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エホバに近づきなさい
近 第22章 219–228ページ
1人の姉妹が聖書に基づく出版物を使って聖書を学んでいる。

第22章

「天てんからの知ち恵え」に沿そった生いき方かたをする

1-3. (ア)ソロモンはどのように知ち恵えを働はたらかせて,2人ふたりの女じょ性せいの争あらそいを解かい決けつしましたか。(イ)エホバは何なにを約やく束そくしてくれていますか。これからどんなことを考かんがえますか。

難むずかしい問もん題だいが起おきました。2人ふたりの女じょ性せいが,1人ひとりの赤あかちゃんを取とり合あっています。2人ふたりは同おなじ家いえに住すんでいて,数すう日じつ違ちがいで男おとこの子こを産うみました。ところが,片かた方ほうの赤あかちゃんが死しんでしまい,どちらの女じょ性せいも生いきている赤あかちゃんは自じ分ぶんの子こだと主しゅ張ちょうしています。a 目もく撃げき証しょう人にんは誰だれもいません。この件けんは下か級きゅう法ほう廷ていで審しん理りされたものの解かい決けつされなかったようです。それで,イスラエルの王おうソロモンが裁さばくことになりました。ソロモンは真しん相そうを解かい明めいできるでしょうか。

2 ソロモンは2人ふたりの言いい争あらそいにしばらく耳みみを傾かたむけた後あと,剣つるぎを持もってこさせます。そして,赤あかちゃんを2つに切きって半はん分ぶんずつ2人ふたりに与あたえなさい,と命めいじます。するとすぐに,本ほん当とうの母はは親おやである女じょ性せいは,その子こをもう1人ひとりの女じょ性せいにあげてくださいと王おうに懇こん願がんします。一いっ方ぽう,もう1人ひとりの女じょ性せいは,その子こを2つに切きってくださいと言いい続つづけます。何なにが真しん実じつかは明あきらかでした。子こ供どもを思おもう母はは親おやの深ふかい愛あい情じょうを知しっていたソロモンは,本ほん当とうの母はは親おやを見み抜ぬくのにうってつけの状じょう況きょうを作つくり出だし,問もん題だいを解かい決けつしました。母はは親おやは,ソロモンが「彼かの女じょが母はは親おやです」と言いい,わが子こを手て渡わたしてくれた時とき,どれほどほっとしたことでしょう。(列れつ王おう第だい一いち 3:16-27)

3 ソロモンは素す晴ばらしい知ち恵えの持もち主ぬしだったと思おもいませんか。前まえに考かんがえたように,知ち恵えとは理り解かい力りょくや識しき別べつ力りょくを働はたらかせつつ知ち識しきを活かつ用ようする能のう力りょくのことです。イスラエル国こく民みんは,ソロモンがどのようにこの件けんを解かい決けつしたかを聞きいて,王おうに敬けい服ふくしました。「知ち恵えを神かみが王おうに与あたえているのが分わかったから」です。ソロモンの知ち恵えは神かみからの贈おくり物ものでした。エホバがソロモンに「知ち恵えと理り解かい力りょくのある心こころ」を与あたえたのです。(列れつ王おう第だい一いち 3:12,28)では,私わたしたちも神かみから知ち恵えを与あたえてもらえるのでしょうか。ソロモンが聖せいなる力ちからに導みちびかれて書かいた通とおり,「エホバご自じ身しんが知ち恵えを与あたえてくださる」ことを確かく信しんできます。(格かく言げん 2:6)エホバは,誠せい実じつに求もとめる人ひとたちに知ち恵えを与あたえると約やく束そくしています。では,天てんからの知ち恵えを得えるにはどうしたらいいでしょうか。どうすればその知ち恵えに沿そった生いき方かたができるでしょうか。

「知ち恵えを得えなさい」

4-7. 知ち恵えを得えるには,どんな4つのことが必ひつ要ようですか。

4 神かみからの知ち恵えを得えるには,高たかい知ち能のうや教きょう育いくが必ひつ要ようでしょうか。そんなことはありません。エホバは私わたしたちの生おい立たちや教きょう育いくの程てい度どに関かかわりなく知ち恵えを与あたえてくれます。(コリント第だい一いち 1:26-29)とはいえ,聖せい書しょが「知ち恵えを得えなさい」と勧すすめている通とおり,私わたしたちも努ど力りょくする必ひつ要ようがあります。(格かく言げん 4:7)どうしたらいいのでしょうか。

5 まず大たい切せつなのは,神かみを畏おそれることです。「知ち恵えはエホバへの畏おそれから始はじまる」と,格かく言げん 9章しょう10節せつに書かかれています。神かみへの畏おそれが本ほん当とうの知ち恵えにつながると言いえるのはどうしてでしょうか。神かみを畏おそれるとは,畏い敬けいの気き持もちから神かみを信しん頼らいし,神かみに従したがうことです。そして,知ち恵えとは知ち識しきを上じょう手ずに使つかうことです。神かみへの畏おそれがある人ひとは,神かみが望のぞんでいる通とおりの生いき方かたをしたいと考かんがえるので,神かみについての知ち識しきに基もとづいて行こう動どうするように努ど力りょくします。その結けっ果か,知ち恵えのある生いき方かたができるのです。エホバに従したがうことはいつも私わたしたちのためになるので,それに勝まさる生いき方かたはありません。

6 2つ目めに,謙けん遜そんさや慎つつしみ深ぶかさを身みに付つけなければなりません。謙けん遜そんで慎つつしみ深ぶかくなければ,神かみからの知ち恵えを得えることはできません。(格かく言げん 11:2)謙けん遜そんで慎つつしみ深ぶかい人ひとは,自じ分ぶんの知ち識しきが限かぎられていること,自じ分ぶんの意い見けんがいつも正ただしいとは限かぎらないこと,そしていろいろな事こと柄がらについてエホバがどう考かんがえているかを知しる必ひつ要ようがあることを認みとめます。エホバは「傲ごう慢まんな人ひとに敵てき対たい」しますが,本ほん当とうに謙けん遜そんな人ひとには喜よろこんで知ち恵えを与あたえます。(ヤコブ 4:6)

7 3つ目めに欠かかせないのは,聖せい書しょをよく学まなぶことです。エホバの知ち恵えを明あきらかにしている本ほんは,聖せい書しょだけです。その知ち恵えを得えるには,時じ間かんをかけて調しらべ,じっくり考かんがえる必ひつ要ようがあります。(格かく言げん 2:1-5)4つ目めに大だい事じなのは,祈いのることです。誠せい実じつに知ち恵えを神かみに求もとめるなら,神かみは惜おしみなく与あたえてくれます。(ヤコブ 1:5)聖せいなる力ちからの助たすけを求もとめる祈いのりは,必かならず聞きき届とどけられます。聖せいなる力ちからの助たすけによって,私わたしたちは聖せい書しょの中なかにある宝たからのような教おしえを見みつけることができます。その教おしえは,私わたしたちが問もん題だいを解かい決けつし,危き険けんを避さけ,賢けん明めいな判はん断だんをするのに役やく立だちます。(ルカ 11:13)

神かみからの知ち恵えを得えるには,時じ間かんをかけて聖せい書しょを調しらべ,じっくり考かんがえる必ひつ要ようがある

8. 本ほん当とうに神かみからの知ち恵えを持もっているなら,どんなことに表あらわれますか。

8 第だい17章しょうで考かんがえたように,エホバの知ち恵えは実じつ用よう的てきで,良よい結けっ果かにつながります。本ほん当とうに神かみからの知ち恵えを持もっているなら,それは良よい言げん動どうに表あらわれます。イエスの弟で子しヤコブは,神かみの知ち恵えを持もつ人ひとの特とく徴ちょうについてこう書かきました。「天てんからの知ち恵えを持もつ人ひとは,第だい一いちに清きよく,次ついで平へい和わを求もとめ,分ふん別べつがあり,進すすんで従したがい,憐あわれみと良よい実みに満みち,差さ別べつをせず,偽ぎ善ぜん的てきではありません」。(ヤコブ 3:17)では,こうした特とく徴ちょうについて学まなびながら,「自じ分ぶんは天てんからの知ち恵えに沿そった生いき方かたをしているだろうか」と考かんがえてみましょう。

「第だい一いちに清きよく,次ついで平へい和わを求もとめ[る]」

9. 清きよいとはどういうことですか。天てんからの知ち恵えの特とく徴ちょうとして最さい初しょに清きよさが挙あげられているのはどうしてですか。

9 「第だい一いちに清きよ[い]」。清きよいとは,人ひとから見みえる言げん動どうだけでなく,心こころの中なかも汚けがれていないことです。聖せい書しょの中なかで,知ち恵えは心こころと結むすび付つけられています。悪わるい考かんがえによって心こころが汚けがれている人ひとは,天てんからの知ち恵えを得えることができません。(格かく言げん 2:10。マタイ 15:19,20)一いっ方ぽう,不ふ完かん全ぜんながらも清きよい心こころを持もつように努ど力りょくする人ひとは,「悪あくから離はなれて善ぜんを行おこな」います。(詩し編へん 37:27。格かく言げん 3:7)天てんからの知ち恵えの特とく徴ちょうとして最さい初しょに清きよさが挙あげられているのはもっともなことです。道どう徳とくの面めんでも神かみとの関かん係けいの面めんでも清きよくなければ,天てんからの知ち恵えがいろいろな良よい言げん動どうに表あらわれることはありません。

10-11. (ア)平へい和わを求もとめることが重じゅう要ようなのはどうしてですか。(イ)仲なか間まのクリスチャンを傷きずつけてしまったことに気き付づいた場ば合あい,どうすれば平へい和わをつくれますか。(脚きゃく注ちゅうも参さん照しょう。)

10 「次ついで平へい和わを求もとめ[る]」。天てんからの知ち恵えを持もつ人ひとは,聖せいなる力ちからが生うみ出だすものの一いち面めんである平へい和わを大たい切せつにします。(ガラテア 5:22)エホバの民たみを結むすび付つけている「平へい和わという絆きずな」を弱よわめないように努ど力りょくします。(エフェソス 4:3)平へい和わが乱みだされたときには,平へい和わを取とり戻もどすために最さい善ぜんを尽つくします。そうすることが重じゅう要ようなのはどうしてでしょうか。聖せい書しょにこう書かかれています。「これからも……平へい和わに生せい活かつしてください。そうすれば,愛あいと平へい和わの神かみが共ともにいてくださいます」。(コリント第だい二に 13:11)平へい和わに生せい活かつしていく限かぎり,平へい和わの神かみが共ともにいてくださるのです。もし仲なか間まのクリスチャンとの関かん係けいが平へい和わでないなら,エホバとの友ゆう情じょうにもひびが入はいりかねません。では,どうすれば平へい和わをつくる人ひとになれるでしょうか。1つの例れいを考かんがえてみましょう。

11 仲なか間まのクリスチャンを傷きずつけてしまったことに気き付づいたとします。あなたはどうしますか。イエスはこう言いいました。「あなたが供そなえ物ものを祭さい壇だんに持もってきて,仲なか間まが自じ分ぶんに対たいして何なにか反はん感かんを抱いだいていることをそこで思おもい出だしたなら,供そなえ物ものを祭さい壇だんの前まえに残のこして,出で掛かけていきなさい。まず仲なか間まと仲なか直なおりし,それから戻もどってきて,供そなえ物ものを捧ささげなさい」。(マタイ 5:23,24)この助じょ言げんを自じ分ぶんに当あてはめて,仲なか間まに会あいに行いきましょう。その目もく的てきは,「仲なか直なおり」することです。b そのためには,相あい手てを責せめるようなことはせず,傷きずつけてしまったことを認みとめて謝あやまる必ひつ要ようがあるでしょう。目もく的てきを忘わすれず,仲なか直なおりしたいという気き持もちを表あらわし続つづけるなら,おそらく誤ご解かいは解とけ,元もと通どおり仲なか良よくなれるでしょう。平へい和わをつくろうとベストを尽つくす人ひとは,神かみの知ち恵えに導みちびかれていると言いえます。

「分ふん別べつがあり,進すすんで従したが[う]」

12-13. (ア)ヤコブ 3章しょう17節せつで「分ふん別べつがあ[る]」と訳やくされている言こと葉ばにはどんな意い味みがありますか。(イ)分ふん別べつがある人ひととはどういう人ひとですか。

12 「分ふん別べつがあ[る]」。分ふん別べつがあるとはどういうことでしょうか。学がく者しゃたちによると,ヤコブ 3章しょう17節せつで「分ふん別べつがあ[る]」と訳やくされているギリシャ語ごは,訳やくしにくい言こと葉ばです。「すぐに応おうじる」とか「譲じょう歩ほする」という意い味み合あいがあり,「穏おだやか」,「我が慢まんする」,「思おもいやりがある」などとも訳やくされてきました。では,天てんからの知ち恵えを持もつ,分ふん別べつがある人ひととは,どういう人ひとでしょうか。

13 フィリピ 4章しょう5節せつには,「分ふん別べつがあることが全すべての人ひとに知しられるようにしてください」と書かかれています。自じ分ぶんで自じ分ぶんをどう見みるかということよりも,他たの人ひとにどう見みられているかが大たい切せつだと分わかります。分ふん別べつがある人ひとは,いつも厳げん密みつに規き則そくに従したがうことにこだわったり,自じ分ぶんの考かんがえを人ひとに押おし付つけたりはしません。人ひとの言いうことに進すすんで耳みみを傾かたむけ,柔じゅう軟なんに対たい応おうします。厳きびしくて冷つめたい態たい度どを取とったりせず,穏おだやかに人ひとに接せっします。そうすることは全すべてのクリスチャンにとって大たい切せつですが,特とくに長ちょう老ろうたちにとって大だい事じです。長ちょう老ろうが穏おだやかで優やさしければ,会かい衆しゅうの人ひとたちは親したしみを感かんじます。(テサロニケ第だい一いち 2:7,8)私わたしたち皆みなが,「自じ分ぶんは優やさしくて思おもいやりがある,柔じゅう軟なんな人ひととして知しられているだろうか」と考かんがえてみるのは良よいことです。

14. 進すすんで従したがう人ひととはどういう人ひとですか。

14 「進すすんで従したが[う]」。ギリシャ語ご聖せい書しょの中なかで,「進すすんで従したが[う]」と訳やくされている言こと葉ばが出でてくるのはヤコブ 3章しょう17節せつだけです。ある学がく者しゃによると,この言こと葉ばは兵へい士しが規き律りつに従したがうことを指さして使つかわれることが多おおく,「納なっ得とくさせやすい」とか「服ふく従じゅう的てき」という考かんがえを伝つたえています。天てんからの知ち恵えに導みちびかれている人ひとは,聖せい書しょに書かかれていることに喜よろこんで従したがいます。一いち度どこうと決きめたら何なにがあっても考かんがえを変かえない,ということはありません。自じ分ぶんの考かんがえや判はん断だんが間ま違ちがっていることを聖せい書しょからはっきり示しめされたら,すぐに改あらためます。あなたはそういう人ひととして知しられていますか。

「憐あわれみと良よい実みに満みち」ている

15. ヤコブ 3章しょう17節せつで「憐あわれみ」と「良よい実み」が一いっ緒しょに挙あげられていることから,「憐あわれみ」がどういうものだと分わかりますか。

15 「憐あわれみと良よい実みに満みち」ている。c 天てんからの知ち恵えを持もつ人ひとは「憐あわれみ……に満みち」ているとある通とおり,憐あわれみはとても大たい切せつです。「憐あわれみ」と「良よい実み」が一いっ緒しょに挙あげられていることにも注ちゅう目もくできます。聖せい書しょで言いう憐あわれみとは優やさしい思おもいやりのことで,よく親しん切せつな行おこないという「実み」となって表あらわれます。ある文ぶん献けんによると憐あわれみは,「困こまっている人ひとをかわいそうに思おもい,助たすけになろうとすること」です。ですから,神かみからの知ち恵えを持もっている人ひとは,理り論ろんを並ならべるだけで行こう動どうしないような人ひとではありません。他たの人ひとを温あたたかく心こころから気き遣づかいます。では,憐あわれみに満みちていることはどんな行こう動どうに表あらわれるでしょうか。

16-17. (ア)私わたしたちが伝でん道どうするのは,神かみを愛あいしているからだけでなく,どんな気き持もちからでもありますか。(イ)憐あわれみに満みちていることは,どんなことにも表あらわれますか。

16 1つには,神かみの王おう国こくの良よい知しらせを伝つたえることです。この重じゅう要ような活かつ動どうを行おこなうのは,主おもに神かみを愛あいしているからですが,人ひと々びとへの憐あわれみの気き持もちからでもあります。(マタイ 22:37-39)現げん在ざい,多おおくの人ひとが「羊ひつじ飼かいのいない羊ひつじのように痛いためつけられ,放ほうり出だされて」います。(マタイ 9:36)間ま違ちがった宗しゅう教きょうのせいで,正ただしく導みちびかれておらず,真しん理りを知しりません。聖せい書しょの役やく立だつアドバイスも,神かみの王おう国こくが間まもなくあらゆる問もん題だいを解かい決けつしてくれることも知しらないのです。周まわりの人ひとたちが神かみの導みちびきをどれほど必ひつ要ようとしているかを考かんがえると,私わたしたちは愛あい情じょう深ぶかいエホバが人にん間げんのためにしてくれることについてぜひとも伝つたえたいという気き持もちになります。

夫婦と2人の子供が食べ物や工具を持って年配の姉妹を訪ねている。

「天てんからの知ち恵え」に導みちびかれている人ひとは,他たの人ひとのために憐あわれみ深ぶかく行こう動どうする

17 憐あわれみに満みちていることは,ほかにもどんなことに表あらわれるでしょうか。親しん切せつなサマリア人じんについてのイエスの例たとえ話ばなしを思おもい出だしてください。そのサマリア人じんは,強ごう盗とうに襲おそわれて道みち端ばたに倒たおれていた旅たび人びとを見みてかわいそうに思おもい,傷きずに包ほう帯たいをして世せ話わをしてあげました。そのようにして「憐あわれみ深ぶかく行こう動どう」したのです。(ルカ 10:29-37)この例たとえ話ばなしからも分わかるように,憐あわれみ深ぶかい人ひとは困こまっている人ひとを積せっ極きょく的てきに助たすけます。聖せい書しょは,「全すべての人ひとに,特とくに同おなじ信しん仰こうを持もつ兄きょう弟だい姉し妹まいに,善よいことを行おこないましょう」と勧すすめています。(ガラテア 6:10)具ぐ体たい的てきにどんなことができるでしょうか。年ねん配ぱいの兄きょう弟だい姉し妹まいが集しゅう会かいに出しゅっ席せきできるように,車くるまで送そう迎げいできるかもしれません。1人ひとりで暮くらしている姉し妹まいの家いえの修しゅう理りを手て伝つだうこともできます。(ヤコブ 1:27)気き落おちしている人ひとに「良よい言こと葉ば」を掛かけて元げん気きづけることもできるでしょう。(格かく言げん 12:25)そのように憐あわれみを示しめす人ひとは,天てんからの知ち恵えに沿そって行こう動どうしていると言いえます。

「差さ別べつをせず,偽ぎ善ぜん的てきではありません」

18. 天てんからの知ち恵えに導みちびかれている人ひとはどんなことをしませんか。どうしてですか。

18 「差さ別べつを」しない。神かみからの知ち恵えに導みちびかれている人ひとは,人じん種しゅや国くにの違ちがう人ひとを自じ分ぶんより下したに見みたりしませんし,えこひいきもしません。(ヤコブ 2:9)仲なか間まのクリスチャンを,学がく歴れきや生せい活かつレベルや会かい衆しゅう内ないでの責せき任にんに基もとづいて特とく別べつ扱あつかいしたり,逆ぎゃくに見み下さげたりしません。エホバは全すべての人ひとを同おなじように愛あいしていますから,私わたしたちもそうします。

19-20. (ア)「偽ぎ善ぜん者しゃ」というギリシャ語ごにはどんな由ゆ来らいがありますか。(イ)「偽ぎ善ぜんのない兄きょう弟だい愛あい」とはどういうものですか。それが大たい切せつなのはどうしてですか。

19 「偽ぎ善ぜん的てきでは」ない。「偽ぎ善ぜん者しゃ」と訳やくされるギリシャ語ごは,もともと舞ぶ台たい俳はい優ゆうを指さして使つかわれていました。古こ代だいのギリシャやローマの俳はい優ゆうは,大おおきな仮か面めんを着つけて役やくを演えんじました。そのため,俳はい優ゆうを指さすギリシャ語ごは,本ほん当とうの気き持もちを隠かくしてうわべを繕つくろう人ひとを指さすようになりました。そういう偽ぎ善ぜん的てきな人ひとにはなりたくないので,私わたしたちは仲なか間まにどう接せっするかだけでなく,仲なか間まについてどう感かんじているかをよく考かんがえる必ひつ要ようがあります。

20 使し徒とペテロによれば,「真しん理りに従じゅう順じゅん」な人ひとは「偽ぎ善ぜんのない兄きょう弟だい愛あい」を抱いだくようになるはずです。(ペテロ第だい一いち 1:22)ですから,仲なか間まへの私わたしたちの愛あい情じょうは,見みせ掛かけのものであってはなりません。いわば仮か面めんを着つけたり役やくを演えんじたりするのではなく,心こころからの純じゅん粋すいな愛あい情じょうを持もっているべきです。そうであれば,うわべだけではないことが伝つたわるので,仲なか間まから信しん頼らいしてもらえます。そのような誠せい実じつさがあれば,仲なか間まと打うち解とけた関かん係けいでいることができ,会かい衆しゅうの平へい和わや一いっ致ちに貢こう献けんできます。

「役やく立だつ知ち恵え……を守まもれ」

21-22. (ア)ソロモンは知ち恵えを守まもれませんでした。どうしてですか。(イ)知ち恵えを守まもるにはどうしたらいいですか。そうするとどんな良よいことがありますか。

21 エホバからの知ち恵えは,大たい切せつにしたい贈おくり物ものです。ソロモンは,「役やく立だつ知ち恵えと思し考こう力りょくを守まもれ」と言いいました。(格かく言げん 3:21)残ざん念ねんなことに,ソロモン自じ身しんはエホバからもらった知ち恵えを守まもれませんでした。従じゅう順じゅんな心こころを持もっていた間あいだは知ち恵えのある生いき方かたをしていましたが,大おお勢ぜいの外がい国こく人じんの妻つまたちを愛あいしたせいでやがて心こころがエホバの清きよい崇すう拝はいから離はなれていってしまいました。(列れつ王おう第だい一いち 11:1-8)ソロモンの例れいから分わかる通とおり,たとえたくさんの知ち識しきがあったとしてもそれを正ただしく使つかわないなら,何なんの役やくにも立たちません。

22 では,役やく立だつ知ち恵えを守まもるにはどうしたらいいでしょうか。聖せい書しょと,「忠ちゅう実じつで思し慮りょ深ぶかい奴ど隷れい」が提てい供きょうしている出しゅっ版ぱん物ぶつをよく読よんで知ち識しきを蓄たくわえるだけでなく,学まなんだことに従したがって生いきるように努ど力りょくする必ひつ要ようがあります。(マタイ 24:45)神かみの知ち恵えに従したがうなら,より良よい人じん生せいを送おくれますし,「真しんの命いのちをしっかり捉とらえる」こともできます。将しょう来らい,神かみの新あたらしい世せ界かいで幸しあわせに暮くらせるのです。(テモテ第だい一いち 6:19)そして,最もっとも重じゅう要ようなこととして,天てんからの知ち恵えに沿そった生いき方かたをするなら,全すべての知ち恵えの源みなもとであるエホバ神かみとの絆きずなを強つよめることができます。

a 列れつ王おう第だい一いち 3章しょう16節せつによると,この2人ふたりは娼しょう婦ふでした。エホバの証しょう人にんが発はっ行こうした「聖せい書しょに対たいする洞どう察さつ」の説せつ明めいによれば,この女じょ性せいたちは売ばい春しゅんをして生せい計けいを立たてていたというよりも,性せい的てき不ふ道どう徳とくを犯おかしたために娼しょう婦ふと呼よばれていたのかもしれません。ユダヤ人じんだった可か能のう性せいもありますが,おそらく異い国こく人じんだったと考かんがえられます。

b 「仲なか直なおり」と訳やくされているギリシャ語ごは,「敵てき意いから友ゆう情じょうへ変へん化かする」,「和わ解かいする」,「通つう常じょうの関かん係けいや良よい関かん係けいに戻もどる」と定てい義ぎされています。それで,目め指ざすのは,できるなら,感かん情じょうを害がいしている人ひとの心こころから悪あく感かん情じょうを除のぞき去さって,変へん化かを生しょうじさせることです。(ローマ 12:18)

c ある翻ほん訳やくではこの部ぶ分ぶんが「同どう情じょうと善ぜん行こうとに満みち」と訳やくされています。(「民みん衆しゅうの言こと葉ばによる翻ほん訳やく」[英えい語ご],チャールズ・B・ウィリアムズ)

じっくり考かんがえたいこと

  • 申しん命めい記き 4:4-6 知ち恵えがあることは,どんなことに表あらわれますか。

  • 詩し編へん 119:97-105 神かみの言こと葉ばをよく学まなび,神かみの教おしえに従したがうことは,どのように自じ分ぶんのためになりますか。

  • 格かく言げん 4:10-13,20-27 私わたしたちにエホバの知ち恵えが必ひつ要ようなのはどうしてですか。

  • ヤコブ 3:1-16 知ち恵えや理り解かい力りょくがある長ちょう老ろうたちはどのように行こう動どうしますか。

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