イエスは天の王国に入るのは「小さな群れ」だけであると説明しました。(ルカ 12:32)この素晴らしい報いを決して軽く見るべきではありません。この報いを得る見込みを持つ人にとって,正しい態度がとても大切であることをイエスは強調します。
それでイエスは弟子たちに,自分が帰って来る時のために用意をしているよう,次のように忠告します。「身支度を整え,ランプをともしていなさい。主人が披露宴から帰って来て戸をたたく時にすぐ開けられるように待っている奴隷たちのようでありなさい。主人が来た時,見張っているところを見られるその奴隷たちは幸せです!」(ルカ 12:35-37)
弟子たちは,イエスがどんな態度を教えようとしているのかすぐに理解します。例えの使用人は用意をして主人が帰って来るのを待っています。イエスはこう説明します。「主人が第2夜警時[午後9時ごろから真夜中]に,あるいは第3夜警時[真夜中から午前3時ごろ]に来たとしても,用意ができているところを見られるなら,幸せです!」(ルカ 12:38)
この忠告には,勤勉な使用人となることや,よく働くことを勧める以上の重みがあります。なぜなら例えでは,どのように人の子イエスが来るかが示されているからです。イエスは弟子たちにこう話します。「あなたたちも用意をしていなさい。思ってもいない時刻に人の子は来るからです」。(ルカ 12:40)将来のある時点で,イエスは帰って来ます。それで,自分の弟子たち,特に「小さな群れ」には用意をしていてほしいと願っています。
ペテロはイエスの話の意味をはっきり理解したいと思い,「主よ,この例えは私たちにだけ話しているのですか。それとも,全ての人にもですか」と尋ねます。イエスはペテロの質問に直接答える代わりに,別の例えを話します。「主人が,時に応じて従者たちに必要な食料を与えていくため,彼らの上に任命する忠実な管理人,思慮深い者はいったい誰でしょうか。その奴隷は,主人が来た時に,そうしているところを見られるなら,幸せです! 実を言うと,主人は自分の全ての持ち物を管理させるためにその奴隷を任命します」。(ルカ 12:41-44)
最初の例えに出てくる「主人」とは,人の子であるイエスのことです。そして「忠実な管理人」とは,王国を与えられる「小さな群れ」の一部の人たちのことです。(ルカ 12:32)イエスは,その人たちが「時に応じて従者たちに必要な食料を与えていく」と話しました。イエスはペテロや他の弟子たちに真理を教え養いました。それで彼らは,将来人の子が来る期間中にも同じようなことが起きると結論できました。その期間中に,管理人が主人の「従者たち」つまりイエスの弟子たちに真理を教える体制が整うのです。
さらにイエスはこう言います。「しかし,もしもその奴隷が,『主人は来るのが遅い』と心の中で言い,使用人の男女をたたいて,食べたり飲んだり酔ったりし始めるなら,その奴隷の主人は,奴隷が予期していない日,思ってもいない時刻に来て,最も厳しく彼を罰し,不忠実な者たちと同じ目に遭わせます」。(ルカ 12:45,46)ここでもイエスは,弟子たちが油断することなく,自分たちの態度に注意を払っていなければならないことを強調していました。なぜなら,気を緩めてしまい,仲間の兄弟姉妹に反対するようにまでなってしまう危険があるからです。
次にイエスは,自分は「地上に火をおこすために」来たと話します。イエスは確かに地上に火をおこしました。イエスの教えは大きな議論を引き起こし,偽りの教えや伝統を焼き尽くすことになります。またその教えは,本来は固い絆で結ばれている人たちをも分裂させます。それで,「父が息子と,息子が父と対立し,母が娘と,娘が母と対立し,しゅうとめが嫁と,嫁がしゅうとめと対立します」。(ルカ 12:49,53)
イエスはここまでの話を主に弟子たちのために語りました。次にイエスは群衆に向けて話します。彼らの多くは,イエスがメシアであることを示す証拠があるのに,その事実を受け入れてきませんでした。それでイエスはこう言います。「皆さんは,西に雲が出るのを見ると,すぐに『嵐が来る』と言い,そうなります。また,南風が吹いているのが分かると,『熱波が来る』と言い,そうなります。偽善者たち,地や空の様子の調べ方を知っているのに,なぜ,この特別な時の調べ方を知らないのですか」。(ルカ 12:54-56)明らかに,人々はメシアを受け入れる用意ができていないのです。