人 ひと の良 よ いところに注 ちゅう 目 もく することは,裁 さば くのをやめる上 うえ で役 やく 立 だ つ。(11,14-16節 せつ を参 さん 照 しょう 。)
11. マタイ 7章 しょう 1,2節 せつ によると,イエスはどんなことをやめるよう教 おし えましたか。そうするのが簡 かん 単 たん でないのはなぜですか。
11 マタイ 7:1,2 を 読 よ む。 イエスは,不 ふ 完 かん 全 ぜん な人 にん 間 げん が人 ひと の欠 けっ 点 てん に注 ちゅう 目 もく しがちであることを知 し っていました。それで,「裁 さば くのをやめなさい 」と教 おし えました。私 わたし たちは,仲 なか 間 ま の兄 きょう 弟 だい 姉 し 妹 まい を裁 さば かないようにする必 ひつ 要 よう がありますが,完 かん 全 ぜん ではないので,欠 けっ 点 てん に目 め が向 む いてしまうことがあります。では,どうすればよいでしょうか。イエスの言 い うことに従 したが い,人 ひと を裁 さば くのをやめる よう真 しん 剣 けん に努 ど 力 りょく することです。
12-13. ダビデに対 たい するエホバの見 み 方 かた について考 かんが えることは,人 ひと を裁 さば くのをやめる上 うえ でどのように役 やく 立 だ ちますか。
12 エホバの手 て 本 ほん について考 かんが えるのは良 よ いことです。エホバは人 ひと の良 よ いところに注 ちゅう 目 もく しています。ダビデの場 ば 合 あい がそうでした。ダビデは重 じゅう 大 だい な間 ま 違 ちが いを犯 おか しました。例 たと えば,バテ・シバと姦 かん 淫 いん を犯 おか し,バテ・シバの夫 おっと であるウリヤが死 し ぬように仕 し 組 く みました。(サム二 に 11:2-4, 14,15, 24 )その結 けっ 果 か ,自 じ 分 ぶん だけでなく,ほかの妻 つま たちや家 いえ の者 もの たちも傷 きず つけました。(サム二 に 12:10,11 )また別 べつ の時 とき には,エホバから命 めい じられていなかったにもかかわらず,兵 へい 士 し たちの数 かず を数 かぞ えました。そのようにして,軍 ぐん 隊 たい の大 おお きさに誇 ほこ りを抱 いだ き,エホバよりも軍 ぐん 隊 たい を信 しん 頼 らい していることを示 しめ してしまったのです。その結 けっ 果 か ,7万 まん 人 にん ものイスラエル人 じん が伝 でん 染 せん 病 びょう で死 し にました。(サム二 に 24:1-4, 10-15 )
13 もし,あなたがその時 とき イスラエルにいたら,ダビデのことをどう思 おも ったでしょうか。エホバの憐 あわ れみを受 う けるには値 あたい しない,と考 かんが えたでしょうか。エホバはそのようには考 かんが えませんでした。ダビデがそれまで示 しめ してきた忠 ちゅう 実 じつ さや,本 ほん 当 とう に悔 く い改 あらた めている様 よう 子 す に目 め を向 む けました。そして,重 じゅう 大 だい な罪 つみ を犯 おか したダビデを許 ゆる したのです。エホバは,ダビデがご自 じ 分 ぶん を深 ふか く愛 あい していることや,正 ただ しいことを行 おこな いたいと思 おも っていることを知 し っていました。エホバは,私 わたし たちの良 よ いところに目 め を留 と めてくださるのです。そのことを本 ほん 当 とう に感 かん 謝 しゃ できるのではないでしょうか。(王 おう 一 いち 9:4。代 だい 一 いち 29:10,17 )
14. 人 ひと を裁 さば くのをやめる上 うえ で,どんな見 み 方 かた をすることが助 たす けになりますか。
14 エホバが私 わたし たちに完 かん 全 ぜん さを期 き 待 たい していないのですから,私 わたし たちも他 た の人 ひと に完 かん 全 ぜん さを期 き 待 たい するのではなく,良 よ いところに目 め を向 む けるべきです。誰 だれ かのできていないところに注 ちゅう 目 もく して,あれこれ言 い うのは簡 かん 単 たん かもしれません。でも,エホバと同 おな じ考 かんが え方 かた をする人 ひと は,人 ひと の不 ふ 完 かん 全 ぜん さに気 き 付 づ いていても仲 なか 良 よ くやっていくことができます。加 か 工 こう されていないダイヤモンドは美 うつく しくありませんが,カットして磨 みが くとどれほど美 うつく しくなるかが分 わ かっている人 ひと には,とても貴 き 重 ちょう なものです。私 わたし たちはエホバとイエスに倣 なら って,人 ひと のできていないところではなく,良 よ いところに注 ちゅう 目 もく する必 ひつ 要 よう があります。
15. どんな生 せい 活 かつ を送 おく っているかを想 そう 像 ぞう することは,人 ひと を裁 さば かないようにする上 うえ で,どのように役 やく 立 だ ちますか。
15 人 ひと を裁 さば くのをやめるために,人 ひと の良 よ いところに注 ちゅう 目 もく することに加 くわ えて,ほかにもできること があるでしょうか。どんな生 せい 活 かつ を送 おく っているかを想 そう 像 ぞう してみることです。ある時 とき ,神 しん 殿 でん にいたイエスは,貧 まず しいやもめが小 しょう 額 がく の硬 こう 貨 か 2枚 まい を寄 き 付 ふ 箱 ばこ に入 い れるのを目 め にしました。イエスは,「どうしてもっと多 おお く寄 き 付 ふ しなかったのか」とは言 い いませんでした。寄 き 付 ふ の額 がく に注 ちゅう 目 もく するのではなく,やもめがどんな気 き 持 も ちで寄 き 付 ふ をしたか,普 ふ 段 だん どんな生 せい 活 かつ をしているかに目 め を向 む けたのです。そして,できる限 かぎ りのことをしたこのやもめを褒 ほ めました。(ルカ 21:1-4 )
16. ベロニカ姉 し 妹 まい の経 けい 験 けん からどんなことを学 まな べますか。
16 人 ひと を裁 さば くのをやめる上 うえ で,どんな生 せい 活 かつ を送 おく っているかを考 かんが えることがとても大 たい 切 せつ であることは,ベロニカ姉 し 妹 まい の経 けい 験 けん からも分 わ かります。姉 し 妹 まい の会 かい 衆 しゅう には,1人 ひとり で息子 むすこ を育 そだ てている姉 し 妹 まい がいました。ベロニカ姉 し 妹 まい はこう言 い っています。「その親 おや 子 こ は集 しゅう 会 かい や奉 ほう 仕 し にいつも参 さん 加 か しているわけではなかったので,私 わたし はあまり良 よ い印 いん 象 しょう を持 も っていませんでした。でも,その姉 し 妹 まい と一 いっ 緒 しょ に奉 ほう 仕 し をした時 とき ,息子 むすこ が自 じ 閉 へい 症 しょう で,いろいろ大 たい 変 へん であることを話 はな してくれました。生 せい 活 かつ していく面 めん でも,2人 ふたり でエホバに仕 つか える面 めん でも,一 いっ 生 しょう 懸 けん 命 めい 頑 がん 張 ば っているようでした。息子 むすこ の調 ちょう 子 し によっては,別 べつ の会 かい 衆 しゅう の集 しゅう 会 かい に行 い かなければならないこともあったようです。姉 し 妹 まい がそんな苦 く 労 ろう をしているとは知 し りませんでした。姉 し 妹 まい がエホバに仕 つか える ために本 ほん 当 とう によくやっていることを知 し って,偉 えら いな,と思 おも いました」。
17. ヤコブ 2章 しょう 8節 せつ はどんなことを教 おし えていますか。どうすればその言 こと 葉 ば の通 とお りにできますか。
17 もし自 じ 分 ぶん が仲 なか 間 ま の誰 だれ かを裁 さば いていることに気 き 付 づ いたなら,どうしたらよいでしょうか。私 わたし たちは兄 きょう 弟 だい 姉 し 妹 まい を愛 あい さなければならない,ということを思 おも い起 お こしましょう。( ヤコブ 2:8 を 読 よ む。) 裁 さば くのをやめることができるよう助 たす けてください,と真 しん 剣 けん にエホバに祈 いの ることもできます。そのように祈 いの ることに加 くわ えて,自 じ 分 ぶん の方 ほう から近 ちか づいてその人 ひと に話 はな し掛 か けるようにしましょう。そうすれば,相 あい 手 て のことをもっとよく知 し ることができます。奉 ほう 仕 し に誘 さそ ったり食 しょく 事 じ に招 しょう 待 たい したりするのも良 よ いことです。相 あい 手 て のことが一 いっ 層 そう よく分 わ かるようになると,エホバやイエスに倣 なら ってその人 ひと の良 よ いところに目 め を向 む けることができるようになります。そうするなら,裁 さば くのをやめる ように,という立 りっ 派 ぱ な羊 ひつじ 飼 か いの教 おし えに従 したが っていることになります。
18. 立 りっ 派 ぱ な羊 ひつじ 飼 か いの声 こえ を聞 き いていることをどのように示 しめ せますか。
18 羊 ひつじ が羊 ひつじ 飼 か いの声 こえ を聞 き くのと同 おな じように,イエスの弟 で 子 し たちはイエスの声 こえ を聞 き きます。生 い きていくのに必 ひつ 要 よう な物 もの について心 しん 配 ぱい することや,人 ひと を裁 さば くことをやめるよう努 ど 力 りょく するなら,エホバとイエスは良 よ い結 けっ 果 か になるよう助 たす けてくれます。私 わたし たちは,「小 ちい さな群 む れ」の羊 ひつじ であれ,「ほかの羊 ひつじ 」であれ,これからも立 りっ 派 ぱ な羊 ひつじ 飼 か いの声 こえ を聞 き き,それに従 したが っていきましょう。(ルカ 12:32。 ヨハ 10:11, 14, 16 )次 つぎ の記 き 事 じ では,イエスが弟 で 子 し たちに行 おこな うよう教 おし えた,2つの点 てん について考 かんが えます。