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  • 塔研21 12月号 2–7ページ
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  • 「あなたたちは聖なる人でなければならない」
  • エホバの王国を告げ知らせるものみの塔(研究用)2021
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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔(研究用)2021
塔研21 12月号 2–7ページ

研究記事48

「あなたたちは聖せいなる人ひとでなければならない」

「何なにをするにしても聖せいなる人ひとであってください」。ペテロ第だい一いち 1:15

34番ばんの歌うた 高こう潔けつさを捨すてずに歩あゆむ

何なにを学まなぶかa

1. ペテロは仲なか間まのクリスチャンにどんなアドバイスを与あたえましたか。そのアドバイスを実じっ践せんするのが難むずかしく思おもえるかもしれないのはなぜですか。

ペテロが天てんに行いくよう選えらばれた1世せい紀きのクリスチャンに与あたえたアドバイスは,天てんで生いきる希き望ぼうを持もつ人ひとにも,地ち上じょうで生いきる希き望ぼうを持もつ人ひとにも役やく立だちます。ペテロはこう言いいました。「皆みなさんを招まねいた聖せいなる方かたのように,何なにをするにしても聖せいなる人ひとであってください。『あなたたちは聖せいなる人ひとでなければならない。私わたしは聖せいなる者ものだからである』と書かかれているからです」。(ペテ一いち 1:15,16)ペテロの言こと葉ばから,神しん聖せいさの最さい高こうの手て本ほんであるエホバに私わたしたちが倣ならえる,ということが分わかります。私わたしたちは聖せいなる人ひとになることができますし,そうなる必ひつ要ようがあるのです。とはいえ,不ふ完かん全ぜんな人にん間げんが聖せいなる人ひとになることなどできない,と思おもうかもしれません。ペテロもさまざまな失しっ敗ぱいをしました。でも,ペテロの例れいについて考かんがえると,私わたしたちも「聖せいなる人ひと」になれるということが分わかります。

2. この記き事じではどんな質しつ問もんを考かんがえますか。

2 この記き事じでは次つぎの質しつ問もんを考かんがえます。聖せいなる人ひとであるとはどういうことですか。聖せい書しょはエホバの神しん聖せいさについてどんなことを教おしえていますか。私わたしたちはどうすれば聖せいなる人ひとになれますか。聖せいなる人ひとであることとエホバとの絆きずなには,どんな関かかわりがありますか。

聖せいなる人ひとであるとはどういうことか

3. 多おおくの人ひとは聖せいなる人ひとと聞きくと,どんな人ひとを思おもい浮うかべるかもしれませんか。どうすれば正ただしい理り解かいを得えられますか。

3 多おおくの人ひとは聖せいなる人ひとと聞きくと,特とく別べつな服ふくを着きて信しん心じん深ぶかげな顔かおをしている宗しゅう教きょう家かのことを思おもい浮うかべるかもしれません。しかし,それは正ただしい理り解かいではありません。聖せいなる方かたエホバは「幸こう福ふくな神かみ」であり,エホバに仕つかえる人ひとたちは「幸しあわせ」である,と述のべられているからです。(テモ一いち 1:11。詩し 144:15)イエスは,目め立だつ服ふくを着きて人ひとに見みせようとして良よいことを行おこなう人ひとたちのことを非ひ難なんしました。(マタ 6:1。マル 12:38)真しんのクリスチャンである私わたしたちは,聖せい書しょが教おしえていることに基もとづいて,聖せいなる者ものであるとはどういうことかを理り解かいする必ひつ要ようがあります。聖せいなる方かたであり愛あい情じょう深ぶかいエホバは,私わたしたちに無む理りなことを求もとめたりはしません。ですから,エホバが「あなたたちは聖せいなる人ひとでなければならない」と言いっているのであれば,私わたしたちは聖せいなる人ひとになることができるのです。でもまずは,聖せいなる人ひとであるとはどういうことかを理り解かいする必ひつ要ようがあります。

4. 「聖せいなる」や「神しん聖せいさ」という言こと葉ばにはどんな意い味みがありますか。

4 聖せいなる人ひとであるとはどういうことでしょうか。聖せい書しょでは,「聖せいなる」や「神しん聖せいさ」という言こと葉ばは,道どう徳とく的てきまた宗しゅう教きょう的てきに清きよいことを意い味みしています。また,エホバへの奉ほう仕しのために取とり分わけられていることも指さします。ですから,道どう徳とく的てきに清きよい状じょう態たいを保たもち,エホバに受うけ入いれられる崇すう拝はいを捧ささげ,エホバとの強つよい絆きずなを保たもつなら,聖せいなる人ひとであることができるのです。聖せい書しょによれば,エホバは最さい高こうに聖せいなる方かたです。そのことを考かんがえると,不ふ完かん全ぜんな私わたしたちがエホバとの絆きずなを持もてるというのは,本ほん当とうにすごいことではないでしょうか。

「聖せいなる方かた,聖せいなる方かた,聖せいなる方かた,……エホバ」

5. 忠ちゅう実じつな天てん使したちから,エホバについてどんなことが分わかりますか。

5 エホバは,あらゆる面めんで清きよく,汚けがれのない方かたです。エホバの王おう座ざの近ちかくで仕つかえているセラフたちは,こう語かたりました。「聖せいなる方かた,聖せいなる方かた,聖せいなる方かた,大たい軍ぐんを率ひきいるエホバ」。(イザ 6:3)聖せいなる神かみであるエホバとの親したしい関かん係けいを持もつには,天てん使したちも聖せいなる者ものである必ひつ要ようがあります。そして,天てん使したちは実じっ際さいに聖せいなる者ものです。それで,地ち球きゅう上じょうで天てん使したちが現あらわれた場ば所しょが聖せいなる場ば所しょと呼よばれることがありました。例たとえば,モーセが燃もえるいばらの木きを見みた場ば所しょがそうです。(出しゅつ 3:2-5。ヨシュ 5:15)

大だい祭さい司しのターバンに付つけられた金きんの板いたには,「神しん聖せいさはエホバのもの」と記しるされていた。(6-7節せつを参さん照しょう。)

6-7. (ア)出しゅつエジプト記き 15章しょう1,11節せつによると,モーセは神かみの神しん聖せいさをどのように強きょう調ちょうしましたか。(イ)全すべてのイスラエル人じんは,神かみが聖せいなる方かたであることをどのようにして知しりましたか。(表ひょう紙しの絵えを参さん照しょう。)

6 モーセはイスラエル人じんを導みちびいて紅こう海かいを渡わたった後のち,エホバ神かみが聖せいなる方かたであることを強きょう調ちょうしました。(出しゅつエジプト記き 15:1,11を読よむ。)偽にせの神かみ々がみに対たいするエジプト人じんの崇すう拝はい行こう為いは,清きよさとは懸かけ離はなれたものでした。カナン人じんの崇すう拝はいも同おなじでした。その崇すう拝はいには,子こ供どもを犠ぎ牲せいとして捧ささげることや,堕だ落らくした性せい行こう為いが含ふくまれていました。(レビ 18:3,4,21-24。申しん 18:9,10)それに対たいして,エホバはご自じ分ぶんに仕つかえる人ひとたちに汚けがれたことを行おこなうように求もとめたりは決けっしてしませんでした。エホバは極きわめて聖せいなる方かたです。そのことは,大だい祭さい司しのターバンに付つけられた金きんの板いたに彫ほられた言こと葉ばから分わかります。その板いたには,「神しん聖せいさはエホバのもの」と記しるされていました。(出しゅつ 28:36-38)

7 この金きんの板いたに彫ほられた言こと葉ばを見みた人ひとたちは,エホバが本ほん当とうに聖せいなる方かたであるということを理り解かいしました。では,大だい祭さい司しの近ちかくに行いってこの言こと葉ばを見みることができなかったイスラエル人じんは,この大たい切せつな真しん理りを知しることができなかったのでしょうか。そうではありません。イスラエル人じんの男だん性せい,女じょ性せい,子こ供どもたち全すべてには,律りっ法ぽうの書しょの朗ろう読どくを聞きく機き会かいがあったからです。(申しん 31:9-12)あなたがその中なかにいたなら,次つぎのような言こと葉ばを聞きいたことでしょう。「私わたしはあなたたちの神かみエホバである。……私わたしは聖せいなる者ものなのだから,あなたたちも聖せいなる人ひとでなければならない」。「あなたたちは私わたしにとって聖せいなる人ひととならなければならない。私わたしエホバは聖せいなる者ものだからである」。(レビ 11:44,45; 20:7,26)

8. レビ記き 19章しょう2節せつとペテロ第だい一いち 1章しょう14-16節せつから,どんなことが分わかりますか。

8 イスラエルの民たみ全ぜん体たいが聞きいた1つの言こと葉ばを考かんがえてみましょう。レビ記き 19章しょう2節せつです。エホバはモーセにこう言いいました。「イスラエル人じんの民たみ全ぜん体たいに告つげなさい。『あなたたちは聖せいなる人ひとであるべきである。あなたたちの神かみである私わたしエホバは聖せいなる者ものだからである』」。ペテロはクリスチャンに対たいして,「聖せいなる人ひとであってください」と述のべた時とき,この言こと葉ばを引いん用ようしていたようです。(ペテロ第だい一いち 1:14-16を読よむ。)私わたしたちはモーセの律りっ法ぽうを守まもる必ひつ要ようはありません。それでも,ペテロが語かたった言こと葉ばから,レビ記き 19章しょう2節せつにある通とおり,エホバが聖せいなる方かたであり,エホバを愛あいする人ひとたちも聖せいなる人ひとであるよう努ど力りょくする必ひつ要ようがあることが分わかります。これは,天てんに行いく希き望ぼうを持もつ人ひとたちにも,地ち上じょうの楽らく園えんで生いきる希き望ぼうを持もつ人ひとたちにも当あてはまります。(ペテ一いち 1:4。ペテ二に 3:13)

「何なにをするにしても聖せいなる人ひとであってください」

9. レビ記き 19章しょうからどんなことを学まなべますか。

9 私わたしたちは,聖せいなる神かみであるエホバに喜よろこんでいただきたいと思おもっています。それで,どうすれば聖せいなる人ひとになれるかをぜひ知しりたいと思おもいます。エホバは,そのことに関かんするアドバイスを私わたしたちに与あたえてくださっています。その幾いくつかがレビ記き 19章しょうに収おさめられています。ヘブライ語ご学がく者しゃのマルクス・カーリシュはこう述のべています。「この章しょうは,レビ記きだけでなく,モーセ五ご書しょの中なかでも,最もっとも包ほう括かつ的てきかつ多た角かく的てきで重じゅう要ような章しょうであると言いえるだろう」。レビ記き 19章しょうの始はじめの部ぶ分ぶんには,「あなたたちは聖せいなる人ひとであるべきである」と書かかれています。そのことを思おもいに留とめつつ,この章しょうに収おさめられている大たい切せつなアドバイスについて考かんがえていきましょう。それは,私わたしたちの毎まい日にちの生せい活かつに役やく立だつものです。

1. 成人した息子が両親を訪ね,食事の準備を手伝っている。2. 息子が妻と娘と一緒に,両親に食料品などを届けている。3. 両親が息子と楽しくビデオ通話をしている。

どうすれば,レビ記き 19章しょう3節せつにある通とおり,親おやを敬うやまえるだろうか。(10-12節せつを参さん照しょう。)c

10-11. レビ記き 19章しょう3節せつによると,私わたしたちはどんなことを行おこなう必ひつ要ようがありますか。そうすることが重じゅう要ようなのはなぜですか。

10 エホバは,イスラエル人じんに対たいして「あなたたちは聖せいなる人ひとであるべきである」と言いった後のち,「各かく自じ,母ははと父ちちを敬うやまいなさい。……私わたしはあなたたちの神かみエホバである」と言いいました。(レビ 19:2,3)

11 親おやを敬うやまうようにという神かみからの命めい令れいに従したがうのは重じゅう要ようなことです。ある時ときイエスは,「永えい遠えんの命いのちを得えるには,どんな善よいことをしなければなりませんか」と尋たずねられて,すべきことの中なかに親おやを敬うやまうことを含ふくめました。(マタ 19:16-19)また,何なんとかして親おやの世せ話わを逃のがれようとしていたパリサイ派はの人ひとたちや律りっ法ぽう学がく者しゃたちを非ひ難なんしました。彼かれらは,そのようにして「神かみの言こと葉ばを否ひ定ていしてい」たのです。(マタ 15:3-6)その「神かみの言こと葉ば」には,十じっ戒かいの5番ばん目めのおきてや,レビ記き 19章しょう3節せつの言こと葉ばが含ふくまれていました。(出しゅつ 20:12)再ふたたび考かんがえたい点てんとして,母ははと父ちちを敬うやまうようにというレビ記き 19章しょう3節せつの命めい令れいは,次つぎの言こと葉ばの後あとに載のせられています。「あなたたちは聖せいなる人ひとであるべきである。あなたたちの神かみである私わたしエホバは聖せいなる者ものだからである」。

12. レビ記き 19章しょう3節せつの言こと葉ばを実じっ行こうするために,どんなことを考かんがえられますか。

12 エホバは親おやを敬うやまうよう私わたしたちに命めいじています。「自じ分ぶんは,この点てんでどうだろうか」と考かんがえると,「もっとしてあげられたかも」と思おもうかもしれません。でも大たい切せつなのは,これからどうするかです。今いまから頑がん張ばりましょう。例たとえば,親おやと過すごす時じ間かんをもっと増ふやすことができるでしょうか。親おやが必ひつ要ようとしている物ものを買かってあげることができますか。エホバに仕つかえ続つづけるよう助たすけることができますか。話はなしをよく聞きいてあげたり,褒ほめ言こと葉ばを掛かけたりすることができるでしょうか。こうしたことを行おこなうなら,レビ記き 19章しょう3節せつの言こと葉ばを実じっ行こうしていることになります。

13. (ア)レビ記き 19章しょう3節せつには,ほかにもどんな命めい令れいが載のせられていますか。(イ)私わたしたちは,ルカ 4章しょう16-18節せつにあるイエスの手て本ほんにどのように倣ならえますか。

13 レビ記き 19章しょう3節せつから,聖せいなる人ひとになるために必ひつ要ような別べつの点てんも学まなべます。そこには,安あん息そく日びのことが述のべられています。クリスチャンは,モーセの律りっ法ぽうに従したがうよう求もとめられてはいないので,毎まい週しゅうの安あん息そく日びを守まもる必ひつ要ようはありません。でも,そこから大たい切せつな点てんを学まなべます。安あん息そく日びは,普ふ段だんの仕し事ごとを休やすんで,エホバへの崇すう拝はいに思おもいを向むける機き会かいになりました。b それでイエスは,毎まい週しゅうの安あん息そく日びに会かい堂どうに行いき,聖せい書しょを読よみました。(出しゅつ 31:12-15。ルカ 4:16-18を読よむ。)レビ記き 19章しょう3節せつの「私わたしの安あん息そく日びを守まもりなさい」というエホバの言こと葉ばについて考かんがえると,毎まい日にちの生せい活かつの中なかで,エホバについて学まなんだり伝つたえたりするための時じ間かんを取とり分わけるよう動うごかされます。「この点てんで自じ分ぶんはどうだろうか」と考かんがえてみましょう。エホバについて学まなんだり伝つたえたりするための時じ間かんをきちんと取とり分わけるなら,エホバとの絆きずなが強つよまり,聖せいなる人ひととなることができるでしょう。

エホバとの絆きずなを強つよめる

14. レビ記き 19章しょうには,どんな大たい切せつな点てんが繰くり返かえし述のべられていますか。

14 レビ記き 19章しょうには,聖せいなる人ひとでいる上うえで大たい切せつな点てんが繰くり返かえし述のべられています。4節せつの最さい後ごには,「私わたしはあなたたちの神かみエホバである」とあります。このような表ひょう現げんは,レビ記き 19章しょうに16回かい出でてきます。そして,十じっ戒かいの1番ばん目めのおきてを思おもい起おこさせます。それは,「私わたしはあなたの神かみエホバである。……あなたは私わたし以い外がいのどんなものも神かみとしてはならない」というものです。(出しゅつ 20:2,3)聖せいなる人ひとでありたいと思おもうクリスチャンは皆みな,エホバとの絆きずなを何なによりも大たい切せつなものとしなければなりません。また,私わたしたちはエホバの証しょう人にんという名な前まえで呼よばれているのですから,聖せいなる方かたエホバの評ひょう判ばんを傷きずつけるようなことは一いっ切さいしたくありません。(レビ 19:12。イザ 57:15)

15. レビ記き 19章しょうにある動どう物ぶつの犠ぎ牲せいについての法ほう令れいを読よむと,どんな気き持もちになりますか。

15 イスラエル人じんがエホバを自じ分ぶんの神かみとするためには,さまざまなおきてを守まもる必ひつ要ようがありました。レビ記き 18章しょう4節せつにはこうあります。「私わたしの法ほう規きを実じっ行こうし,私わたしの法ほう令れいを守まもり,それに従したがうべきである。私わたしはあなたたちの神かみエホバである」。レビ記き 19章しょうには,イスラエル人じんに与あたえられた「法ほう令れい」の幾いくつかが載のせられています。例たとえば,5-8,21,22節せつは,動どう物ぶつの犠ぎ牲せいについて述のべています。イスラエル人じんは正ただしい方ほう法ほうで犠ぎ牲せいを捧ささげ,「エホバの聖せいなるものを汚けが」さないようにする必ひつ要ようがありました。これらの聖せい句くを読よむと,私わたしたちもエホバに喜よろこばれることをしたいという気き持もちになります。そして,ヘブライ 13章しょう15節せつにある通とおり,エホバに受うけ入いれられる賛さん美びの犠ぎ牲せいを捧ささげたいと思おもいます。

16. レビ記き 19章しょうのどんな言こと葉ばから,神かみに仕つかえる人ひとたちが周まわりの人ひとたちと異ことなっていなければならないことが分わかりますか。

16 聖せいなる人ひとであるためには,周まわりの人ひとたちと異ことなっている必ひつ要ようがあります。これは難むずかしい場ば合あいがあります。クラスメートや同どう僚りょうや親しん族ぞくから,エホバが悲かなしむことを行おこなうよう圧あつ力りょくを受うけることがあるかもしれません。そうした時ときに下くだす決けっ定ていは,とても重じゅう要ようなものです。どうすれば正ただしい決けっ定ていができるでしょうか。レビ記き 19章しょう19節せつには,「2種しゅ類るいの糸いとを織おり交まぜた服ふくを着きてはならない」とあります。イスラエル人じんは,このおきてを守まもることによって,周まわりの国くにの人ひとたちとは異ことなっていることができました。現げん代だいの私わたしたちは,綿めんとポリエステルなど,2種しゅ類るいの繊せん維いを混まぜた服ふくを着きてはいけないわけではありません。とはいえ,聖せい書しょに反はんする考かんがえ方かたや行こう動どうをする人ひとたちと同おなじようになることはしません。そうした人ひとが,クラスメートや同どう僚りょうや親しん族ぞくだとしてもそうです。もちろん,私わたしたちはそうした人ひとたちを愛あいしています。それでも,エホバとの絆きずなに関かん係けいすることについては,エホバに仕つかえる者ものとして周まわりの人ひととは異ことなっていたいと思おもいます。これは非ひ常じょうに重じゅう要ようなことです。聖せいなる人ひとでいることには,神かみのために取とり分わけられていることが関かん係けいしているからです。(コリ二に 6:14-16。ペテ一いち 4:3,4)

レビ記き 19章しょう23-25節せつからイスラエル人じんはどんなことを学まなんだか。私わたしたちはどんなことを学まなべるか。(17-18節せつを参さん照しょう。)d

17-18. レビ記き 19章しょう23-25節せつからどんな大たい切せつな点てんを学まなべますか。

17 「私わたしはあなたたちの神かみエホバである」という言こと葉ばを聞きいたイスラエル人じんは,エホバとの絆きずなを第だい一いちにするよう動うごかされたでしょう。では,具ぐ体たい的てきにどんなことを行おこなったのでしょうか。レビ記き 19章しょう23-25節せつに答こたえがあります。(読よむ。)約やく束そくの地ちに入はいったイスラエル人じんたちは,このおきてにどのように従したがったでしょうか。食たべ物ものを得えるために木きを植うえた場ば合あい,最さい初しょの3年ねん間かんはその実みを食たべてはいけませんでした。4年ねん目めに実みのった物ものは,聖せいなる所ところで用もちいるものとして捧ささげるために取とり分わけられました。そして,5年ねん目めになってようやく,その実みを食たべることができました。このおきては,自じ分ぶんのことを一いち番ばんに考かんがえてはいけない,ということをイスラエル人じんに教おしえるものでした。彼かれらは,エホバが必ひつ要ような物ものを与あたえてくださることを信しん頼らいし,エホバへの崇すう拝はいを第だい一いちにする必ひつ要ようがあったのです。そうすれば,イスラエル人じんはエホバから食たべる物ものを十じゅう分ぶんに与あたえられることになっていました。それでエホバは,崇すう拝はいを行おこなう場ば所しょである聖せいなる所ところで捧ささげ物ものをする際さいには,出だし惜おしみしないようにと教おしえました。

18 レビ記き 19章しょう23-25節せつの言こと葉ばについて考かんがえると,山さん上じょうの垂すい訓くんでイエスが述のべた次つぎの言こと葉ばを思おもい起おこします。「何なにを食たべ何なにを飲のむのだろうかと……心しん配ぱいするのをやめなさい。……天てんの父ちちは,あなたたちがこうしたもの全すべてを必ひつ要ようとしていることを知しっています」。エホバは鳥とりをさえ養やしなっているのですから,当とう然ぜん私わたしたちのことも養やしなってくださいます。(マタ 6:25,26,32)私わたしたちは,エホバが必ひつ要ような物ものを与あたえてくださることを信しん頼らいしています。それで,困こまっている人ひとたちに「憐あわれみの施ほどこし」をし,さりげなく助たすけます。また,会かい衆しゅうのために喜よろこんで寄き付ふをします。私わたしたちがこのように惜おしみなく与あたえる時とき,エホバはそのことに気き付づき,必かならず報むくいを与あたえてくださいます。(マタ 6:2-4)私わたしたちは進すすんで与あたえることによって,レビ記き 19章しょう23-25節せつにある大たい切せつな教おしえを理り解かいしていることを示しめせるのです。

19. あなたはレビ記き 19章しょうからどんなことを学まなべましたか。

19 この記き事じでは,レビ記き 19章しょうの幾いくつかの節せつを取とり上あげ,聖せいなる神かみエホバのようになるにはどうすればよいかを考かんがえました。私わたしたちは,エホバに倣ならうことによって,「何なにをするにしても聖せいなる人ひとであ」るよう努ど力りょくしていることを示しめせます。(ペテ一いち 1:15)エホバの証しょう人にんではない多おおくの人ひとたちは,私わたしたちの立りっ派ぱな行おこないを見みています。そして,エホバをたたえるようになる人ひともいます。(ペテ一いち 2:12)レビ記き 19章しょうから学まなべる点てんは,まだまだあります。次つぎの記き事じでは,この章しょうのほかの節せつを取とり上あげ,ペテロが勧すすめているように「聖せいなる人ひと」となるために,ほかにどんなことができるかを考かんがえます。

どのように答こたえますか

  • 聖せいなる人ひとであるとはどういうことですか。

  • 聖せいなる人ひとであることについて,レビ記き 19章しょうからどんなことを学まなべますか。

  • エホバとの絆きずなを強つよめるために,どんなことができますか。

80番ばんの歌うた 「エホバが善よい神かみであること」を味あじわい知しる

a 私わたしたちはエホバを心こころから愛あいしていて,エホバに喜よろこんでいただきたいと思おもっています。エホバは聖せいなる方かたで,ご自じ分ぶんを崇すう拝はいする者ものたちも聖せいなる者ものであってほしい,と思おもっています。でも,不ふ完かん全ぜんな人にん間げんが聖せいなる人ひとになることなどできるのでしょうか。できます。では,何なにをするにしても聖せいなる人ひとであるために,何なにができますか。ペテロが仲なか間まのクリスチャンに与あたえたアドバイスや,エホバが古こ代だいのイスラエル人じんに与あたえた指し示じをよく調しらべてみましょう。

b 安あん息そく日びや,安あん息そく日びから学まなべる点てんについては,「ものみの塔とう」2019年ねん12月がつ号ごうの「働はたらくのにも,休やすむのにも『時ときがある』」という記き事じを参さん照しょう。

c 写しゃ真しんや挿さし絵え: 成せい人じんした息子むすこが,両りょう親しんと一いっ緒しょに時じ間かんを過すごしている。妻つまと子こ供どもを連つれて訪ほう問もんしている。よく連れん絡らくを取とるようにしている。

d 写しゃ真しんや挿さし絵え: イスラエル人じんの男だん性せいが,自じ分ぶんが植うえた木きになっている実みの様よう子すをチェックしている。

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