによって地とその全住民は安息日のような休息を得る結果になります。そのときには人類はキリストのあがないの益をあますところなく受け,最後には罪から完全に解放されるでしょう。またサタンとその配下の悪霊の勢力は底のない坑に閉じ込められ,人類は彼らの圧制から解放されるでしょう。―黙示 20:1-6; 21:1-4。
エホバ神にとって『千年は一日のようである』という聖書のことばを適用するなら,人間存在の6,000年は,神の目から見れば六日くらいのものです。(詩 90:2。ペテロ後 3:8)神のみ子のきたる千年統治はその六日につづく七「日」目です。それは,六日間労し働いたのちに休む安息の預言的形と完全に一致しています。したがって,人間存在の6,000年がこの70年代に終わりに近づくので,休息と解放の大安息が非常に近いというすばらしい希望があるのです。そのとき,ざせつ感,人を疲労させる圧力などは終わりをつげ,人を元気づける自由と善を楽しむ喜びがそれに取って替わります。
そのすがすがしい,神のみ子の治める神の王国の新しい秩序にはいって命を得たいと思えば,何をしなければならないでしょうか。次の記事の内容をよくお考えください。
[27ページの図]
(正式に組んだものについては出版物を参照)
1,000 2,000 3,000 4,000 5,000 6,000 7,000
人間の ノアの洪水 イエス・キリストの死 1914年 キリスト・イエス
創造 西暦33年 の千年統治
1970年代の半ばに,人間の歴史の6000年が終わりに近づくので,すばらしい解放の希望がある