第10章
ペルガモンの使いへ
1 (イ)ペルガモンはどこにありましたか。(ロ)その都市はどんなことで有名でしたか。
パトモス島の北北東約210㌔,スミルナの北約80㌔,ローマのアジア州の北方境界線近くに,ミシアの都市ペルガモンがありました。そこには,約300㍍の城砦(アクロポリス)と,医術の神アスクレピオスの神殿および医学の大学がありました。クリスチャンの使徒たちが使ったような羊皮紙(パーチメント)は,その名をペルガモン,すなわちカルタ・ペルガメナに由来します。(テモテ第二 4:13)ペルガモンは皇帝崇拝を支持し,同市にはローマ帝国の初代皇帝カエサル・アウグスツスを崇拝する神殿がありました。ペルガモンに設立されたクリスチャン会衆は,啓示の書き送られた七つの会衆の一つであり,使徒ヨハネは,この会衆にあてて次のように書くよう指示されました。
2,3 ペルガモンの会衆に対する音信を簡潔に要約しなさい。
2 「また,ペルガモンにある会衆の使いにこう書き送りなさい。鋭くて長いもろ刃の剣を持つ者がこう言う。『わたしはあなたが住んでいる所を知っている。それはサタンの座のある所である。それでもあなたはわたしの名をしっかり守りつづけており,あなたがたの傍ら,サタンの住むところで殺された,わたしの証人,また忠実な者であるアンテパスの日にも,わたしに対する信仰を否定しなかった。
3 「『とはいえ,わたしには,あなたを責めるべきことが幾つかある。すなわち,あなたのところにはバラムの教える堅く守っている者たちがいる。彼はバラクを教えて,つまずきのもとをイスラエルの子らの前に置かせ,偶像に犠牲としてささげられた物を食べさせ,また淫行を犯させた。あなたのところには,同じようにニコラオ派の教えを堅く守る者たちもいる。それゆえ悔い改めなさい。そうしないなら,わたしは速やかにあなたのところに行き,わたしの口の長い剣で彼らと戦うであろう。
4 ペルガモンに対する音信を結ぶさい,キリストは征服者に何を約束しておられますか。
4 「『耳のある者は霊が諸会衆に述べることを聞きなさい: 征服する者には,隠されているマナの幾らかを与えよう。また白い小石を与えよう。その小石には,それを受ける者以外にはだれも知らない新しい名が書かれている』」― 啓示 2:12-17。
5 鋭いもろ刃の剣は,話しているかたがだれであることを示していますか。彼は何のためにその剣を使いますか。
5 ここで話をしているかたは,自分の口から鋭いもろ刃の剣が出ていると警告していますから,栄光を受けたイエス・キリストであることが分かります。(啓示 1:16)彼は,不敬な者たちがペルガモン会衆から除かれるか,悔い改めるかしないなら,その剣をもって彼らと戦うと迫っておられます。鋭い,もろ刃の長い剣のような,ご自分の口から出る司法上の決定をもって,彼はご自分の真の追随者から成る会衆を清く保ち,分派から守るために戦われるのです。
6 (イ)イエスがペルガモンに関して述べた事柄は,彼がその状態を知っておられたことをどのように示していますか。(ロ)「サタンの座」は何を表わしていますか。
6 栄光を受けたイエス・キリストは,油そそがれたご自分の追随者たちが,西暦1918年の第一次世界大戦終了以来陥っている試練の状態をご存じです。同様に,西暦1世紀,ペルガモン会衆が陥っていた困難な事態をも知っておられました。彼は,このクリスチャン会衆のあったペルガモンを,「サタンの座のある所」,「サタンの住む」所と呼ばれました。(啓示 2:13)「サタンの座」とは,彼が政治支配者また審判者として座する所です。(啓示 20:4およびマタイ 19:28; ルカ 22:30と比較してください。)その座する所は,彼が自分の支配権の基とするもの,支配と裁きを正当化し,支持するのに役立つものを象徴しています。では,どんな基礎の上に,彼は権力の座を据えるのですか。
7 サタンは何を基礎に自らを神に逆らう者としましたか。支配者としてのエホバに関し,彼はどんなことを主張しましたか。
7 その基礎は,彼の名そのもの,すなわち,「逆らう者,敵対者」を意味するサタンという名に示されています。アダムとエバが創造されて間もないエデンの園において,この強力な霊の被造物サタンは,宇宙の主権者つまり,天と地の主権者としてのエホバ神に反逆し始めました。彼は,神また支配者としてのエホバは,ご自分の臣民また崇拝者としての被造物から,愛ある,無私の忠節を得ていないし,得ることもできない,また,被造物はエホバに絶対的に依存しているのでもない,との見方をしました。サタンはこれを基礎に,自らをエホバに逆らう者とし,それら被造物すべてに支配を広げるべく,自分の座を設けたのです。その被造物たちは,エホバに真の忠節を尽くす,心からの崇拝者ではない,とサタンは主張しました。それらを自分の臣民としてとらえる能力を証明する権利,それが,エホバ神の王座に対抗する座を設けるためにサタンの置いた基礎です。エホバ神は専心の献身と絶対の服従を要求する神また支配者として自分を維持することはできない,とサタンは主張したのです。
8 サタンはペルガモンの会衆を試すことになる状況を,どのように特別に作り出しましたか。彼の目的は何でしたか。
8 彼は,この点に関してクリスチャン会衆を試す状況を,古代ペルガモンに特別に作り上げました。そこに,すべての異教の男神および女神の主神たるゼウス,つまりユピテルの神殿を据えさせました。また,ペルガモンのアクロポリスの岩から,ゼウスつまりユピテルの王座の祭壇を彫らせました。ゼウスつまりユピテルはこうしてたたえられはしましたが,自分に専心の献身がささげられるよう強要することはせず,他の神々や女神が,自分に従属するものとして崇拝されることを許しました。サタンは,エホバ神をゼウスつまりユピテルのような立場に,すなわち,専心の献身と宇宙主権に対する主張を断念しなければならないような立場に陥れることを望んだのです。
9 (イ)ローマ皇帝の崇拝が制定された真の目的は何でしたか。(ロ)ローマ皇帝は専心の崇拝を要求しましたか。説明しなさい。(ハ)ペルガモンが真に「サタンの座のある所」である,と言い得るのはどうしてですか。
9 また,サタンはここペルガモンに,西暦14年に死んだローマ皇帝,アウグスツスつまりオクタビアヌス・カエサルを崇拝する神殿を建てさせました。ローマ皇帝の崇拝を制定することは実際には政治手段であり,ローマ帝国の雑多な被征服民を彼らすべてに共通の神であるローマ皇帝の崇拝によって統合する意図がありました。ローマ皇帝はこの点,帝国の臣民から宗教上の専心の献身を要求することはしませんでした。彼らは依然,地方の,あるいは自国の神や女神を崇拝することができました。ただ,自分の崇拝に皇帝を含めることにより,共通の皇帝崇拝を行ない,共通の宗教的なきずなにより統合されねばならなかったのです。ローマ皇帝およびゼウスつまりユピテルに対する崇拝は,実際にはエホバ神の大反逆者を崇拝することであり,それゆえにペルガモンは,「サタンの座のある所」また「サタンの住むところ」と言うことができたのです。
10 (イ)油そそがれたクリスチャンの残りの者に,同様な試みが課せられていることを説明しなさい。(ロ)彼らはこの試みにどう応じてきましたか。
10 サタンの座と存在にこれ程近く接していたため,エホバ神に対するそのクリスチャン会衆の専心の献身は,19世紀前,厳しく試されました。今日,同様な試みが,天でキリストと共に統治することになっている,油そそがれた残りの者たちに課せられています。どのようにですか。1918年の第一次世界大戦終結以降,諸国民の間で自決の精神が称揚され,そのため国家主義が世界をふうびし,その結果多くの新しい国が誕生しています。それら政治国家のすべては,臣民から国のために命を犠牲にするほどの専心の献身を要求し,実際には政治国家を神の上に置いています。しかし,この決定的な試みにもかかわらず,今日の油そそがれた残りの者は,ペルガモンのクリスチャンと同じく,「わたしの[キリストの]名をしっかりと守りつづけて」います。彼らは,「イエスは主である」と公にふれ告げ続け,どんな圧力を受けようと,「イエスはのろわれている」,また,政治国家(「カエサル」)は主である,と言うことを拒みます。―コリント第一 12:3。
『わたしの証人,アンテパス』
11 アンテパスとはだれですか。彼はどのように忠実な者として死にましたか。
11 今日のこの油そそがれた残りの者たちに対し,栄光を受けたイエス・キリストは次のように言うことができました。あなたは,「あなたがたの傍ら,サタンの住むところで殺された,わたしの証人,また忠実な者であるアンテパスの日にも,わたしに対する信仰を否定しなかった」。(啓示 2:13)アンテパスは帝政の問題に関して殺されたに違いありません。ローマ帝国の神格化された元首,カエサルを神として崇拝することを拒絶し,エホバを生ける全宇宙の頭たる神,また唯一の生ける真の神として崇拝し続けることを選んだのです。彼は,エホバ神によって主つまりキュリオスに任命されたかたとしてのイエス・キリストに付き従い続けました。ですから,この点に関して,主イエス・キリストは,アンテパスを「わたしの証人,また忠実な者」と言うことができたのです。―マタイ 23:9,10。コリント第一 8:5,6。エフェソス 4:5,6。使徒 2:36。
12 (イ)油そそがれた残りの者は,イエス・キリストが王として即位させられた時以来,論争に関しどのように神の側を支持し,仕えてきましたか。(ロ)どんな機会に,論争に関する,より広い見解が神の民に明らかにされましたか。
12 19世紀後の今日,特に,エホバ神がみ子イエス・キリストを統治する王として天で即位させた西暦1920年以来,問題は本質的に同じです。殊に1920年以降,油そそがれた残りの者たちは,マタイ 24章14節に記録されたイエスの預言の成就として,樹立された神のメシアの王国を全世界にふれ告げています。そして西暦1941年8月6日,アメリカ,ミズーリ州セントルイスで開かれたエホバの証人の全国大会の第一日目,J・F・ラザフォードはものみの塔聖書冊子協会の会長として,この問題に関し,より広い見解を伝えました。彼は,「忠誠」と題する基調をなす話の中で,天と地の前に提出されている大論争は,神の側の「宇宙主権」に関するものであると発表し,こう述べました。
13,14 その時,ものみの塔協会の会長は,論争に関するエホバの証人の立場をどのように明確に説明しましたか。
13 「サタンの公然たる挑戦によって提出された主要な論争は,昔も今も宇宙支配」(つまり主権)「に関するものです」― 19節。
14 さらに,話の最後から三番目の節で,彼は大会に集まった6万4,000人の聴衆に向かって次のように述べました。
「わたしたちは,キリスト・イエスによる神権政府に対し,徹底的,全面的,絶対的かつ全き献身の立場を取るべきであり,実にそうするでしょう。わたしたちは,サタンの組織と何のかかわりも,何の共通点をも持ってはなりません。神権政府に対し全き不動の立場を取り,神の恩恵によりその立場を守り通すのです。わたしたちはこの政府が,エホバのみ名を立証し,そして,義を愛し,その義の政府の下でエホバに仕えるすべてのものに救出をもたらすことを知っています」。
15 エホバの証人のこの立場はどのように公にされましたか。彼らの取った立場のゆえに,どんな結果が生じていますか。
15 翌日の1941年8月7日,「忠誠」に関する基調をなす話を掲載した1941年8月15日号の「ものみの塔」誌が,その時セントルイス大会に集まっていた7万人の出席者に配布されました。宇宙主権という大論争に関しエホバ神に忠誠を保ったため,油そそがれた残りの者のある者たちは1919年以降,1世紀のクリスチャン殉教者アンテパスと同じく,サタンの世の政治,軍事および宗教上の権力者たちにより殺されてきました。
性の不道徳への誘惑
16 バラムは,ペルガモン会衆の忠誠を破らせようとするサタンの試みを予影するどんなことを,古代イスラエルに対して行ないましたか。
16 しかし,サタンは別の巧妙な手段によって,ペルガモン会衆の忠誠を弱めようとしていました。栄光を受けたイエス・キリストは,この点に関し次のように注意を促しました。「とはいえ,わたしには,あなたを責めるべきことが幾つかある。すなわち,あなたのところにはバラムの教えを堅く守っている者たちがいる。彼はバラクを教えて,つまずきのもとをイスラエルの子らの前に置かせ,偶像に犠牲としてささげられた物を食べさせ,また淫行を犯させた」。(啓示 2:14)つまり,偶像礼拝を犯させる誘いとして,性の不道徳を使うというものです。西暦前1473年,メソポタミアの予言者バラムは,イスラエルの子らにのろいを発するため,自らをモアブの王バラクに売りました。イスラエルの子らが,約束の地を所有するためヨルダン川を渡ろうと,モアブの平地に野営を張っていた時です。しかしイスラエルの神エホバは,バラムののろいをイスラエルの子らに対する祝福に変え,その陰謀をくじかれました。(民数 22:1から24:25)そこでバラムは,イスラエルを陥れる別の方法をバラク王に提案しました。それは何ですか。偶像礼拝を伴う,性です。
17 クリスチャン会衆の中で,『バラムの教えを堅く守る』者たちを容認することはできません。古代の情景を考え合わせると,それがどうして分かりますか。
17 偶像崇拝に関係していた女たちが,イスラエルの男子をエホバ神の崇拝から引き離し,異教の神々のみだらな崇拝,また神々に犠牲をささげる行為に引き寄せる手段として利用されました。この計略は,2万4,000人のイスラエル人に対しては効を奏しました。(民数 25:1-18。コリント第一 10:8)性の不道徳と偶像礼拝を混合するこの計略の犠牲となり,エホバ神への忠誠を保たなかった者たちは,ヨルダン川のすぐ向こう側にある約束の地に,決して入ることはできませんでした。したがって,ペルガモンのクリスチャン会衆の中で,「バラムの教えを堅く守っている者たち」を容認してはならなかったのです。
18 バラムの教えを堅く守る者たちは,自分たちの行状に対する口実として,どんなもっともらしい議論を用いたと思われますか。しかし彼らは実際には何をしていましたか。
18 明らかにその者たちは,神はあわれみ深く,キリストの血は非常な効力を有するのだから,時折また常習的に淫行を犯し,はてはそれと共に異教の偶像礼拝を行ない,自分の堕落した肉を楽しませたところで,クリスチャンは許しを得ることができ,その故意の罪も洗い流される,そして引き続きペルガモン会衆の成員としてとどまれる,と教えていました。そうしたバラムのような教師は,『不敬虔な者たちで,わたしたちの神の過分のご親切を不品行の口実に変え,わたしたちの唯一の所有者また主であるイエス・キリストに不実な者となっているのです』― ユダ 4,11。ペテロ第二 2:14,15。
19 そのような腐敗をもたらす者に対し,会衆はどんな行動を取るべきですか。
19 このようにクリスチャンの道徳と信仰を腐敗させる者を,ペルガモン会衆にとどめて置くことは許されませんでした。また,彼らが油そそがれた残りの者のクリスチャン会衆に自由に交わることも許されません。西暦1918年の春,エホバ神が契約の使者イエス・キリストを伴い,検分のため霊的神殿に来て清めの業を行なわれて以来,特にそうです。―マラキ 3:1-5。
20 道徳が危険にさらされることに加えて,他のどんな危険がペルガモン会衆を脅かしていましたか。
20 クリスチャン会衆の道徳が清く保たれねばならないばかりか,組織の一致も同様に守られねばなりませんでした。キリストの霊的な体の油そそがれた残りの者たちを分裂させる,どんな宗派主義も許されません。ご自分の油そそがれた会衆によって代表されるキリストは,分裂させられてはならず,会衆は分裂した家としては存在し得ません。(コリント第一 1:10-13)古代ペルガモンの会衆は,栄光を受けたイエス・キリストがエフェソス会衆に与えた次の称賛のことばを受けませんでした。『あなたはニコラオ派の行ないを憎んでいる。わたしもこれを憎む』。(啓示 2:6)かえって,彼がペルガモン会衆に責むべきところがあるとされた重大な事柄の一つは,次の言葉にあるとおり,宗派主義だったのです。「あなたのところには,同じようにニコラオ派の教えを堅く守る者たちもいる」。
21,22 宗派主義が会衆に存在していることが分かったらどうすべきですか。
21 宗派主義は当時,危険であり非とされました。それは今日でも同様です。油そそがれたクリスチャンから成る一般会衆のどの部分にそれが存在しようと,クリスチャンは宗派主義を悔い改め,続いて,それを根絶するよう一生懸命に努力すべきです。エホバの任命された検査官イエス・キリストは,次の警告を与えておられるからです。
22 「それゆえ悔い改めなさい。そうしないなら,わたしは速やかにあなたのところに行き,わたしの口の長い剣で彼らと戦うであろう」― 啓示 2:16,12; 1:16。
23 1918年に神殿に来て以来,イエス・キリストは分派主義に関してどんな行動を取ってこられましたか。
23 1918年,至高の審判者エホバ神と共に霊的神殿に来て以来,検査官イエス・キリストは,ご自分の口から出る長い象徴的な剣で戦っておられます。油そそがれた残りの者の一般会衆の中に,分派主義の傾向を持つ者がいれば,彼はその者と戦われます。彼はものみの塔聖書冊子協会の出版物を通して,すべての宗派主義,およびキリスト教世界のいかなる信仰合同運動をも,あからさまに非難してこられました。それは,エホバの証人の油そそがれた残りの者の間からは全くぬぐい去られました。
24 神の会衆に分派主義を助長する者に対し,どんな裁きが宣告されていますか。
24 主イエスの口から出る鋭くて長いもろ刃の剣のように,裁きの宣言は,「ニコラオ派」であろうが,あるいは他のどんな人間また宗教運動による分派であろうが,その助成者に敵して出されてきました。ご自分が再び来る時そのような「よこしまな奴隷」級を見いだすであろう,とイエスが預言されたとおりです。イエスは「最も厳しく彼を罰し,その受け分を偽善者たちといっしょにするでしょう。そこで彼は泣き悲しんだり歯ぎしりしたりするのです」。(マタイ 24:48-51)「よこしまな奴隷」が西暦1918年以来設けたどんな分派も,聖書にかなうものであるとは認められません。
25 イエス・キリストは,人間として地上にいた時にささげたどんな祈りを今や現実のものとされますか。
25 このように,栄光を受けたイエス・キリストは,肉の体で,使徒たちと共にいた最後の夜に神にささげた祈りを現実のものとされました。「わたしは,これらの者だけでなく,彼らのことばによってわたしに信仰を持つ者たちについてもお願いいたします。それは,彼らがみな一つになり,父よ,あなたがわたしと結びついておられ,わたしがあなたと結びついているように,彼らもまたわたしたちと結びついていて,あなたがわたしをお遣わしになったことを世が信じるためです。またわたしは,わたしに与えてくださった栄光を彼らに与えました。わたしたちが一つであるように,彼らも一つになるためです。わたしは彼らと結びついており,あなたはわたしと結びついておられます。それは,彼らが完全にされて一つになり,あなたがわたしを遣わされたこと,そして,わたしを愛してくださったと同じように彼らを愛されたことを世が知るためです」。(ヨハネ 17:20-23)イエスは「長い剣」をもって今,この一致のために戦っておられます。
「隠されているマナ」と,名の書かれている「小石」
26 栄光を受けた主イエスは,ペルガモン会衆の忠実な者たちをどのように励まされますか。
26 会衆内のそうした悪い状態を克服し,この邪悪な世を征服する忠実で従順な者たちがいます。その者たちを励ますため,栄光を受けた主イエスは最後の言葉を与えます。「耳のある者は霊が諸会衆に述べることを聞きなさい: 征服する者には,隠されているマナの幾らかを与えよう。また白い小石を与えよう。その小石には,それを受ける者以外にはだれも知らない新しい名が書かれている」― 啓示 2:17。
27 (イ)荒野におけるマナは何でしたか。それはどのようにイスラエル人のために備えられましたか。(ロ)マナの見本はどのように保存されましたか。
27 「マナですって」と尋ねるかたがあるかもしれません。「それは何ですか」。実は,西暦前1513年,シナイの荒野でマナを初めて見たイスラエル人は,それと同じ質問をしました。それは,預言者モーセに率いられた,漂泊中のイスラエル人に,エホバ神が奇跡的に備えられた食物です。夜,露が下ると,マナができ,翌朝イスラエル人は各,一日の必要量を集めました。神は六日目には,彼らが二倍の量を集めることができるように取り計らわれました。安息日には,それは下らず,マナはできなかったからです。安息日のために集めた分だけは,翌朝まで腐りませんでした。モーセは神のご意志に添って,後にイスラエルの大祭司となった自分の兄アロンにこう言いました。「壺を取てその中にマナ一オメルを盛てこれをエホバの前におき汝等の代々の子孫のためにたくはふべし」。その後程なくして,エホバの崇拝の幕屋のために契約の黄金の箱が造られた時,このマナの黄金のつぼは,十戒を記した石板と共に,その神聖な大箱の中に入れられました。―出エジプト 16:13-33。ヘブライ 9:4。
28 (イ)その一オメルのマナは,イスラエルの歴史においてどれほどの期間「隠されたマナ」でしたか。(ロ)イエス・キリストは「隠されたマナ」を何の象徴として用いられますか。
28 しかし,契約の黄金の箱が幕屋から,ソロモン王がそれのためにエルサレムに建てた壮大な神殿に移された時,マナの黄金のつぼは何らかの理由でそこにありませんでした。(列王上 8:9)しかし,マナがモーセによって契約の箱の中に入れられてから(西暦前1512年),ソロモン王が完成した神殿の献堂式を行なった時まで(西暦前1027年)の期間は,485年です。ですから,そのほとんどの期間,普通は一夜で腐るマナが,この一オメル分は朽ちず,不朽だったのです。それは文字どおり「隠されたマナ」であり,ペルガモン会衆への音信の中で,栄光を受けたイエス・キリストはそれを,朽ちない食物の供給の象徴,あるいは,そうした食物の供給の結果すなわち,終わることのない命の象徴として用いられました。油そそがれたクリスチャンの忠実な会衆の場合,この命は霊の領域における不滅性であり,肉の人類からは隠されています。(コリント第一 15:50-54)そのような報いを得る希望は,イエス・キリストご自身に倣う征服者となるよう,油そそがれたクリスチャンを鼓舞するのに十分といえます。
29 啓示 2章17節で「小石」と訳されているギリシャ語の用法を考えると,その表わす意味がどのように分かりますか。
29 「隠されたマナ」に加え,新しい名の書かれた白い小石が約束されています。この約束された「小石」は多くのことを象徴しています。ここで「小石」と日本語に訳されているギリシャ語の原語は,プセフォスです。カエサレアのアグリッパ王の前でクリスチャンとして弁明をした時,また,改宗する前にどのようにクリスチャンを迫害したかを述べた時,使徒パウロはそのギリシャ語を使い,こう述べました。わたしは「祭司長たちから権限を与えられていましたので,聖なる者たちを数多く獄に監禁しました。そして彼らが処刑されるさいには,彼らに敵対の票[プセフォス; 字義どおりには,投票用の小石]を投じました」。(使徒 26:10)これは,当時法廷で裁きを下したり,無罪か有罪かの意見を述べたりするさいに,小石が使われたことを明らかにするものです。白い小石は無罪を,黒い小石は有罪を宣告するのに用いられました。天のイエスが油そそがれた征服者たちに与える小石の白さは,イエスが彼らに対し,無罪,清廉,潔白であるとの裁きを下すことを意味しています。彼らは弟子としてイエスに是認されるのです。
30 白い小石に「それを受ける者以外にはだれも知らない新しい名が書かれている」ということは,何を表わしていますか。
30 しかし,この「白い小石」の上に名つまり,「それを受ける者以外にはだれも知らない新しい名が書かれている」ことに注意してください。昔,そのように名の書かれた石は,ある行事に用いる現代の切符のような役をなし,娯楽や見せ物の入場券として見せたり,預けたりしなければなりませんでした。したがって,象徴的な「白い小石」は,イエス・キリストとのある個人的な,親密な関係に入る特権を表わし示しています。
31 そうした「白い小石」は幾つありますか。イエス・キリストとの親密な関係に入れられる者たちはだれですか。
31 征服を遂げる14万4,000人の弟子だけが,彼と共同の天的な王の職および祭司職に入れられ,全人類の祝福のために千年間彼と共に統治するのではありませんか。(啓示 20:4-6。テモテ第二 2:11,12)征服を遂げる14万4,000人の弟子だけが,「貞潔な処女」級,霊的な「花嫁」,また「子羊の妻」なのではありませんか。使徒ヨハネは後に,天から次の声を聞いたのではありませんでしたか。「喜び,そして喜びにあふれよう。また,神の栄光をたたえよう。子羊の結婚が到来し,その妻は支度を整えたからである」。そのとおりです。ヨハネはさらにこう告げています。「そして彼はわたしに言う,『こう書きなさい。子羊の結婚の晩さんに招かれた者たちは幸いである』」。(コリント第二 11:2。ヨハネ 3:29。啓示 21:9-15; 19:7-9)それらすべての無比の特権を得る立場に入るためには,象徴的な「白い小石」をエホバ神に示すことが要求されるのかもしれません。そうした「白い小石」は丁度14万4,000あり,それを受ける者はこの上なく恵まれた者と言わねばなりません。
32 書かれている「新しい名」とは,14万4,000人の他の者がだれも知ることのできない,その人独自の,個人的な名ですか。それとも何ですか。
32 各の小石の上に『書かれている新しい名』は,14万4,000人のグループの他のだれも決して知ることのない,新しい個人的な名なのでしょうか。それは小石の所有者に,14万4,000人のグループの他のだれも享受しない,主イエス・キリストとの個人的な特別の関係を持たせるのでしょうか。そうではないようです。その「新しい名」は,彼らにとって新しい名であるとはいえ,彼らすべてに共通の名であり,天と地の他のいかなる被造物にも知られていない名を表わしているようです。ですから,「白い小石」の上に書かれている「新しい名」は,主イエス・キリストに新たに授けられた天の名を共に分け合うことを意味するのかもしれません。
33 啓示の書に述べられている他のどんな言葉は,イエスが啓示 2章17節で述べておられる「新しい名」と調和しますか。
33 これは,彼がフィラデルフィアの忠実な会衆に与えた次の音信と調和します。「征服する者……わたしの新しい名をその者の上に書く」。(啓示 3:12)また,第七の使いがラッパを吹き,幾つかの情景が現われた後,使徒ヨハネはこう述べています。「わたしが見ると,見よ,子羊がシオンの山に立っており,彼とともに,十四万四千人の者が,彼の名と彼の父の名をその額に書かれて立っていた」。(啓示 11:15; 14:1)最後に,第七の使いが神の憤りの鉢を注ぎ出し,他の幾つかの情景がそれに続いた後,ヨハネは,天の主イエス・キリストがハルマゲドンにおける「全能者なる神の大いなる日の戦争」に馬を進めるところを見たと述べ,彼に関する次の特徴に注意を引いています。「頭には多くの王冠がある。彼には記された名があるが,彼自身のほかはだれもそれを知らない」。―啓示 16:17; 19:11,12。
34 「新しい名」は何を意味しているかもしれませんか。その名に関してどんなことが確かですか。
34 さて,「新しい名」の書かれた「白い小石」を受ける14万4,000人の者たちは,キリストの共同相続者およびその「妻」となるのですから,象徴的な「白い小石」の「新しい名」は,彼らの天の花婿ご自身の名に関して,ある親密な特権を彼と分かち合うことを意味するのかもしれません。それが実際にそのどれであっても,「新しい名」は「良い名」であり,「豊かな富よりも選ばれるべき」もの,「良い油にまさる」ものであることに間違いありません。(箴言 22:1; 伝道 7:1,新)それは,油そそがれた14万4,000人の征服者すべてにとって,価値ある賞なのです。
[145ページの図版]
J・F・ラザフォード