弟子たちはイエスが例えを使って話すのを以前にも聞いたことがありますが,1度にこれほど多くの例えを聞くのは初めてです。それでイエスに,「例えを使って話すのはどうしてですか」と質問します。(マタイ 13:10)
イエスがそのようにする理由の1つは,聖書預言を実現するためです。マタイによる書には,こう説明されています。「イエスはこれら全てを例えで群衆に話した。実際,例えを用いないで話そうとはしなかった。それは預言者を通してこう語られた事が実現するためである。『私は口を開いて例えを語り,始めから隠されてきた事柄を言い広める』」。(マタイ 13:34,35。詩編 78:2)
しかし,イエスが例えを使った理由はほかにもあります。例えによって,人々の心の中が明らかになるのです。ほとんどの場合,人がイエスに関心を持つのは,イエスが優れた話をし,奇跡を行うからにすぎません。自分を捨てて従うべき自分の主と考えているわけではありません。(ルカ 6:46,47)物の見方や生き方を変えるよう要求されるのは好みません。イエスの言葉にそこまで影響されるのは,嫌なのです。
イエスは弟子たちの質問に答えてこう言います。「ですから,例えを使って話すのです。あの人たちは見ていても無駄に見,聞いていても無駄に聞き,意味を悟らないからです。この人たちについて,イザヤの次の預言が実現しています。……『この民は心が鈍くな[った]』」。(マタイ 13:13-15。イザヤ 6:9,10)
しかし,その言葉はイエスの話を聞いていた人全てに当てはまるわけではありません。イエスはこう説明します。「あなたたちの目は見るので,また耳は聞くので,幸せです。はっきり言いますが,多くの預言者や正しい人は,あなたたちが見ているものを見たいと願いながら見ず,あなたたちが聞いている事を聞きたいと願いながら聞かなかったのです」。(マタイ 13:16,17)
12使徒と他の忠実な弟子たちの心は決して鈍くありません。それでイエスはこう話します。「あなたたちは,天の王国の神聖な秘密を理解することを許されていますが,あの人たちは許されていません」。(マタイ 13:11)彼らが心から理解したいと思っていたので,イエスは種をまく人の例えについて説明します。
「種は神の言葉です」とイエスは言います。(ルカ 8:11)そして,土は心です。この点が,イエスの例えを理解する鍵です。
踏み固められた道端の土にまかれた種について,イエスはこう説明します。「信じて救われることがないよう,悪魔がやって来て,その心から神の言葉を取り去ります」。(ルカ 8:12)岩地にまかれた種はどうですか。イエスの説明によると,それは,神の言葉を喜んで受け入れたものの,その言葉が心に深く根付かない人のことです。「その言葉のために苦難や迫害が生じると」,信仰を捨ててしまいます。家族や他の人たちからの反対などによって「試練の時期」が来ると,離れ去ってしまいます。(マタイ 13:21。ルカ 8:13)
いばらの間にまかれた種についてはどうですか。イエスによれば,それは神の言葉を聞いた人たちのことです。しかし彼らは,「今の体制での心配事や富の誘惑」に圧倒されてしまいます。(マタイ 13:22)神の言葉をいったん心に入れたものの,ふさがれ,実らなくなります。
イエスは最後に良い土について話します。良い土の人は,神の言葉を聞いて受け止め,神の言葉の意味を理解します。その結果どうなりますか。その人たちは「実」を結びます。年齢や健康状態など状況は人によって違うため,皆が同じことを行えるわけではありません。生み出す実は,100倍,60倍,30倍といろいろです。しかし,「非常に良い心で神の言葉を聞いた後,それをしっかり保ち,耐え忍んで実を結ぶ人」は,神に仕えることの祝福を味わえるのです。(ルカ 8:15)
イエスの教えの意味を理解したいと思ってイエスの元に来た弟子たちは,こうした説明を聞き,胸を躍らせたに違いありません。例えの概要だけではなく,もっと深い真の意味を理解できたのです。イエスが弟子たちに例えの意味を教えたのは,弟子たちが他の人に真理を伝えられるようにするためでした。それでイエスはこう言います。「ランプを持ってきて,籠の下やベッドの下に置いたりしますか。台の上に置きませんか」。そして,「聞く耳のある人は聞きなさい」と言います。(マルコ 4:21-23)