8,9. アグリッパ王がカエサレアにやって来たのはどうしてですか。
8 パウロがカエサルに上訴してから何日か後のことです。総督に就任して間もないフェストを,アグリッパ王と妹のベルニケが「表敬訪問」します。 ローマ時代,役人が新任の総督にそうした訪問をするのは,よくあることでした。アグリッパは,フェストの就任を祝うことで,政治的にも個人的にもパイプをつくっておこうと思ったのでしょう。(使徒 25:13)
9 アグリッパはフェストからパウロのことを聞き,興味をそそられます。次の日,フェストとアグリッパは裁きの座に着き,パウロが連れてこられます。仰々しく出てきて腰を下ろした2人でしたが,パウロの堂々とした話を聞いて圧倒されることになります。(使徒 25:22-27)
10,11. パウロはアグリッパにどのように敬意を表しましたか。過去のどんな行いについて,アグリッパに話しましたか。
10 パウロは敬意を込めて話し始め,弁明させてもらえることをアグリッパ王に感謝します。そして,王がユダヤ人の習慣や論争に通じていることを認めます。それから,自分の以前の生き方について話し,「崇拝に関して最も厳格なパリサイ派として生活していた」と言います。(使徒 26:5)パウロはパリサイ派として,メシアの到来を待ち焦がれていました。今はクリスチャンとして,イエス・キリストがその待望のメシアだと熱心に知らせています。パウロは,これまでユダヤ人みんながずっと信じてきた,メシアに関する神の約束について語ったために,こうして裁判にかけられています。これを聞いてアグリッパはますます興味を持ちます。
11 パウロは,自分がクリスチャンたちにしていたひどい仕打ちについて話します。「私自身,どんな手段を使ってでもナザレ人イエスの名に敵対すべきだと確信していました。……彼ら[クリスチャンたち]のことでひどく激怒してほかの町々でも迫害するほどでした」。(使徒 26:9-11)パウロは大げさに言っていたわけではありません。パウロがクリスチャンたちを苦しめていたことは広く知られていました。(ガラ 1:13,23)アグリッパは,「そんな人がどうしてクリスチャンになったのか」と思ったでしょう。
12,13. (ア)パウロはクリスチャンになった経緯をどのように説明しましたか。(イ)パウロがしていたことは,「突き棒を蹴り返」すことにどう似ていましたか。
12 パウロが続けて話したのは,まさにそのことでした。「祭司長たちから権限と委任を受けてダマスカスに旅をしていた時,王よ,私は真昼に路上で天からの光を見ました。それは太陽の輝きより明るく,私の周りと,一緒に旅をしていた者たちの周りを照らしました。私たちが皆,地面に倒れてしまった時,ヘブライ語で私にこう言う声が聞こえました。『サウロ,サウロ,なぜ私を迫害しているのですか。あなたは突き棒を蹴り返しては,自分を傷つけています』。私は,『主よ,あなたはどなたですか』と言いました。すると主は言いました。『イエスです。あなたは私を迫害しています』」。 (使徒 26:12-15)
13 イエスの声を聞く前まで,パウロは「突き棒を蹴り返して」いました。パウロがしていたことは,荷物を運ぶ動物が先のとがった突き棒を蹴り返して,自分の体を傷つけるのに似ていました。神の考えに反発した行動を取って,自分と神との関係を台無しにしていたのです。パウロは真っすぐな人でしたが,間違ったことに力を注いでいました。復活したイエスは,ダマスカスへの道でパウロの前に現れ,考えを正しました。(ヨハ 16:1,2)
14,15. パウロは,自分の生き方がどう変わったと話しましたか。
14 パウロは生き方を180度変えました。アグリッパにこう言います。「私は天からのその幻に背くことなく,まずダマスカスの人たちに,次いでエルサレムの人たちに,またユダヤ地方全体に,さらには異国の人々にも,悔い改めるように,そして悔い改めたことを示す行動を取って神を崇拝するようにと知らせていきました」。(使徒 26:19,20)真昼の幻の中でイエス・キリストから与えられた任務に,パウロはこれまで何年も取り組んできました。どんな成果があったでしょうか。良い知らせを聞いて喜んだ人たちは,それまでの良くない行いを反省し,心を入れ替え,神の考えに合わせた生き方をするようになりました。今は,法律を守って穏やかに生活する,善良な市民になっています。
15 でも,ユダヤ人たちはそういう良い面には見向きもしませんでした。パウロはこう話します。「ですからユダヤ人たちは私を神殿で捕らえ,殺そうとしたのです。しかし,私は神の助けを得てきましたので,今日までずっと,身分が低い人にも高い人にも伝道し続けています」。(使徒 26:21,22)
16. 裁判官や役人たちに自分の信仰について話すときは,パウロにどのように倣えますか。
16 私たちも,「いつでも弁明できるよう,準備しておき」たいものです。(ペテ一 3:15)裁判官や役人たちに自分の信仰について話すときは,パウロに倣いたいと思います。パウロがアグリッパとフェストに話した時と同じように,聖書の教えを学んで自分の人生がどう変わったかを話せます。私たちが聖書について教えた人たちの人生がどう良くなったかも話せます。敬意を込めてそうしたことを伝えれば,役人たちの心に訴え掛けられるかもしれません。