11-12. (ア)イエスが宣教を始めて間もなく,どんなことがありましたか。(イ)サタンはまず何と言ってイエスを誘惑しましたか。どんなところにずる賢さが表れていますか。
11 イエスは宣教を始めて間もなく,罪を本当に憎んでいるかどうかを試されることになりました。バプテスマを受け,荒野で40日間ずっと何も食べずに過ごした後,サタンに誘惑されたのです。悪魔が使った方法は非常にずる賢いものでした。(マタイ 4:1-11)
12 サタンはまずこう言いました。「神の子なら,これらの石に,パンになるように命じなさい」。(マタイ 4:3)聖書によると,イエスは長い断食の後で「空腹を感じ」ていました。(マタイ 4:2)サタンは,何かを食べたいという自然な欲求に付け込んだのです。イエスが弱るのを待っていたに違いありません。「神の子なら」という言い方も挑発的です。サタンはイエスが「全創造物の中の初子」であることを当然知っていたからです。(コロサイ 1:15)でもイエスは,サタンの挑発に乗って神に不従順になったりはしませんでした。自分の欲を満たすために力を使うことを神が望んでいないのを知っていたので,サタンの言う通りにはしませんでした。必要なものを与えて導いてくれるエホバに謙遜に頼っていたのです。(マタイ 4:4)
13-15. (ア)サタンの2つ目と3つ目の誘惑はどういうものでしたか。イエスはどう反応しましたか。(イ)イエスが決して気を緩めるわけにいかなかったのはどうしてですか。
13 サタンは次に,イエスを神殿の最も高い所に立たせます。神の言葉を都合のいいように当てはめ,イエスに派手なパフォーマンスをさせようとします。その高い所から飛び降りて,天使たちに救ってもらうようにと誘惑したのです。神殿にいる人々がそのような奇跡を見たら,それ以後は誰もイエスが約束のメシアであることを疑ったりしないでしょう。そうなれば,イエスはいろいろな問題や苦労を避けられるかもしれません。でもイエスは,メシアが謙遜に活動することをエホバが望んでいると知っていました。人目を引く華々しい奇跡によって人々を信じさせることは,神の考えに反していました。(イザヤ 42:1,2)それで,この時もイエスは誘惑を退け,エホバに従いました。人の注目を浴びたいなどとは全く考えなかったのです。
14 では,権力には魅力を感じたでしょうか。サタンは3つ目の誘惑として,自分に1度崇拝の行為をすれば世界の全ての王国をあげようとイエスに言いました。イエスはサタンが持ち掛けてきた話について考えようともせず,すぐにこう返答しました。「離れ去れ,サタン! 『あなたが崇拝すべきなのはエホバ神であり,この方だけに神聖な奉仕をしなければならない』と書いてあるのです」。(マタイ 4:10)イエスはどんな誘惑を受けても,エホバ以外の神を崇拝しようなどとは思いませんでした。世の中での高い立場や権力を与えると言われても,神の考えに反することは一切しなかったのです。
15 サタンは諦めたでしょうか。その時はイエスに命じられた通り引き下がりましたが,ルカの福音書にあるように,「別の都合の良い時までイエスから離れた」にすぎませんでした。(ルカ 4:13)サタンはイエスが地上にいた間ずっと,イエスを誘惑するチャンスをうかがっていたのです。聖書には,イエスが「あらゆる点で……試され」たと書かれています。(ヘブライ 4:15)それでイエスは決して気を緩めるわけにはいきませんでした。私たちも同じです。
16. 今の時代にサタンは,神に仕える人たちをどのように誘惑していますか。どうすればサタンの誘惑に抵抗できますか。
16 今でもサタンは神に仕える人たちを誘惑しています。私たちは不完全なので,サタンにとって格好の標的です。サタンは私たちが持つ身体的な欲求,自己顕示欲,権力欲に付け込んできます。そうした欲求全てに訴えて,お金や物を重視させようと働き掛けてくることもあります。それで時々時間を取って,自分を見つめ直すことは大切です。ヨハネ第一 2章15-17節を読んで考えてみましょう。この世の中にあふれている罪深い欲望,もっとお金や物が欲しいと思う気持ち,人から一目置かれたいという気持ちによって,天の父への愛が弱まっていないでしょうか。この世界も支配者であるサタンも終わりに向かっている,ということを忘れないでください。サタンがどれほどずる賢く私たちに罪を犯させようとしてきても,それに抵抗しましょう。決して「罪を犯さ」なかったイエスにぜひとも見習いたいものです。(ペテロ第一 2:22)