11. イエスが神の言葉を攻撃から守らなければならなかったのはどうしてですか。
11 神の言葉は頻繁に攻撃されていましたが,イエスはそのことで動じたりしませんでした。天の父への祈りの中で,「あなたの言葉は真理です」と言いました。(ヨハネ 17:17)「世の支配者」であるサタンが「うそつきで,うその根源」だということもよく知っていました。(ヨハネ 8:44; 14:30)サタンからの誘惑を退けた時,イエスは聖書を3回引用しました。サタンが詩編の言葉を自分の都合のいいように引用すると,イエスはサタンが間違っていることを示して神の言葉を守りました。(マタイ 4:6,7)
12-14. (ア)宗教指導者たちはモーセの律法をどのように不敬に扱っていましたか。(イ)イエスはどのように神の律法を間違った教えから守りましたか。
12 聖書を間違って解釈したり,神の言葉をねじ曲げて教えたりする人が多かったので,イエスはそういう人たちから聖書を守るために奮闘しました。当時の宗教指導者たちは,神の言葉の教え方が非常に偏っていました。モーセの律法を厳格に守るようにと口うるさく言う一方で,律法の基になっている原則についてはほとんど教えませんでした。そのようにして,体裁ばかりを気にするうわべだけの崇拝を人々に押し付け,公正や憐れみや忠実さなどのもっと重大な事柄を無視していました。(マタイ 23:23)イエスはどのように神の律法を間違った教えから守ったでしょうか。
13 山上の垂訓の中で,イエスは何度も「あなたたちは,こう命じられたのを知っています」と言って,モーセの律法の法令を取り上げました。そのたびに,「しかし私は言います」と続け,法令の根底にある原則について説明しました。律法を否定していたのではなく,表面的な解釈から守っていたのです。例えば,「殺人をしてはならない」というおきてはよく知られていましたが,人を憎むこともこのおきての基になっている考えに反しているとイエスは教えました。同じように,自分の配偶者ではない人に情欲を抱くことは,姦淫を禁じる神の律法の根底にある原則に反していると指摘しました。(マタイ 5:17,18,21,22,27-39)
14 イエスはこうも言いました。「あなたたちは,こう命じられたのを知っています。『隣人を愛し,敵を憎まなければならない』。しかし私は言います。敵を愛し続け,迫害する人のために祈り続けなさい」。(マタイ 5:43,44)「敵を憎まなければならない」という命令は,神の言葉に含まれていたでしょうか。そうではなく,これは宗教指導者たちが勝手に教えていたことでした。神の完全な律法に人間の考えを混ぜ込み,質を落としていたのです。イエスはそうした人間の伝統の有害な影響から,神の言葉を勇敢に守りました。(マルコ 7:9-13)
15. イエスは,神の律法が非常に厳しいものであるかのように思わせる人たちから,どのように律法を守りましたか。
15 宗教指導者たちは,神の律法が非常に厳しいものであるかのように思わせることによっても,律法を攻撃しました。イエスの弟子たちが畑の中を通りながら穀物の穂をむしって食べた時,それを見たパリサイ派の人たちは安息日を守っていないと言って非難しました。イエスは聖書に書かれている例を引き合いに出して,この極端な解釈から神の言葉を守りました。空腹だったダビデと仲間たちが,神の家の供え物のパンを食べたことに触れたのです。それは聖書に記録されている,祭司ではない人が聖なるパンを食べた唯一の例です。こうしてイエスは,パリサイ派の人たちがエホバの憐れみや思いやりを正しく理解していないことを示しました。(マルコ 2:23-27)
16. 宗教指導者たちはモーセの律法の離婚に関する規定をどう解釈していましたか。イエスはどうしましたか。
16 宗教指導者たちは,律法の抜け道を考え出して,神の律法の効力を弱めることもしていました。一例として,律法によれば,夫は妻に「恥ずべき点」があるのが分かった場合には離婚することができました。「恥ずべき点」とは,家族の恥となる重大な問題のことだと思われます。(申命記 24:1)ところがイエスの時代には,宗教指導者たちはそれを都合よく解釈し,夫はあらゆる理由で妻と離婚できるとしていました。夕食を焦がしたことさえ離婚の根拠になりました。 イエスは,モーセが聖なる力に導かれて語った言葉を彼らがひどく曲解していることを指摘し,結婚に関するエホバの当初の基準を示しました。結婚は1人の男性と1人の女性の結び付きであり,離婚の正当な根拠となるのは性的不道徳だけです。(マタイ 19:3-12)
17. 現代のクリスチャンは,イエスに見習ってどのように神の言葉を攻撃から守れますか。
17 キリストの現代の弟子たちも,聖書を攻撃から守りたいと思っています。宗教指導者たちは,正しい生き方に関する聖書の教えは時代遅れだとほのめかすことにより,聖書を攻撃しています。聖書の教理だと言って間違ったことを教えることもあります。私たちは,神が三位一体の一部ではないことを示すなどして,神の清い真理の言葉を攻撃から守れることを誇らしく思っています。(申命記 4:39)もちろん,批判的な言い方はせず,いつでも温和に敬意を込めて話すようにします。(ペテロ第一 3:15)