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エホバに近づきなさい
近 第31章 310–319ページ
兄弟姉妹たちが集会で歌っている。

第31章

「神かみに近ちかづいてください。そうすれば,神かみは近ちかづいてくださいます」

1-3. (ア)赤あかちゃんが親おやに向むける笑え顔がおから,人にん間げんについてどんなことが分わかりますか。(イ)誰だれかに愛あいを示しめしてもらうと,私わたしたちはどうしたいと思おもうものですか。どんなことを考かんがえるのは大たい切せつですか。

親おやは,赤あかちゃんの笑え顔がおを見みるのが大だい好すきです。顔かおを近ちかづけて,優やさしく声こえを掛かけたりほほ笑えみ掛かけたりします。反はん応のうを見みたくてたまらないのです。やがて赤あかちゃんはほっぺや口くちを動うごかして,かわいい笑え顔がおを見みせてくれます。親おやの愛あいに応こたえて,赤あかちゃんなりに愛あい情じょうを表ひょう現げんしているに違ちがいありません。

2 赤あかちゃんの笑え顔がおからも分わかるように,人にん間げんは愛あいを受うけると自し然ぜんに愛あいで応こたえようとします。そのように造つくられているのです。(詩し編へん 22:9)そして成せい長ちょうするにつれて,愛あいを示しめしてくれた人ひとにいろいろな方ほう法ほうで愛あいを示しめせるようになります。あなたも,家か族ぞくや友とも達だちから愛あいを示しめしてもらって温あたたかい気き持もちになり,お返かえしに愛あいを行こう動どうで表あらわしたことが何なん度どもあるでしょう。では,エホバ神かみの愛あいには応こたえているでしょうか。

3 聖せい書しょに書かかれている通とおり,「私わたしたちが愛あいするのは,神かみがまず愛あいしてくださったからです」。(ヨハネ第だい一いち 4:19)この本ほんのセクション1からセクション3で考かんがえたように,エホバは私わたしたちの幸しあわせを願ねがって,力ちからや公こう正せいや知ち恵えを愛あい情じょう深ぶかく示しめしてきました。また,セクション4で学まなんだように,エホバは全ぜん人じん類るいへの愛あいや私わたしたち一人ひとり一人ひとりへの愛あいを,さまざまな形かたちでこれ以い上じょうないほどはっきりと表あらわしてきました。それで,「自じ分ぶんはエホバの愛あいにどのように応こたえられるだろう」と考かんがえるのは,本ほん当とうに大たい切せつなことです。

神かみを愛あいするとはどういうことか

4. 神かみを愛あいするとはどういうことだと思おもっている人ひとたちがいますか。

4 愛あいの源みなもとであるエホバは,愛あいには人ひとの心こころを良よい方ほう向こうへと動うごかす大おおきな力ちからがあることをよく知しっています。それで,大たい半はんの人ひとが神かみに仕つかえようとしなくても,愛あいに応こたえてくれる人ひとたちも必かならずいると確かく信しんして愛あいを示しめし続つづけてきました。そして実じっ際さい,無む数すうの人ひとたちが神かみの愛あいに応こたえてきました。しかし残ざん念ねんなことに,いろいろな宗しゅう教きょうが間ま違ちがったことを教おしえてきたせいで,神かみを愛あいするとはどういうことかを正ただしく理り解かいできていない人ひとが少すくなくありません。神かみを愛あいしていると主しゅ張ちょうする人ひとの多おおくは,ただそう言いうだけで十じゅう分ぶんだと思おもっているようです。神かみを愛あいしていると言いうことは,神かみへの愛あいの第だい一いっ歩ぽです。それは赤あかちゃんが親おやへの愛あいを最さい初しょは笑え顔がおだけで示しめすのに似にています。ですが,十じゅう分ぶんに成せい長ちょうした人ひとの場ば合あい,愛あいを表あらわすためにできることはほかにもあります。

5. 聖せい書しょによると,神かみを愛あいするとはどういうことですか。そのように神かみを愛あいすることが私わたしたちのためになるのはどうしてですか。

5 神かみを愛あいするとはどういうことかは,エホバの言こと葉ばから分わかります。聖せい書しょには,「神かみを愛あいするとは,神かみのおきてを守まもることです」と書かかれています。ですから,神かみへの愛あいは行こう動どうで表あらわす必ひつ要ようがあります。おきてに縛しばられたくないと考かんがえる人ひとも多おおいですが,同おなじ聖せい句くにあるように「神かみのおきては重おも荷にではありません」。(ヨハネ第だい一いち 5:3)エホバが律りっ法ぽうや原げん則そくを定さだめたのは,私わたしたちを縛しばるためではなく,幸しあわせにするためです。(イザヤ 48:17,18)聖せい書しょには,神かみとの絆きずなを強つよめるのに役やく立だつ教おしえがたくさん書かかれています。ここでは特とくに,神かみと意い思しを通かよわせること,神かみを崇すう拝はいすること,神かみに倣ならうことについて考かんがえてみましょう。

エホバと意い思しを通かよわせる

6-8. (ア)どうすればエホバの言こと葉ばを聞きくことができますか。(イ)聖せい書しょの内ない容ようが心こころに響ひびくように読よむにはどうしたらいいですか。

6 この本ほんの第だい1章しょうは,「神かみと会かい話わしているところを想そう像ぞうできますか」という質しつ問もんで始はじまりました。その章しょうで学まなんだ通とおり,神かみとの会かい話わは非ひ現げん実じつ的てきなものではありません。例たとえばモーセは実じっ際さいに神かみと会かい話わしました。では,私わたしたちはどうでしょうか。現げん代だいでは,エホバが天てん使しを遣つかわして人にん間げんと話はなすことはありません。しかし,今いまでも私わたしたちはエホバと意い思しを通かよわせることができます。まず,エホバの言こと葉ばを聞きくにはどうしたらいいでしょうか。

7 「聖せい書しょ全ぜん体たいは神かみの聖せいなる力ちからの導みちびきによって書かかれたもの」なので,私わたしたちは聖せい書しょを読よむことによってエホバの言こと葉ばを聞きくことができます。(テモテ第だい二に 3:16)それで詩し編へん作さく者しゃはエホバに仕つかえる人ひとたちに,聖せい書しょを「昼ひるも夜よるも」読よむように勧すすめました。(詩し編へん 1:1,2)その通とおりにするにはかなりの努ど力りょくが必ひつ要ようですが,それだけの価か値ちがあります。第だい18章しょうで考かんがえたように,聖せい書しょは天てんの父ちちからの大だい事じな手て紙がみのようです。ですから,単たんに機き械かい的てきに読よむのではなく,内ない容ようが心こころに響ひびくように読よまなければなりません。どうすればそうできるでしょうか。

8 読よんでいる内ない容ようを思おもい描えがき,登とう場じょう人じん物ぶつを生いき生いきとイメージしてください。その人ひとたちの生おい立たちや置おかれていた状じょう況きょうを調しらべ,どんな気き持もちで行こう動どうしていたかを想そう像ぞうしてみましょう。そして,読よんだことについて深ふかく考かんがえます。例たとえば,「この部ぶ分ぶんからエホバについてどんなことが分わかるだろう。エホバのどんな良よいところが表あらわれているだろう。エホバはどんな原げん則そくを学まなんでほしいと思おもっているのだろう。学まなんだことをどのように役やく立だてられるだろう」と考かんがえてみます。読よんで,じっくり考かんがえ,内ない容ようを自じ分ぶんのものにするなら,神かみの言こと葉ばに大おおきな力ちからがあることを実じっ感かんできるでしょう。(詩し編へん 77:12。ヤコブ 1:23-25)

9. 「忠ちゅう実じつで思し慮りょ深ぶかい奴ど隷れい」とは誰だれのことですか。その奴ど隷れいの言いうことに注ちゅう意い深ぶかく耳みみを傾かたむけることが大たい切せつなのはどうしてですか。

9 エホバはさらに,「忠ちゅう実じつで思し慮りょ深ぶかい奴ど隷れい」を導みちびいて自じ分ぶんの考かんがえを私わたしたちに伝つたえてくれています。イエスが予よ告こくしていた通とおり,問もん題だいの多おおいこの終おわりの時じ代だいに,天てんに行いくよう選えらばれた兄きょう弟だいたちの少しょう人にん数ずうの一いち団だんが任にん命めいされ,「適てき切せつな時ときに」神かみからの「食しょく物もつ」を分ぶん配ぱいしてきました。(マタイ 24:45-47)私わたしたちは,聖せい書しょを正ただしく理り解かいするのに役やく立だつ出しゅっ版ぱん物ぶつを読よんだり,集しゅう会かいや大たい会かいに出しゅっ席せきしたりする時とき,その奴ど隷れいからの食しょく物もつによって信しん仰こうを強つよめられています。イエスが弟で子したちに「どのように聞きくかに注ちゅう意いを払はらいなさい」と言いった通とおり,キリストの奴ど隷れいの言いうことに注ちゅう意い深ぶかく耳みみを傾かたむけることはとても大たい切せつです。(ルカ 8:18)エホバがその奴ど隷れいを使つかって私わたしたちと意い思しを通かよわせているからです。

10-12. (ア)エホバに祈いのれるのは素す晴ばらしいことだと言いえるのはどうしてですか。(イ)エホバに喜よろこばれるのはどんな祈いのりですか。エホバが私わたしたちの祈いのりを喜よろこんで聞きいてくれると確かく信しんできるのはどうしてですか。

10 では,私わたしたちの方ほうからエホバに語かたり掛かけることについてはどうでしょうか。そのことを考かんがえると,緊きん張ちょうしたり怖こわくなったりする人ひともいるかもしれません。例たとえば,自じ分ぶんの悩なやみについて国くにの最さい高こう権けん力りょく者しゃに会あって相そう談だんしようとしても,うまくいくとは思おもえないでしょう。国くにによっては権けん力りょく者しゃに近ちかづくことさえ危き険けんな場ば合あいがあります。エステルとモルデカイの時じ代だいには,呼よばれていないのにペルシャの王おうに近ちかづこうとする人ひとは処しょ刑けいされる恐おそれがありました。(エステル 4:10,11)ですから,宇う宙ちゅうの主しゅ権けん者しゃと話はなすことを想そう像ぞうすると気き後おくれしてしまう人ひとがいるのも理り解かいできます。神かみと比くらべれば,どんなに力ちからがある人ひとも「バッタのよう」だからです。(イザヤ 40:22)でも,神かみに話はなし掛かけることをためらう必ひつ要ようは全まったくありません。

11 エホバは,誰だれでも簡かん単たんに自じ分ぶんと話はなせるようにしてくれています。祈いのりを聞きいてくれるのです。幼おさない子こ供どもでも信しん仰こうを抱いだいて,イエスの名なによってエホバに祈いのることができます。(ヨハネ 14:6。ヘブライ 11:6)そして,私わたしたちは祈いのりによって複ふく雑ざつな思おもいや感かん情じょう,言こと葉ばにならないつらい気き持もちなども伝つたえることができます。(ローマ 8:26)エホバに感かん銘めいを与あたえようとして,難むずかしい言こと葉ばをいろいろ使つかったり長なが々ながしく祈いのったりするべきではありません。(マタイ 6:7,8)とはいえ,私わたしたちが誠せい実じつな気き持もちで祈いのるなら,どんなに長ながく祈いのっても,どれほど頻ひん繁ぱんに祈いのっても,エホバは聞きいてくれます。聖せい書しょは,「絶たえず祈いのってください」と勧すすめています。(テサロニケ第だい一いち 5:17)

12 エホバだけが「祈いのりを聞きく方かた」と呼よばれていることや,私わたしたちに感かん情じょう移い入にゅうしてくれるということを忘わすれないようにしましょう。(詩し編へん 65:2)エホバは自じ分ぶんに忠ちゅう実じつに仕つかえる人ひとたちの祈いのりを渋しぶ々しぶ聞きくのではなく,喜よろこんで聞きいてくれます。聖せい書しょの中なかで,祈いのりは香こうのようだと言いわれています。香こうをたくと,甘あまい香かおりのする心ここ地ちよい煙けむりが立たち上のぼります。(詩し編へん 141:2。啓けい示じ 5:8; 8:4)自じ分ぶんの誠せい実じつな祈いのりがいわば香こうのように上のぼっていき,主しゅ権けん者しゃである主しゅに喜よろこんでもらえると考かんがえると,うれしくなるのではないでしょうか。では,エホバとの友ゆう情じょうを深ふかめるために,謙けん遜そんな気き持もちで毎まい日にち何なん度ども祈いのりましょう。遠えん慮りょせずに何なんでも話はなしてください。(詩し編へん 62:8)気き掛がかりなことやうれしかったこと,感かん謝しゃや賛さん美びの気き持もちなどを天てんの父ちちに伝つたえましょう。そうすると,神かみとの絆きずながどんどん強つよくなっていきます。

エホバを崇すう拝はいする

13-14. エホバを崇すう拝はいするとはどういうことですか。私わたしたちがエホバを崇すう拝はいすべきなのはどうしてですか。

13 私わたしたちがエホバ神かみと意い思しを通かよわせることは,家か族ぞくや友とも達だちとの会かい話わよりもっと深ふかい意い味みがあります。それはエホバへの崇すう拝はいの大だい事じな部ぶ分ぶんだからです。エホバを崇すう拝はいするとは,エホバへの深ふかい敬けい意いや愛あいを表あらわし,エホバをたたえるということであり,私わたしたちの生いき方かた全ぜん体たいが関かん係けいしています。エホバだけが崇すう拝はいを受うけるのにふさわしい方かたであり,大おお勢ぜいの天てん使しや人にん間げんが一いっ致ち団だん結けつしてエホバを崇すう拝はいしています。使し徒とヨハネが幻まぼろしの中なかで見みた天てん使しが語かたった,「天てんと地ちと海うみと泉いずみを造つくった方かたを崇すう拝はいしなさい」という命めい令れいに従したがっているのです。(啓けい示じ 14:7)

14 エホバを崇すう拝はいすべきなのはどうしてでしょうか。この本ほんで学まなんだ通とおり,エホバにはたくさんの良よいところがあります。エホバは神しん聖せいで,強つよい力ちからを持もち,自じ分ぶんを制せいすることができ,公こう正せいで勇ゆう気きがあり,憐あわれみ深ぶかく,知ち恵えがあり,謙けん遜そんで思おもいやりがあり,揺ゆるぎない愛あいに満みち,どこまでも善よい方かたです。どの点てんでもエホバは最さい高こうの手て本ほんであり,エホバに勝まさる者ものは誰だれもいません。エホバの数かず々かずの素す晴ばらしい面めんについて少すこし考かんがえるだけでも,私わたしたちの理り解かいをはるかに超こえる偉い大だいな神かみだということが分わかるのではないでしょうか。圧あっ倒とう的てきな栄えい光こうに輝かがやく,まさに至し高こうの方かたです。(イザヤ 55:9)エホバは確たしかに全すべてのものを治おさめる権けん利りを持もっていて,私わたしたちが崇すう拝はいすべき方かただと言いえます。では,どのようにしてエホバを崇すう拝はいしたらよいのでしょうか。

15. 「聖せいなる力ちからと真しん理りに導みちびかれて」エホバを崇すう拝はいするにはどうしたらいいですか。兄きょう弟だい姉し妹まいと集あつまる時とき,どんなことができますか。

15 イエスはこう言いいました。「神かみは目めに見みえない方かたであり,神かみを崇すう拝はいする人ひとは聖せいなる力ちからと真しん理りに導みちびかれて崇すう拝はいしなければなりません」。(ヨハネ 4:24)私わたしたちは神かみから聖せいなる力ちからを頂いただいて,その力ちからの導みちびきに従したがって神かみを崇すう拝はいしなければなりません。また,神かみの言こと葉ばの真しん理りに沿そって崇すう拝はいする必ひつ要ようがあります。兄きょう弟だい姉し妹まいと集あつまる時ときにはいつでも,「聖せいなる力ちからと真しん理りに導みちびかれて」エホバを崇すう拝はいすることができます。(ヘブライ 10:24,25)エホバに賛さん美びの歌うたを歌うたったり,みんなで一いっ緒しょに祈いのったり,聖せい書しょについて話はなし合あったりすることによって,私わたしたちは清きよい崇すう拝はいを行おこなって神かみへの愛あいを表あらわすのです。

エホバを崇すう拝はいする喜よろこびを味あじわうために,クリスチャンの集しゅう会かいに出しゅっ席せきすることは大たい切せつ

16. クリスチャンにはどんな重じゅう要ような命めい令れいが与あたえられていますか。私わたしたちがその命めい令れいに従したがいたいと思おもうのはどうしてですか。

16 さらに,エホバがどれほど素す晴ばらしい神かみかについて人ひと々びとに話はなすことによっても,エホバを崇すう拝はいできます。(ヘブライ 13:15)クリスチャンは,エホバの王おう国こくの良よい知しらせを伝つたえるようにという重じゅう要ような命めい令れいを与あたえられています。(マタイ 24:14)私わたしたちはエホバを愛あいしているので,その命めい令れいに喜よろこんで従したがいます。「今いまの体たい制せいの神かみ」である悪あく魔まサタンは,「信しん仰こうのない人ひとたちの思し考こうを遮さえぎり」,エホバについてのひどいうそを広ひろめています。そのことを考かんがえると,私わたしたちは神かみの証しょう人にんとして,皆みなにエホバについて本ほん当とうのことを知しってもらいたいと強つよく思おもうのではないでしょうか。(コリント第だい二に 4:4。イザヤ 43:10-12)また,エホバのたくさんの良よいところについて思おもい巡めぐらすと,できるだけ多おおくの人ひとに話はなしたいと思おもうに違ちがいありません。私わたしたちと同おなじように天てんの父ちちを知しって愛あいすることができるように人ひとを助たすけるのは,私わたしたちに今いまできる最もっとも大たい切せつなことです。

17. エホバを崇すう拝はいすることには,どんなことも関かん係けいしていますか。エホバへの忠ちゅう誠せい心しんが大たい切せつなのはどうしてですか。

17 ほかにも,エホバを崇すう拝はいすることには私わたしたちの生せい活かつ全ぜん般ぱんが関かん係けいしています。(コロサイ 3:23)エホバが自じ分ぶんの従したがうべき主しゅ権けん者しゃだと本ほん当とうに思おもっている人ひとは,いつでもエホバの望のぞむことを行おこなおうとします。家か庭ていでも職しょく場ばでも,他たの人ひとといる時ときも1人ひとりでいる時ときもです。「心こころを尽つくして」エホバに仕つかえ,忠ちゅう誠せいを貫つらぬくことを決けつ意いしています。(歴れき代だい第だい一いち 28:9)ですから,エホバを崇すう拝はいする人ひとは,エホバが嫌きらうものに心こころを向むけたり,裏うら表おもてのある生いき方かたをしたりはしません。表おもて向むきはエホバに仕つかえているように見みせ掛かけながらひそかに重じゅう大だいな罪つみを犯おかし続つづけるような,偽ぎ善ぜん的てきな生いき方かたとは無む縁えんです。そもそも忠ちゅう誠せい心しんと偽ぎ善ぜんは両りょう立りつしませんし,エホバを愛あいしている人ひとはエホバを裏うら切ぎることなど考かんがえられません。神かみへの畏おそれも,神かみに尽つくしたいという気き持もちを強つよめます。聖せい書しょによれば,そのような畏おそれを持もつ人ひとはいつまでもエホバの親したしい友ともでいられます。(詩し編へん 25:14)

エホバに倣ならう

18-19. 不ふ完かん全ぜんな人にん間げんでもエホバ神かみに倣ならえると言いえるのはどうしてですか。

18 聖せい書しょは私わたしたちに,「皆みなさんは子こ供どもとして神かみに愛あいされているのですから,神かみに倣ならってください」と勧すすめています。(エフェソス 5:1)この本ほんの各かくセクションの結むすびの章しょうで,どのようにそうできるかを考かんがえてきました。エホバは完かん全ぜんな方かたで,力ちから,公こう正せい,知ち恵え,愛あいを完かん璧ぺきに示しめすことができますが,不ふ完かん全ぜんな私わたしたちでもエホバに倣ならえるということを忘わすれないようにしましょう。自じ分ぶんには無む理りだと感かんじるようなとき,どんなことを思おもい出だすといいでしょうか。エホバという名な前まえの意い味みから分わかる通とおり,神かみは目もく的てきを果はたすために自じ分ぶんがなりたいと思おもうどんなものにでもなることができます。それは確たしかに驚きょう異い的てきな能のう力りょくですが,私わたしたちには到とう底ていまねできないというわけではありません。

19 私わたしたちは神かみに似にた者ものとして造つくられています。(創そう世せい記き 1:26)ですから,人にん間げんは地ち球きゅう上じょうの他たのどんな生いき物ものとも違ちがっています。私わたしたちの行こう動どうは,本ほん能のう,遺い伝でんによる習しゅう性せい,取とり巻まく環かん境きょうなどによってのみ決きまるわけではありません。エホバは私わたしたちに自じ由ゆう意い志しという素す晴ばらしい贈おくり物ものを下くださいました。私わたしたちは不ふ完かん全ぜんで限げん界かいがあるとはいえ,どんな人ひとになりたいかを自じ分ぶんで決きめることができます。さらに,エホバという名な前まえの意い味みから分わかるもう一ひとつのこととして,神かみは自じ分ぶんを崇すう拝はいする人ひとたちをどんなものにでもならせることができます。では,あなたは,愛あい情じょう深ぶかく,知ち恵えがあり,公こう正せいで,力ちからを正ただしく使つかう人ひとになりたいと思おもいますか。そう強つよく願ねがっているなら,エホバの聖せいなる力ちからの助たすけにより,まさにそういう人ひとになることができます。そのようにエホバに倣ならうと,どんな良よいことがあるでしょうか。

20. エホバに倣ならうとどんな良よいことがありますか。

20 まず,エホバに心こころから喜よろこんでもらえます。(格かく言げん 27:11)限げん界かいがある私わたしたちのことをエホバがそこまで喜よろこんでくれるというのは,本ほん当とうにうれしいことです。(コロサイ 1:9,10)さらに,愛あい情じょう深ぶかいお父とうさんの良よいところに倣ならおうと努ど力りょくし続つづけるなら,大たい半はんの人ひとが神かみを知しらない暗くらい世よの中なかで真しん理りの光ひかりを輝かがやかせることができます。(マタイ 5:1,2,14)素す晴ばらしいことに,エホバがどれほど魅み力りょく的てきな方かたかを世せ界かい中じゅうの大おお勢ぜいの人ひとたちに知しってもらうことに貢こう献けんできるのです。

「神かみに近ちかづいてください。そうすれば,神かみは近ちかづいてくださいます」

1人の兄弟が鮮やかに染まった夕焼け空を眺めている。

これからもエホバに近ちかづき,エホバとの友ゆう情じょうを深ふかめてください

21-22. エホバを愛あいする人ひと全すべては,終おわりのないどんな旅たびをしていますか。

21 ヤコブ 4章しょう8節せつで私わたしたちに勧すすめられていることは,すぐに達たっ成せいできる目もく標ひょうというより,ずっと続つづく旅たびのようです。私わたしたちが神かみに仕つかえ続つづける限かぎり,その旅たびは続つづいていきます。エホバに近ちかづくことに終おわりはないからです。いくら学まなんでも,エホバについて学まなべることはさらにあります。この本ほんを読よんで,もうエホバのことは全ぜん部ぶ分わかったと考かんがえるべきではありません。この本ほんでは,神かみについて聖せい書しょに書かかれていることのほんの一いち部ぶを取とり上あげたにすぎません。そして聖せい書しょそのものも,エホバについて全すべてを教おしえているわけではありません。使し徒とヨハネが言いっているように,イエスが地ち上じょうで伝でん道どうをした期き間かんに行おこなった全すべてのことを書かいたとしたら,「その巻まき物ものは世せ界かいに収おさまり切きらない」でしょう。(ヨハネ 21:25)イエスについてそう言いえるのですから,エホバについてはなおさらです。

22 永えい遠えんに生いき続つづけても,エホバについて学まなべることがなくなることはありません。(伝でん道どうの書しょ 3:11)考かんがえてみてください。何なん百びゃく年ねん,何なん千ぜん年ねん,何なん万まん年ねん,何なん億おく年ねんもたてば,エホバ神かみについて今いまよりもはるかに多おおくのことを知しっているでしょう。それでも,まだまだ学まなべる素す晴ばらしいことが限かぎりなくあるのです。「私わたしにとって,神かみに近ちかづくのは良よいことだ」と歌うたった詩し編へん作さく者しゃと同おなじ気き持もちを持もち続つづけて,いつまでも学まなんでいきたいと思おもうに違ちがいありません。(詩し編へん 73:28)永えい遠えんに続つづく生せい活かつは,想そう像ぞうもつかないほど充じゅう実じつしていて変へん化かに富とんだものになるでしょう。何なによりも,エホバとの友ゆう情じょうが日ひに日ひに深ふかまっていく喜よろこびを永えい遠えんにわたって味あじわえるのです。

23. この本ほんを学まなんで,あなたはどうしたいと思おもいますか。

23 ぜひ今いまエホバの愛あいに応こたえて,自じ分ぶんの心こころ,知ち力りょく,力ちから,全すべてを尽つくしてエホバを愛あいしてください。(マルコ 12:29,30)何なにがあってもエホバへの揺ゆるぎない愛あいを持もち続つづけましょう。毎まい日にちの生せい活かつの中なかで,小ちいさなことから大おおきなことまで何なにを決きめるにしても,どうすれば天てんの父ちちとの絆きずなが強つよまるかをいつも考かんがえてください。あなたが永えい遠えんにわたってますますエホバに近ちかづき,エホバとのいつまでも続つづく深ふかい友ゆう情じょうを楽たのしめますように!

じっくり考かんがえたいこと

  • 詩し編へん 25:1-22 エホバとの絆きずなを強つよめるためにどんなことができますか。そのようにすると,どんな確かく信しんを持もてますか。

  • ホセア 6:3 エホバを知しるには努ど力りょくが必ひつ要ようなものの,それだけの価か値ちがあるということが,この聖せい句くからどのように分わかりますか。

  • マタイ 16:21-27 エホバに倣ならうには,誰だれを手て本ほんとすべきですか。どんな精せい神しんが必ひつ要ようですか。

  • 啓けい示じ 21:3,4 エホバが将しょう来らいどのように祝しゅく福ふくしてくれるかを考かんがえると,今いまどんなことをしたいと思おもいますか。

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