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エフェソスの使いへ『その時,神の秘義は終了する』
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19 象徴的な,『麻布を着て筆記者の墨入れを携えた者』の真の実体は,いつ,またどのように明らかにされましたか。
19 ついに1931年7月30日,「立証」(英文)と題する本の第一巻が出版されました。同書は,エゼキエル書 9章の預言の成就において「麻布を着て筆記者の墨入れを脇に携えた者」が個人ではないことを明らかにし,「筆記者の墨入れを携えた者」と題する副見出しの下に,99,100ページで次のように述べました。「したがって,『筆記者の墨入れを脇に携えた者』は明らかに,地上における,主の,油そそがれた『僕』級を表わしていました。その級は神の組織の一部です」。
20,21 クリスチャンの霊的イスラエル人は,分派主義を憎んでいることをさらにどのように示しましたか。
20 このように最後には,三つの根本的な論点に関し,チャールズ・T・ラッセルの周辺に宗派を築くための基礎は完全に取り去られました。それらクリスチャンの霊的イスラエル人は,キリスト教世界の僧職者たちから「ラッセル派」と呼ばれ,軽べつされましたが,1世紀のエフェソス会衆の人たちと同じく,分派主義を憎み,その卑しむべきあだ名を受け入れませんでした。それで,1931年7月26日,「立証」という本の第一巻が発表された,オハイオ州コロンバスにおけるその同じ国際大会で,彼らは「エホバの証人」という聖書的な名称を決議により採択しました。
21 栄光を受けた主イエス・キリストは,「ニコラオ派の行ない」に抵抗したエフェソスの会衆をほめましたが,分派主義に反対の立場を取った,今日のそれらエホバのクリスチャン証人を同じくほめることができました。
神のパラダイスにある命の木
22 古代エフェソスの会衆に対する音信は,どんな言葉で結ばれていますか。
22 古代エフェソスの会衆に対する音信の結びで,栄光を受けたイエス・キリストはこう言われました。「耳のある者は霊が諸会衆に述べることを聞きなさい: 征服する者に,わたしは,神のパラダイスにある命の木[ギリシャ語でクシロン]から食べることを許そう」― 啓示 2:7。
23,24 (イ)エフェソスの会衆に対する最後の言葉は,彼らにとってのみ益となりますか。説明しなさい。(ロ)『霊が述べることを聞きなさい』と全部で七回繰り返したキリストは,どの霊のことを指しておられましたか。
23 ここで,『アジア地区にある会衆』の七つすべてが警戒を促されています。「耳のある」霊的イスラエル各人は,耳をふさぐのではなく,耳をそばだてて,七つの全会衆に『霊が述べることを聞くよう』求められているのです。それは,霊の述べることが彼らすべてに当てはまるからです。「霊」といっても,何の霊ですか。使徒ヨハネが,七つの会衆に対するあいさつの所で,彼らがエホバ神のみ座の前にある「七つの霊からの」,過分の親切と平和を得られるようにと祈ったことが思い出されます。(啓示 1:4)その後,ヨハネの見た,天のみ座にすわっておられる神の驚くべき幻の中で,「神の七つの霊」が,『み座の前で燃えている火のともしび七つ』によって表わし示されています。(啓示 4:5)興味深いことに,アジアの七つの会衆に対する各音信の中で,耳あるものめいめいに,『霊が諸会衆に述べることを聞くよう』にとの招待が出されています。つまり,全部で七回招待が出されています。もっともこれは,「七つの霊」の特定の霊が一つの会衆へ,そして他の六つの霊がそれぞれ一つの会衆へと,各霊が自分の会衆に順を追って語りかけるという意味ではありません。
24 明らかに,「霊」は七回とも,栄光を受けた主イエス・キリストを通して語ります。それは,主イエス・キリストと共にある,神の霊,神の活動力です。これは,イエスがここで自分勝手に,また自分の権限で話しているのではないという意味です。彼がアジアの会衆に話されることは,七回とも,神の権限によるものです。したがって,耳ある者で聞く人はおのおの,イエスがここで話されることが,神の是認と支持を得ていること,そして必ず成就することを確信できます。
25 語られたことに基づいて判断すると,七つの音信の各はだれに当てはまりますか。
25 霊はその述べることを「諸会衆に」述べるのですから,それがエフェソスの会衆に述べることは,エフェソス会衆だけでなく,他のすべての会衆にも当てはまります。同様に,霊がアジアの他の会衆のいずれかに対する音信の中で述べたことは,七つの会衆すべてに当てはまります。したがって,イエスにある神の霊が七つの音信すべての中でなす栄光の約束は,そのすべての会衆に当てはまり,かつ彼らすべてが分け合うものなのです。―啓示 2:7,11,17,29; 3:6,13,22。
26 (イ)征服するようだれが励まされていますか。それにはどんな見込みが伴いますか。(ロ)征服を遂げることにおいて,わたしたちの主要な模範はだれですか。クリスチャンの中にある何が征服を遂げさせますか。
26 会衆の全成員は征服するよう励まされており,それには,エホバ神がみ子イエス・キリストを通して与えてくださる報いの約束が添えられています。イエス・キリストご自身,征服する,または打ち勝つ点での模範です。イエスは,ユダ・イスカリオテに裏切られる前,ご自分の十一人の忠実な使徒に対する話の中でこう言われました。「世にあってあなたがたには患難がありますが,勇気を出しなさい! わたしは世を征服したのです」。(ヨハネ 16:33)イエス・キリストは,患難に耐えねばなりませんでしたが,エホバ神への信仰と忠実さにより世を征服しました。使徒ヨハネは,何年も後,啓示を与えられた後でさえ,次のように記しました。『神から生まれたものはすべて世を征服します。そして,わたしたちの信仰,これが世を征服する力となったものです』。(ヨハネ第一 5:4)このように征服を遂げ,霊によって生み出されるクリスチャンに対し約束が与えられるのです。
27 (イ)イエスが啓示 2章7節で述べておられる「神のパラダイス」は,エデンの園を指していますか。なぜですか。(ロ)すると,それはキリストの統治の間に楽園に戻される地を指しているのですか。
27 最初に与えられた約束は,「神のパラダイス」を指し示しています。(啓示 2:7)もちろんこれは,アダムとエバが自分たちの創造者である神に背いた後に追い出された「エデンの園」,つまり「楽しみのパラダイス」ではありません。(創世 2:8; 3:24,新,ド)アブラハムの時代,ヨルダン川の地域は,地上のその元のパラダイスと比較して,「主のパラダイス」のようであると言われました。(創世 13:10,ド)エゼキエルの時代,古代ティルスの王は,その場所の美しさのために,「神のパラダイスの楽しさの中に」いると言われました。(エゼキエル 28:13,ド)その最初の「楽しみのパラダイス」はもう存在していません。ですから,啓示 2章7節はそれを指しているのではありません。また,キリストの千年統治の間に地に回復される楽園を指しているのでもありません。カルバリで杭に掛けられたイエス・キリストは,自分のそばの杭に掛けられていた同情的な悪行者に話した時,その地上のパラダイスのことを指しておられました。「きょうあなたに真実に言いますが,あなたはわたしとともにパラダイスにいるでしょう」― ルカ 23:39-43。
28 (イ)悪行者に約束されたパラダイスは,なぜ啓示 2章7節に述べられているパラダイスではありませんか。(ロ)悪行者が将来入るパラダイスと,啓示 2章7節の「神のパラダイス」にはどんな相違がありますか。
28 その悪行者は,神のパラダイスにある命の木から食べる資格を得られるよう,世を征服してはいませんでした。彼は,バプテスマを受けた,「神の会衆」の成員ではありませんでした。というのは,それは,西暦33年のペンテコステの日つまり,悪行者がイエスのそばで死んだ51日後に創設されたからです。(使徒 2:1-42)さらに,聖霊はそのペンテコステの日に初めてキリストの弟子たちに注ぎ出されたのですから,この悪行者は神の霊によって生み出されてはいませんでした。霊によって生み出されることは,神の天の王国を見,それに入ろうとする者に要求されている事柄の一つなのです。(ヨハネ 3:3,5; 7:39)この悪行者が死人からの復活によって入るパラダイスは,神の王国の下における,来たるべき地のパラダイスであるはずです。それは,啓示 2章7節に述べられている神のパラダイスとは違います。そこに述べられているのは,征服を遂げる教会つまり会衆に約束されている,天的また霊的なパラダイスです。
29 (イ)「神のパラダイスにある命の木」は何を象徴していますか。(ロ)その「命の木」から食べ続けることは何を意味しますか。(ハ)したがって,それは征服を遂げる霊的イスラエル人にどんな報いを提供しますか。
29 「神のパラダイスにある命の木」は,必ずしも命と不滅性の源であるエホバ神の象徴ではありません。むしろ,持続される命のための神の備えを象徴しています。征服者がその「命の木」にあずかるということは,ここで示されている特別な命のための神の備えにあずかることを意味しています。ヨハネがここで使ったギリシャ語は,クシロンで,字義どおりには「木材」を意味します。ですから,それは果樹園の場合のように,「樹木」を意味するのかもしれません。その「命の木」から食べ続けるということは,その木のある場所,つまり,「神のパラダイス」で生き続けることを意味します。まさにエホバ神のおられるところで,エホバ神と交わりを共にしながら,パラダイスのような状態の下で生き,かつ住むという意味です。それはなんと壮大な考えではありませんか。それには,復活の時,彼らが死人から天の,霊の被造物によみがえらされることが必要です。(コリント第一 15:43-50)征服を遂げることに対するなんと壮大な報いでしょう。今日,霊的な事柄を取り入れることのできる耳を持つ霊的なイスラエル人にとって,み子イエス・キリストにある神の霊が,霊によって生み出される者たちから成る会衆に述べる約束を聞くことは,本当に価値あることなのです。
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スミルナの使いへ『その時,神の秘義は終了する』
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第9章
スミルナの使いへ
1,2 (イ)スミルナはどこにありましたか。その都市はどんなことで有名でしたか。(ロ)スミルナの会衆に対するキリストの音信はどんな内容でしたか。
栄光を受けたイエス・キリストが語りかける第二の会衆は,古代ローマのアジア州にあるスミルナの会衆です。この都市は,エフェソスの北方約50㌔の地点にある,エーゲ海沿いの湾に位置しており,使徒ヨハネが当時囚人として送られていたパトモス島からさらに離れた所にありました。スミルナにはティベリウス・カエサルの神殿があり,皇帝崇拝が盛んに行なわれていました。また,割礼を受けた生来のユダヤ人が相当の人口を占めており,彼らは使徒のキリスト教に反対していました。このスミルナ会衆に対し
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