16,17. (ア)フェリクスはパウロの件 けん をどう扱 あつか うことにしましたか。(イ)フェリクスが恐 おそ れを感 かん じたのはどうしてだと考 かんが えられますか。その後 ご もパウロに会 あ い続 つづ けたのはどうしてですか。
16 総 そう 督 とく フェリクスがクリスチャンの信 しん 条 じょう について聞 き いたのは,これが初 はじ めてではありませんでした。こう書 か かれています。「フェリクスはこの道 みち [初 しょ 期 き のキリスト教 きょう のこと]に関 かん する事 こと 柄 がら をかなりよく知 し っていたので,この件 けん を先 さき 送 おく りにし,『軍 ぐん 司 し 令 れい 官 かん ルシアスが下 くだ ってきた時 とき に,本 ほん 件 けん を裁 さい 決 けつ しよう』と言 い った。そして士 し 官 かん に命 めい 令 れい してパウロを留 りゅう 置 ち させたが,パウロに幾 いく らかの自 じ 由 ゆう を与 あた え,仲 なか 間 ま の者 もの が世 せ 話 わ をするのを許 ゆる した」。(使 し 徒 と 24:22,23 )
17 数 すう 日 じつ 後 ご ,フェリクスはパウロを呼 よ び出 だ し,ユダヤ人 じん の妻 つま ドルシラと一 いっ 緒 しょ に,「キリスト・イエスを信 しん じること」について話 はなし を聞 き きます。(使 し 徒 と 24:24 )しかし,「パウロが正 ただ しい行 おこな いと自 じ 制 せい と将 しょう 来 らい の裁 さば きについて話 はな すと,フェリクスは恐 おそ れを感 かん じ」ます。きっと,それまでの人 じん 生 せい でしてきた悪 わる い行 おこな いを思 おも い出 だ して,心 こころ がざわついたのでしょう。フェリクスはパウロを帰 かえ らせることにし,こう言 い います。「もう下 さ がってよい。機 き 会 かい があれば,また呼 よ ぶことにする」。その後 ご もフェリクスはパウロに何 なん 度 ど も会 あ いましたが,それは神 かみ やキリストについて学 まな ぶためではなく,パウロから賄 わい 賂 ろ をもらうことを期 き 待 たい してのことでした。(使 し 徒 と 24:25,26 )
18. パウロがフェリクスとドルシラに,「正 ただ しい行 おこな いと自 じ 制 せい と将 しょう 来 らい の裁 さば き」について話 はな したのはどうしてですか。
18 パウロがフェリクスとドルシラに,「正 ただ しい行 おこな いと自 じ 制 せい と将 しょう 来 らい の裁 さば き」について話 はな したのはどうしてでしょうか。彼 かれ らが知 し りたかったのは,「キリスト・イエスを信 しん じる」とはどういうことかでした。パウロは彼 かれ らの不 ふ 品 ひん 行 こう ,残 ざん 虐 ぎゃく 行 こう 為 い ,不 ふ 正 せい について知 し っていたので,キリストの後 あと に従 したが うには何 なに をしなければいけないかをはっきり伝 つた えました。2人 ふたり の生 い き方 かた は,神 かみ から見 み て正 ただ しい行 おこな いとはかけ離 はな れていました。人 ひと は皆 みな ,考 かんが えたこと,話 はな したこと,行 おこな ったことについて神 かみ から裁 さば かれます。フェリクスはパウロを裁 さば く立 たち 場 ば にあるかもしれませんが,フェリクス自 じ 身 しん も神 かみ から裁 さば かれることになります。パウロの話 はなし によってそういうことに気 き 付 づ かされ,フェリクスは「恐 おそ れを感 かん じ」ました。
19,20. (ア)宣 せん 教 きょう で,聖 せい 書 しょ の教 おし えに関 かん 心 しん があっても自 じ 分 ぶん のしたいように生 い きていきたい人 ひと に会 あ うことがあります。その人 ひと のためにどんなことができますか。(イ)フェリクスがパウロのことを大 たい 切 せつ には思 おも っていなかったことは,どんなことから分 わ かりますか。
19 私 わたし たちも宣 せん 教 きょう でフェリクスのような人 ひと に会 あ うことがあります。聖 せい 書 しょ の教 おし えに関 かん 心 しん はあっても,自 じ 分 ぶん のしたいように生 い きていきたい人 ひと です。そういう人 ひと には慎 しん 重 ちょう に対 たい 応 おう しますが,パウロのように神 かみ から見 み て正 ただ しい行 おこな いとは何 なに かを上 じょう 手 ず に伝 つた えることができます。そうすれば,心 こころ を入 い れ替 か えるかもしれません。でも,生 い き方 かた を変 か えるつもりがないようであれば,その人 ひと との話 はな し合 あ いはいったんやめて,本 ほん 当 とう に正 ただ しい生 い き方 かた をしたいと思 おも っている人 ひと を探 さが します。
20 フェリクスが本 ほん 当 とう のところどんな人 ひと だったかが,次 つぎ の記 き 録 ろく から分 わ かります。「2年 ねん が経 けい 過 か すると,ポルキオ・フェストがフェリクスの後 あと を継 つ いだ。フェリクスはユダヤ人 じん に良 よ く思 おも われたかったので,パウロを拘 こう 束 そく しておいた」。(使 し 徒 と 24:27 )フェリクスはパウロのことを大 たい 切 せつ には思 おも っていませんでした。フェリクスは,「この道 みち 」の人 ひと たちが暴 ぼう 動 どう や革 かく 命 めい を起 お こしたりするような人 ひと たちではない,と分 わ かっていました。(使 し 徒 と 19:23 )パウロがローマ法 ほう に違 い 反 はん するようなことを何 なに もしていないことも知 し っていました。それでも,「ユダヤ人 じん に良 よ く思 おも われたかったので」,パウロを拘 こう 束 そく し続 つづ けました。
21. ポルキオ・フェストが総 そう 督 とく になってから,パウロはどんなことを経 けい 験 けん しましたか。何 なに が支 ささ えになっていたはずですか。
21 使 し 徒 と 24章 しょう の最 さい 後 ご の節 せつ から分 わ かるように,ポルキオ・フェストがフェリクスに代 か わって総 そう 督 とく になった時 とき も,パウロはまだ拘 こう 束 そく されていました。それ以 い 降 こう ,役 やく 人 にん から役 やく 人 にん へと引 ひ き渡 わた され,何 なん 度 ど も尋 じん 問 もん されます。イエスが予 よ 告 こく していた通 とお り,「王 おう や総 そう 督 とく の前 まえ に連 つ れていかれ」ました。(ルカ 21:12 )やがてはローマ皇 こう 帝 てい にも話 はな すことになります。その間 かん ずっと,信 しん 仰 こう が揺 ゆ らぐことはありませんでした。「勇 ゆう 気 き を出 だ しなさい!」というイエスの言 こと 葉 ば が支 ささ えになっていたはずです。
フェリクス ユダヤの 行 ぎょう 政 せい 長 ちょう 官 かん
52年 ねん ごろ,ローマ皇 こう 帝 てい クラウディウスは,気 き に入 い っていたアントニウス・フェリクスをユダヤの行 ぎょう 政 せい 長 ちょう 官 かん つまり総 そう 督 とく に任 にん 命 めい しました。フェリクスはもともと皇 こう 帝 てい 一 いっ 家 か の奴 ど 隷 れい で,解 かい 放 ほう されて自 じ 由 ゆう 民 みん になった人 ひと でした。兄 あに のパラスもそうでした。軍 ぐん 事 じ 指 し 揮 き 権 けん を持 も つ行 ぎょう 政 せい 長 ちょう 官 かん の職 しょく に解 かい 放 ほう 奴 ど 隷 れい が任 にん 命 めい されるのは前 ぜん 例 れい のないことでした。
フェリクスは,兄 あに が皇 こう 帝 てい に影 えい 響 きょう 力 りょく を持 も っていたので,「どんな悪 あく 行 ぎょう を犯 おか しても罰 ばっ せられないと考 かんが えていた」と,ローマの歴 れき 史 し 家 か タキトゥスは言 い っています。行 ぎょう 政 せい 長 ちょう 官 かん フェリクスは,「残 ざん 虐 ぎゃく で肉 にく 欲 よく を満 み たすことなら何 なん でも行 おこな い,奴 ど 隷 れい 根 こん 性 じょう を丸 まる 出 だ しにして王 おう の権 けん 力 りょく を振 ふ るった」人 じん 物 ぶつ でした。在 ざい 任 にん 中 ちゅう に,ヘロデ・アグリッパ1世 せい の娘 むすめ ドルシラと結 けっ 婚 こん しました。夫 おっと がいるドルシラに言 い い寄 よ って,夫 おっと と別 わか れさせて結 けっ 婚 こん しました。また,使 し 徒 と パウロへの対 たい 応 おう は明 あき らかに違 い 法 ほう で,パウロから賄 わい 賂 ろ を取 と ろうと考 かんが えていました。
フェリクスの政 せい 治 じ は非 ひ 常 じょう に腐 ふ 敗 はい していて圧 あっ 制 せい 的 てき だったので,58年 ねん に皇 こう 帝 てい ネロに呼 よ び戻 もど されます。ユダヤ人 じん の代 だい 表 ひょう 団 だん もローマに行 い ってフェリクスの悪 あく 政 せい を訴 うった えましたが,兄 あに パラスのおかげでフェリクスは処 しょ 罰 ばつ を免 まぬが れたと言 い われています。